20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
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ミニ講演・報告記

2008年06月02日 | Weblog
 今日のblogは、ご都合で欠席なさった方(高笑さんですが)からのご要望にお応えし、昨日の「ここ!ふらここ」での古田足日さんのミニ講演のご報告を、あくまでも個人的視点から書いてみたいと思います。

 1959年、いわゆる変革期の児童文学といわれる時代に生み出された児童文学の5作品の方法や作者の姿勢についてを、お話の基軸に「自我の形成」ということを置きながら古田足日さんは論じてくださいました。 
 取り上げた作品は、  
・柴田道子『谷間の底から』
・いぬいとみこ『木かげのいえの小人たち』
・斉藤了一『荒野の魂』
・さとうさとる『だれも知らない小さな国』
 もう一作品、松谷みよ子の『龍の小太郎」だったかどうか・・・。
 ごめんなさい。メモを取っていなかったので曖昧な記述で。
(どなたが覚えていらっしゃる方、付け足してください)

 1959年に生み出された、これら戦争児童文学とはいったいどんな作品だったのか・・・。
 記憶に残っているのは、いぬいとみこの『木かげのいえの小人たち』分析です。
 戦争児童文学を描く際「小人」を平和の象徴として登場させたいぬいさんの視点と、さらには、戦争をとめるために人間はなにをしなければならないかという問題に作者自らが立ち向かったことについて、古田さんは語られました。
 その前に古田さんは「失われた自己」という言葉を使われました。
 戦争によって失われた自己が新たな自己を形成していくのに、必要だったのが、自己を形成していくための模索でした。
 その模索の中心にあったのが「戦争をどのように防ぎとめるか」という思いでした。この自己形成という視点から、上記の作品を古田さんは読み解いていきます。
 今回の「おはなしのピースウォーク」全五巻(新日本出版社)に足りなかったのは、アジア太平洋戦争の視点であると古田さんは語ります。
 いぬいとみこさんの『木かげのいえの小人たち』が、戦争を語りながら、そのなかに自己を見つめる目、自己形成の視点がきちんを描かれていたことをあげながら。

 余談になりますが、古田足日という人をすごいと思う私の気持ちの根底にあるのは、常に一度立ち止まり、ご自分を疑ってみるという視点をどんな時にも内包していらっしゃるところです。

 4月20日の「子どもの本・九条の会、設立のつどい」の時、登壇されたみなさんのお顔を見ながら、私は非常に感慨深くふるえるような思いで、壇上の隅に立っていました。
 それは、石井桃子さんたちと「子どもと文学」で新しい児童文学を提唱された松居直さん。瀬田貞二さんたちと「英米児童文学」を提唱された猪熊葉子さん。
 いわば、「少年文学宣言」を提唱された古田足日さんたちとは、その当時、立場の違いから相容れない同士だった人たちが、長い年月を経て、同じ壇上に立たれたという事実に対してです。
 そして古田さんはいま、その石井桃子さんの文学を、登場人物が「どう自己を形成していったか」という視点から、もういちど読み直し分析しなおしたい、そうおっしゃっているのです。
 
 また昨日のお話は、たぶん、1981年、理論社から出版された、伝説の評論集『現代日本児童文学への視点』を、現在のご自分の視点から問い直し、再構築されたお話だったのではと思いながらうかがっていました。
 1981年にお書きになったご自分の評論を、2008年いま、「新しい戦争児童文学」の分析にからめ、あらたに、その当時のご自分の視点を疑いながら、論考を深める。
 むろん、いろいろ刺激的なお話をうかがうことは出来ましたが、私にとっては、その古田さんの姿勢に、なによりこころをゆさぶられた一日でした。
コメント (4)
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