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寄居北条まつりと佐々紅華 寄居町
寄居町にある「玉淀河原」の「玉淀」とは、「玉のように美しい水の淀み(よどみ)」という意味だ。
「玉淀河原」は、戦国期の平山城で、関東屈指の名城といわれた「鉢形城」の本丸下にある荒川の河原。明治の小説家・田山花袋がその景観を絶賛したことで知られる。「ひらやまじろ」と読み、平地にある丘陵を利用して作った城である。
「鉢形城」は1590(天正18)年、豊臣秀吉の小田原攻めの際、前田利家を総大将とする上杉景勝、真田昌幸らの豊臣勢3万5千に包囲された。城に籠もった城主・北條氏邦はわずか3500の兵力で1か月持ちこたえた後、開城した。
この戦いを再現する「寄居北条まつり」は13年5月12日、第52回を迎えた。
この籠城戦に加わった北條家の遺臣の子孫らが供養祭をしたのが始まり。武者のパレードや合戦が始まったのは30年前からという。
五月晴れに恵まれたこの日、当時の武者姿に扮した約500人が、市街地をパレードした後、両軍に分かれ、河原で轟音とともに大筒(大砲)を交えた攻防戦(写真)や、大将同士や武者同士の一騎打ちを展開した。
北条ゆかりの小田原、相模原、八王子市などから甲冑隊の“援軍”に加え、地元の外人部隊や小学生の幟もあり、女性武者の姿もちらほら。
会場には「北條五代を大河ドラマに」という幟も見られた。
♪ 宵闇せまれば悩みは涯(はて)なし みだれる心にうつるは誰が影 ♪
(作詞 時雨音羽)
低音歌手フランク永井がリバイバルさせた「君恋し」が、ジャズと日本情緒を融合させた寄居ゆかりの作曲家・佐々紅華(さっさ・こうか)がつくったことを知る者は、年々少なくなってきた。
1961年の第3回レコード大賞を受けたこの曲は、1929年にジャズ歌手で、レコード歌手第一号と言われた二村定一が歌ってヒットさせたものだった。
河原に至る道筋に、紅華の別荘跡の割烹旅館「京亭」がある。一度訪ねてみたいと思っていたところだ。運よくこの日、「第2回佐々紅華展」と「君恋し音楽会」が開かれていて、一石二鳥の喜びだった。
紅華は1886年、東京根岸生まれ。蔵前工業高校(現・東京工大)の工業図案科を卒業した。
小学生の頃から音楽好きで、オーケストラでピアノ、一流の芸者の前で三味線を弾くといったたいへんな器用人。浅草オペラに入り、浅草オペレッタの創始者の一人になった。
二村とは浅草オペラで知り合い、二村が「君恋し」を歌うのは当然の成り行きだった。
このほか、昭和初期に作曲した「祇園小唄」や「浪花小唄」「唐人お吉小唄」(いずれも歌は藤本二三吉)などが大流行した。
♪ 月はおぼろに東山 霞(かす)む夜毎(よごと)のかがり火に ♪
と始まる「祇園小唄」」は、それこそ一世を風靡した。
夫人のいゑさんが寄居の出身。紅華は玉淀河原に臨むこの地が気に入って、自分が設計した見事な数寄屋造りの高級料理旅館を「京亭」と名づけて、夫人に経営させ、1932年から亡くなる61年まで住んだ。
「京亭」の建築費は、1930年に時雨音羽と共に、日本ビクターから日本コロンビアに移籍した際の契約金でまかなわれた。
「京亭」の中では、紅華の愛用のピアノが70年ぶりに公開展示された。18世紀創業の英国最古のピアノメーカーのもので、同社のピアノはベートーベンらも愛用したものだという。
12日は、「京亭」の美しい庭園で、声楽家、女性ジャズボーカル、女性邦楽ユニットによる「君恋し」が披露されて、昔をしのんだ。
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