ジローのヨーロッパ考

デンマークやドイツの農家に長期(?)滞在、体験したり感じたことを綴ります。

EU発: ベルギーでのテロ・続報

2016-03-23 19:05:03 | 日記
2016年3月23日(Wed.) 昨日のテロについて、欧州各国のメディアが続報しています。詳しくは日本の主要メディアが伝えていますので、報道されていないようなものをピックアップします。(ニュースソース: EU各メディア)

下は、フランス語で「私はブリュッセル」の意味です。


下は、昨年(2015年)の年初、パリでのテロの際に、抗議の意味で使われたスローガン「私はシャルリー・エブド」です。今回もそのフレーズが使われました。


ちなみに、ベルギーは3ヶ国語が公用語になっています。北部はオランダ語、南部はフランス語、東部の一部がドイツ語、そして首都ブリュッセルはオランダ語とフランス語の併用地区となっています。


こうした背景がありますので、英語表記も加えて、複数の言語で表現がなされていると言うことです。



現地等で人気のアニメ・キャラクター「タンタン」( Tintin )もコメントしています。





事件直後の映像がUPされていますので、いくつかを載せます。

      

      

      




世界の各地からです。犠牲者を追悼したり、ベルギー国旗(3色旗)のカラーを表現したものなどです。




      

      

  


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このような無差別テロ行為は、多くの人民・市民からの賛意は、決して得られるものではないでしょう・・・。


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ドイツ発: ベルギーでの同時テロを伝えています。

2016-03-22 22:17:19 | 日記
2016年3月22日(Tue.) 飛び込んできたニュースは、ベルギーの空港でのテロ。 ほどなく、地下鉄駅でもテロとの報道、死傷者数が増えているのが苦しい・・・。 報道は、ドイツDW-DE,イギリスBBC、ロイターなどからのものです。(写真含む)

<原文の一部: DW-DE>
+++ Blasts in Brussels - live updates +++

Follow the latest on the explosions which have killed at least 20 people at Brussels' international airport and a metro station. Belgium's terror alert has now been raised to its highest level.
(ブリュッセル国際空港と地下鉄駅でのテロで、少なくとも20人が死亡したと伝え、ベルギーでのテロ警戒レベルは最高レベルに引き上げられたとしています。)















At least 20 have died from explosions which rocked the departure hall of Brussels' airport during rush hour on Tuesday morning. Another explosion was reported at the city's Maelbeek metro station near European Commission buildings, leading the institution to shut down operations for safety concerns.



現在の現地時刻は、22日の午後2時過ぎです。事件の詳細はこの後も続くことでしょう。犠牲者等の被害がこれ以上に拡大しないことを強く祈るばかりです。


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フランスやベルギー等で繰り返し起こされるテロに憤りを感じます。 先日来取り上げているアイルランドの歴史に関するものは、宗教問題やイデオロギー問題の難しさを、一つの縮図として教えられるものですが、それらからも人は学ぶことができるのではないかと、淡い期待を持っているのが正直なところです。

アイルランドは、約8百年間のイギリス(イングランド時代含む)からの圧政とも言える状況から脱し、自治権を確立してきています。そして、今尚、北アイルランドの問題は残していると言えます。しかし、武力闘争時代から抜け出したプロセスも含め、平和的、且つ、民主的な方法で、しかも時間を掛けながら解決を待つ姿は、日本国内問題や、欧州・中東(シリア、難民問題等)の諸問題に対しても、一定の指針を示しているのではないかと受け止めています。

武力に頼る解決模索は、いたずらに犠牲者を増やすことにもなり、そして、憎悪が憎悪を生む負のスパイラルに落ち込むのみでしょう。仮に、武力に勝る側が「勝った」としても、それは真の解決にはなっていないことは、歴史が幾度も証明していることです。結局、鬱積した憎悪が再び爆発・再燃することにつながります。



今回のベルギーでの連続テロの犯行主体は現在のところ不明ですが、一連のものと同一と見て差し支えないでしょう。であるならば、中東・シリア周辺の諸事情が原因とも言え、そうした状況を作り出してしまった欧州の責任ある国家が、話し合いを中心とした協議で、根気よく・時間をかけてでも取りまとめて行くことが肝要ではないでしょうか。

そして、こうした場合、各国から信頼され得る人物が奔走するしかないと感じます。EUの中心国でもあるベルギーや、ドイツ、そして、アイルランドの人物にも、その可能性はあるのではないでしょうか。

容易ではないことでしょうが、周囲から信頼されている方が、その責務を果たしていただきたいと強く望んでいます。

一方で、宗教的に頑なになってしまっている人々も少なくないでしょうから、指導的な立場にある宗教関係者も懐の深さ・寛容性等を持って、それぞれことに当っていただきたいと願うものです。そうした方の助言がない限りは、武力闘争に走る彼らの考え方の軌道修正は困難だろうと推測します。



言えることは、武力では真の解決にはならない・・・と言うことです。


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アイルランド: 1916年から百年、記念セレモニーについて

2016-03-21 22:09:04 | 日記
2016年3月21日(Mon.) アイルランドの百年前の復活祭(イースター)蜂起、それを記念するいくつかの行事や、それらに対するコメントが発表されています。(本日付けのニュースです。 ニュースソース: THE IRISH TIMES )

<原文の一部>
1916 commemorations should not glorify violence, says bishop

Commemorations should reflect on what unites people rather than divides them


The forthcoming centenary of the 1916 Easter Rising should be commemorated in a way that respects all past differences and neither glorifies violence retrospectively nor adds to tension in Northern Ireland, a Catholic bishop has warned.

Bishop of Cork and Ross, Dr John Buckley, a native of Inchigeelagh in West Cork, said the commemoration of the Easter Rising should be a time for reflection rather than celebration with an emphasis on what unites people rather than divides them.

Announcing details of a special mass for Peace and Reconciliation to be held in Holy Trinity Church in Cork city on Sunday, April 3, Bishop Buckley said the mass would be inclusive and remember all those who lost their lives in Easter Week 1916.

“Our Mass will be a time for reflection not celebration. We visit our history, not to find what divides but what unites us. We will pray for the four hundred and eighty five men, women and children who died violently in 1916, on whatever side or none,” said Bishop Buckley.

“We, as people of faith, pray also for the British soldiers and the RIC members who died on the streets of Dublin, many of whom were Irish. We will also remember the five hundred and eighty Irish soldiers who died on the Western Front in the First World War during that week.

“Indeed, some of those who survived received a very cold reception when they returned home. We will pray also for those who died during the violence in Northern Ireland including the many people who are still suffering from its effects to this day.”

He said there was “a thin line between celebration and commemoration” and he stressed it was important that the 1916 commemoration “does not glorify violence retrospectively” as there was always a danger that anniversaries have the potential to influence people negatively.

“Sadly, the threat of violence has not completely disappeared. There is no moral legitimacy whatsoever for violence today ...... The Good Friday Agreement democratically and peacefully removed any remaining cause of conflict,” he said.

“We should be extremely careful in case the celebrations would, in any way, contribute to an increased tension in Northern Ireland. It has been said that aspects of the 1966 commemoration were subsequently used to justify violence. Our aim should be to promote friendship and harmony.”

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(抜粋)カトリックの司教は、1916年(復活祭蜂起)を記念する行事は、暴力を美化するようなものではあってはならないと発言しています。そして、1916年の出来事を思い出し、「分断」されていたことよりも、「統合・結合」することのキッカケになったことを祝うことに、重きを置くべきだとも述べています。(意訳)

さらに、蜂起の1週間で亡くなった485人の人々や、ダブリンのストリートで亡くなったイギリス兵士達にも祈りを捧げるとしています。また、来る4月3日の日曜日に、コーク( Cork : アイルランド第二の都市)のトリニティー教会にて記念行事が開かれるとも伝えています。



1世紀と言う言葉も使われているように、1916年・・2016年は、正に区切りになる年でもあります。しかし、北アイルランド(UK)問題は、未だに終わりは来ていないと思われ、英・アイ共同宣言(1993・94年)に謳われた内容に基づいて、引き続き、時間を掛けながら方向を見出そうとしているのではないでしょうか。

アイルランドとイギリス(UK)の関係を見ていると、強者が弱者に圧政を強いる姿にも見えますし、カトリックとプロテスタント(イギリス国教会等)との争いにも見えます。両方の側面が存在するのでしょう。何れにしても、暴力・武力・テロ等に訴えるのではなく、平和的、且つ民主的にものごとを進めて行く道を選択しており、陰ながら、その願いが叶うことを祈りたいと思います。



こうしたアイルランド問題に触れるとき、日本の、例えば沖縄・辺野古基地移設問題なども、まるで、UKがアイルランドを牛耳っていたときの話であるかのようにも感じられてしまうのです。

国民の総意とか、議会制民主主義とか、国会・政党・政権与党とか、小選挙区制とか・・・。時の議員の数だけに基づく、見かけの民主主義による「決定」は、必ずしも民意を反映しているものではないのではないかと感じてしまいます。それは、「合法・非合法」以前の問題とも思え、つまり、合法だから正しい・・・とは言い切れないと言うことでもあります。



信頼たる議員に政治を託したいところですが、何故(なにゆえ)、これほどまでに「議員以前」の議員が、あちらこちらに存在していることでしょうか。また、司法判断が出されても、それを無視するかのように「粛々と・・・」などと言って、押し切って行こうとする姿。まるで、法律があっても、私らは関係ありませんから・・・と言って、犯罪行為を犯すヤカラと、本筋に於いて似通っているな・・・と思いたくなってしまいます。


*** 下の写真は、記事内容とは関係ありません。




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アイルランドのこと: 英雄伝説

2016-03-19 21:13:37 | 日記
2016年3月19日(Sat.) 雨上がりの今日、名古屋では22℃を超え、桜の開花宣言が出されました。 さて、昨日の当ブログで綴った内容で、1916年のアイルランドにおける復活祭蜂起(4月24日)を取り上げました。パトリック・ピアスがアイルランド共和国樹立の暫定宣言を読み上げたとも記述しましたが、彼の母親に宛てた最後の手紙の文言が、アイルランドに伝わる英雄伝説を想起させるもののように感じています。



アイルランドには、ケルト文化が色濃く伝承されていて、数多くの神話等も伝えられています。そして、その中には”英雄”に関するものもあり、有名なものの一つとして「クーハラン( Cu Chulainn )」があります。

下は、若きクーハラン。



それは、アイルランド北東部のアルスター( Ulster )を中心とした神話です。粗筋は、 ・・・ その地方の王を守る騎士団があって、名前を Red Branch(赤枝騎士団) と言ったそうです。そのリーダーがクーハランで、名前は、その勇猛果敢さから”アルスターの猟犬・番犬”を意味しています。




彼は、様々な戦いで勝利して行くわけですが、戦いに敗れた側からは恨みも買うことになります。そして、妖術を身に着けた複数の敵に襲われることになります。 祖国の危機を感じ取ったクーハランは、妻が止めるのも厭わず、「祖国の危機を救わねばならない。自らの死は厭わない、名声は末代まで続くだろう・・・」と述べて戦いに臨んで行ったのでした。

そして、深手を負い、死期を知った彼は、泉の側へ行って血で汚れた体を洗い、死んでも体が倒れないように近くの石に、自分の体を皮ひもで縛りつけました。敵は、動かなくなった彼を見ていましたが、一羽のカラスが彼の肩にとまったのを見て”死んだ”と思い近寄りました。その瞬間、クーハランの持っていた剣が一閃して、近寄った戦士の首を打ち落とした・・・と言うことです。



この、祖国を護ろうとしたクーハランの物語は、神話でもありますが、アイルランドの人々にとっては、あたかも史実の一つとして語りつがれていると言われています。



戦いを美化することには、いささか懸念を持ちますが、人民や同胞・家族を護りたい気持ちに異を唱えるものではありません。そして、1916年の復活祭蜂起に立ち上がって行った彼らは、圧政から脱却するために自らの命を賭けたのでしょう。彼らの必死の思いには、是認はあっても否定することは出来ないのではないでしょうか。



復活祭蜂起は首都ダブリンの中央郵便局を拠点としたわけですが、上述のクーハランの彫像が同郵便局内に現在も設置されており、その台座には、1916年の蜂起を伝える文言が刻されています。



下は台座の文言。



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蜂起を記念するものが、ケルト神話に絡めて残されていることそのものにも、アイリッシュ(アイルランド人)の強い民族的な思いやつながりを表しているかのように感じてしまいます。



民族主義を誇張することには諸手で賛成することはできませんが、民族の誇りや同胞とのつながりは大切にしたいとも思います。但し、排他的であってはならないでしょう、現代においては・・・。


*** 下の写真は、記事内容とは関係ありません。




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アイルランドのこと: あれから百年、復活祭蜂起

2016-03-18 17:34:30 | 日記
2016年3月18日(Fri.) まだ St Patrick's Day の盛り上がりも醒めて無いかも知れません。昨日のブログで、1916年のアイルランド・復活祭蜂起について少しだけ触れました。

アイルランドの18・19世紀から20世紀初頭にかけては、UK( The United Kingdom )から自治獲得(独立)するためのナショナリストたちによる活動が、ピークを迎えていく時期でもありました。そして、1916年、ちょうど百年前ですが、4月24日(月)の復活祭の翌日、ダブリンにて武装蜂起が決行されました。(実態は複雑な様相がありますので、専門書等をご確認下さい。)


蜂起の状況を表現したものです。(出典: ウィキペディア)


ダブリンのオコンネル通りで、代表者のパトリック・ピアス( Patrick Henry Pearse )が「暫定共和国政府樹立宣言」を読み上げたと伝えられています。そして、中央郵便局などを占拠し、圧倒的な武力にすぐるイギリス政府軍と武力衝突に至った次第です。しかし、一週間ほどでイギリス軍に制圧され、関係者が逮捕されました。


宣言文です。最下部に7人のリーダー達の名前が記されています。(出典: ウィキペディア)


この段階では、アイルランド国民の視線は、どちらかと言うと冷静(冷ややか?)だったようです。しかし、首謀とされた15名の指導者たちが、およそ2週間後に処刑(銃殺)されるに及び、このイギリス政府のやり方に強い非難の目を向けるようになりました。

武装蜂起したリーダーの一人でもあるパトリック・ピアスが、この時の獄中から母親に向けた手紙が残されており、その中で、”この蜂起は最初から死をも覚悟したものであり、後の世が評価してくれる・・・”とも表しています。

結局、この蜂起には多くの犠牲者を伴うことになりましたが、アイルランド国民の心情に訴えることとしては、最大の効果をもたらしたようです。 その後の、第一次世界大戦(1914~1918)の影響(アイルランドは中立)や、1921年の英・アイ条約、1937年の新憲法制定、そして、1938年には初代大統領ダグラス・ハイド( Douglas Hyde )の就任、1949年「アイルランド共和国」の正式樹立へと歩む、大きなキッカケとなったことに間違いはないようです。

下は、ダブリンの中央郵便局内に現在も掲げられている事実を簡略に刻したプレートで、アイルランド語(ゲール語)と英語で併記されています。

(出典: ウィキペディア)




議会での弁論に頼った交渉に引導を渡し、自らの生命をも賭けた行動で、革命を期したと言えるのでしょう。時の暴政・圧政に立ち向かうためには、こうした方法しか残されていなかったのかも知れません。こうした史実に触れると、誠に感慨深いものがあります・・・。(時の政府の考えが正しかったと言い切ることは、難しいのではないでしょうか・・・いつの世も。)


また、彼らの行動・思考の背景には、アイルランドに伝わる英雄伝説が、心の支えになっていたのではないかと思えるぐらいです。


何れにしても、来たる2016年4月24日は、「百年」の節目にも当たりますので、何がしかのセレモニーがあるのではないでしょうか。または、復活祭(イースター)と言うことから考えると、今年は3月27日(日)がイースター当日であり、翌日の月曜日あたりにも、何かの催しがあるのかも知れません。


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ところで、アイルランドの初代大統領ダグラス・ハイドについて軽く触れましたが、彼の名を冠したアイリッシュ・ウィスキーがあります。「 Hyde 」です。但し、今のところ、日本国内では販売されている気配がありません。生産量が限定されていることもあって、特定国にしか出荷されていないようです。アイルランドに行く機会があれば、こうしたものにもお目にかかりたいものです。






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