行き先不明人の時刻表2

何も考えずに、でも何かを求めて、鉄道の旅を続けています。今夜もmoonligh-expressが発車の時間を迎えます。

新潟の駅弁2、消えていった駅弁屋

2022年01月18日 | 駅弁
思い起こしたように、せっかく駅弁の話題を書き込んだのでその続きを。
前回、駅弁業界は斜陽産業と失礼な言い方をしていたが、新潟県内の駅弁製造・販売会社(あくまでも駅構内で販売していたもの)は、全盛期に比べると半分くらいになっているようだ。(まあ、それでも健闘しているといってよいのでは?)
記録によると、上越線・小出駅や羽越線・坂町駅などでも販売の記録があるのだが、今回は、私が駅弁の写真を撮りだめてから、消えていった県内駅弁屋の駅弁を紹介していきたい。



長岡駅には、駅弁屋が三社あった。うち二軒(野本弁当部、長岡浩養軒)が閉業。うち一社については以前このブログでも紹介しているが、中越地震の影響を受けて廃業ということは、悲しい出来事だったし、もったいない気がしている。https://blog.goo.ne.jp/jikokuhyou485/e/11e4b1ba4e9d86ec60b93b65a164830ehttps://blog.goo.ne.jp/jikokuhyou485/e/f3e4472ebf6a5b6853b824be79f99dd8
「野本弁当部」は、先の書き込みのとおり私の判断基準において、ごはんが美味しかったことを記憶している。(「日本海さけかに合戦」が長岡浩養軒、「古志こころ」が野本弁当部。)
現在長岡駅では、「池田屋」のみが構内営業。長岡の駅弁の灯、伝統と歴史を守っていってほしい。



新潟県でも西の方、直江津駅には古くからのライバル二社が営業していた。いずれも駅前旅館で、隣同士。切磋琢磨して駅弁に新しいアイディアを持ち込んできたが、「センチュリーイカヤ」が2008年に駅弁事業から撤退した。
また糸魚川駅の「たかせ」の廃業は2013年というから、ついこの間まで営業していた。かの駅弁女王・小林しのぶさんも「消えた駅弁」シリーズで紹介している。https://mine.place/page/2976f32b-e748-461d-a00a-a35a85e03f75
こちらの二社は、北陸新幹線に開業を前に撤退・廃業ということではあるが、鉄道のスピード化が少なからず影響しているのではないだろうか?(「日本海浜やきめし」がセンチュリーイカヤ、「田舎ずし」がたかせ。)



上の写真は、峠越えの秘境にあった幻の駅弁。妙高高原駅「石田屋」の「笹寿司」と、磐越西線・日出谷駅の「朝陽館」の「とりめし」だ。妙高高原駅は観光地の玄関口として、日出谷駅は鉄道の要所として繁栄した。
石田屋は、駅弁の製造販売のほかに、駅前で土産物店を営んでいたが、鉄道を利用する観光客が激減。2011年、北陸新幹線の開業を待たずして駅弁撤退、土産物店自体も閉店した。
日出谷のとりめしは、かなり古くから駅前旅館の朝陽館が調製。SLばんえつ物語号の運行で一時立売復活、大人気の駅弁となったが、一人で切り盛りしていた店主が高齢化と体調不良により製造販売をやめたという経緯がある。無人駅となった日出谷駅のホームで、一人列車の到着を待つご主人・古沢さんの姿を思い出す。



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