ださいたま 埼玉 彩の国  エッセイ 

埼玉県について新聞、本、雑誌、インターネット、TVで得た情報に基づきできるだけ現場を歩いて書くエッセー風百科事典

世界一長い桜回廊づくり さいたま市

2012年04月17日 17時35分13秒 | 盆栽・桜・花・木・緑・動物



「さいたま市報」13年4月号に、清水勇人市長のコラム「絆をつなぐ」に「日本一の桜回廊づくり」と題する原稿が掲載された。

「桜はさいたま市の花木で、見沼代用水西縁・東縁(べり)の桜並木は見事。平成25年度から両用水を桜並木で結び、5年程度で延長20kmを超す『日本一の桜回廊』をつくる運動を実施しよう」というのである。

「見沼田んぼを歩く『さいたマーチ』とも連動させ、政令指定都市移行10周年を機に始める運動に参加してほしい」とある。

市見沼田圃政策推進室によれば、桜並木はすでに西縁に11.1km(993本)、東縁に6.3km(693本)、通船堀に0.8km(127本)植わっており、総延長は18.2km(1813本)。(用水は、利根川から水を引き、綾瀬川と交差する上尾市瓦葺で東西に分かれる)

 

東武アーバンパークライン七里駅からほど近い代用水沿いの締切橋から丼橋にかけての桜並木約1kmは「平成桜」と呼ばれる。平成元年の1989年から有志の呼びかけで植樹された。


青森県弘前市の岩木山南麓に約20kmオオヤマザクラが植わっていて、「世界一の桜並木」と誇っているというから、距離で追い越すならあと2km(200本)植えればよい。

市長の提唱を受けて、さいたま市、市民団体、事業者など33団体からなる実行委員会が立ち上がり、「目指せ日本一! サクラサク見沼田んぼプロジェクト」というキャッチフレーズも決まった。

見沼代用水土地改良区、さいたま市造園業協会、大宮アルディージャ、武蔵野銀行なども参加している。

桜で日本一なら世界一と同じだから、弘前同様「世界一」を名乗ったらどうか。安直な発想ながら、ギネス登録を狙う手もある。

そのプロジェクの植樹祭が14年3月29日朝、見沼区の七里公園の西北端、遊具広場であった。さいたま記念病院の前と言った方が分かりやすいだろう。この日は、「第2回さいたマーチ~見沼ツーデーウォーク~」の初日で、式場の隣には中継所が設けられていた。

広場に隣接する病院寄りの県所有の空き地に、雅(みやび)、江戸彼岸、寒緋桜、山桜、大島桜の7,8年ものが40本植えられていて、式は土をかけるだけ。ここから西縁に移植されるのではなく、「サクラの杜」として残されるという。
新しいサクラの名所になるだろう。

市長がさいたま大使と一緒に土をかけた皇太子妃・雅子さまゆかりの雅には、小さいながら花がいくつかついていたから、桜林になるのもそれほど遠いことではあるまい。(写真)

今回のプロジェクトでは、浦和区の大原中学校付近から大宮区の大宮第3公園付近まで、桜並木が途切れている見沼代用水西縁を重点整備区間として、植樹が予定されている。

一般の寄付も大歓迎で、個人なら5百円以上、企業なら5千円以上、自分のネームプレートをつけるなら5万円。さいたま市公園緑地協会で受け付けている。

日本一を目指す桜回廊には、開花時期を長く楽しめるよう、エドヒガンザクラ、ミヤビザクラ、ヤマザクラなど8種の桜165本を植え、17年3月には、既存の桜から2km長い20.2kmと青森県弘前市の岩木山の桜並木を超した。

ところが、岐阜県各務原市に総延長31kmの桜回廊があり、日本一を称していることが分かり、「実際に桜並木の下を歩ける桜回廊では日本一」とPRすることにしたという。(日経新聞)


「桜の園」 さいたま市 大宮公園 その3止

2012年04月15日 16時27分46秒 | 盆栽・桜・花・木・緑・動物



さいたま市の桜を語るなら、ソメイヨシノがほとんどだが、約千本のサクラがある「大宮公園」から始めるのが当然だろう。日本さくらの会の「日本さくら名所百選」にも選ばれているのだから。しだれ桜は樹齢120年のもあるとか。

旧浦和市の住民なので、近所から回っただけで、旧大宮市のこの有名な公園が最後になったのには他意はない。

ここは何度訪ねたか分からない。満開の花見に来たのは、今度が初めてだった。

満開時なら、その豪華さはソメイヨシノの右に出るものはない。なにしろクローンなので一斉に咲くのだから。私がソメイヨシノに抱いている偏見は、満開のソメイヨシノをあまり見ていなかったせいかもしれない。さすがに素晴らしかった。(写真はボート池付近)

この公園は、そこらの公園とは違う。大宮駅の開業とともに1885(明治18)年開園だから、すでに130年近い。氷川神社の裏にあるので、当時は「氷川公園」と呼ばれた。

夏にはホタルが飛び、秋にはハギやススキが茂り、虫がすだく。武蔵野の面影の濃いアカマツの雑木林で、東京から30分の風流な奥座敷だった。それに魅かれて、正岡子規、夏目漱石、樋口一葉、永井荷風、国木田独歩、森鴎外、正宗白鳥、与謝野鉄幹らの文人も訪れている。

日本初の林学博士で造園学者、日本の都市公園第一号の日比谷公園などを設計(明治34=1901年)した埼玉県菖蒲町生まれの本多静六が大正10(1921)年、現在の公園の骨格を定めた「氷川公園改良計画案」を作成した。

大正末期ごろからサクラが積極的に植えられた。「サクラとアカマツの風景」が売り物だったのに、1964(昭和39)年の台風で、120本のアカマツが倒れ、代わりにクロマツが植えられた。アカマツには百年を超すものもある。

そのクロマツにもサクラにも衰えが見えてきたので、120周年を契機に、公園では2005年から「大宮公園桜守ボランティア」の協力を得て、「サクラ活性化対策」を始めた。

密生しすぎて 日当たりが悪いきらいがあるので、思い切って伐採したり、サクラの根元の土壌改良作業が進められている。

ソメイヨシノの寿命は短いとされるものの、弘前城のサクラのように手入れが良ければ長持ちすることが分かっているので、楽しみだ。マツも770本あるとか。

サクラだけではない。大宮公園の一角にある野球場では、立替前の球場の竣工試合では、日米親善野球第17戦があった。ベーブルースやルー・ゲーリックなどが10本もの本塁打。23対5で全日本に圧勝したものの、当時北海道旭川中学4年のスタルヒンが8回裏に登板、零封した。

スタルヒンの名はよく覚えている。昔の野球ファンには懐かしい話だ。

1953(昭和28)年の高校野球南関東大会で熊谷高との試合で、佐倉一高の長嶋茂雄がバックスクリーンに特大のホームランを放ったのもこの球場だ。

スタルヒンも長島もこの球場から育っていったのだ。

NACK5スタジアム大宮は、日本初のサッカー専用球場として1960年に誕生し、64年の東京五輪のサッカー会場となった。

この原稿は、ほとんど公園事務所でもらった資料に基づいている。感謝したい。

 


「桜の園」 旧浦和市  戸田市 その2

2012年04月13日 17時41分19秒 | 盆栽・桜・花・木・緑・動物
「桜の園」 旧浦和市 戸田市 その2

JR武蔵浦和駅近くから、花を眺めながら、荒川の洪水調整池の「彩湖」に向かうには、荒川に流れ込む「笹目川」沿いの遊歩道がお薦めだ。南区の白幡沼を水源としている。

数は少ないけれど、冬鳥が飛来するこの沼の西縁は、遊歩道になっていて、短いけれど新しい桜の名所。(写真)12年はいく夜か、ちょうちんも掲げられた。埼京線とほぼ並行に流れる「笹目川」の両岸の桜もようやく大きくなって、見事な並木になった。

戸田市側の遊歩道は「自然と彫刻のプロムナード」という名前で、素晴らしい散歩道になっている。

川口競艇場のところで、荒川と合流する。その少し手前で、「荒川左岸排水路」が流入する。

荒川と並行して北西に連なる、この排水路の両岸には1978年、2kmにわたってソメイヨシノが約530本植えられた。それが立派に成長して、満開時には両岸から排水路を覆うばかりの勢い。昔の地名「美笹村」にちなんで、「美笹の桜」と呼ばれる。

こんな立派な桜が咲いているのに、「排水路という名ではかわいそう」と、05年には、住民からの発意で「さくら川」と名づけられた。

「桜の名所を作るにはざっと30年かければすむのだ」と教えてくれる場所である。

両岸は車道なので、車の通行に気を使う必要はあるものの、笹目神社近くでは川辺が「親水性遊歩道」になっているところもある。上流に水路上にかけられたコンクリートの広場も2か所あって、格好のお花見会場になっている。

荒川の高い堤防の陰になっているせいもあり、近所の住民や戸田市民にしか、あまり知られていない。隠れた花見場所である。

笹目川とさくら川をめぐるこのルートは、毎年、私の花見のお決まりコースだ。

「東京外郭環状道路」を短いトンネルでくぐったら、「彩湖」に出てみよう。「彩湖」は、まだ認識が足りないようだが、埼玉県の偉大な観光資源である。歩くのは大変なら、自転車で走ってみたらよく分かる。

堤防を越えれば、西側に広大な「彩湖・道満グリーンパーク」がある。ここには、古い荒川の面影が残る「道満河岸つり場」がある。

ヘラ鮒釣りで太公望に人気の場所。釣りが趣味でなくても、「こんな所でゆっくり時間が過ごせたら」と思う。昔、本当の河岸だったという。桜もなかなかいける。

彩湖沿いに北上すると、再びさいたま市だ。JR武蔵野線をくぐったら、秋ケ瀬橋近くの「さくら草公園」である。


 わが国は草も桜を咲きにけり 一茶

毎年、見に来るのはこの句のためだ。

「田島ケ原サクラソウ自生地」で、名に魅かれて初めて来ると、ガッカリすること請け合いだ。

トウダイグサのあいだにちょびちょび咲いているように見えるだけだから。だが、何度か来ていると、こんな小さな花が「よくぞ今年も咲いたな」と、いとおしくなる。不思議な花だ。一茶に習って、「草」というべきなのだろうか。

ちょびちょびと言っても、百万株はあるというのだから驚き。

寒冬異変のせいで、例年なら桜のほうが早いのに、この日は、草と一緒に満開だった。ここの桜は実に素晴らしい。弁当を持ってくるならこの河川敷で開きたい。

秋ケ瀬公園を北上すると、桜の下でどうしてもバーベキューを楽しみたい人には、格好の施設もある。

戸田市の首都高速5号線の笹目橋から、さいたま市桜区の所沢に向かう羽根倉橋まで、この河川敷はまさしく荒川の恵みである。

鴨川堤桜通り公園には、堤下に770本余りの桜並木が続く。車道が堤上にあるので、自転車で走れば、目の前で満開の花と対面できる。この公園には里桜も植えてあるので、二度花見が楽しめる。

秋ケ瀬橋近くでJR中浦和駅へ向かう道をとれば、鵠沼排水路(鵠沼川)沿いの「秋ケ瀬緑道」。立派な遊歩道で2.2km。ここも桜並木が続く。

ここまで来ると、目も頭も”桜酔い”で、本当の酔いを求めたくなる。さいたま市の花見2日目はこうして終わった。












「桜の園」 さいたま市 その1

2012年04月11日 16時53分36秒 | 盆栽・桜・花・木・緑・動物
「桜の園」 さいたま市 その1

4月9日から11日まで、2012年の3日間。埼玉県の“桜きち”にとって最高の日々だった。

前日の強烈な春の嵐と打って変わって、20度超と初夏のような陽気に恵まれ桜が一斉に満開になったからである。

桜狂いだから、全国の有名な桜はたくさん見てきた。しかし、満開の桜を見たのは数えるほどしかない。

この日々の当地の桜は、本当の満開だった。

満開とは何か。七分咲き、八分咲き、いろいろな表現はある。私には、その細かな違いは分からない。

だが、満開は違うのである。感性に訴える何かがある。

この3日間、ほとんど風がなかった。満開の花が、ゆらぎなく咲き誇っているのに、なぜか花びらは落ちない。この自然界の微妙な静かな均衡が満開なのだろう。それに、素面ながら酔いしれた。

もし落ちている花があれば、それはムクドリなどが蜜を吸いたさに花びらの下を食いちぎったのだと、最近知った。

その至福の時間が極めて限られているのを知っているだけに、いっそう、いとおしい。花期の短いソメイヨシノならなおさらのことだ。

「花の命が短い」ことを自ら知っているから、あれほど豪華に咲くのだろう。ボッテリといつまで咲く八重桜との違いだ。

この3日間、ママチャリにまたがり、朝から夕までさいたま市の桜を求めて、ゆっくりとこぎ回った。

長い経験からさいたま市が大変な「桜の園」であることを知り尽くしているからだ。

浦和、大宮、与野の3市に岩槻市が加わり広い政令都市になったので、自転車でも全部は回りきれない。そこで今回は、旧浦和市の浦和、桜、南、大宮区と、南区の南隣の戸田市の荒川の貯水池「彩湖」の周辺に限った。

この時期、どこも桜が埋め尽くしているので、とても回りきれないからである。

どこから始めよう。やはり、旧浦和市の中心にある古刹「玉蔵院」に敬意を表すべきだろう。真言宗豊山派に属し、関東真言宗の代表寺院だった。

この寺の枝垂桜は例年、ソメイヨシノより早く咲く。ここの桜が咲いて、浦和市民はいつも、春の到来を知ってきた。毎年、カメラを手に多くの風流の士が詰めかける。

12年の長く厳しい冬は、その生理さえ狂わせた。一緒に咲いたのである(写真)。

いつも不思議に思うのは、桜にはいろんな名前がついているのに、枝垂桜には「紅枝垂桜」など、平凡な名前しかないのが気にかかる。

写真のとおり、ここのは白のシダレである(写真)。

次は当然、近くの「調(つきのみや)神社」である。「つき(槻)」の名のとおり、ケヤキの大木の林立する延喜式の古社。数はそれほど多くはないものの桜の名所である。

次は「別所沼公園」。それほど広くないとはいえ旧浦和市一の公園だ。かつてウナギが取れて、浦和宿の客に食わせたという、その池沿いには中国原産のメタセコイアが林立している。ここの桜も手近で、人でにぎわう。

この伝統の「3点セット」を離れて、埼京線武蔵浦和駅に向かって、「花と緑の遊歩道」をたどろう。「浦和西南桜」と呼ばれる桜の名所だ。今でも記念碑が残る。排水路を暗渠にしたものだ。

この4か所でほんのちょっぴりだ。先を急ごう。


桜区の花見 さいたま市

2012年04月11日 16時52分36秒 | 盆栽・桜・花・木・緑・動物

桜区の花見 さいたま市

さいたま市には、「桜区」という区がある。木の桜ではなく、草のさくら、つまり荒川の河川敷に国の特別天然記念物「さくら草」が自生していることに由来する。区の最南端に「さくら草公園」があり、さくら草は市の花に指定されている。

ところでこの桜区は、桜の並木が多いところだ。桜区は市の南西部に位置し、荒川の長く広大な河川敷も区域に入る。南北には荒川堤上に「荒川サイクリングコース」があり、鴨川が流れる。東西にも小さな川がいくつかあり、水と緑に恵まれている。

桜の並木でとりわけ素晴らしいのは、埼玉県大久保浄水場に接した「荒川総合運動公園通り」(約1km)の川沿いの桜並木だろう。河川敷内の運動公園に通ずる道だ。市の西端で交通が不便なことから市民でも知らない人が多いが、満開の染井吉野を一目見ると、決まって感嘆の声を上げる。(写真)

この通りは散歩道も整備された親水公園になっていて、染井吉野の反対側に、まだそれほど大きくはないものの、紅しだれが並び、紅白の見事なコントラストをなしている。

鴨川沿いには「鴨川堤桜通り公園」の約770本の桜が約2kmにわたって連なる。ここには染井吉野以外の桜も植えられていて、遅咲きの里桜も楽しめる。埼京線中浦和駅近くから荒川に向かう鴻沼川沿いの約2kmの「秋ヶ瀬緑道」の桜並木も素晴らしい。これらを全部見ようとすると、徒歩では時間がかかり過ぎるので、自転車が必要になる。

この公園の南側にさいたま市桜環境センターの「余熱体験施設」ができ、ジム、大浴場、露天風呂、ウォーキングプールなどがあり、食事もできる。

鴨川堤からは田んぼや堤でセリや野ビルを摘む人の姿も見られ、雲雀が舞い上がる。荒川の堤に立てば、遠く満開の桜が散見された。
花見帰りに一風呂も可能だ。


桜区役所を訪ねると、中庭や周りに染井吉野を中心に11種の桜が植わっている。染井吉野の時期に「十月桜」が咲いているので、よく表示を読むと、「4月頃にも咲く」と書いてあって、納得した。

枝が天に向かってまっすぐ伸び、花も上向きに咲く「天の川」、オシベが変形し旗のように見える「旗桜」、花が淡黄緑色の「鬱金(うこん)」、皇太子妃にちなんだ「雅(みやび)」などもあり、名札がついているので勉強になる。


円乗院のしだれ桜  さいたま市中央区

2012年04月10日 14時40分05秒 | 盆栽・桜・花・木・緑・動物
円乗院のしだれ桜 さいたま市中央区

この時期、桜キチは極めて忙しい。花を見に東奔西走するからだ。さいたま市に籠ったのだから、今年はさいたま市中の桜を見てみたい。

新聞に中央区本町の「円乗院」の満開の桜が掲載されていたので、気温が22度にもなった11年4月6日、ママチャリに乗って出かけた。中央区というとなじみがないが、旧与野市のことである。

合併で浦和、大宮は区の名として残ったのに、与野市だけはこのような「いかにも合併しました」という代わり映えのしない名に変わった。

昔から神社仏閣には興味があるので、この寺には、何度も出かけたのに、花の時期に出かけたことはない。バラで有名な与野公園に隣接した古刹である。

寺の桜といえば、浦和区の中心部で、埼玉会館や県立図書館に近い「玉蔵院」のしだれ桜が親しまれており、「浦和の桜は玉蔵院の開花から始まる」と言われるほどだ。

初めて見る円乗院の桜は、玉蔵院をしのぐ素晴らしさだった。市の天然記念物で、名は「千代桜」、江戸時代中期に植えられ、樹齢約300年と掲示板にある。エドヒガンの変種で、樹高5.3m。しだれ桜である。

もっとすごいのは、後ろに立つ多宝塔である。高さ30m、間口7.5m。日本三大塔の一つだという。桜の写真だけを撮っていたのを、多宝塔をバックにしたのに切り替えた。(写真)

高野山金剛峰寺、根来寺の多宝塔に次ぐというから驚く。多宝塔とは、写真のように上層が円形、下層が方形の二重の塔だと、調べてみて初めて分かった。内部に釈迦の像などを安置する。

隣の与野公園は、染井吉野が満開で、まだ学校が始まっていないのか子供づれでにぎわっていた。桜には、染井吉野のように群れをなして咲き、迫力で迫る「群桜」と「千代桜」のような「孤桜」があるが、与野では双方が隣り合っているわけだ。

与野公園は中央区の象徴みたいな場所で、5月にはバラまつりが開かれ、また多くの人でにぎわう。







桜の「雅(みやび)」 さいたま市見沼

2012年04月09日 17時35分17秒 | 盆栽・桜・花・木・緑・動物
桜の「雅(みやび)」 さいたま市見沼

10年4月3日の土曜日、いつもの仲間とさいたま市見沼の花見に出かけた。東京の都心部からほぼ20km北にあるさいたま市の桜も満開に近づいていた。

首都圏ではみられない広大な見沼には芝川を真ん中に、西側に「見沼代用水西縁」と東側の「見沼代用水東縁」の2本の用水路と合わせて、計3本の水路がある。

この時期、桜と言えばもちろん「染井吉野」である。300種を越す桜の品種の中で最も豪華で華やかな染井吉野が、この川沿いの道にそれぞれ延々5km以上も連なっているのだから壮観というほかない。これまではママチャリで走っていたのを今度は初めて歩いてみた。

朝9時、武蔵野線東浦和駅前に集合、西縁沿いに北上した。東縁、芝川沿いの桜を愛でながら南下、午後4時過ぎ駅前に帰り着いた。

「今日は3万歩」と歩数計を持った女性。歩幅は、身長から100cmを引いたら分かると言われる。その女性が150余cmだとすると歩幅は50余cm、これに3万歩を掛けると、ざっと15km歩いた計算。

数多くの桜の名所を訪ねたが、吉野山を除き、これほど長距離の花見をしたことはない。もちろん吉野は山桜で、染井ではない。「こんな素晴らしい所が地元にあるのになぜ都心の混雑の桜を見に行くの」と語り合いながら歩いた。

最大の収穫は、ところどころ畑の中に咲いていた濃紅色の桜だった。(写真) 親のオオシマザクラの血をひいて白色系の染井吉野の中で、強烈なアクセントをつけている。「桃の花かな」と近づいてみると、どう見ても桜である。

初めてなので、帰りに訪ねた古刹で野菜などを売っている女性に尋ねると、「雅と書いて ”みやび”、雅子さまご成婚記念の桜」だとのこと。

帰ってインターネットなどで調べると、「さいたま市大崎の見沼田んぼの畑で発見され、接木で増殖、1993年のご成婚を記念して、プリンセスミヤビ桜(雅桜)と命名」。「耐寒性が強く、一重で濃紅色。カンヒザクラの交雑種らしく、小さな花が下向きにたくさん咲く」とあった。

「全国で栽培可能」とも。人気の桜のようなのだ。その名のとおり、この優雅な桜の普及と雅子さまの完全なご回復をお祈りしたい。