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何も考えずに、でも何かを求めて、鉄道の旅を続けています。今夜もmoonligh-expressが発車の時間を迎えます。

通船川は、「水の都・新潟」を作り上げた歴史そのものだ

2025年04月11日 | 土木構造物・土木遺産


亀田郷(改良区)、鳥屋野潟、そして栗ノ木川と新潟市内の低地帯と輪中の話をしてきたが、最後にその輪中の北側に位置する「通船(つうせん)川」について触れておきたい。現在、土地改良事業とは関係は深くないものの、市街地の浸水対策のほか、新潟の水上インフラや産業に大きくかかわりのある川なのである。
まず、この川は前回触れたとおり旧阿賀野川であった。現在の阿賀野川河口は、松ヶ崎(上の絵図の丸印の部分)の開削により直接日本海へ注ぐことになったが、それまでは大きく蛇行し新潟港(現在の新潟西港)で信濃川と合流していた。その名残が通船川である。(写真上:昔の空撮写真を見ても、赤マーカーの通船川には川筋は大河である旧阿賀野川の流れが見えてくる。その下の図は「土木学会関東支部新潟会」の資料から。)
この通船川は、栗ノ木川同様、阿賀野川・信濃川の水位より2メートル以上低くなっていて、鳥屋野川同様に市街地の浸水を防ぐ役割を担っている。つまり、下流にはなっている信濃川には自然の力では排水されないため、「山の下閘門排水機場」が栗ノ木川の排水を含めて新旧2か所で4台のポンプにより排水を行っている。(写真下:新排水機場にある管理棟と県発行のパンフレットの施設写真)



山の下排水機場(旧)は1967年運転開始、3台のポンプで21㎥/秒を。新排水機場は1988年供用開始で、1台のポンプでありながら30㎥/秒を排水することができる。つまり、新旧で51㎥/秒となって非常時には親松排水機場に匹敵する威力を発揮することができる。(新旧ともに新潟県管理。)
そして、この排水機場には名前のとおり「閘門」がある。というのも、通船川の川筋には木材加工工場や製紙・パルプ工場が多い。かつて新潟西港は船で輸送される外材の保管場所であり、その木材を筏(いかだ)曳航して各工場に運んでいた。そのため水位の違う通船川には大型閘室を持つ閘門が必要だったのである。(国内最後と言われた筏曳航の光景は、2021年をもって見られなくなった。)
この山の下閘門は全長が102.3メートル(幅14メートルから22メートル)、これは「淀川ゲートウェイ(淀川大堰閘門・大阪市)」や「尼ロック(尼崎閘門・尼崎市)」をも上回る国内最大規模と言っていいのでは?(完全に調べ切れていませんが!)しかも、回転式・観音開きのセクターゲート方式の閘門扉は国内でも珍しいという。見どころ満載の貴重な施設だ。(写真下:山の下閘門の閘室とセクターゲート)



また、通船川には上流部(阿賀野川との分水点)にも閘門がある。「津島屋閘門排水機場(県管理、写真下)」だ。非常時に山の下排水機場を補完し、通船川から阿賀野川への排水(4.9㎥/秒)を行う。(流入調整は「通船川水門(国土交通省設置・県業務受託、写真下)」より行う。竹尾揚水機場と同様、常には水質を保つために僅かに水を取り入れていて、阿賀野川増水時には閉門する。)
その名のとおり通船川は、上流(阿賀野川)と下流(信濃川)に2つの閘門を持つ船の通り道として新潟平野を作った二つの大河を結ぶとともに、鳥屋野潟や栗ノ木川とともに海抜ゼロメートル以下の新潟市街地を浸水被害から守るという、地味ではあるが、重要な役目も担っている。
新潟市とその周辺の平野は低地であることから水害や地盤沈下など悩まされる部分も多い。しかし、二つの大河により砂丘地と川湊が形成された歴史の中で、放水路開削や河川整備という治水にかかわる土木技術の向上、農業振興や土地改良事業の進化、港湾整備による産業振興や交通インフラ整備など、川や水と戦いながら知恵を絞ってきた先人がいたからこそ「水の都・新潟」の今があるのだ。






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