20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
毎日更新。児童文学情報・日々の暮らし・超高層からの眺望などニュース満載。

木蓮が花びらをひらきました

2024年03月31日 | Weblog
          

マンションの裏口から、通りに出る途中にある、裏のマンションの木蓮の蕾。

いつ開くか、いつ開くか、気になりながら、歩いていました。

きのう、とうとう花びらを開いていました。

秩父の家にも、大きな木蓮の木があります。
その昔、子ども達を連れて、春休みなどに遊びに行くと、帰りには、ティッシュペーパーが捨てられているように、惨めな姿で、庭に散らばっています。

咲いている時は、あんな気高く、美しい花が・・・・。

その思い出があるので、うちのマンションの庭にはない、木蓮の花をいつも気にしてみていました。

桜も昨日の暑さで、少しは蕾を開いているでしょう。

今日は、久しぶりに、これから公園を歩いてきます。
桜並木の桜が、老木になって、何本も切られているので、いつもの風景とは違っているかもしれません。
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やっと晴れました。

2024年03月30日 | Weblog
            

菜種梅雨という季語は、あまり好きではありません。
昨日も、朝から、大雨。
風も強く、自分への宿題として課している、「月」「金」の午前にカーブスに行くことができませんでした。

そしたら、昨日は午後からすっかり晴れて、暑くなりました。
「いまだ!」と、カートを転がして、カーブスとお買い物に行きました。
この1週間の、冷たい雨は本当に、嫌でした。
それで「菜種梅雨」という季語が嫌いなのです。


その点、梅雨に入る前の「卯の花くたし」という季語は、大好きです。

さて、句会締め切りは、4月6日とか。
前回、投句ができなかったので、今回こそ。
また兼題が、意味深なもの3つ。

先日、ある会議の時、俳句仲間でもある、仲良しの方から、ニコニコ笑いながら「2軍」という言葉を教えていただきました。
もう一人の俳句のお仲間も、1〜2週間ほど前、別件に関するお電話をいただき、喋っていたら「2軍なんだ」と。

その二人は、みんなでコーヒーゼリーを食べておしゃべりしていたら、さっさと食べ終えて、飲みにいってしまいました。
「2軍」は仲良しです。

そうか、「2軍」いいなあと。
ちょっと遠慮したい時は、「私、ほら、2軍じゃない」と、ニコニコすれば、角が立たない。
やっぱり大人だ。あのお二人は

そうそう、友人の満月から電話が(あれ?なんの電話だったっけ?)あった直後だったので、彼女には話したのですが、先日の、我が愚かしい、紅麹サプリ体験。

拙blogを読んでくださった、新聞社の方からご連絡をいただき、匿名でということで、紅麹サプリ体験の、取材を受けました。

今朝の新聞に掲載されているようです。
お送りくださるそうです。

火曜日が、クリニックの院長先生の担当日。
その日に、腎臓の検査をしていただくので、その記事をお見せします。
「ジュンコさんはね〜、なんでも、気にしすぎるんだよ。だから、そんなサプリを飲んでしまうんだよ」
そう言われるだろうな(涙)。
もう、院長先生の言葉まで、想像できます。
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下町との出会い

2024年03月29日 | Weblog
           

                 

久しぶりに、バスに乗って、亀戸の駅ビルに行きました。
ところが、エスカレーターが、途中までしか動いていなくて、お店も至る所が、白いパーテーションに囲まれています。
大幅な改装をしているようです。
私がお買い物に行ったのは、地下の食料品売り場のお肉屋さんと、成城石井。
ここのお肉屋さんの国産の豚肉は柔らかく、生姜焼きなどにすると、すごく美味しいです。ですからたくさん買って、小分けにして冷凍しておくのです。

ビルを出て、ふと横を見ると、小さな駅が・・・。
東武亀戸線という二両の電車が走っているレトロな駅です。

それを見て思い出したのが、娘が、大学生だったか、大学院生だったかの時、バイトをしていた家庭教師先。
その路線の、先にある「曳舟」だったかに住んでいる、向島花柳界の芸者さんの置き屋の娘さんの家庭教師をしていたのです。

どうやってこのバイト先を、娘が見つけたのか知りませんが、バイト情報誌のようなものだと思います。
家庭教師を終え、帰ってきては、芸者さんの世界を垣間見た話を聞かせてくれました。

あの頃は、芸者さんの置き屋さんもあったのです。浅草橋には柳橋芸者。
辰巳芸者は深川・門前仲町あたりには、その置き屋さんがたくさんあったようです。

当時、観た映画。
日活一番の名作と言われた「洲崎パラダイス 赤信号」これは、まだ赤線があった時代の物語です。

今は、洲崎という地名もなくなっています。
下は、その映画の原作者の話。
 
原作者・芝木好子は、東京の下町・浅草馬道に生まれ、江戸風俗の名残が残る東京を舞台にした風俗小説を数多く残した作家。昭和17(1942)年2月「青果の市」で第十四回芥川賞を受賞。「洲崎パラダイス」が発表されたのは昭和28(1953)年のことで、以後、洲崎を舞台にした小説を連作している。晩年に発表した「隅田川暮色」に、芝木の東京への思いが色濃く綴られているが、東京とそこに住む人々を愛した作家でもある。
「洲崎パラダイス」について、芝木自身は「芝木好子作品集」(読売新聞社)第五巻の巻末にこう書いている。「『洲崎パラダイス』を書く時も転機に迫られていて、ゆきくれた時期だった。ある日銀座からあてもなく下町をめぐるバスに乗り、月島をめぐって、日没のあとの洲崎へ降りたのがこの世界とのふれあいのはじまりである。

そういえば、まだ今のように開発されていなかった時代の湾岸を、取材のため、品川あたりから、その湾岸地域を走り向けるバスに乗ったことを思いだしました。1980年代後半です。
東京湾岸の埋立地は、まだ広陵とした野原で、セイタカアワダチソウの黄色い花が咲き乱れていました。

それを見ながら思い出したのが、日野啓三の『夢の島』(講談社文芸文庫)でした。バスの中で作品の妄想が膨らむくらい、広陵とした埋立地はただただだ、だだっ広い空間でした。

バスの終点は、「新木場」。
そこから、さらに「月島」に行って、日本で初めて建てられたタワーマンション、大川端リバーシティ21の辺りを歩き、
四方田冬彦の『月島物語』(集英社・のちに集英社文庫)を思い出し、彼自身がしばらく住んでいたと本に書かれていた、四軒長屋のあたりを歩き・・・。

当時は、まだ四軒長屋が、何軒か軒を連ねていました。
カビ臭い路地の奥には、小さなお稲荷さんが祀られていたりしました。

赤い小さな橋を渡り、大阪の「住吉神社」から、大阪から来た漁師さんたちの安全祈願のために作られた、佃の「住吉神社」を見て、佃煮屋さんを覗き、アサリの佃煮を買って・・・。

目的は、当時、出版社から「怖い話を書いてくれ」と依頼されたことから、勉強していった、小さなバスの旅でした。

石川島播磨の跡地に昔あった、人足寄場・・流刑場と、勉強してきたのですが、どうやらその跡地には、モニュメントができているだけで、処刑場の跡形もありませんでした。

それが「怖い話」を書くための、第一目的の取材でしたが、どうやら当てが外れてしまいました。

もう30年以上も前の話です。
今は、すっかり変貌しているでしょう。

でも、この取材が、私にとっては、下町との最初の、魅力的な出会いとなりました。
あの光景は、30年以上経っても、色褪せずに残っています。
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紅麹サプリ

2024年03月28日 | Weblog
            

お恥ずかしい話です。
健康オタクの名が廃れます。

今、メディアを騒がせている、「紅麹コレステヘルプ」というサプリ。
実は、私も、一袋を飲み、2袋目を飲み始めたところでした。

もともと「紅麹」がコレステロールに効くということは知っていましたが、それ、そのものでは、なかなか売っていなくて、高麗人参などに入ったものしかありませんでした。

私はコレステロールが、高めです。
でも、頸動脈エコーで、動脈硬化もプラークもないし、腹部エコーで内臓脂肪もありません。心臓も問題ありません。

だから、海外では飲まれていない、「コレステロールを下げる薬」が、どうも信用できないのです。(下、クリックしてお読みください)





コロナワクチンも、日本が世界で一番たくさんの回数を打ったとか。
日本人の真面目な気質を感じます。

私は健康オタクなので、こうした疑義の出された薬や、ワクチンは警戒します。

でも、片側では、コレステロールの高いのが気になるわけです。
それで見つけたのが、このサプリです。
愚かにも、それを一袋と、半分弱、飲みました。

健康オタクが、仇となってしまいました(涙)。

そのサプリ。腎疾患になって、死亡者まで出たとニュースで見て、心配になり、トイレでいつも「尿蛋白」「尿糖」をウロペーパーで測ります。

毎回、「尿蛋白」±。いえ、マイナスかな?と思うことも。
いずれにしても、かろうじてセーフの状態です。

前回、血液検査をしたのが、暮れ。
その時は、腎機能のクレアチニンも正常値。尿検査もOKでした。

その後、今年に入って2月ごろ、このサプリを見つけ、飲み始めたのです。

4月になったらすぐに、クリニックに行って検査していただこうと思っています。

でも紅麹そのものは、素晴らしいものだと思っています。
小林製薬は、一体、ここに何を混入させてしまったのでしょう。

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海の向こうの騒動

2024年03月27日 | Weblog
          

久しぶりに、春らしいお天気の朝です。
これなら「春の日の花と輝く」です。

昨日、朝ごはん(といっても、通販生活の青汁を豆乳でかしゃかしゃしたものと、黒酢もろみ酢、ビタミン剤、バナナ、目玉焼きだけですが)を食べながら、朝の番組を見ていました。

大谷くんの会見をやっていました。
それを見ながら、ずっと兄弟のように、海外生活や、野球のサポートをしてきた水原氏は、大谷くんの1000億円以上の資産。CM料も半端な額ではないのを見ています。

海外では、英語で銀行口座を作ったりも、かなり煩雑で、通訳の手を借りないと、作れないようです。
それにあれだけの資産。口座も三つ、四つではないでしょう。

日本の子どもたちにグローブなどを送った、税金対策用の口座もあるでしょうし。
ですから、通訳であり、一番身近な水原氏が、その手続きの中で、パスワードなどを知り得た可能性は高いです。
でも、これは銀行の信用問題になります。ですから、安易な形では公表しないでしょう。

「なぜ、こんな大きな格差があるのか」
水原氏は、大谷くんと日々を一緒に過ごしながら、彼がストイックに、夜は飲みにも行かず体を鍛え、睡眠をとっていたことを知っています。
年収1700万と言ったら、アメリカでも、まあまあなのではないかと思います。

でも人間は、弱いもの。
どこかで、せめて、少しでも金銭的に、彼の足元くらいには、追いつきたい。
それが違法ギャンブルに手を染めたきっかけだったのかもしれないと思いました。

でもギャンブル依存症は、病気です。彼はその病にどんどん犯されて、借金は膨れ上がり、どうにもできなくなり、大谷くんの口座に手をつけました。

アメリカでは一時、大谷くんがかなり批判されていたと、Yahoo!ニュースなどで知りました。

でも彼はきっと乗り越える人だろうなと思いました。
彼の人としての、誠実さ、自分へのストイックさ、そして恩を感じた人には、ちゃんと恩を伝える。

大リーグの仲間たちも、大谷くんを信じ、見守っていました。
こういう他者から信頼される人間性。
何よりもの、宝です。

大谷くんは、水原氏の話をしながら、「一平さん」を連呼していました。
彼の中では、違法ギャンブルに手を染めて自滅していった一平さんを許せない。自分の資産も7億円弱という金額を盗み取った。
けれど、でも、ベストパートナーだった。よく自分に尽くしてくれた。
その恩は忘れていません。
その苦しく辛い思いが伝わってきました。

一般論として、人間、苦しみの中で、困難にぶつかったりすると、原因のすべてを、他者のせいにする。自分はその犠牲者だと、誇張する。
そして自分を正当化しようとする。
努力も何もせず、他者に依存しながら。

自己肯定感と、自己正当化は、別物です。

自己正当化して前へ進めるほど、生きるということが、生やさしいものではないことを認識していないのです。

常に、どう戦い、自らを鍛えていくか。
そして、精神の緩急のバランスをとりながら、自分を律していく。
生きることに前向きな人は、それを生きていくための基本にしています。

その点、大谷くんの精神力、生きる力はすごいです。

大谷翔平という人は、あの会見でスイッチを切り替え、大リーガーとしてさらに、研鑽に励むでしょう。
悲しみや怒りをコントロールしながら。
 
自分のことしか考えられない人は、いずれ自滅していくでしょう。
水原氏が、どうなっていくか、その動向を見ています。

さまざまなことを学ばせてくれた、海の向こうの騒動でした。
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花ろうそく

2024年03月26日 | Weblog
             

美しいろうそくです。

うちのお仏壇は、LEDになったので、蝋燭も、お線香もリアルから変わりました。
火の不始末の心配がなくなりました。

けれど、やはり、こうした美しいろうそくを見ると、買いたくなります。

まあまあ、と自分をなだめ、写真だけ映して、その場を離れました。

新NISAが、何者なのか、わからぬまま、銀行のコンサルタントの方に勧められ、積み立てNISAなるものをやることになりました。
夫のと、私の、もう銀行に口座が作ってあるようです。
彼女の熱心さに、負けました。

20年たたないと、多少の利益でも出ずに、損益になるかもしれないと、リスクもネットなどに出ております。

あと20年。
生きられるのか・・・。
それを考えると、損益のまま、この世をさることになるかもしれません。
あとは野となれ山となれ、です(笑)。

若い人たちが、一生懸命に仕事をしていると、つい協力してあげたくなります。
それが、我々の役割。
仕方ありません(笑)。

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メガネ鉛筆

2024年03月25日 | Weblog
           

鉛筆に、小さなメガネがついています。
実用的なメガネではないと思いますが、面白い発想です。

さて、雨ふりの月曜日です。
今日は、カーブスで運動したら、お買い物はせずに帰宅します。
午後から、「フォーラム・子どもたちの未来のために」の実行委員会があるからです。
2時から、神楽坂の児文協で行います。

今後フォーラムで行うものが、講演となるか、シンポジウムになるかなど、テーマを決めて皆さんと話し合います。

             

ちなみに、このメガネ鉛筆。
日本橋・高島屋新館に入っている、大好きな文房具屋さんで売っています。
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病院選びの大切さ

2024年03月23日 | Weblog
           

地域のことを、何年住んでいても覚えない私は、お買い物で、行列を並んでいたり(八百屋のお姉さん)、カーブスなどで、いろいろな地域の情報収集をします。

以前は、皮膚科は、ネットで調べると、バスに乗って遠くまでいかないとありませんでした。
ある時、湿布で肌荒れができた時に、いったのです。

ところが、カーブスでどなたかに伺ってみたら、なんと近くに皮膚科の名医がいたのです。サプリメントを飲み過ぎて、手のひらが痒くなった時に行ったりしていました。

一番、最悪なのが、近所の病院。
ここにお引越ししてきて、そこしか知らなかったので「風邪?」と思えば、そこへ。
お腹がしくしくするので、腹部エコーを取ってもらいに行ったら
「チョコレート嚢胞です。うちは婦人科がないので、婦人科がある病院にいってください」と。

当時は、ネットはなかったので、厚い電話帳で調べ、婦人科のある大きな病院に行きました。
婦人科の、ベテランの女医さんが、エコーで調べてくださって、
「チョコレート嚢胞なんて、ありませんよ。単なる子宮筋腫です」と。
そしたら途端に、しくしくも消えました。子宮筋腫があるのは、婦人科検診で知っていましたから。(今はもう、消滅しましたが)

そういえば、お引っ越してきて2ヶ月経った時、当時、小6だった娘が熱が出てだるそうなので、近所の、その病院に連れて行きました。
レントゲンを撮って、お年寄りの院長先生が、そのレントゲンの画像を見て
「ここに、細くて白い糸のような3センチくらいのが、微かに写っていますよね。これは肺炎かもしれません」
と、言われ、肺炎という言葉に驚き、すぐに入院になりました。

ところが点滴を打っていただいて、その日の夕方には熱が下がり、食欲も出て、お夕食も全部、好きなものを食べました。

元気になった娘は、昼間は手持ち無沙汰。
そして午後になると、まだ出会って、二ヶ月しか経っていない、地域の小学校の同級生が、ゾロゾロお見舞いに来てくれ、それだけが娘の気分転換でした。

スマホもない時代。娘も午前中は、ベッドで暇を持て余していました。
夜、帰る時は、
「リビングの間接照明のところで、8時になったら、病院のベッドに向かって手を振るわね」
毎日、約束して、手を振りました。お互い、顔などの様子は分かりませんが、見守っているからね、という合図でした。

すっかり元気になって、3日ほどが経ちました。
でも、一向に、退院の話が出てきません。

こんなに元気になったのに、いつ退院させてくれるのかしらと、思って、看護師さんに聞いてみました。

「朝晩、検温してもずっと平熱だし、もうすっかり治っていますものね。先生に聞いてみますね。この個室の差額ベット代、一日5万円ですし」と。
差額ベット代という言葉を、その時、初めて知りました。
その個室代が、3泊しているから、15万円。
なんだかなあと思っていたら、やっと退院許可が出ました。

そうした話は、同じ病院で、私もストレスで軽い十二指腸潰瘍になり、大腸内視鏡、胃カメラをして、十二指腸潰瘍と言っても、一瞬、出血した程度。もうすっかり出血も止まっているし、帰っても大丈夫です。と担当医に言われたのに、

婦長さんが、やってきて、「もう一泊して行きませんか?」
栄養士の方が、「ご飯を召し上がって行きませんか?」と、次々と、病院内に留めておこうとします。

心の中で「旅館じゃないんだから」と思いつつ、「帰ります」と言いました。

数年前、昔のカーブスでご一緒だった方と、骨折後の、腕の拷問リハビリに行っていたクリニックで、ばったりお会いしたら、その方が杖をついて、足を引きずっています。
「どうなさったのですか?」
と伺ったら、
「大腿骨骨折をしたんです。もう半年経ちます」と。

「救急車で、あの病院に運ばれたんです。そしたら、手術の日は週に一回。前日、終わっているから、来週手術と言われ、術後、三ヶ月目には、自分で退院を申し出たら、病院は渋りながら、リハビリはこちらの病院でしています。入院したままで、リハビリもやれる。と、引き止められましたが。あそこに救急車で運ばれた時、もう、人生、おしまいと思いました。あそこは高齢者は、死なないと退院させないという噂の病院なんです」と。

コロナ感染が広まり、肺炎の画像が、テレビなどに出てきて、流れます。それをみて、昔の娘の「肺炎」の映像が瞼をよぎります。

小6だった娘は、3センチの細い糸のようなものが、微かに1本、見えるだけでした。
今でも画像をしっかり覚えています。
それを「肺炎かもしれない」と、入院させられ・・・。

でも、よく考えたら、院長先生は「肺炎です!」と断定はしなかったです。
「かもしれない」とおっしゃっただけです。
でも親の気持ちは、肺炎という言葉を聞いただけで、ドキドキして、不安になり・・・。
そして、適切な薬を点滴で入れてくださったおかげで、たちまち治ったのだと思いますが。

私の十二指腸潰瘍の時も、帰ってもいいですと、担当の先生に言われたのに、もう一泊しろ、ご飯も食べて行けと・・・。

ああ、そういう病院だったのか、と、その方の話は、いろいろ合点のいくことばかり。

その病院が、コロナで入院させた患者が多かったようで、国からかなりのお金が降りたようです。5階の本館の隣に、新しく大きな建物が建ちました。ビックな病院になっています。救急車が年中、入ってきています。
もう、なんだかなと・・・。

その病院とは別のクリニックですが、前を通りかかると、いつもクリニックの中は平日でもいっぱい。外で待っている人もいます。

八百屋のお姉さんのところで並んでいる時に、後ろの人に「あそこのクリニックは、すごく評判のいいクリニックなんですか?いつも患者さんで溢れていて、大人気みたいで」と、聞いてみたら、
「あそこは、すぐ注射なんです。なかなか治らないと、またくるようにと、まるで鎖のように繋がれていくクリニックなんですよ。点滴、注射ばかりで」

私は、引越ししたばかりから「すわ病院」、というときに、必ず行っていた、件の病院に懲りて、必死で、他のクリニックを探しました。

そして、いい先生を見つけました。

           

甲状腺嚢胞ができたときも、まだ若かったY先生(上のご著書に、お名前が書いてありますね)は、不安そうな私に、
「良性の嚢胞です。お水を抜けば治ります」と、甲状腺の専門の先生のいる知り合いのクリニックを紹介してくれました。

児文協の仲間たちと、神楽坂にいるとき、突然、倒れて、救急車で、飯田橋の関東逓信病院に運ばれたことがあります。
すごい頭痛のする日でした。
いろいろ調べてくださって「迷走神経反射です。あまり気遣いをし過ぎないようにしてください」と言われ、そのまま、帰りました。

念の為、翌日、そのY先生に、診察していただき、前日の話をしたら
「僕も、逓信病院の先生と、同じ見立てです」と。
その迷走神経反射。ひどい頭痛がなくなるのに従い、あれから一度も起こしたことはありません。

秩父の父からは「60を過ぎたら、頭痛が軽くなる。他の病気の検査をして、心をそっちに向ければいいだけだから、気に病むことはない」と言われました。

そのY先生が、埼玉の三郷団地のクリニックの院長になって、移ってしまいました。

それで、今は院長先生にお世話になっています。院長先生も大好きです。
でも、院長先生もなんと言っても、もうお年。
リタイヤされたら、次にY先生が、また戻ってきてくれないかしらと、微かな期待を持っているところです。

ですから、私は、いい先生を見つけて通っているし、骨折した時は、夜の10時ごろでしたが救急車などは呼ばず、都立病院の救急救命外来に行って、レントゲン、CT検査をして、すぐに手術していただきました。
3週間も入院せずに、退院後は、公園を、腕のリハビリに行くために歩いていました。

これから団塊の世代が高齢化して、病院に通う人が増えます。

そんな時、自らの選択で、「大きく、有名な病院」とかではなく、地域の人たちの評判を聞いたりしながら研究し、患者の立場に立って、診察してくださる病院を選ぶことが、自分の命を守る、大切さにつながっていく時代なのかもしれません。
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寒さ暑さも彼岸まで

2024年03月23日 | Weblog
            

昔から、「寒い寒い。暑い暑い」というと、
祖母たちが
「暑さ、寒さも彼岸まで、という、昔からの言い伝えがある。それを待ちながら、みんな暮らしていたんだよ」
そう言っていました。

その言葉は、子どもの頃から、私の体に染み付いていました。
季節が、ほんとうに、そのとおりになりましたから。

今日は春のお彼岸明けです。
寒さも今日まで?

そう思いながら、今にも降り出しそうな空を見上げています。

近頃は、気候も、昔のように、しみじみと季節の移ろいを味あわせてはくれません。
ですから、「おおよそ」を、目安にしては、秩父の祖父母や両親のことを頭に浮かべます。

きっと寒さは、この土日あたりまで。
来週からは、春の陽気が始まり(菜種梅雨のような、雨かもしれませんが)気温の暖かさが戻ってくるでしょう。

カーブスやお買い物に行く時、91歳のおばあさんに、すれ違います。
「おはようございます」
そう、お声をかけると、
「おはようございます。今日も寒いですね」
おばあさんの方が、一言、気を遣ってくださいます。
だんだん歩くのも大変なようで、立ち止まっては、また歩き出します。

「お先に失礼いたします」
「は〜い、気をつけてくださいね」
振り向くと、おばあさんの笑顔。
今日も、あのおばあさん、お元気だった。そのことに嬉しさを感じて歩いています。

ああして、90歳を過ぎても、歩いてスーパーに通っていた、秩父の母を思い出すからです。
母もこんなふうに、見ず知らずの人で、声を掛け合う人が、いたかもしれません。

さてさて、今日こそ、通信講座の受講生の方のお原稿を仕上げなくては。
合間に、読み落としていた本読みが入ったりしていましたので。
早めにランチから帰って、家に篭ります。

大変さ、楽しさ、大変さ、楽しさ。
サンドイッチのように、その繰り返しで、楽しさの割合で、心の中が、ぽっかり膨らんでいることに、気づきます。

人生って、不思議で、楽しいものです。
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龍の香立て

2024年03月22日 | Weblog
           

何かしら?と思ってみたら、「龍の香立て」だそうです。

辰年とはいえ、すごいアートです。

アートといえば、4月からのNHKの「日曜美術館」が、坂本龍一と、矢野顕子の娘さん、坂本美雨さんが、MCだそうです。
先日、スペシャル版をやっていましたが、彼女の特徴がよく掴めない。
どんな番組になるのでしょう。

私は「新日曜美術館」からのファンですが、これまでもMcによって、さまざま。興味を持ちながらみました。

井浦新がMcになった時は、その不安そうな様子に、こちらにそれが伝染してきます。

彼を俳優としてみたのは、松本大洋原作の映画「ピンポン」だけです。
「日曜美術館」では、見るたびに、こちらの肩に力が入ります。
それくらい、専門家でない彼は、一言一句、言葉を選びながら丁寧にしゃべります。

感想を言う時は、事前に徹底的に勉強してきたのだろうなと言う、様子を感じさせるくらい、さらに、慎重に言葉を選び、でも自分らしさを表現しながら、絵の解説に向き合っていく。

すっかり肩の凝ってしまう、45分でした。
でもそれで、人間、こんな一生懸命、努力すると、未知だった世界も切り拓かれていくと、最後には思わせてくれました。

次のMCは、早稲田大学教授で、フランス文学者の小野正嗣。
授業で喋り慣れている、彼の喋りは、その前の井浦新とは正反対。
軽妙に、つらつら、けれど、本質を突きながら喋ります。

最初は、その軽さに抵抗がありましたが、そのうち、慣れてきて、肩に力も入らず、気楽に美術を楽しめました。

先日の、坂本美雨のスペシャルを見て、いちいち笑う、その姿に抵抗を感じました。
何かを見た、反応は、まず笑い。
それが気になって、笑いで誤魔化しているような感じで、抵抗がありました。

坂本龍一には、あまり似ていず、矢野顕子には、なんとなく似ているような気がします。
矢野顕子は、彼女そのものがアートですが。

4月から、その彼女が、どんな「日曜美術館」を見せてくれるか、楽しみです。
でも笑いで誤魔化さないでほしい。
ちゃんと言語化して、しゃべってほしい。
あの井浦新の、不安感からの努力で、美意識をつかみ取っていった、あの姿を、見習ってほしいと思いました。

それくらい、毎週「日曜美術館」は、お楽しみなんですから。

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