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『中庸』第三十二節、三十三節、続き

2015-07-11 10:28:04 | 漢文解読
                        第三十二節 続き
『詩経』(衛風碩人篇)には、きらびやかな錦の衣裳を身に付けたが、その派手派手しさを隠す為に、その上に薄絹を羽織るのだ、と詠われている。それは表面的な派手な美しさを嫌う心に他ならない。これこそが至徳を備えた君子の心である。それ故にこのような君子の守り行う道は、深遠にして初めは目立たないが、日が経つにつれて次第に滲み出るように彰かになってくる。それに対して小人の行う道は、初めは目だって人目を引くが、その徳の浅近なるが故に、次第に色あせて人々から忘れられてしまう。このように君子の道は一見目立たないが、その淡白なるが故に人々から厭きられず、一見簡易であるがその中には美しさが有り、温厚であるがその中には揺ぎ無い条理を備えている。だから遠くを知ろうと思えば先ず近きを知ることに務め、吹き過ぎる風には自って生ずる源が有るように、外に現れる事象は内部に秘めたものに基づくことを知り、微にして目立たないものこそ世に顕れることを理解すれば、人は誰しも君子と俱に手を携えて聖人の至徳に近づくことが出来るのである。
又『詩経』(小雅正月篇)で、水に深くもぐり潜んでいても、やがて明らかに顕れる、と詠われているように、君子は常に反省し、心に何らやましい事も無く、己の心に羞じることの無いように務めており、世に認められなくても、己の心を損なうことは無いので、その偉大な徳はやがて人々に認められるようになるであろう。普通の人々が君子に及ばないのは、實に人の目の届かないところでも、常に至徳を身に附ける為に努力をしているその姿であろう。更に詩(大雅抑篇)は、君子が居室の内に在る場合も、その様子を見ると、人気の無い室の西北の隅に居るときでも、そこに祀られている中霤の神にさえ、恥じる様な行いはしない、と詠っている。このように君子は他人の目が届かないところでも、常に慎み深く徳を重ねているので、何もしなくても、何も言わなくても、君子は人々から尊敬され信頼されるのである。詩(商頌烈祖篇)に、大楽を宗廟で奏でると、人々は皆厳粛畏敬の念を懐き、争うことなく和合する、と詠っているのは、君子の徳もこのようで有ることを教えているのである。
このように君子の徳は、自然と民から畏敬され信頼されているので、賞を示して督励しなくても、民は歓んで自ら業に励むようになり、威力を以てしなくても、民はおのやまさかりで刑せられるより懼れ戒めるようになる。詩(周頌烈文篇)に、何と顕らかなことか、この徳は。天下の多くの諸侯たちはこの徳に法って国を治めている、と詠われているのは、徳こそが國を修める根本であることを教えているのである。それ故に王たる君子が篤実恭敬にして徳を全うすれば、天下は自然と平和に治まるのである。詩(大雅皇矣篇)に、私は民を治めるにあたって、常に徳を明らかにして民を教化することに務め、声や顔色を大にして、民を威嚇するようなことはしないように務めている、と詠われているのは、将にこのことを教えているのである。

詩曰、衣錦尚絅。惡其文之著也。故君子之道、闇然而日章。小人之道、的然而日亡。君子之道、淡而不厭、簡而文、溫而理。知遠之近、知風之自、知微之顯、可與入矣。
詩云、潛雖伏矣,亦孔之昭。故君子內省不疚、無惡於志。君子所不可及者、其唯人之所不見乎。詩云、相在爾室,尚不愧于屋漏。故君子不動而敬、不言而信。詩曰、奏假無言、時靡有爭。
是故君子不賞而民勸、不怒而民威於鈇鉞。詩曰、不顯惟、百辟其刑之。是故君子篤恭而天下平。詩曰、予懷明、不大聲以色。

詩に曰く、「錦を衣て絅(ケイ)を尚(くわえる)う。」其の文の著るるを惡むなり。故に君子の道は、闇然として而も日々に章らかなり。小人の道は、的然として而も日々に亡ぶ。君子の道は、淡にして厭われず、簡にして文あり、溫にして理あり。遠きの近きを知り、風の自るを知り、微の顯なるを知らば、與にに入る可し。
詩に云う、「潛(くぐまる)まりて伏すと雖ども、亦た孔(はなはだ)だ之れ昭らかなり」故に君子は內に省みて疚しからず、志に惡む無し。君子の及ぶ可からざる所の者は、其れ唯人の見ざる所ならんか。詩に云う、「爾の室に在るを相るに、尚ほ屋漏に愧ぢず。」故に君子は動かずして敬せられ、言わずして信ぜらる。詩に曰く、「假を奏して言無し、時に争うこと有る靡し。」
是の故に君子は賞せざれども民は勸み、怒らざれども民は鈇鉞より威る。詩に曰く、「顯らかならざらんや惟れ、百辟其れ之に刑(のっとる)る。」是の故に君子は篤恭にして天下は平らかなり。詩に曰く、「予、明を懷う、聲と色とを大にせず。」

<語釈>
○「尚絅」、「絅」は薄絹、「尚」は重ねる意で、くわえると訓ず。薄絹を重ね着すること。○「闇然」、暗闇に潜んでいて目立たないこと。○「的然」、的を得ていて人目を引くこと。○「知風之自」朱子は云う、外に顕るる者は内に本づくなり。○「入」、鄭注:徳に入るは、聖人の徳に入るなり。○「屋漏」、鄭注:室の西北の隅、之を屋漏と謂う。中霤の神(雨だれの神)を祀る所で、人気が無い。○「奏假」、鄭注:大楽を宗廟の中に奏でるを謂う、人皆粛敬す、金聲玉色にして、言う者有る無し、時に太平を以て和合して争う所無し。○「不顯惟、百辟其刑之」、鄭注:「不顯」は、顯を言うなり、「辟」は君なり、此れ頌なり、顯ならざらんや文王の徳、百君盡く之に刑るとは、諸侯之に法るを謂うなり。

                          三十三節
孔子は、前節の『詩経』大雅皇矣篇の歌を承けて、声を大にしたり、顔色を険しくしたりするのは、統治者が民を教化する根本の道ではないと述べておられる。これは、統治は徳を以て根本とすべきであると云っておられるのである。詩((大雅蒸民篇)にも、徳の軽いことは一本の毛のようだ、と詠われているように、統治の根本である徳は毛のように軽くて用い易いもので、誰もが用いることが出来る。しかしこのような毛でさえ、その軽さや形状などから比類されるものは幾らでも有る。その意味では、毛の喩えで徳を述べるのは十分でない。更に詩に、上天の徳は、声も無く臭いも無い、と詠われているように、正に至誠の徳は人間の感覚では捉えることが出来ないどこまでも深くどこまでも広いもので、民は知らず知らずのうちにそれを享受するものである。この詩句こそが、清明にして神の如き至誠の徳を喩えるにはふさわしいものであろう。

子曰、聲色之於以化民、末也。詩曰、徳輶如毛。毛猶有倫。上天之載、無聲無臭。至矣。
第三十三節
子曰く、「聲色の以て民を化するに於けるや、末なり。」詩に曰く、「の輶(かるい)きこと毛の如し。」毛は猶ほ倫有り。「上天の載は、聲も無く臭も無し。」至れるかな。

<解説>
孔子は、堯・舜の道を根本にし、其れを具体化させた周の文王・武王の法に則ることが、自分の進むべき根本的な道であるとした。その孔子の大徳を称え、それを明らかにすることに因って、至誠の徳の本質と有り様を明らかにしているのがこの三十二節である。その至徳を備えた孔子のような聖人であってこそ、聰明睿知、裕溫柔、發強剛毅、齊莊中正、文理密察にして、天下を治める條理に通じ、天下の大本としての中庸の道を確立し、天地が万物を変化させ育てる道を知るに至ることができるのである。しかしながら、このような大徳は決して派手派手しく人目に顕れるもので無く、闇然として而も日々に章らかなりと述べられているが如きものである。そのことを第三十三節で、「上天の載は、聲も無く臭も無し。」至れるかなと、締めくくっているのである。
以上を以て『中庸』は終了するのであるが、中庸を解説した書と考えると、何となくすっきりしない終わり方のように思える。更にこの三十二、三十三の結節は、うがった見方をするならば、至徳を身に備えた聖人孔子が、一時はそれなりの位に就いたことはあったにせよ、庶人で終わったことに対して、世の理不尽を嘆き、たとえ隠居していようとも、その徳は顕現し、やがて人々に認めらることを強調して、孔子を擁護する為に加えられた節のような気がしないでもない。

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