「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

香川、本田、川島各選手たち日本代表の、印象に残るネット論評③

2018年07月15日 19時51分18秒 | サッカー選手応援
このタイトルで、最初に香川真司選手、次に本田圭佑選手について、私なりに印象に残った論評をとりあげてきました。

最後に川島永嗣選手について取り上げたいと思います。

私自身の今大会のスタメン表の中で、GKは川島永嗣選手ではありませんでした。7月3日の書き込み「今回は「リアルタイム書き込み」できませんでした、敗因かも知れません」の中で、スタメン表に入れなかった二人のうちの一人、大迫選手については懺悔の言葉を述べました。

しかし、もう一人の川島永嗣選手について、私は「いわば見解の相違というところでしょう。」と書いています。西野監督も川島選手も、いろいろと思うところはあるかも知れません。

そうした中、ネット論評に次のような記事を見つけました。これは、まさに「警鐘」と言えるかもしれません。

「「GKやる子供消えます」 川島永嗣へのW杯異常バッシング、専門家警鐘」
これは「Jcastニュース」というサイトが、元U-20ホンジュラス代表GKコーチ・山野陽嗣氏に取材した内容をもとに書き下ろした7月8日付けの記事です。

川島選手の今大会のパフォーマンスについては、コロンビア戦のFKをグラウンダーで蹴り込まれた場面、セネガル戦でパンチングしたボールを目の前にいたマネに当てる形になって決められた場面、ベルギー戦で1失点目となったフワリとヘディングされた場面での位置取りなど、いろいろな場面が議論の的になっています。

これらのプレーについて、山野さんがGKコーチの立場から客観的に語ってくれていますが、何より山野さんが鳴らした警鐘は「強豪国のGKを美化しすぎではないか、その分、川島選手を感情的に叩きすぎているのではないか」という点です。

そして「「W杯で見えた「最大の問題点」は、「川島批判が高じて、良いプレーまで叩く風潮ができたこと」」なのだそうです。

ここから先は、このテーマの大切な論点なので、少し長くなりますが引用します。

「スマートフォンやPCが普及している時代です。ネットで理不尽に叩かれているのを今の子どもたちは見るでしょう。それでGKに魅力を感じるでしょうか。」

「GKは失点した時、自分に過失やミスがなくても叩かれたり、後ろめたさを感じたりします。その中でいつ喜びを感じるかと言えば、一番はファインセーブでゴールを守り、『ありがとう助かった!』と周りが称えてくれる時です。」

「その励ましがモチベーションになるのに、今の川島に対するような評価をされたらGKのやりがいがありません。川島はプロとして強靭なメンタルで己の仕事をやり抜きましたが、他の日本人GKならメンタルが崩壊していたかもしれません。ファインセーブまで粗探しをされ、価値を落とされる。極めて危険な流れだと思います。GKをやろうという子どもが消えますよ」

「 GK人気が高いドイツのサッカー専門誌『キッカー』では、ロシアW杯GL第3戦ベスト11のGKに川島を選出した。日本人選手が同誌でベスト11に選ばれたのは、今大会では川島が初めてだった。」

「「ポーランドとの大一番で、日本のGL突破を確実なものにした」との評価だ。「優れたプレーは最大限称賛するという文化があります。それが『GK大国』たる由縁なのかもしれません」と山野氏は話す。」

キッカー誌の評価が日本でもっと報道されていたら、川島選手へのバッシングは少しは弱まったかも知れません。

そして記事は最後に「次代を担うGKの育成は急務だ。ファン・サポーターやメディアにできることは何か。」という問いに対する、山野さんの次の提言で締めくくっています。

「悪いプレーやミスがあった時に厳しい目で論じるのは、もちろん重要です。同時に、良いプレーをした時は最大限に称賛する。感情的にではなく、根拠をもって冷静に評価していくことが必要です。」

「メディアは、失点したら問答無用で採点を低くするのではなく、ミスが失点に直結する責任あるポジションだからこそ、活躍した時は英雄になれるような土壌をつくっていってほしい。テレビも、ゴールシーンだけでなくGKのファインプレーまで流してやる。そういった積み重ねがあれば、『GKをやりたい』と思う人が増えてくるのではないかと思います」

ネットで川島選手をサンドバックのように叩いた人たちには、このメッセージは届いたのだろうか?

「ああいえばこういう」式の議論は尽きないのですが、「GKをやろうという子どもが消えますよ」という警鐘はもっともなことで「GKをやりたいと思う人が増えてくる」ような形で論じたいと思う気持ちは共通していると信じたいと思います。

以上、最近のネット記事で目立った3選手を取り上げたシリーズでした。

ちなみに今日15日(日)は、12時ちょっと前から書き込み初めて、いま21時30分ですから、延々9時間半、途中30分ほど買い物に出かけただけで、それを除けば9時間、合計6本、これまでに書こうと思っていたことを、一気に書き込みました。お楽しみいだたければと思います。

では、また。

(ここからは、7月17日に追記しました)
6月30日付けのスポーツ報知の配信ですが、吉田麻也選手が川島永嗣選手への思いを、次のようにツィートしたという記事が掲載されたのです。

吉田麻也選手は、ピッチ上で後ろ姿の川島選手と映る写真をアップして「ミスした者をこれでもかと叩きのめす悪しき風潮が蔓延しているこの国で、子どもらに本当に見てほしいのはチームスポーツで仲間が苦しんでいる時にいかに助け合えるか、そして1人の選手が批判や重圧から逃げずに立ち向かう姿勢。そこに何故、日本人で唯一欧州でGKとしてプレー出来ているか隠されている」とツイートしたそうです。

私は、この記事を読んで、一つのシーンを思い浮かべました。

それは、どこかのホールみたいなところでの討論会の場面です。日本代表のことがテーマということでしょう。議論が川島選手のミスについて白熱して、とうとう会場の雰囲気も「川島選手のミスさえなければ」みたいな雰囲気に傾きかけた時、会場の一人が挙手して立ち上がり、吉田麻也選手からのメッセージを読み上げたのです。

それまでヒステリックな議論で「川島戦犯論」一色に盛り上がっていた会場が、発言を聞いた途端、シーンと水を打ったように静かになったのです。

吉田選手のツィートは、それだけの説得力を持っている内容だと思います。

川島選手について、どうしても、これだけはと思い追記しました。

私は「報道」とか「ジャーナリズム」と呼ばれる分野で執筆する人たちは、ネット上で付和雷同的に発信してくる人たちによって、一つの論調が過激に増幅されてしまう時代の中で記事を書いていることを、強く意識して自覚して書いて欲しいと警鐘を鳴らしたくなりました。

記事を書いた自分はさほど強い気持ちで書いたのではなくとも、それを読んだ人たちが、自分の持っているSNSという発信装置を使って「そうだ」「そうだ」の連呼を発信した時、世間の論調は「これでもかと叩きのめしている」状況に増幅してしまいます。

「報道」とか「ジャーナリズム」と呼ばれる分野で最初の論調を発信する担い手が「現代は、自分の軽はずみな論調が、いたずらに増幅されてしまうリスクをはらんでいるのだ」と自覚して欲しいのです。

「個人個人がSNSで同調して増幅されてしまうことまで、かまっていられない」と思ってしまうと、「これでもかと叩きのめしている」状況に、何の責任も感じないということになります。

もしそうだとすると「時代の変化に伴う役割の変化を自覚していないのですよ」と言いたいのです。

「報道」とか「ジャーナリズム」と呼ばれる分野で最初の論調を発信する担い手の人たちからのご意見もお聞きできればと思います。

「追記が長くなりましたが、では、また。
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香川、本田、川島各選手たち日本代表の、印象に残るネット論評②

2018年07月15日 16時45分05秒 | サッカー選手応援
同じテーマで前回は香川選手のことを取り上げました。もっともっと評価されるべきです、と。
今回は、本田圭佑選手選手です。

本田圭佑選手は、大会中、スーパーサブ的な使われ方で、その中でも結果を出してきました。ですから、それまで本田選手をケチョン、ケチョンに言っていたネットの論調でも「本田さんゴメンナサイ」「本田△(サン カッケー)」といった手のひら返しに合っていました。

それと合わせて異彩を放っていたのが、本田選手の人柄というか、人間味について触れた論調です。

思わずニヤッとしてしまうのは「清々しい(すがすがしい)」と表現すべき単語を「きよきよしい」と話したところです。

あとで自分で「感じが苦手で間違って覚えていました。でも、もう覚えました」と率直にコメントしたことで、その潔さがまた評価されるオマケがつきました。

7月4日付けの東スポwebは「日本快進撃の裏に本田のキャラ変」というタイトルで、今大会のチームで果たした本田選手の“イジられ役”ぶりを紹介しています。

長友選手の本田評が面白い「圭佑はだいぶやわらかくなったというか、丸くなった。スポンジのような心でね」
つまり、どんなことも受け入れる器の大きさという意味でしょう。

「NHKで放映された映像素材を取り寄せて選手たちが“ケイスケホンダ”のフレーズで本人をイジったりして盛り上がっていた」といった具合に、かつて周囲を寄せつけなかった“オレ様”ぶりは鳴りを潜め、率先して同僚と輪を作ったというのです。

東スポwebハ「これまでの姿からは想像できない本田の“キャラ変”。「本当に他の選手のことを好きになったし、こんなに好きになれるとは思わなかったというくらい好きになった」と語った背番号4がまさに潤滑油となってチームの歯車を回していた」と締めくくってしましたが、キャラ変ではなく、自分の置かれた状況に応じて身を処すことができる器の大きさということでしょう。

まさに長友選手が語ったスポンジの心の持ち主だったのだと思います。

そのあたりを、スポーツライターの元川悦子さんが「フットボールチャンネル」サイトに7月4日付けで寄稿しています。

「『ホントに日本人が想像できひんような努力をして、この場にいるということをしっかり見てほしい』と6月24日のセネガル戦で一刺しを決めた後、彼は厳しい表情で語ったが、本当に凄まじい集中力と闘争心でここまでやってきたからこそ、偉大な記録を叩き出すことができた。その厳然たる事実には改めてリスペクトを払うべきだろう。」

「「エース」と呼ばれる人間は点取り屋かゲームメーカーとして君臨する傾向が強く、過去の日本のエースたちもそうだった。が、本田はどんな仕事でも受け入れ、その役割の中で自分の持つマックスの力を発揮する。そういう職人魂を持った選手なのだ。」

「今回のスーパーサブ的な仕事は、28日のポーランド戦に象徴される通り、出番が訪れることなく終わってしまう可能性もゼロではない。同じく南アからの盟友である長友佑都が全試合フル出場するのを間近で見れば、複雑な思いも湧いてくるだろう。それでも本田はベンチで仲間を盛り上げ、チーム全体を鼓舞できる。」

「この日もタイムアップの笛が鳴り、倒れ込んで号泣した昌子源や乾貴士らのところに駆け寄って声をかけていた。世間一般では「本田はエゴイスト」というイメージが先行してきたが、彼ほど献身的で仲間を第一に考えるフットボーラーもそうそういない。」

「『ホントにこのチームの選手みんなが好きになった。こんなに好きになれると思わないくらい好きになった』という言葉が口を突いて出るあたりが、彼の人間臭さなのだ。」

「ブラジル大会を目指していた頃はメディアともほとんど喋らない時期もあったが、それはあくまでセルフコントロールの一貫だった。」

「報道陣側ももともとの気さくなキャラクターを理解していたから、本田の振る舞いを受け入れた。まさに彼は多くの人に愛される男だったのだ。」(以下略)

引用が長くなり、元川さんからクレームが出そうですが「誰からも愛される男、本田圭佑。イメージと異なる実像。その精神力が日本にもたらしたもの」と題されたこの寄稿を、ぜひ皆様にもお読みいただきますようお願いして、ご容赦いただこうと思います。

日本代表が決勝トーナメント進出を果たしたことと、本田選手が代表の中で果たしたことが、見事にシンクロしていることがわかります。

本田選手については、このへんで。
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香川、本田、川島各選手たち日本代表の、印象に残るネット論評①

2018年07月15日 15時27分37秒 | サッカー選手応援
ワールドカップにおけるドラマチックな日本代表の戦いぶりについては、テレビ、スポーツ紙、ネット等で、さまざまな取り上げられ方をされ、個別の選手たちについても、ヒーローがかわるがわる出たこともあり、賑やかな取り上げられ方でした。

その中で、特にネット記事中心に、何人かの選手について印象に残った論評を取り上げて、私なりの「まとめ」をしてみたいと思います。

①今大会に果たした香川真司選手の働きをもっと大きく評価して欲しいと思います。
今大会の個別選手の取り上げられ方は、初戦・コロンビア戦は「大迫半端ない」、第2戦セネガル戦は、「さすが本田さん、悪く言ってごめんなさい」と「川島のミス」そして決勝トーナメント1回戦ベルギー戦は「原口、乾で2点」といった感じでした。

しかし、今大会の日本代表を流れにうまく乗せたという点で、香川真司選手のPK獲得につながるプレー、そしてPKによる先制点は、もっともっと大きく取り上げられ、大会の立役者の一人として評価されるべきだと感じています。

そんな中、大会直前の6月7日付け「スポーツ報知」の記者コラムで中村健吾さんがレポートしているネット記事を読み、このコロンビア戦のプレーからPKによる得点に香川選手の活躍が、単なる偶然ではなく必然であったことを痛感しました。

一部その記事から紹介してみます。

その記事には「香川の言葉「恐れるものがないくらい準備ができている」を信じてみよう…今始まるW杯日本代表の大冒険」というタイトルがついています。

まだ、この時期、日本国内は総じて「西野ジャパン勝てるの?」「引き分け一つぐらいでも取ってくれるだろうか」程度の評価でしたが、すでに選手たちは、すっかり自信を取り戻して、戦う準備万端といった様子だったことがわかりますし、中村記者も「信じてみよう」という思いで筆を運ばせたと思います。

香川選手は、6月1日の日本代表23名発表後の会見で、こう述べていたというのです。「(4年前)ブラジルのピッチで感じた悔しさや、あの結果が自分たちを強くしてくれたと、ロシアで証明したい。本当に恐れるものがないというくらい、僕自身は準備ができています。皆さんに自分たちが戦ってきた4年間を証明したい」

中村記者は、この香川選手の話と、もう一つ、ベテランの女性スポーツライター・増島みどりさんから聞いた話を紹介しています。

中村記者が、期待の持てない西野ジャパン叩きについて増島さんに聞いたところ、

「日本代表とは勝つための集団とみんな言う。でも、私が(仏W杯で)3連敗した彼らから教わったことは、代表は人々の共感とともに歩むっていうことだと思う。うまく行かない時とか苦しい時とかどうやって振る舞っていくかの最も偉大なサンプルが、彼ら代表。彼らは自分たちを現している存在。だから、日本選抜じゃなくて日本代表。・・・・・」という答えが返ってきたそうです。

そいて、中村記者は、レポートを次の言葉で締めくくったのです。
「そう、これからの1か月間、香川の、この言葉を信じてみませんか。そして、代表の23人と思いっきり“伴走”してみませんか。彼ら代表は自分たちの夢や希望、もっと言うなら一筋縄ではいかない人生というものを、そのまま投影してピッチで戦ってくれる存在なのだから」

中村記者は、今ごろ「信じて良かったぁ」と、スポーツ記者としての自分が新たなステージにたったことを実感していることでしょう。

私が思うのは、すでに香川選手は1点の曇りなく自分を信じて大会に臨み、PKの場面も、何の迷いもなく蹴り込むことができたのだということです。

このエースとしての心の強さ、以前、私が本田圭佑選手について感じた強さを、この時、香川選手が発揮してくれたのだと、あらためてリスペクトしたいのです。

次に本田圭佑選手についての論評を紹介しますが、次の書き込みで。
では、また。


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「なぜ今回のW杯は"ロシア開催"だったのか」の世界と、スタジアムをきれいにして帰る日本人の世界との、あまりにも大きな落差

2018年07月15日 14時05分16秒 | サッカー選手応援
ネットの「プレジデントオンライン」にアメリカ人ジャーナリスト、ケン・ベンシンガーの著書『レッドカード 汚職のワールドカップ』(早川書房)の一部を再編集した記事が載っていました。

著書のテーマは文字通り「なぜ今回のW杯は"ロシア開催"だったのか」であり、開催権獲得の裏には、ありとあらゆる不正な取引が行われていた。その背後にいたのは、ロシアの億万長者で、英チェルシーFCオーナーのアブラモヴィッチと、プーチン大統領だと、あぶり出しています。

FIFA(国際サッカー連盟)の腐敗については、今に始まったことではなく、ブラッター前会長、さらには、その前のアヴェランジェ会長時代から数々の不正疑惑が指摘されながら、その都度、代替わりによりリセットされてきたのではないかと思います。

特にワールドカップ開催地決定の問題は、国の威信を高めようとする権力者が絡むことから、表向きは公明正大な選出方法を装いながら、裏では利権と権謀術数が絡み合う、凄まじい戦いの世界が繰り広げられる問題です。

私たちは、日韓ワールドカップの開催地決定が行われた1996年に、釈然としない思いで決定を受け入れた記憶を持っています。

どの大会でも、開催地争いに敗れた国は、多かれ少なかれ苦い思いで受け入れざるを得ない経験をしています。

FIFA(国際サッカー連盟)を牛耳る幹部たちの世界が、いかにオモテとウラの世界の行ったり来たりしているかということなのだと思います。

それは、マフィア映画を見ると、わかりやすいと思います。マフィア映画にはオモテの部分とウラの部分が、実によく描写されています。オモテの部分は無垢な家族の姿を描く場面であり、ウラの部分は、まさにマフィアそのものの姿です。

サッカーの世界も、オモテの部分はフェアプレーアンセムに導かれて集う選手たち、サポーターたち、ジャーナリストたちの姿であり、ウラの部分は、今回紹介した書物に描かれているようなFIFA(国際サッカー連盟)と、それに連なる権力者たちの姿です。

前回書き込んだ「世界に示した日本人の国民性」といった部分は、マフィア映画で言えば、純真無垢な家族・子供といった場面であり、FIFA幹部たちから見れば、まさに「子供のような純粋無垢な存在」、言い換えれば「何も知らない無邪気な存在」ということではないかと思います。

世界最大のスポーツイベントを差配することができるFIFAという組織の幹部は、著者ケン・ベンシンガーが指摘するように「豊かで多様で非情な組織で勢力を保つための費用を熟知していた。世界で最も人気のあるスポーツを運営する巧妙なやり口をだれよりも知りつくし・・・」という特殊な能力に長けていることが不可欠です。

だからこそ、ブラッター前会長も、ジャンニ・インファンティノ現会長も、事務局長からの昇格という形で権力者に上り詰めているのです。彼らは組織のテクノクラートとして忠実に仕事をこなしてきた中で、権謀術数のすべを学び、少しづつ権力の階段を上がってきています。

したがってオモテとウラ、それぞれでの一挙手一投足の使い分けも見事なほどです。オモテでは、見事に演じきれるといったほうがいいのかも知れません。

そういう連中の差配のもとで、やれフェアプレーだの、やれ品格だの、やれマナーだのと言って満足そうにしている私たち日本人は、どう考えるべきなのでしょうか。

あくまで、それは別世界のこととして、純粋に誇りを持っていればいいのでしょうか。それとも、そういう魑魅魍魎の世界の中で、もて遊ばれることを快よしとせずにいくべきなのでしょうか。
そこが、私には永遠の課題のように思われるのです。

では、また。

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「その国の国民性を映す」と言われるサッカー、今大会、日本代表はその見本のようでした。

2018年07月15日 12時46分28秒 | サッカー選手応援
ワールドカップサツカーが国民を熱狂させ、国中に一体感を醸しださせるパワーを持つことを、4年に一度ではありますが、今回も、まざまざと見せてくれた日本代表。

特に今大会の日本代表は、世界に「日本という存在」「日本という国の国民性」「日本人の思考と行動」を強く発信したのではないでしょうか。

初戦のコロンビア戦に勝利したあたりまでは、まだ世界の耳目を集めるほどではなかったのですが、第3戦のポーランド戦に見せた「リスク覚悟の最後の10分+アディショナルタイムの戦術」、そしてラウンド16のベルギー戦で見せた「2-0のリードからの悪夢の逆転負け」は、強烈なインパクトを世界中に残したと思います。

過去のワールドカップでは、日本代表は、基本的には、世界の中でまだまだ弱い国が見せる共通の戦い方をしてきたと思います。決勝トーナメントに勝ち上がるためには、目の前の試合に全神経を集中して、基本的に守りを固めて少ないチャンスをモノにして試合を終わらせる、そんな感じの戦い方です。

しかし、今大会、日本代表は、少なくともガチガチに守りを重視して少ないチャンスをモノにするという弱小国共通の戦い方を、初めてやめました。

その結果、はじめてサッカーを通じて「「日本」という国はそういう国なんだ」「ポーランド相手にああいう試合をした日本が、こういう試合ができるんだ」ということを世界に発信することができたのです。

ポーランド戦で見せた試合の終わらせ方などは、まさに世界が初めて知った日本の国民性だと思います。会場のブーイングを浴びることはわかっていても、器用には立ち回れない。やることが実直なのです。

まさにマリーシアとは真逆の試合運びです。特に日本が順位争いの対象となったセネガルとの差が、フェアプレーポイントという皮肉なポイントだったことから、あの、あからさまな時間稼ぎが「フェアプレーと言えるのか」という批判につながりました。

日本には「正直者がバカを見る」という諺があるとおり、まさに正直にプレーしたことで「バカ者」扱いされたのです。

ベルギー戦では、優勝候補の一角ベルギーに2点リードの局面を作り、あわやという思いを世界中に抱かせました。結果は残酷な逆転負けでしたが、堂々と渡り合っての玉砕という感じで世界を驚かせたと思います。

ここにも日本的な正直さが出ています。アディショナルタイムの戦い方は「いいところまでは行くけれど勝てない」という、これまでの日本の弱さが、そのまま出た感じですが、堂々と打ち合ったという意味では、これまでの日本が示したことがない、全く新しい姿だったと思います。

世界に「日本という存在」「日本という国の国民性」「日本人の思考と行動」を強く発信したのは、ピッチ内だけではありませんでした。

今大会、ピッチ外の2つのエピソードが世界に強く日本というものを印象づけました。一つは日本代表がベルギー戦で使用したスタジアムの控室(ロッカールーム)の写真と、添えられたメッセージ。

「日本はClass(品格)がある」「素晴らしいマナーだ。いつか日本に行ってみたい」などの反響を呼ぶ投稿でした。試合に敗れてなお保つ、この「Integrity(気高さ)」、まさに日本という国の国民性を余すところなく世界中に発信しました。

サッカーというスポーツが世界に大きな影響力を持つがゆえに、日本代表チームのこの行為を誇りに思うのです。

この投稿には後日談があって、今日のネットで「この投稿の主、すなわち大会スタッフだった女性は、守秘義務違反により解雇されてしまった」そうです。

FIFAにもロシア組織委員会にも「大岡裁き」という日本的なやり方は通じないのでしょうか。JFAの心ある人ならば、この女性がそういう咎めを受けるかもしれないということを感じていたかも知れません。

そう感ずるのが「感受性」というものでしょう。その時に「大岡裁き」という解決方法を思い出した欲しかったのです。日本人ならばわかるでしょう。

「普通に処理すれば守秘義務違反なのだけど、彼女の思いを無にしない方策はないか、考えて欲しい」そうFIFAなりロシア組織委員会なりに掛け合ってくれればと、惜しまれる話です。

日本人の品格、気高さは、スタジアムのゴミをきれいに拾い集めて帰るサポーターの態度でも、世界中の称賛を浴びています。

私たち日本人は、そういうマナーや配慮を大切にする国民です。昨今は、都内を歩いていて、すれ違う人が平気でゴミのポイ捨てをする場面に出くわし、暗澹たる気持ちにさせられますが、それは、ほんの一握りと思い直すようにしています。

日本中の町や村で、子供の頃からマナーや思いやりの心を教え続ける気風は失われていないのだと思います。私はそれを思うと、つくづく日本という国は誇らしい国だと思いますし、日本人というのは、素晴らしい国民性を持った国民だと思います。

そのような日本文化のことを、アメリカでのスポーツ取材歴が長いジャーナリストの高柳昌弥さんという人が「何も残さず何かを残す日本の文化、サッカーのW杯で感じた無形の財産」という記事を書いていて、ネットの「スポニチアネックス」で紹介されています。

「何も残さず何かを残す」というフレーズが印象的です。彼が海外での経験から日本人の行動が際立っていることを書いている部分があります。それは1980年代にアメリカツァーに参戦していた女子プロゴルファーとの、ちょっとした「やりとり」のことです。

高柳さんがそのゴルファーから「コピー5枚とって欲しい」と頼まれて、とったコピーと原紙をクリアファイルに入れて渡した時「どうしてこんなに早く、しかも親切にしてくれたのか」と聞かれたそうです。

彼にとっては、ごく普通のことだったのに、彼女にとっては不思議な体験だったらしいというのです。つまり競争社会に身を置くと、周りが全て敵に見えてしまうほど、異なる文化の中で生活している過酷さを味わっていたらしく、彼女の目が大げさではなくちょっと潤んでいたというのです。

日本人にとっては、当たり前のような何気ないことでも海外では「あり得ない、どうして、そこまでできるかわからない」というほどの違いがあるということの例です。

高柳さんは自分のレポートをこう締めくくっています。楽しみな話です。
「ベルギーに勝てなかった日本代表。でも、いつかサポーターが優勝時に舞う紙吹雪をひとつ残らず片付ける日々が来ることだろう。そのときまで、日本の“色”は失ってはいけない。違っているからこそ尊いものが、世の中にはまだたくさん残っている。」

「バカ正直」なことしかできず、かえってバカにされる。それでいいじゃないか、という気持ちです。それを恐れて、大切なものを失っては元も子もないということのようです。

それにしても、感慨深いものがあります。1997年のジョホールバルで、初めて世界の舞台へのキップを手にしたサッカー日本代表。その後の活躍とサポーターを含めた日本人としての「ふるまい」が、これほどまでに世界に影響を与えることになろうとは、思いもよらなかったことです。

20年の歳月は、日本人の礼儀正しさ、品格といった国民性が、サッカーを通じて世界に影響を及ぼすことが可能なことを示してくれたのです。

「サッカーというスポーツは、その国の国民性を、実によく映し出す」とは、よく言ったものです。

このテーマはこのへんで。

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まもなく決勝戦、それは「壮大な祝祭の終り」の前の最後の楽しみ

2018年07月15日 11時53分53秒 | サッカー選手応援
今夜半、ロシアワールドカップは決勝を迎えます。フランスvsクロアチア戦、普通に考えればフランス優勝と予想するでしょう。

クロアチアは決勝トーナメントに入ってからの3試合、すべて延長線まで戦っており、しかも決勝まで中3日、フランスより1日短いハンディキャップがあります。

こうした条件を覆してクロアチアが優勝したら、それはもう歴史的な出来事ですし「ワールドカップ20年周期の法則」、すなわち20年毎に初優勝国が誕生するという説に見事に合致するになります。

したがってフランスが、この大会の主役であることを見せつけるためにはエムバペがヒーローとなり「ペレの再来」と言わしめる活躍をしない限り、退屈な優勝国と言われかねません。

片やクロアチアには、モドリッチという、小柄にもかかわらずチームを牽引している選手がいますから、この選手を凌ぐためには、グリーズマンやジルーでは役者として物足りないと言われる舞台になりつつあるのです。

モドリッチ選手、まるでクライフを縮小形にしたような体つきと顔立ちです。歴史上のスーパースターに重ね合わせることが好きなサッカーファンにとっては「ペレの再来か」「クライフの再来か」と思いを巡らせることのほうが、よほど楽しいのです。

グリーズマンも「プラティニの再来」と言われれば、負けてはいないのですが、ワールドカップの栄光に恵まれなかったプラティニの再来と言われても、少し困るかも知れません。

こうした想像を巡らせているあたりまでが、ワールドカップという「地球上最大の、壮大な祝祭」の楽しみであり、あとは日に日に「宴のあとの寂寥感」が増してくるわけで、この、4年に一度の祝祭は、必ずそういう喪失感(いま風に言えば「ワールドカップロス」というヤツ)を伴うものでもあります。

日本がベルギーと死闘を演じてから2週間、いろいろな観点から書きたいことは山ほどありましたが、日々の忙しさにかまけて、あっという間に時間が過ぎてしまいました。

これから、少しづつ、書き込んでいきたいと思います。
では、また。

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