ジローのヨーロッパ考

デンマークやドイツの農家に長期(?)滞在、体験したり感じたことを綴ります。

アイルランド: ワイルド・ギースの続編

2016-03-11 22:28:58 | 日記
2016年3月11日(Fri.) 「3.11」今も終わっていないことを心に刻みたいと思います。  さて、昨日のブログで、ワイルド・ギースの意味するところなどをご紹介しましたが、関連する内容を綴ります。

またまた、お酒の話になりますが、ブランデーで有名なヘネシー( Hennessy )は、結構ご存知の方が多いのではないかと思います。しかし、この創業者リチャード・ヘネシー( Richard Hennessy )がアイルランド出身で、しかもワイルド・ギースの一員であったことを、ご存知の方は少ないのではないでしょうか。(私も、最近までは知りませんでした。)



リムリック( Limerick )条約が締結されたのが1691年、その頃から(それ以前からも)、アイルランドのカトリック軍兵士たちが、フランスへ亡命して行き、そうした人達をワイルド・ギース( Wild Geese )と呼んだのですが、リチャード・ヘネシーは1750年にフランスに渡ったそうです。そして、その地(コニャック地方)でブランデーと出会い、1765年に会社を設立したとされています。

この時代、アイルランドでの農民(カトリック)の生活は、かなりの貧困状態であり、農家では眠るためのベッドもなくて、藁の上で寝たとの記録もあるようです。それぐらい、アイルランドのカトリック教徒たちは、イングランドからのプロテスタントによる圧政によって、身心ともに痛めつけられてきていたのでした。

なので、新大陸(アメリカ)や、その他の移住先を探して、多くの人々が祖国を離れていったようです。また、その後に続く大飢饉(ジャガイモの凶作)や、アメリカ独立戦争、そして、フランス革命の時代へと続き、アイルランドは、そうした周辺国の動静にも大きく影響を受け続けたようです。


リチャード・ヘネシーも、そうした人達の一人であったわけです。それにしても、あのブランデーのヘネシーが、アイリッシュであったとは、全く知りませんでした。

そして、このヘネシーからアイリッシュ・ウィスキーが出された情報があります。名前は「 Hennessy NA-GEANNA 」(ナジェーナ)で、アイリッシュ・ウィスキーとして1998年に発売されました。 このナジェーナの意味はアイルランド語(ゲール語)の Na-Geanna Fiain (渡り鳥)から名づけられたようです。





この商品は、既にヘネシーからは販売されていませんが、市場にいくらかは流通しているようです。但し、もともと、日本市場だけで販売されたとも記述されており、一部がEU等にも逆輸入(?)されたと説明されています。



多くの人が、祖国アイルランドを離れて、ヨーロッパ諸国、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ等へ移住していったそうです。アイリッシュ系のそうした人々の、その後の活躍は少なくないようです。

圧政を強いた当時の為政者に憤怒の念を禁じ得ませんが、その時代での諸事情が、理想の世界構築を阻害していたのかも知れません。しかし、何年・何十年・数百年経ったとしても、いつかは、人民の真に望む姿に近づいて行くのでしょう。

ちなみに、アイルランドのナショナルデーにもなっている St. Patrick's Day は来週の木曜日である3月17日(毎年)です。世界の各地でアイリッシュ系の人たちを中心に、この日を祝うようです。 シャムロック(アイルランド国花)や、緑色の何かを身につけての各種行事が行われることでしょう。 たとえ離れ離れになったとしても、良い意味での民族的なつながりを、今に大切に続けている姿ではないでしょうか。




帰りたくても帰ることができない福島の人々が、この苦境に負けることなく、活躍して行かれることを心より願うものです。また、一方で、多くの国民の願いを無視するかのような為政・体制の、早急なる是正を強く望んでいます。


*** 下の写真は、記事内容とは関係ありません。




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