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佐野氏が見てきただろう、新潟・「栗ノ木川」物語

2025年04月07日 | 土木構造物・土木遺産



さて、新潟市の低湿地であった亀田郷(新潟市江南区)を紹介しているが、この中で一番低い場所は鳥屋野潟となったわけだが、この湖沼を含む輪中内の排水を担っていたのが「栗ノ木川」という排水路である。(写真上:新潟市東区紫竹山付近と栗の木川と東区沼垂東の新栗ノ木川、航空写真は現代のものと1945年頃の川の様子、赤が旧栗ノ木川、青が新栗ノ木川。)
この川は砂丘地をくり抜いて開削した川であることから「くりのきがわ」と言われたという説があるが、実際いつ掘られたのかは不明。輪中の南北を流れ、地域内の排水(一部用水としても利用)を一手に集め、新潟西港万代島埠頭を経て河口近くで信濃川と合流する。(現在は、農地整備により、亀田郷土地改良区の各排水機場や鳥屋野潟に直接流れ込むものもある。)
先に触れたとおり、この排水を容易にし、合わせて市街地や農地の浸水を防ぐために1948年に建設されたのが「旧栗ノ木川排水機場(写真下)」である。鳥屋野川の東端、現在は新々バイパスの紫竹山インター付近にあって、排水機場から下流の旧栗ノ木川は、市街地と均衡を結ぶ重要路線である国道7号(その他8号、49号などとの重複区間)の「栗ノ木バイパス」となっている。



この栗ノ木川排水機場は、近代農業土木の原点となった施設であるということから、その遺構は少し荒れているものの保存されている。単に湿原から美田を作ったというだけでなく、新潟市や亀田郷の水位の変化、地盤の変化、そしてこれまで触れてきた歴史などを伝えるものとしての価値は大きい。
この排水機場は地下水や天然ガスのくみ上げにより地盤沈下を引き起こし、1964年(昭和39年)の新潟地震により機能が著しいく低下し、親松排水機場にその役目を譲ることになった。この旧排水機場の保存に際しては、一部陥没していたものを掘り起こしたそうである。
旧排水機場の水門には、鳥屋野潟や信濃川など各地点の水位を示すパネルが設置されていて、この地がいかに低地にあるかを示してくれる。また右岸側には朽ち果てているものの閘門(写真下、=水位の違う河川で船を通す場所→「扇橋閘門」記事参照)の跡がしっかりと残っていて、水運にも利用されていた川であることが分かる。



国道の栗ノ木バイパスの路線上(紫竹山インターから万代島埠頭間)には、上流から紫雲橋、笹越橋、栗ノ木橋、万国橋などの地名(交差点)があるが、これはかつての栗ノ木川に架かる橋の名前を取ったものである。さらに栗ノ木バイパスは一部で高架化工事が行われていて、舟運時代から変わらず交通の要所となっている。
栗ノ木川は、笹越橋から「新栗ノ木川」が開削され、「山の下閘門排水機場」付近で、旧阿賀野川でもある「通船川」と合流する。この新栗ノ木川も低地にあり流れがほとんどないことから、旧栗ノ木川排水機場付近には「竹尾揚水機場」があって、水質の浄化・汚染緩和といった新旧の違う役割を担っている。
前述のカリスマ・佐野藤三郎氏は、この旧栗の木川排水機場の役割を目の当たりにして、各種土地改良事業や都市整備を発案したであろうが、その傍らには中国・三江高原の開発の際、佐野の右腕として活躍した奥村俊二氏が二代目社長を務めた「信越測量設計」の社屋があるのも何かの因縁のように思える(写真下:案内看板から旧栗ノ木川排水機場を挟んで対岸に信越測量社屋が見える)。


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