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『孟子』巻第九萬章章句上 百二十九節

2018-09-30 10:03:59 | 四書解読
百二十九節

弟子の萬章は尋ねた。
「伊尹は料理の腕で殷の湯王に取り入ったという人がいますが、本当でしょうか。」
孟子が答えた。
「いや、それは違う。伊尹は有莘の地で農業をしながら、堯・舜の道を楽しんでいた。そして義にそむき道に外れていれば、たとえ禄として天下を与えると言われても、顧みもしなかった。贈り物として馬四千頭を繋いで見せても、見向きもしなかった。義にそむき道に外れていれば、塵一つ人に与えないし、人から受け取らなかったのである。湯王は人を遣わし、礼物を整えて伊尹を招聘させた。しかし伊尹は無欲で関心を示さずに、『私にとって湯王の礼物など何の関心もない。私は田畑の間で百姓をしながら、堯・舜の道を楽しんでおり、これ以上のものはない。』と言った。湯王はあきらめず招聘すること三たびに及んで、遂に伊尹は態度を改めて思った、『私は田畑の中に居り、百姓しながら堯・舜の道を楽しむより、この君をして堯・舜のような王にする方がよいのではないか。この君の民をして堯・舜の民のように幸福にする方がよいのではないか。そして堯・舜時代の社会を私自身が見届けるのがよいのではないか。そもそも、天がこの世に人間を生じさせるに当たっては、先に物事を知った者に、まだ知らない者を教えさせ、先に目覚めた者が、まだ目覚めていない者を目覚めさせようとしているのであって、私は当にその先覚者だ。私が堯・舜の道を以てこの民を目覚めさせなければ、一体誰が目覚めさせるというのだ。』かくして伊尹は天下の人民の内、一人の男、一人の女でも堯・舜の恩沢を被っていない者が有れば、あたかも自分が彼らを溝の中へ突き落したかのように感じたのであった。このように人民を幸福にするという天下の重大事を己の任務としたのだ。だから湯王のもとへ出かけ、夏を伐ち民を救うことを説いたのである。私は己の道理を曲げて、人の不正を正すという話は聞いたことがない。まして自分を恥ずかしめるような行為をしながら天下を正すことなどもってのほかである。聖人の行動はみな同じではない。君主から遠ざかる者もいれば使づく者もいる、去る者もいれば去らずに仕える者もいる。だがその帰するところは唯一つわが身の潔白を保つことだ。私は伊尹が堯・舜の道を以て湯王に仕えたとは聞いているが、料理の腕前で取り入ったとは聞いたことがない。『書経』の伊訓篇に、『天は夏の罪を誅せんとして、桀王の宮殿である牧宮から始めた。私伊尹は亳から始めよう。』と言っている通りである。」

萬章問曰、人有言。伊尹以割烹要湯。有諸。孟子曰、否、不然。伊尹耕於有莘之野、而樂堯舜之道焉。非其義也、非其道也、祿之以天下、弗顧也。繫馬千駟、弗視也。非其義也、非其道也、一介不以與人、一介不以取諸人。湯使人以幣聘之。囂囂然曰、我何以湯之聘幣為哉。我豈若處畎畝之中、由是以樂堯舜之道哉。湯三使往聘之。既而幡然改曰、與我處畎畝之中、由是以樂堯舜之道、吾豈若使是君為堯舜之君哉。吾豈若使是民為堯舜之民哉。吾豈若於吾身親見之哉。天之生此民也、使先知覺後知、使先覺覺後覺也。予天民之先覺者也。予將以斯道覺斯民也。非予覺之、而誰也。思天下之民匹夫匹婦有不被堯舜之澤者、若己推而內之溝中。其自任以天下之重如此。故就湯而說之以伐夏救民。吾未聞枉己而正人者也。況辱己以正天下者乎。聖人之行不同也。或遠或近、或去或不去。歸潔其身而已矣。吾聞其以堯舜之道要湯、未聞以割烹也。伊訓曰、天誅造攻、自牧宮。朕載自亳。

萬章問いて曰く、「人言えること有り。『伊尹は割烹を以て湯に要む。』諸れ有りや。」孟子曰、「否、然らず。伊尹は有莘(シン)の野に耕して、堯舜の道を樂しむ。其の義に非ざるや、其の道に非ざるや、之に祿するに天下を以てするも、顧みざるなり。繫馬千駟も、視ざるなり。其の義に非ざるや、其の道に非ざるや、一介も以て人に與えず、一介も以て諸を人に取らず。湯、人をして幣を以て之を聘せしむ。囂(ゴウ)囂然として曰く、『我何ぞ湯の聘幣を以て為さんや。我豈に畎畝の中に處り、是に由りて以て堯舜の道を樂しむに若かんや。』湯三たび往きて之を聘せしむ。既にして幡然として改めて曰く、『我、畎畝の中に處り、是に由りて以て堯舜の道を樂しむより、吾豈に是の君をして堯舜の君為らしむるに若かんや。吾豈に是の民をして堯舜の民為らしむるに若かんや。吾豈に吾が身に於いて親しく之を見るに若かんや。天の此の民を生ずるや、先知をして後知を覺らしめ、先覺をして後覺を覺らしむるなり。予は天民の先覺者なり。予將に斯の道を以て斯の民を覺さんとす。予、之を覺すに非ずして誰ぞや。』天下の民、匹夫匹婦の堯舜の澤を被らざる者有るを思うこと、己、推して之を溝中に内るるが若し。其の自ら任ずるに天下の重きを以てすること此くの如し。故に湯に就きて之を說くに、夏を伐ち民を救うを以てす。吾は未だ己を枉げて人を正す者を聞かざるなり。況んや己を辱しめて、以て天下を正す者をや。聖人の行いは同じからざるなり。或いは遠ざかり或いは近づき、或いは去り或は去らず。其の身を潔くするに歸するのみ。吾其の堯舜の道を以て湯に要むるを聞くも、未だ割烹を以てするを聞かざるなり。伊訓に曰く、『天誅、攻むることを造すは、牧宮自りす。朕は亳自り載む。』」

<語釈>
○「囂囂然」、趙注:囂囂然は、自ら得るに志、無欲の貌なり。無欲で関心がないこと。○「幡然」、趙注:幡は反なり。改める意。○「伊訓」、趙注に逸篇とあり、現在伝わっている『書経』の伊訓篇は偽作である。○「天誅造攻、自牧宮。朕載自亳」、趙注:牧宮は桀の宮、載は始なり。亳は殷の都なり。意は桀を誅伐せんと欲し、攻討す可きの罪を造作する者を言う。朕については、趙注は、湯王とし、朱注は伊尹とする、伊訓篇ということからすれば、伊尹とするほうが妥当であるので、そのように解釈した。

<解説>
伊尹についての話はほとんど伝説であり、真実のほどは分からないが、伊尹は割烹を以て湯に要む、という話は当時でも有名な話だったらしい。それを孟子が、未だ割烹を以てするを聞かざるなり、と言っているのは少し無理があるように思われる。ただ『孟子』の中には伊尹に関する記述が多くあり、孟子自身かなり伊尹を尊敬していふしがあり、料理の腕だけで湯王に仕えたということを潔しとしなかったのではないか。