百二十一節
齊の儲子が言った。
「王様は人をつかわして先生をこっそりとうかがわさせたそうですが、はたして先生は常人と違ったところがおありなのですか。」
孟子は言った。
「何で常人と違ったところがありましょうか。あの聖人の堯や舜でさえも、常人と何ら変わりはないのです。」
儲子曰、王使人矙夫子。果有以異於人乎。孟子曰、何以異於人哉。堯舜與人同耳。
儲子曰く、「王、人をして夫子を矙わしむ。果して以て人に異なる有るか。」孟子曰く、「何を以て人に異ならんや。堯舜も人と同じきのみ。」
<語釈>
○「儲子」、趙注:儲子は齊の人なり。○「矙」、趙注:矙は視なり。“うかがう”と訓ず。
<解説>
趙注に云う、「人の生は同じく法を天地の形に受く、當に何を以て人に異ならんや、且つ堯舜の貌、凡人と同じきのみ、其の異なる所以は、乃ち仁義の道の内に在るを以てなり。」人は全て人間と言う概念でくくれば皆同じである。その違いは心の内に在る。様子をうかがわせたのでは、その人の内なる者は分からない。故に孟子はこのように言ったのであろう。
百二十二節
齊の人で、妻と妾一人を持って、家でぶらぶらしている男がいた。その男は外出すると、必ず肉や酒をたらふく飲み食いして帰ってくる。妻が誰と一緒に飲食したのか尋ねると、相手は全て富者や貴人ばかりである。そこで妻は妾に言った。
「主人は外出すれば、必ず酒や肉をたらふく食べて帰ってきます。誰と一緒に飲食したのか尋ねると、相手は全て富者や貴人ばかりなのです。ところが今まで我が家にそのような人が尋ねてきたことがありません。どうも変なので、私は主人の跡をつけてみようと思います。」
妻は、翌日、朝早く起きて、夫の後を見え隠れにつけていった。ところが町中を歩き回っても、立ち止まって夫に話しかける人は一人もいなかった。やがて東の郊外の墓地まで行き、墓前で祭をしている者の所へ行き、余り物を乞い、足りなければ、あたりを見回して祭をしている者をさがして、又余り物を乞うのであった。これが夫のたらふく食らう道であった。妻は家に戻り、妾に、
「夫とは、女が一生涯尊敬してお仕えすべき方なのに、それがこんな有様では。」
と言って、二人して恨み言を言い、中庭で共に涙を流した。ところが夫はそんなことは露ほどにも知らず、いつも通りに誇らしげに帰ってきて、妻や妾に自慢した。この話について孟子は言った。
「君子から見れば、世の人が富貴を求め、利潤や栄達を求めるやり方は、もし妻妾が知れば、恥ずかしく思い、共に泣かない者は、ほとんどいないだろう。」
齊人有一妻一妾而處室者。其良人出、則必饜酒肉而後反。其妻問所與飲食者、則盡富貴也。其妻告其妾曰、良人出、則必饜酒肉而後反。問其與飲食者、盡富貴也。而未嘗有顯者來。吾將瞷良人之所之也。蚤起、施從良人之所之。遍國中無與立談者。卒之東郭墦閒之祭者、乞其餘。不足、又顧而之他。此其為饜足之道也。其妻歸、告其妾曰、良人者、所仰望而終身也。今若此。與其妾訕其良人、而相泣於中庭。而良人未之知也。施施從外來、驕其妻妾。由君子觀之、則人之所以求富貴利達者、其妻妾不羞也、而不相泣者、幾希矣。
齊人、一妻一妾にして、室に處る者有り。其の良人出づれば、則ち必ず酒肉に饜きて、而る後に反る。其の妻、與に飲食する所の者を問えば、則ち盡く富貴なり。其の妻、其の妾に告げて曰く、「良人出づれば、則ち必ず酒肉に饜きて、而る後に反る。其の與に飲食する者を問えば、盡く富貴なり。而も未だ嘗て顯者の來たること有らず。吾將に良人の之く所を瞷わんとす。」蚤に起き、施めに良人の之く所に從う。國中を遍くするも、與に立って談ずる者無し。卒に東郭墦閒の祭る者に之きて、其の餘りを乞う。足らざれば、又顧みて他に之く。此れ其の饜足を為すの道なり。其の妻歸り、其の妾に告げて曰く、「良人なる者は、仰ぎ望みて身を終うる所なり。今此の若し。」其の妾と與に其の良人を訕(そしる)りて、中庭に相泣く。而るに良人は未だ之を知らざるなり。施施として外從り來たり、其の妻妾に驕れり。君子由り之を觀れば、則ち人の富貴利達を求むる所以の者、其の妻妾羞ぢず、而も相泣かざる者は、幾んど希なり。
<語釈>
○「處室」、妻妾と同居していると解する説と、家でぶらぶらと過ごしていると解する説とがある。この男の行動から考えると、後説の方がいいように思うので、後説を採用する。○「施從」、趙注:施は、邪施なり。「邪施」はよこしまの意で、まっすぐでないことから、見え隠れに後をつけるという意味に解釈する。○「東郭墦閒」、趙注:墦閒は郭外の冢閒なり。東の郊外にある墓地という意味。○「訕」、朱注:訕は怨み詈るなり。“そしる”と訓ず。○「施施」、趙注:施施は、猶ほ扁扁なり、喜悦の貌なり。
<解説>
特に解説の余地はないが、士たる者は、恥を知るべきである、と言いたいのであろう。孟子の末尾の言葉からして、この時代、富貴栄達を求める者に、恥ずべき行為が多かったのだろうか。