ジローのヨーロッパ考

デンマークやドイツの農家に長期(?)滞在、体験したり感じたことを綴ります。

アイルランドのこと: あれから百年、復活祭蜂起

2016-03-18 17:34:30 | 日記
2016年3月18日(Fri.) まだ St Patrick's Day の盛り上がりも醒めて無いかも知れません。昨日のブログで、1916年のアイルランド・復活祭蜂起について少しだけ触れました。

アイルランドの18・19世紀から20世紀初頭にかけては、UK( The United Kingdom )から自治獲得(独立)するためのナショナリストたちによる活動が、ピークを迎えていく時期でもありました。そして、1916年、ちょうど百年前ですが、4月24日(月)の復活祭の翌日、ダブリンにて武装蜂起が決行されました。(実態は複雑な様相がありますので、専門書等をご確認下さい。)


蜂起の状況を表現したものです。(出典: ウィキペディア)


ダブリンのオコンネル通りで、代表者のパトリック・ピアス( Patrick Henry Pearse )が「暫定共和国政府樹立宣言」を読み上げたと伝えられています。そして、中央郵便局などを占拠し、圧倒的な武力にすぐるイギリス政府軍と武力衝突に至った次第です。しかし、一週間ほどでイギリス軍に制圧され、関係者が逮捕されました。


宣言文です。最下部に7人のリーダー達の名前が記されています。(出典: ウィキペディア)


この段階では、アイルランド国民の視線は、どちらかと言うと冷静(冷ややか?)だったようです。しかし、首謀とされた15名の指導者たちが、およそ2週間後に処刑(銃殺)されるに及び、このイギリス政府のやり方に強い非難の目を向けるようになりました。

武装蜂起したリーダーの一人でもあるパトリック・ピアスが、この時の獄中から母親に向けた手紙が残されており、その中で、”この蜂起は最初から死をも覚悟したものであり、後の世が評価してくれる・・・”とも表しています。

結局、この蜂起には多くの犠牲者を伴うことになりましたが、アイルランド国民の心情に訴えることとしては、最大の効果をもたらしたようです。 その後の、第一次世界大戦(1914~1918)の影響(アイルランドは中立)や、1921年の英・アイ条約、1937年の新憲法制定、そして、1938年には初代大統領ダグラス・ハイド( Douglas Hyde )の就任、1949年「アイルランド共和国」の正式樹立へと歩む、大きなキッカケとなったことに間違いはないようです。

下は、ダブリンの中央郵便局内に現在も掲げられている事実を簡略に刻したプレートで、アイルランド語(ゲール語)と英語で併記されています。

(出典: ウィキペディア)




議会での弁論に頼った交渉に引導を渡し、自らの生命をも賭けた行動で、革命を期したと言えるのでしょう。時の暴政・圧政に立ち向かうためには、こうした方法しか残されていなかったのかも知れません。こうした史実に触れると、誠に感慨深いものがあります・・・。(時の政府の考えが正しかったと言い切ることは、難しいのではないでしょうか・・・いつの世も。)


また、彼らの行動・思考の背景には、アイルランドに伝わる英雄伝説が、心の支えになっていたのではないかと思えるぐらいです。


何れにしても、来たる2016年4月24日は、「百年」の節目にも当たりますので、何がしかのセレモニーがあるのではないでしょうか。または、復活祭(イースター)と言うことから考えると、今年は3月27日(日)がイースター当日であり、翌日の月曜日あたりにも、何かの催しがあるのかも知れません。


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ところで、アイルランドの初代大統領ダグラス・ハイドについて軽く触れましたが、彼の名を冠したアイリッシュ・ウィスキーがあります。「 Hyde 」です。但し、今のところ、日本国内では販売されている気配がありません。生産量が限定されていることもあって、特定国にしか出荷されていないようです。アイルランドに行く機会があれば、こうしたものにもお目にかかりたいものです。






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