2016年3月19日(Sat.) 雨上がりの今日、名古屋では22℃を超え、桜の開花宣言が出されました。 さて、昨日の当ブログで綴った内容で、1916年のアイルランドにおける復活祭蜂起(4月24日)を取り上げました。パトリック・ピアスがアイルランド共和国樹立の暫定宣言を読み上げたとも記述しましたが、彼の母親に宛てた最後の手紙の文言が、アイルランドに伝わる英雄伝説を想起させるもののように感じています。
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アイルランドには、ケルト文化が色濃く伝承されていて、数多くの神話等も伝えられています。そして、その中には”英雄”に関するものもあり、有名なものの一つとして「クーハラン( Cu Chulainn )」があります。
下は、若きクーハラン。
それは、アイルランド北東部のアルスター( Ulster )を中心とした神話です。粗筋は、 ・・・ その地方の王を守る騎士団があって、名前を Red Branch(赤枝騎士団) と言ったそうです。そのリーダーがクーハランで、名前は、その勇猛果敢さから”アルスターの猟犬・番犬”を意味しています。
彼は、様々な戦いで勝利して行くわけですが、戦いに敗れた側からは恨みも買うことになります。そして、妖術を身に着けた複数の敵に襲われることになります。 祖国の危機を感じ取ったクーハランは、妻が止めるのも厭わず、「祖国の危機を救わねばならない。自らの死は厭わない、名声は末代まで続くだろう・・・」と述べて戦いに臨んで行ったのでした。
そして、深手を負い、死期を知った彼は、泉の側へ行って血で汚れた体を洗い、死んでも体が倒れないように近くの石に、自分の体を皮ひもで縛りつけました。敵は、動かなくなった彼を見ていましたが、一羽のカラスが彼の肩にとまったのを見て”死んだ”と思い近寄りました。その瞬間、クーハランの持っていた剣が一閃して、近寄った戦士の首を打ち落とした・・・と言うことです。
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この、祖国を護ろうとしたクーハランの物語は、神話でもありますが、アイルランドの人々にとっては、あたかも史実の一つとして語りつがれていると言われています。
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戦いを美化することには、いささか懸念を持ちますが、人民や同胞・家族を護りたい気持ちに異を唱えるものではありません。そして、1916年の復活祭蜂起に立ち上がって行った彼らは、圧政から脱却するために自らの命を賭けたのでしょう。彼らの必死の思いには、是認はあっても否定することは出来ないのではないでしょうか。
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復活祭蜂起は首都ダブリンの中央郵便局を拠点としたわけですが、上述のクーハランの彫像が同郵便局内に現在も設置されており、その台座には、1916年の蜂起を伝える文言が刻されています。
下は台座の文言。
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蜂起を記念するものが、ケルト神話に絡めて残されていることそのものにも、アイリッシュ(アイルランド人)の強い民族的な思いやつながりを表しているかのように感じてしまいます。
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民族主義を誇張することには諸手で賛成することはできませんが、民族の誇りや同胞とのつながりは大切にしたいとも思います。但し、排他的であってはならないでしょう、現代においては・・・。
*** 下の写真は、記事内容とは関係ありません。
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アイルランドには、ケルト文化が色濃く伝承されていて、数多くの神話等も伝えられています。そして、その中には”英雄”に関するものもあり、有名なものの一つとして「クーハラン( Cu Chulainn )」があります。
下は、若きクーハラン。
それは、アイルランド北東部のアルスター( Ulster )を中心とした神話です。粗筋は、 ・・・ その地方の王を守る騎士団があって、名前を Red Branch(赤枝騎士団) と言ったそうです。そのリーダーがクーハランで、名前は、その勇猛果敢さから”アルスターの猟犬・番犬”を意味しています。
彼は、様々な戦いで勝利して行くわけですが、戦いに敗れた側からは恨みも買うことになります。そして、妖術を身に着けた複数の敵に襲われることになります。 祖国の危機を感じ取ったクーハランは、妻が止めるのも厭わず、「祖国の危機を救わねばならない。自らの死は厭わない、名声は末代まで続くだろう・・・」と述べて戦いに臨んで行ったのでした。
そして、深手を負い、死期を知った彼は、泉の側へ行って血で汚れた体を洗い、死んでも体が倒れないように近くの石に、自分の体を皮ひもで縛りつけました。敵は、動かなくなった彼を見ていましたが、一羽のカラスが彼の肩にとまったのを見て”死んだ”と思い近寄りました。その瞬間、クーハランの持っていた剣が一閃して、近寄った戦士の首を打ち落とした・・・と言うことです。
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この、祖国を護ろうとしたクーハランの物語は、神話でもありますが、アイルランドの人々にとっては、あたかも史実の一つとして語りつがれていると言われています。
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戦いを美化することには、いささか懸念を持ちますが、人民や同胞・家族を護りたい気持ちに異を唱えるものではありません。そして、1916年の復活祭蜂起に立ち上がって行った彼らは、圧政から脱却するために自らの命を賭けたのでしょう。彼らの必死の思いには、是認はあっても否定することは出来ないのではないでしょうか。
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復活祭蜂起は首都ダブリンの中央郵便局を拠点としたわけですが、上述のクーハランの彫像が同郵便局内に現在も設置されており、その台座には、1916年の蜂起を伝える文言が刻されています。
下は台座の文言。
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蜂起を記念するものが、ケルト神話に絡めて残されていることそのものにも、アイリッシュ(アイルランド人)の強い民族的な思いやつながりを表しているかのように感じてしまいます。
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民族主義を誇張することには諸手で賛成することはできませんが、民族の誇りや同胞とのつながりは大切にしたいとも思います。但し、排他的であってはならないでしょう、現代においては・・・。
*** 下の写真は、記事内容とは関係ありません。
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