「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

今回は「リアルタイム書き込み」できませんでした、敗因かも知れません。

2018年07月03日 09時43分12秒 | サッカー選手応援
今回、私も日本敗退の要因を作ってしまった気分です。これまで「リアルタイム書き込み」をしていれば、いい試合になるというジンクスがあったのに、眠さに負けてできませんでした。

もう一つ、試合の途中から見始めると、なぜか点を入れられてしまうというジンクス。
これもやらかしてしまいました。

なんか、やらなければいけないことをやらず、やってはいけないことをやってしまった私、まさに日本の敗因を作ってしまったかも知れません。

難しいものですねぇ。
人生って、不思議なものですね。

懺悔がもう一つあります。
スタメンに大迫選手を入れなかったことです。
日本代表の初戦、コロンビア戦の2日前、私が選ぶスタメンを以下のようにしました。

GK 中村航輔
DF 長友佑都、吉田麻也、昌司源、酒井宏樹
MF 長谷部誠 柴崎岳、香川真司、乾貴士、原口元気
FW 武藤嘉紀
※岡崎慎司のコンディションが良ければ、FWに岡崎、武藤を一列さげ、原口ベンチ

ワントップとGK、二人を除けばズバリですが、ワントップ・大迫勇也選手だけは見極められませんでした。いま、あれこれと言い訳するのはやめます。大迫選手にお詫びすることはもちろん、多くの大迫ファンの皆さんにもお詫び申しあげます。

それにしても、大迫選手の活躍はワントップのエースとして盤石の働きでした。その結果として「大迫、半端ない」という、あの名セリフが日本中に知れ渡ることになりサッカーを愛する者として、こたえられない社会状況を作ってくれました。

このような見立て違いをしないよう、まだまだ精進が必要です。

もう一人、GKも違ったわけですが、これは、いわば見解の相違というところでしょう。GKを中村航輔選手でいった場合の結果、これはもう「たられば」の世界でしかありませんので、ここでは書きません。

一つ言えるのは、西野監督は、とにかく「経験重視主義」だということです。そこは絶対譲らない采配であり、それがグループリーグ突破をもたらしたのですから、周りは何も言えないでしょうが、その経験主義がベスト16での敗退につながったことも確かです。

難しいものですねぇ。
今日の「書き込み」は、私の失敗、判断ミスをお詫びして、懺悔する書き込みでした。
では、また。




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これほどまでに日本中を熱く感動させてくれる日本代表、その夢の中に浸れる、この幸福、ただ、ただ、ありがとう。

2018年07月03日 08時27分32秒 | サッカー選手応援
朝8時半ちょっと前です。

日本代表の戦いが終わり、ロシア大会から去らなければならなくなりました。ドイツが去り、アルゼンチンが去り、スペインが、ポルトガルが去ったあと、我らが日本も去ることになりました。

選手たちが、いかに勝ち抜く強い意思を持って挑んでいたか、それを思うと、終盤の逆転負けは、どれほど悔しかったことか、そこに、6回連続でワールドカップに出場し続けてきた日本サッカーの進化した姿を見るのです。

結果はベスト16で、過去2回の経験と同じですが、紛れもなく過去最高の終わり方をしたチームです。

そして思うのは、ワールドカップサッカーに挑む日本代表は、私たち何と幸福にさせてくれる存在なのでしょう。

これほどまでに日本中を熱く感動させてくれる日本代表、サッカーを愛する者として、その夢の中に浸れる、この幸福、ただ、ただ「ありがとう」と声をかけてあげたい、それだけです。

日本中の多くの方が、同じ思いではないでしょうか。

今回の代表も、日本社会にいろいろなモデル的な材料を提供してくれました。

例えば、監督交代によってチームが一つの方向にまとまるプロセス、そのメカニズムは何なのか。あれほど期待が薄かったチームが短期間のうちに、それを覆すことができた要因は何なのか。

例えば、強豪チームを倒せる力というのは、選手も口ぐちに言ってましたけれど「一つにまとまればできる」、それが現実にできるということを日本社会はどう生かせるか。

例えば、それぞれの試合について分析チームが行なったスカウティングによって、緻密に攻略方法を決め選手たちに浸透させる組織力、チーム力、これは、ますます厳しい国際競争にさらされている日本社会が勝ち抜くために、スポーツの域を超えて生かしていくことではないのか、どうなのか。

などなど。

さぁ、何日かあとに代表選手が帰国します。またワイドショーや新聞・雑誌が監督・選手たちに群がることでしょう。そして日本中の人たちが「よくやった」「感動をありがとう」と言ってくれるシーンが見られると思います。

もう少し、感動の余韻を味わえると思うと、これもまた楽しい限りです。
今朝は、このへんで。


【夕方 追記】
そのあと、いつものようにスポーツ紙をチェックするためコンビニに立ち寄りました。今朝の通常版は、歌丸さん死去が全紙ともトップです。

朝のテレビで、各スポーツ紙とも「日本代表 特別版」を、一部の店頭のみで販売すると聞いて
いましたので、コンビニで確認してみたら、ちょうど入荷したばかりの各紙がラックに並べられるところでした。

日刊、スポニチ、報知の3紙が特別版を刷ったようです。ついでに東スポと夕刊フジを久しぶりに買いましたら、夕刊フジの終面に、面白い見出しを見つけました。

「「感動ありがとう!」は、もうやめよう」

それを見て、私は瞬間的に「何か捉え方が違ってなぁ」と感じました。

清水秀彦さんの連載コラムの見出しだったのですが、清水さんは「1998年に初出場して以来、よくやった、頑張ったの繰り返しで、全然進歩がない。もう、お涙ちょうだい、感動ありがとう、なんてことだけはやめようぜ」という趣旨で書いておられたのです。

案の定です。まさにそのとおりです。日本サッカーが前進したのかと言われれば、今回もまた16強どまりだったわけで「よくやった。感動ありがとう」という結果ではないだろう、というわけです。

ところが、私の(私に限らず多くの人が同じだと思いますが)「感動ありがとう」には、そういう「前と比べて前進したのか」などといった事情がまったく入り込む余地のない、ただ、ただ「よくやった」「幸せな時間を共有させてもらった」という心底から思いが込められているのです。

したがって、これからも、仮にグルーフリーグ敗退で終わる大会があろうとも、心底「よくやった」「感動的だった」という試合を見せてもらえぱ、「よくやった。感動ありがとう」という言葉が口をついて出るに違いないのです。

そりゃぁ、大会を総括して検証する立場の人が自己弁護的に「よくやった。感動ありがとう」というなら、清水さんのように「そんな言い方、もうやめようぜ」と言ってやればいいのですが、純粋にサッカーを愛し日本代表を応援しようとしている多くの人からは、自然に、素直に「よくやった。感動ありがとう」と口をついて出てきます。

ですから、それはやめる必要もないし、やめさせることはできないと思います。
「何か捉え方が違ってなぁ」と感じた見出しでしたので、書き足しておきました。







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