酈生陸賈列伝
酈生食其は、陳留の高陽の人なり。書を讀むを好む。家貧にして落魄し(集解:應劭曰く、落魄(ラク・ハク)は、志行衰惡の貌なり。困窮して志を得ない貌)、以て衣食の業を為す無く、里の監門(門番、士にとって、賤しい職)の吏と為る。然るに縣中の賢豪敢て役せず。縣中皆之を狂生と謂う。陳勝・項梁等起こるに及び、諸將地を徇え(正義:徇は、略なり。略奪の意)、高陽を過ぐる者數十人。酈生、其の將を聞く、皆握齱(アク・サク、集解:應劭曰く、握齱は、急促の貌。人をせかせることで、狭量の人を意味する)にして苛禮(索隠:賈逵云う、苛は、煩なり。煩瑣な禮)を好みて自ら用い、大度の言を聽くこと能わず。酈生乃ち深く自ら藏匿す。後、沛公、兵を將い地を陳留の郊に略すと聞く。沛公の麾下の騎士適々酈生の里中の子なり(集解:服虔曰く、食其の里中の子、適々沛公の騎士と作る)。沛公時時邑中の賢士豪俊を問う。騎士歸る。酈生見て之に謂いて曰く、「吾聞く、沛公は慢にして人を易り、大略多し、と。此れ真に吾が從游を願う所なれども、我が為に先くもの莫し(索隠:案ずるに、先は、先容(推挙)を謂う、人、我が為に紹介を作す無きなり。これにより「先」は“みちびく”と訓ず)。若沛公に見えて、謂いて曰え、『臣の里中に酈生というもの有り。年六十餘、長八尺、人皆之を狂生と謂う。生自ら我は狂生に非ずと謂う』。」
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