20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
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長い長い姓名判断の話

2008年08月31日 | Weblog
 チェコの文豪、チャペックの名作『長い長いお医者さんの話』(岩波書店)をもじり、今日は長い長い姓名判断のおはなしを。
 
 いま娘夫婦は楽しみながら、産まれてくる赤ちゃんの名前を考えているようです。性別はすでにエコー診断で告げられているそうです。
 名前の画数が何画で、名字とあわせると総画は何画。また外運、人運、地運などといった画数もあわせて調べ、そのすべてが良いと思える名前を選ばなければなりません。
 名前というのは、その人の「人と成り」を表すいわば記号のようなものです。ですからとても大切なものです。できれば悪い画数より良い画数をと願うのは人情というものです。

 そうやって娘夫婦は、すでに10個以上の名前を考えだしていました。
「どれがいいか、Tさんに聞いてもらえない?」
 ある日、娘がそう言って、私にメールで名前のリストを送ってきました。
 Tさんというのは私の友人です。
 彼女のおかあさまという方は、長いこと関西の政財界にメンタル面で強い影響力を与えていた人です。
 彼女と私が友だちになったときも、そのおかあさまが、私という人間についてさまざまに分析してくださりその結果を友人から教えてもらったことがあります。
 現在はそのおかあさまも他界され、しかし「門前の小僧なんとやら」で、子どもの頃からおかあさまの影響下で育った彼女は、姓名判断などのすべてを知り尽くしているのです。
 漢字一字の持つ意味。他の漢字との組み合わせや関係性などについてを。
 
 なにかで悩んだりしたときTさんに相談したりすると、それに対する彼女の返答に思わず笑ってしまうことがあります。
「あなたって、ほんとうはその人のことを、すごくよく知っているんじゃないの?」
 それくらい彼女の分析は的確で、見ず知らずのひとの人物像をずばっと言い当てるのです。
 彼女は別段、占い師でもなんでもありません。フツーの主婦です。数年前お仕事をリタイヤされたご主人と、ひと月近くもヨーロッパの町で過ごしたり、一年の四分の一近くは海外のどこかの国で暮らしています。見るのも聞くのも羨ましいくらい優雅に。
  
 さっそく私は、くだんのTさんにそれをFAXで送りました。送信からモノの五分とおかず、電話がかかってきました。
「よー、調べてはるわね。画数は見事なもんやわ。R子ちゃんいう子の性格が見えてくるわ。Tさんのおばちゃまが、偉いいうて褒めてたとR子ちゃんにゆうといて」
 東京に住んで長いことたつのに、彼女はいまだ関西弁がぬけません。ですから彼女と話すときは、関西とは縁もゆかりもない私の方がそのパワーにつられて、エセ関西弁になっているのです。
「あきまへんか?」
「はい、あきまへん。これじゃ、この子を育てるのにごっつ苦労するわ。名前いうのんは相性が大事なんや。字画だけで考えられへんから、やっかいなものなんや。文字一字が持つ意味いうんがあって、たとえばこういう漢字。名前にこんな漢字を使こうたらあかん。大事なんは、漢字と漢字の関係性や相性や。親や子との関係性や」
 こういった話は、彼女から何度も聞いていますが、奥が深すぎてむずかしくて覚えられません。
 だから結局、「困ったときのTさん頼み」ということになっては、彼女にSOS を出す羽目になってしまうのですが。

 結局、娘夫婦が考えた名前で、かろうじて彼女から及第点をもらえたのは、10個中1個でした。命名いうのんは、なんて難しいのでしょう。
 日ごろは私たちは、いつも姓名判断の話題を口にしているわけではありません。いえ、むしろ滅多に話題にあがりません。 
 しかし、なにげない話の中で感じる彼女の人生を見つめる視点の確かさや、人間を見つめる目の温かさと鋭さには、いつも感嘆しています。
「ずっと主婦だけの人生で、外にもでたことがなくて世間なんか知らないくせに、あなたはほんとに人間をよう知ってるわ」
 私が、そういって笑うと、
「下手に世間なんか知らなくて、よろしぃ。相手の気持ちをしっかり考える想像力さえもってれば、きっとだいじょうぶやから。あなたかて世間知らずや。お人好しやし、隙さえあれば騙されやすいし。でもそこが好きなんや。そのまっすぐなところが」
 そういって彼女は、笑います。ちょっとじんとしながら、私も一緒に笑います。
 彼女と話していると、姓名判断というのは画数云々といった小手先のものではなく、人間を知るための、すごく奥深いものなのだということを、いつも教えてもらっているような気がします。

 さて、命名です。
 彼女から、かろうじて及第点をもらったその名前で決定してしまうのは、あまりにも安易すぎるので、(おまけに、「このなかでは、これしかあらへん」というレベルだったので)娘たちはもう一度考え直すと言っています。
 そして友人のTさんがローマから帰国したら、もう一度相談にのってもらう約束になっています。
 それまでに娘夫婦は、いったいどんな名前を選び出してくるでしょうか。楽しみです。
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『定本 育児の百科』(松田道雄著 岩波書店)

2008年08月30日 | Weblog
 臨月を迎えた娘が、生まれてくる赤ちゃんのものや自分の着替えなど大荷物を持って、今日これからお里帰り(と、いっても近所に住んでいるのですが)してきます。
 私の方も時間があるときに赤ちゃん用品を買いそろえに出かけたり、ネットであれこれを買ったりと、準備万端整えています。
 どんどん増えていく赤ちゃん用品を眺めていると、「いよいよ」という、うれしいような、緊張したような気持ちになります。
 先輩である友人たちからも、いろいろ情報を教えていただいております。

「『育児の百科』を忘れずに持ってきてね」
 すっかり昔のことを忘れてしまった私は、事前に娘にそう電話しました。
『育児の百科』は、その昔、私たちが子育てのときバイブルのようにして使った本です。
 娘の妊娠がわかったとき、私はその本をすぐにアマゾンに注文し、娘にプレゼントしたのです。
「あの本でどれだけ、新米母親だった私は安心させてもらったか・・・」
 そんなことを思い出しながら。

 小児科医でいらした松田道雄さんは、この本を刊行した1967年以来ずっと、多くの若い母親や父親たちに「小さいことで悩むな。心配するな。もっとゆったり、おおらかに子育てをしろ」と励ましのメッセージを語り続けています。(10年ほど前に、お亡くなりになりましたが)
 息子や娘が赤ちゃんだったとき。夜泣きをしたり、食欲がなかったりと心配で身が縮みそうになったとき、いつもむさぼるようにこの本を読んだものです。松田道雄さんの言葉に、どれほど励まされたことか!
 その本がいまでも、リニューアルされて発売されているのです。

 医学の世界は日進月歩です。
 医学的見地から見たら、すでに41年も前の本ということで古めかしさはあるかもしれません。しかし、松田道雄さんの「子ども」とは?、そして「医学」とは?の熱い根源的な問いかけは、いまでも色あせることなく、こちらの胸にまっすぐ届いてきます。
 そして、潔いほどにリベラルに人間を見つめる目線や思想は、今という時代、さらに輝きを放ち、私たちを励ましてくれているような気がします。
 
 さあ、今度は娘が、松田道雄さんにお世話になる番です。
 
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木槿(むくげ)

2008年08月29日 | Weblog
 一週間ほど前から、木槿の艶やかな花びらが、次々とひらいています。
 ひとつ、ふたつ、みっつ・・・。蕾は、あと10個くらいはありそうです。
 ベランダの小さな植木鉢なので、花だけをうまく撮れません。マンションのテニスコートまで写ってしまい、木槿の美しさを際だたせられません。
 とってもきれいで、かわいいです。街路樹のどんな木槿よりも・・・と、親バカみたいですが。
 
 昨夏『木槿の咲く庭 スンヒィとテヨルの物語』(リンダ・スー・パーク著 新潮社)という本に感動して、買ってきた鉢植えの木槿です。
 花びらをひらき終えた木槿は、冬にはすべての葉っぱを散らし、丸坊主になって寒風に曝されながら、深い眠りについていました。
 春先、その木からうすみどりの小さな葉っぱが芽吹きました。
 芽吹いた葉っぱが大きく育っていくのを見つめながら、いまかいまかと花の咲く日を心待ちにしていました。
 そんな木槿の花を、まるで子どもの成長を見つめるかのように、いま、ほくほくした気持ちで眺めています。
 
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漢方薬

2008年08月28日 | Weblog
 日ごろ愛飲しているツムラの「補中益気湯」を処方していただくため、今日は、飯田橋にある「こころとからだの元気プラザ」の漢方外来へ診察にいってきました。
 三ヶ月に一回くらいの割合で、数年前からこちらのクリニックにお世話になっています。
 このクリニックで漢方を担当してくださっているのは、日本漢方医学研究所附属日中友好会館クリニックの所長をしていらした関直樹先生です。 

 どこかが病気というわけではありませんが、数年前から私は、この補中益気湯をひどく気に入っているのです。証でいったら虚証向けのこの漢方薬は、とても私の体に合っているようです。これとビタミンCとビタミンB12を併せて飲んでいると、まさに疲れ知らずです。ひどい風邪もここ1~2年、ひいたことがありません。
 補中益気湯は「補気剤」といって、体に不足する血液や水、エネルギーを補う薬で、補剤の王者と言われています。
 漢方の基礎研究では、補中益気湯と、十全大補湯は、ガン細胞をやっつけるナチュラルキラー細胞やT細胞などの働きを増強する作用が認められていると、漢方の専門書に書いてあります。いわゆる免疫力をアップさせてNK細胞を活性化させるというのです。
 
 私があちこちで、そんな本からの受け売りの話をするものですから、ある時、友人の画家、M月さんが補中益気湯のことを聞いてきました。そしてその足で病院にいらしたそうです。 
 ところが先生は、「あなたには補中益気湯は合わない」とおっしゃって、別の漢方薬を処方してくださったそうです。
 こんな風にその人の体によって、合う合わないがあるので、安易に補中益気湯が良いなんて言いふらすのは禁句だと、その時、痛感しました。
 それになんといっても薬です。漢方薬といえども副作用だってあるでしょう。
 にもかかわらず、まだ胸のどこかで「ゆるやかで、すっごくいい漢方薬なんだけどな」と誰かに教えたい病がじゅくじゅくと疼いていて、気がつくとblogにまた、こんなことを書いています。
 
 この年になってもなお、堪え性がなく、学んでも、学んでも大人になりきれません。
 
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塩辛トンボ

2008年08月27日 | Weblog
 久しぶりにいいお天気です。
 買い物で歩くいつもの公園では、去りゆく夏を惜しむかのように蝉たちが、ふりしぼるような声で合唱の競演です。
 
 あっ!
 目を転じたら、水辺にトンボ。
 トンボは、すばしっこくて、なかなか写真に写せません。
 やっと写した写真は、石のごま塩模様と塩辛トンボの模様がとけ込んでしまっていて、トンボがどこにいるのか、なにがなにやらわかりません。
 あまり接写しようとすると逃げられてしまうし、生き物を写すのは難しいです。

 ちょっぴり薄荷みたいなさわやかな空気を吸いこみ、ゆく夏を惜しみながら、8月の終わりをしみじみと実感しています。
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スカンジナビアンスタイル展

2008年08月26日 | Weblog
 8月27日から銀座の松屋で「スカンジナビアンスタイル展」が開催されます。
 写真は、地下鉄銀座線の「銀座駅」松屋方面通路です。
 柱がすっかり、スカンジナビアンスタイル(というか、白地に黒のグスタフスベリ調ですが)に模様替えです。

 スカンジナビアン(北欧)と言ってまず思いうかぶのが、トールモー・ハウゲンの名作、『夜の鳥』と『少年ヨアキム』です。
(かつては福武文庫ででていましたが、現在は酒井駒子さんの表紙絵でリニューアルされ、河出書房新社から出版されています)
 トールモー・ハウゲンはノルウエーの作家です。
 ハウゲンの作品を読んでいると、北欧の美しさと、それとあわせて寒さに閉ざされた暗く重苦しい世界を感じとることができます。
 そんな生活から生まれたスカンジナビアンスタイルは、食器でもテキスタイルでも、めっぽうお洒落で、明るく、ポップです。
 
 お楽しみは、アラビアやグスタフスベリのカップやソーサー。
 もしかしたらロイヤルコペンハーゲンや、銀細工ジュエリーの、ジョージ・ジェンセンなどのアンティークの展示紹介もあるかもしれません。
 そして、どうしてもはずせないのがカラフルな色合いのテキスタイルです。
 スカンジナビアンスタイルのテキスタイルは、ほんとうにきれいです。
 私も IKEAで買った布地を、使うあてもなく持っています。
 あんまりすてきなので、つい手がでてしまうのです。
 そして、9月10日からは、「時代を駆け抜けた二人、<白州二郎・白州正子>」展がはじまります。
 
 そんなわけで、ここしばらくは銀座の松屋から、目が離せません。
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「朝焼け」か「夕焼け」か。

2008年08月25日 | Weblog
 数年前、フランスの画家アンドレ・ブラジリエの、大きなアートポスターをベッドルーム用にと買い求めました。
 馬を好んで描くブラジリエは、やわらかな色彩で静謐なシーンを描くことで有名な画家です。
 
 一日の夜明け。昇る朝日のエネルギッシュなパワーを寝ている間にもらえるようにと、「朝焼け」を描いた絵を探していて、たまたまデパートで見つけたものです。けれどこの絵が、はたして「朝焼け」なのか「夕焼け」なのか。肝心なことはわかりません。
 絵全体を覆っているピンクは、ブラジリエ特有の色あいです。
 
 タイトルは「パレス・デュ・パロワ」。訳して「パロワの谷」です。
「パロワの谷で草を食む馬たち。・・・これはやっぱり朝焼けに違いないわ。夕焼けだったら馬たちは、ねぐらへの帰り支度をしているはずだもの」
 そんな、私のエクスキューズのあれこれに、
「朝焼けということにしておこう」
 夫が決断を下しました。そのひと言でそう思いこむことにしました。
 
 それ以来、私たちは東に枕を向けた頭の上で、いつも朝焼けでピンクいろに染まった馬が、草原を走る夢をみながら眠っています。
 けれど、こうしてたまに、ふと思ってしまうのです。
 この絵はほんとうに「朝焼け」だったのかしら、それとも「夕焼け」なのかしらと。
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迷いの選択肢

2008年08月24日 | Weblog
 この休日にWii Fitを買いにいこうか悩み、金曜日、私の性格をよく知り尽くしている長年の友人に相談の電話をいれてみました。彼女はここ数年、体脂肪も20くらいで贅肉などまったくないスリムな人です。
「2キロがどうしても痩せられないの。だからWii Fitを買ってやってみようかと思うんだけど」
 すると彼女は、けろっとした声でこう言いました。
「でも、あなたはスポーツ系はたとえゲームでも向いてないと思うわ。絶対、続かない。いままでだってルームランナーにしても、ステッパーにしても、金魚運動にしても、みんなゴミ屑にしちゃったじゃない」
 そして電話口の私の気配を探りながら、なおもこう言い放ちました。
「運動嫌いのあなたがやり続けられるとはとうてい思えないわ。それにあなたみたいなせっかちなひとが、すぐにそれを買わなかったってことが、あなたの迷いを表しているのよ。自信をもって続けられるって思えばこんな電話をしてくる前に、あなたはもうとっくに、それを買ってるわ」 
 さすが、長年の友。すべてお見通しです。
「だったら、ボクサースーツにしておいたら?あれだったら、日常生活のなかで着たまま、汗をかいて痩せられるし」
 突然、彼女の口からボクサースーツなる言葉がこぼれ落ちました。
「実は、私、あれで痩せたのよ」
 
 その友人とはずっと昔から、「最近食べたおいしいスイーツ自慢」をしあっては電話を切ると、そのスイーツの調達に走るという、甘いもの好きのオンナのハマる、おろかなスパイラルに陥っていた時期があったのです。
 そこから彼女が、私を置いてきぼりにして抜け出したのは2年前。
 2年前から彼女は毎朝5時半に起きて、ウオーキングをはじめ、見る見る間に痩せたのです。
 けれど、そのウオーキングに、そんな小道具が使われていたなんて!
「歩くときに、これを履いてると嘘みたいに汗がでるのよ。それで痩せるの」
 あきらかに彼女の声が、「ボクサースーツお薦めモード」に突入し始めていることを直感しました。
「スポーツ系はやめときない。あなたには絶対、無理だって。だからボクサースーツに・・・」
 彼女の説得の言葉に、力がこもります。
 
 それそれ、そういうところ。
 こういうところが、彼女と私はそっくりなのです。
 自分がいいと思ったことは、なんの得があるわけでもないのにすぐにだれかに宣伝したくなる。教えてあげたくなる。押しつけ、共感してもらいたくなる。
「こんなにいいのよ、こんなにすばらしいのよ」と力説しながら。
 そして説得できた暁には、なににも代え難い喜びにうち震えるのです。
 単純で、その気になりやすく、相手に影響されやすい人間。
 彼女と私は、すごく取りあわせのいい、気の合う友人同士なのです。
 
 かくして単純で影響されやすい私は、いま心が大きく揺れています。
 Wii Fitにすべきか、はたまたボクサースーツにすべきか・・・。
 電話したおかげで、どうやら迷いの選択肢が増えてしまったようです。
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blog閲覧者数

2008年08月23日 | Weblog
 日に300名から350名の皆さまにご覧いただいている、この「20階の窓辺から」のblogが、閲覧者数が昨日は一日で1000人を突破いたしました。
 特段、タイムリーな話題について(たとえば北京五輪での感動のソフトボールのことやなにやら)書いているわけでもなく、私的日常をつれづれなるままに綴っているだけの凡庸なblogです。
 だのに、なぜ?と首をかしげています。

 ともあれ、毎日お越し下さっている皆さま、ありがとうございます。
 これからも、折々に感じた日常の光景や、本のことや、会議や遊びでお出かけしたこと。
 そんなあらゆる出来事をごちゃまぜに煮込み、自分なりに思索しながらマイペースに綴ってゆきたいと思っております。
 今後もお気軽にご高覧いただき、たまには賑やかしていただければうれしく思います。
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嵐のあとの静けさ

2008年08月22日 | Weblog
 昨日の夕暮れの写真です。
 お夕食のしたくをしていたら、突然ものすごい北風があたりを蹴散らし、南の部屋へと駆け抜けていきます。
 キッチンから飛び出し、あわてて北側、ベッドルームや夫の書斎の窓を閉めようと試みたのですが、風が強すぎて閉まりません。
 焦りながら、ふきさらしの風に立ち向かい、なおも挑戦。
 あたりにさまざまなものが風に吹き飛ばされ、散乱しています。
 恐怖の瞬間でした。
 
 窓の外は、おそろしいほどの稲妻の閃光。
 たたきつけるようなどしゃぶりの雨。
 上空には黒い雨雲がたれ込めています。
 
 雨がやみ、雨あがりの闇は深く静かで、空気がひんやりと澄みきっていました。
 まさに、嵐のあとの静けさとはこういうシーンを言うのでしょう。
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