このタイトルで、最初に香川真司選手、次に本田圭佑選手について、私なりに印象に残った論評をとりあげてきました。
最後に川島永嗣選手について取り上げたいと思います。
私自身の今大会のスタメン表の中で、GKは川島永嗣選手ではありませんでした。7月3日の書き込み「今回は「リアルタイム書き込み」できませんでした、敗因かも知れません」の中で、スタメン表に入れなかった二人のうちの一人、大迫選手については懺悔の言葉を述べました。
しかし、もう一人の川島永嗣選手について、私は「いわば見解の相違というところでしょう。」と書いています。西野監督も川島選手も、いろいろと思うところはあるかも知れません。
そうした中、ネット論評に次のような記事を見つけました。これは、まさに「警鐘」と言えるかもしれません。
「「GKやる子供消えます」 川島永嗣へのW杯異常バッシング、専門家警鐘」
これは「Jcastニュース」というサイトが、元U-20ホンジュラス代表GKコーチ・山野陽嗣氏に取材した内容をもとに書き下ろした7月8日付けの記事です。
川島選手の今大会のパフォーマンスについては、コロンビア戦のFKをグラウンダーで蹴り込まれた場面、セネガル戦でパンチングしたボールを目の前にいたマネに当てる形になって決められた場面、ベルギー戦で1失点目となったフワリとヘディングされた場面での位置取りなど、いろいろな場面が議論の的になっています。
これらのプレーについて、山野さんがGKコーチの立場から客観的に語ってくれていますが、何より山野さんが鳴らした警鐘は「強豪国のGKを美化しすぎではないか、その分、川島選手を感情的に叩きすぎているのではないか」という点です。
そして「「W杯で見えた「最大の問題点」は、「川島批判が高じて、良いプレーまで叩く風潮ができたこと」」なのだそうです。
ここから先は、このテーマの大切な論点なので、少し長くなりますが引用します。
「スマートフォンやPCが普及している時代です。ネットで理不尽に叩かれているのを今の子どもたちは見るでしょう。それでGKに魅力を感じるでしょうか。」
「GKは失点した時、自分に過失やミスがなくても叩かれたり、後ろめたさを感じたりします。その中でいつ喜びを感じるかと言えば、一番はファインセーブでゴールを守り、『ありがとう助かった!』と周りが称えてくれる時です。」
「その励ましがモチベーションになるのに、今の川島に対するような評価をされたらGKのやりがいがありません。川島はプロとして強靭なメンタルで己の仕事をやり抜きましたが、他の日本人GKならメンタルが崩壊していたかもしれません。ファインセーブまで粗探しをされ、価値を落とされる。極めて危険な流れだと思います。GKをやろうという子どもが消えますよ」
「 GK人気が高いドイツのサッカー専門誌『キッカー』では、ロシアW杯GL第3戦ベスト11のGKに川島を選出した。日本人選手が同誌でベスト11に選ばれたのは、今大会では川島が初めてだった。」
「「ポーランドとの大一番で、日本のGL突破を確実なものにした」との評価だ。「優れたプレーは最大限称賛するという文化があります。それが『GK大国』たる由縁なのかもしれません」と山野氏は話す。」
キッカー誌の評価が日本でもっと報道されていたら、川島選手へのバッシングは少しは弱まったかも知れません。
そして記事は最後に「次代を担うGKの育成は急務だ。ファン・サポーターやメディアにできることは何か。」という問いに対する、山野さんの次の提言で締めくくっています。
「悪いプレーやミスがあった時に厳しい目で論じるのは、もちろん重要です。同時に、良いプレーをした時は最大限に称賛する。感情的にではなく、根拠をもって冷静に評価していくことが必要です。」
「メディアは、失点したら問答無用で採点を低くするのではなく、ミスが失点に直結する責任あるポジションだからこそ、活躍した時は英雄になれるような土壌をつくっていってほしい。テレビも、ゴールシーンだけでなくGKのファインプレーまで流してやる。そういった積み重ねがあれば、『GKをやりたい』と思う人が増えてくるのではないかと思います」
ネットで川島選手をサンドバックのように叩いた人たちには、このメッセージは届いたのだろうか?
「ああいえばこういう」式の議論は尽きないのですが、「GKをやろうという子どもが消えますよ」という警鐘はもっともなことで「GKをやりたいと思う人が増えてくる」ような形で論じたいと思う気持ちは共通していると信じたいと思います。
以上、最近のネット記事で目立った3選手を取り上げたシリーズでした。
ちなみに今日15日(日)は、12時ちょっと前から書き込み初めて、いま21時30分ですから、延々9時間半、途中30分ほど買い物に出かけただけで、それを除けば9時間、合計6本、これまでに書こうと思っていたことを、一気に書き込みました。お楽しみいだたければと思います。
では、また。
(ここからは、7月17日に追記しました)
6月30日付けのスポーツ報知の配信ですが、吉田麻也選手が川島永嗣選手への思いを、次のようにツィートしたという記事が掲載されたのです。
吉田麻也選手は、ピッチ上で後ろ姿の川島選手と映る写真をアップして「ミスした者をこれでもかと叩きのめす悪しき風潮が蔓延しているこの国で、子どもらに本当に見てほしいのはチームスポーツで仲間が苦しんでいる時にいかに助け合えるか、そして1人の選手が批判や重圧から逃げずに立ち向かう姿勢。そこに何故、日本人で唯一欧州でGKとしてプレー出来ているか隠されている」とツイートしたそうです。
私は、この記事を読んで、一つのシーンを思い浮かべました。
それは、どこかのホールみたいなところでの討論会の場面です。日本代表のことがテーマということでしょう。議論が川島選手のミスについて白熱して、とうとう会場の雰囲気も「川島選手のミスさえなければ」みたいな雰囲気に傾きかけた時、会場の一人が挙手して立ち上がり、吉田麻也選手からのメッセージを読み上げたのです。
それまでヒステリックな議論で「川島戦犯論」一色に盛り上がっていた会場が、発言を聞いた途端、シーンと水を打ったように静かになったのです。
吉田選手のツィートは、それだけの説得力を持っている内容だと思います。
川島選手について、どうしても、これだけはと思い追記しました。
私は「報道」とか「ジャーナリズム」と呼ばれる分野で執筆する人たちは、ネット上で付和雷同的に発信してくる人たちによって、一つの論調が過激に増幅されてしまう時代の中で記事を書いていることを、強く意識して自覚して書いて欲しいと警鐘を鳴らしたくなりました。
記事を書いた自分はさほど強い気持ちで書いたのではなくとも、それを読んだ人たちが、自分の持っているSNSという発信装置を使って「そうだ」「そうだ」の連呼を発信した時、世間の論調は「これでもかと叩きのめしている」状況に増幅してしまいます。
「報道」とか「ジャーナリズム」と呼ばれる分野で最初の論調を発信する担い手が「現代は、自分の軽はずみな論調が、いたずらに増幅されてしまうリスクをはらんでいるのだ」と自覚して欲しいのです。
「個人個人がSNSで同調して増幅されてしまうことまで、かまっていられない」と思ってしまうと、「これでもかと叩きのめしている」状況に、何の責任も感じないということになります。
もしそうだとすると「時代の変化に伴う役割の変化を自覚していないのですよ」と言いたいのです。
「報道」とか「ジャーナリズム」と呼ばれる分野で最初の論調を発信する担い手の人たちからのご意見もお聞きできればと思います。
「追記が長くなりましたが、では、また。
最後に川島永嗣選手について取り上げたいと思います。
私自身の今大会のスタメン表の中で、GKは川島永嗣選手ではありませんでした。7月3日の書き込み「今回は「リアルタイム書き込み」できませんでした、敗因かも知れません」の中で、スタメン表に入れなかった二人のうちの一人、大迫選手については懺悔の言葉を述べました。
しかし、もう一人の川島永嗣選手について、私は「いわば見解の相違というところでしょう。」と書いています。西野監督も川島選手も、いろいろと思うところはあるかも知れません。
そうした中、ネット論評に次のような記事を見つけました。これは、まさに「警鐘」と言えるかもしれません。
「「GKやる子供消えます」 川島永嗣へのW杯異常バッシング、専門家警鐘」
これは「Jcastニュース」というサイトが、元U-20ホンジュラス代表GKコーチ・山野陽嗣氏に取材した内容をもとに書き下ろした7月8日付けの記事です。
川島選手の今大会のパフォーマンスについては、コロンビア戦のFKをグラウンダーで蹴り込まれた場面、セネガル戦でパンチングしたボールを目の前にいたマネに当てる形になって決められた場面、ベルギー戦で1失点目となったフワリとヘディングされた場面での位置取りなど、いろいろな場面が議論の的になっています。
これらのプレーについて、山野さんがGKコーチの立場から客観的に語ってくれていますが、何より山野さんが鳴らした警鐘は「強豪国のGKを美化しすぎではないか、その分、川島選手を感情的に叩きすぎているのではないか」という点です。
そして「「W杯で見えた「最大の問題点」は、「川島批判が高じて、良いプレーまで叩く風潮ができたこと」」なのだそうです。
ここから先は、このテーマの大切な論点なので、少し長くなりますが引用します。
「スマートフォンやPCが普及している時代です。ネットで理不尽に叩かれているのを今の子どもたちは見るでしょう。それでGKに魅力を感じるでしょうか。」
「GKは失点した時、自分に過失やミスがなくても叩かれたり、後ろめたさを感じたりします。その中でいつ喜びを感じるかと言えば、一番はファインセーブでゴールを守り、『ありがとう助かった!』と周りが称えてくれる時です。」
「その励ましがモチベーションになるのに、今の川島に対するような評価をされたらGKのやりがいがありません。川島はプロとして強靭なメンタルで己の仕事をやり抜きましたが、他の日本人GKならメンタルが崩壊していたかもしれません。ファインセーブまで粗探しをされ、価値を落とされる。極めて危険な流れだと思います。GKをやろうという子どもが消えますよ」
「 GK人気が高いドイツのサッカー専門誌『キッカー』では、ロシアW杯GL第3戦ベスト11のGKに川島を選出した。日本人選手が同誌でベスト11に選ばれたのは、今大会では川島が初めてだった。」
「「ポーランドとの大一番で、日本のGL突破を確実なものにした」との評価だ。「優れたプレーは最大限称賛するという文化があります。それが『GK大国』たる由縁なのかもしれません」と山野氏は話す。」
キッカー誌の評価が日本でもっと報道されていたら、川島選手へのバッシングは少しは弱まったかも知れません。
そして記事は最後に「次代を担うGKの育成は急務だ。ファン・サポーターやメディアにできることは何か。」という問いに対する、山野さんの次の提言で締めくくっています。
「悪いプレーやミスがあった時に厳しい目で論じるのは、もちろん重要です。同時に、良いプレーをした時は最大限に称賛する。感情的にではなく、根拠をもって冷静に評価していくことが必要です。」
「メディアは、失点したら問答無用で採点を低くするのではなく、ミスが失点に直結する責任あるポジションだからこそ、活躍した時は英雄になれるような土壌をつくっていってほしい。テレビも、ゴールシーンだけでなくGKのファインプレーまで流してやる。そういった積み重ねがあれば、『GKをやりたい』と思う人が増えてくるのではないかと思います」
ネットで川島選手をサンドバックのように叩いた人たちには、このメッセージは届いたのだろうか?
「ああいえばこういう」式の議論は尽きないのですが、「GKをやろうという子どもが消えますよ」という警鐘はもっともなことで「GKをやりたいと思う人が増えてくる」ような形で論じたいと思う気持ちは共通していると信じたいと思います。
以上、最近のネット記事で目立った3選手を取り上げたシリーズでした。
ちなみに今日15日(日)は、12時ちょっと前から書き込み初めて、いま21時30分ですから、延々9時間半、途中30分ほど買い物に出かけただけで、それを除けば9時間、合計6本、これまでに書こうと思っていたことを、一気に書き込みました。お楽しみいだたければと思います。
では、また。
(ここからは、7月17日に追記しました)
6月30日付けのスポーツ報知の配信ですが、吉田麻也選手が川島永嗣選手への思いを、次のようにツィートしたという記事が掲載されたのです。
吉田麻也選手は、ピッチ上で後ろ姿の川島選手と映る写真をアップして「ミスした者をこれでもかと叩きのめす悪しき風潮が蔓延しているこの国で、子どもらに本当に見てほしいのはチームスポーツで仲間が苦しんでいる時にいかに助け合えるか、そして1人の選手が批判や重圧から逃げずに立ち向かう姿勢。そこに何故、日本人で唯一欧州でGKとしてプレー出来ているか隠されている」とツイートしたそうです。
私は、この記事を読んで、一つのシーンを思い浮かべました。
それは、どこかのホールみたいなところでの討論会の場面です。日本代表のことがテーマということでしょう。議論が川島選手のミスについて白熱して、とうとう会場の雰囲気も「川島選手のミスさえなければ」みたいな雰囲気に傾きかけた時、会場の一人が挙手して立ち上がり、吉田麻也選手からのメッセージを読み上げたのです。
それまでヒステリックな議論で「川島戦犯論」一色に盛り上がっていた会場が、発言を聞いた途端、シーンと水を打ったように静かになったのです。
吉田選手のツィートは、それだけの説得力を持っている内容だと思います。
川島選手について、どうしても、これだけはと思い追記しました。
私は「報道」とか「ジャーナリズム」と呼ばれる分野で執筆する人たちは、ネット上で付和雷同的に発信してくる人たちによって、一つの論調が過激に増幅されてしまう時代の中で記事を書いていることを、強く意識して自覚して書いて欲しいと警鐘を鳴らしたくなりました。
記事を書いた自分はさほど強い気持ちで書いたのではなくとも、それを読んだ人たちが、自分の持っているSNSという発信装置を使って「そうだ」「そうだ」の連呼を発信した時、世間の論調は「これでもかと叩きのめしている」状況に増幅してしまいます。
「報道」とか「ジャーナリズム」と呼ばれる分野で最初の論調を発信する担い手が「現代は、自分の軽はずみな論調が、いたずらに増幅されてしまうリスクをはらんでいるのだ」と自覚して欲しいのです。
「個人個人がSNSで同調して増幅されてしまうことまで、かまっていられない」と思ってしまうと、「これでもかと叩きのめしている」状況に、何の責任も感じないということになります。
もしそうだとすると「時代の変化に伴う役割の変化を自覚していないのですよ」と言いたいのです。
「報道」とか「ジャーナリズム」と呼ばれる分野で最初の論調を発信する担い手の人たちからのご意見もお聞きできればと思います。
「追記が長くなりましたが、では、また。