ださいたま 埼玉 彩の国  エッセイ 

埼玉県について新聞、本、雑誌、インターネット、TVで得た情報に基づきできるだけ現場を歩いて書くエッセー風百科事典

銭湯の「富士山のペンキ絵」描き さいたま市

2017年10月29日 18時41分02秒 | 文化・美術・文学・音楽



よく出かける近くの「鹿島湯」で、「17年10月28日の土曜日午後、お風呂は休業にして、男湯の浴室の奥の壁に”世界で唯一の女性銭湯絵師 ”が富士山を描くのを公開する」というので、出かけてみた。富士山のペンキ絵は15年ぶりの復活という。女湯の方からも富士山は見られるようになっていて、女湯の方には埼玉県で一番高い武甲山も描かれている。男湯は3つに分かれていて、泡風呂が売り物だ。

県庁に近いこの湯は、1986年12月の開業当時「鹿島台」と呼ばれていたのでこの名がついた。井戸水を薪で沸かす昔ながらのお風呂やが売り物。毎月26日の「ふろの日」には、客にプレゼントを渡す。石鹸をもらって驚いたこともある。

入口の右手の駐車場にテントが張られ、缶ビールやお酒、焼き鳥も売っていて、浴場の着替えの間は子ども連れなどでいっぱいだった。子供のお絵かきもあるからだ。

NHKworldで海外に放送(日本ではインターネットだけ)されるとかで、女性スタッフの姿もあった。

着いた時には、男湯の富士山の絵描きは終わっていて、あわてて撮ったのがこの写真。水色のペンキで下絵を描き、その上にカラーをつける。空などはローラーを使って一気に塗るとかで、仕上がりまで3時間足らずで済んだようだ。

女性絵師は、田中みずきさんという若い長身の美人だった(写真右)。1983年生まれとあるから、まだ30代半ばである。

インターネットで「銭湯 絵師」を引いてみると、色々のことが書いてあって、それを総合すると・・・

日本で銭湯絵師として現役で活躍しているのは、現在たった3人しかいない。その中の一人が田中さんである。筑波大学付属高校を出て、明治学院大学で美術史を学んでいた3年の時(03年)、銭湯の絵と初めて出会って魅せられ、卒論のテーマに決めた。

始めてローラー使いを考案したベテラン銭湯絵師中島盛夫さん(1945年生まれ)に弟子入り、9年修行して13年に独立した。中島さんは「現代の名工」にも選ばれている。

田中さんは銭湯のペンキ絵はもちろん、個人宅のお風呂、旅館の風呂の壁なども手がけている。

もう一人忘れてならない銭湯絵師の長老は丸山清人さん(1935年生まれ)。1万点以上の銭湯絵を描いてきた。もちろん富士山だけではない。

35年間で全国の銭湯3000件以上を回った銭湯研究家・町田忍さんが書いたシリーズ・ニッポン再発見2の「銭湯」(ミネルヴァ書房、2016年発行)にも「最盛期に数十人いた絵師も、現在職業としている人は全国に二人となってしまった」とあり、中島、丸山さんの二人の名前が出ているから、この30半ばと70代、80代の3人が日本の銭湯絵師の全てなのだろう。

富士山の新しいペンキ絵の下で泡風呂につかれるのが楽しみだ。1970年代に流行った南こうせつの「神田川」を口ずさみながら。あの頃は筆者も若かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


梅雨空に「九条守れ」の女性デモ  さいたま市

2017年10月23日 11時47分05秒 | 文化・美術・文学・音楽


何の変哲もない俳句のように見えるが、14年6月に詠まれたこの句の「公民館だより」への掲載をめぐってさいたま市と作者の女性(77)と支援する市民有志の双方が、さいたま地裁に続いて、東京高裁さらに最高裁で争い、最高裁は18年12月下旬、「不掲載の違法性を認める一方で、掲載は命じない」という女性側を支持する判断を下した。

これを受けて市の細田真由美教育長は「義務はないとしても作者の気持ちに配慮する」と19年2月1日発行の「公民館便り」に掲載した。

各新聞の報道を読むと、さいたま市大宮区の三橋公民館には句会があった。句会が選出した秀句は3年8か月にわたり、毎月、この公民館が発行する公民館だよりに掲載されていた。

この句を選出したところ、公民館は「世論を二分する題材を扱っている」「公民館の考えであると誤解を招く」と掲載を拒否し、公民館便りの俳句コーナーも閉鎖した。

女性側は、不掲載の撤回を求める請願をしたものの、市側は「公平・中立であるべき」と掲載拒否を続けたため、女性は1年後の15年6月、市を相手取りさいたま地裁に、「表現の自由を保障した憲法21条などに違反する」「掲載を期待する権利を侵害された」などとして、その掲載と慰謝料200万円余の支払いを求めた国家賠償請求訴訟を起こした。

口頭弁論は、同年9月から始まり、原告側は、表現の自由だけでなく、憲法と主に成人に対する教育活動について定めた社会教育法を根拠に、句会の活動と、成果を発表する場である掲載が、行政によって阻害されたと主張した。

市側は「公民館だよりは公民館側に発行、編集の権限がある」と請求棄却を求めていた。

さいたま地裁は17年10月13日、「思想や信条を理由に俳句を掲載しないという不公正な取り扱いをしたのは国家賠償法上、違反」として、市に5万円の賠償を命じた。

不掲載が発覚してから3年4か月、提訴以来2年4か月経っていた。

裁判長は俳句には句会や作者の名が併記されるので「公民館が俳句と同じ立場にあるとは考えがたい」「公民館の中立性や公平性を害するとは言えない」と判断、女性の思想や信条を理由に不公正な扱いをし、不掲載には正当な理由がないと指摘した。また、掲載への期待を「法的保護に値する人格的利益」と位置づけ、これを侵害したと結論づけた。

一方、表現の自由の侵害に関しては「公民館だよりという表現手段を制限されたに過ぎない」などとして退け、公民館は提出された句をそのまま掲載する義務も負っていないとし、句の掲載請求も認めなかった。

東京高裁は18年5月18日、一審と同じく「思想、信条を理由に不公正な取り扱いをした」と違法性を認めたが、賠償額は5千円に減額、掲載については「公民館は秀句をそのまま掲載する義務はない」と一審判決を支持し、訴えを退けた。

双方は同年5月31日、市側に続いて女性側も最高裁に上告した。

同年12月20日最高裁は、不掲載の判断を違法と認め、市に慰謝料5千円の支払いを認めた高裁判決を支持した。 


日本一の本場売上を誇る戸田ボートレース場

2017年10月16日 09時51分39秒 | スポーツ・自転車・ウォーキング


荒川に面する戸田ボートレース場周辺は、住まいから近いので自転車の散歩でよく出かける。

17年10月初め、さいたま市シニア大学の校友会の遠足でその見学会があり、初めて埼京線戸田公園駅からボートレース場行の無料バスに乗り、改札口で入場料100円を払って、場内に入った。

バスの終点から「戸田公園大橋」を渡ると、眼下の水面をボートが疾走しているのが見える。(写真)

同じ「競」の字なのに、競馬や競輪は「けい」と読んで、競艇だけなぜ「きょう」と読むのだろうと不思議に思っている具合だから、競艇については何も知らない。

この日は「ヴィーナスシリーズ」の名のとおり、終日女子選手だけのレースで、「競艇にも女子選手がいるのか」と驚くほどのど素人だ。

場内に積んであった小冊子をめくると全国24か所にあるボートレース場で活躍している約1600人のレーサーのうち、約200人が女子レーサーとある。

レーサーになるには、福岡県柳川市にある養成所「やまと学校」に入学し、1年間の訓練を受けなければならない。その合格率は40倍といわれる厳しさという。

レースは、1周600mの水面を3周して競う。ボートレースのモーターはヤマハ発動機のガソリンエンジン(排気量396.9立方cm)。開催初日の前日、抽選で各レーサーに渡され、レーサー自身が整備する。プロペラの出来が成績に最も影響すると言われる。モーターに備え付けのものをこれもレーサーが調整して使用する。

このようにレーサーはメカにも強くなければならない。

戸田競艇は、戸田、蕨、川口の3市からなる「戸田競艇企業団」が所有者で、企業団と、この3市を除くさいたま市など県内15市からなる「埼玉県都市競艇組合」の2つが施行者になっている。

戸田競艇企業団の平成29年度予算によると、年間開催日数は93日で、1日平均入場者数は3500人。27年度決算ではレースによる収入済み額は約266億円。入場者数は横ばいだという。埼玉県都市競艇組合も同じ日数開催している。

水の上を走るレースだから、夏向けで冬には休場になるのかと思っていたら、夏冬通年、1年中行われる。ビルの中は冷暖房完備だからである。

驚いたのは、「競艇企業団と都市競艇組合のレースを合わせた戸田の年間本場(ほんじょう)売上額は日本一」と聞いた時だった。

24か所のうち、東京都内には、江戸川、平和島、多摩川と3つもあるし、歴史を見ても、わが国で最初のボートレースが開催されたのは長崎県大村市で、1952(昭和27)年4月27日のことだった。戸田が開場したのは、2年遅れの1954年10月14日である。

訪ねた10月初めの同じ頃、大村では開設65周年記念の「海の王者決定戦」が行われていた。開催中にJR大村駅から無料タクシー(5分)、高速船や無料バスも運行しているという。

戸田でも埼京線戸田公園、東武東上線成増、京浜東北線川口、都営地下鉄三田線高島平の4駅から無料バスが出ている。 

企業団の平成27年度の決算によると、収入の中から配分金7億円が2:1:1の割合で戸田、蕨、川口の3市に分配され、戸田市では、公園などに耐震性の防火貯水槽の設置するのに使われている。

色々勉強になった1日だった。