よく出かける近くの「鹿島湯」で、「17年10月28日の土曜日午後、お風呂は休業にして、男湯の浴室の奥の壁に”世界で唯一の女性銭湯絵師 ”が富士山を描くのを公開する」というので、出かけてみた。富士山のペンキ絵は15年ぶりの復活という。女湯の方からも富士山は見られるようになっていて、女湯の方には埼玉県で一番高い武甲山も描かれている。男湯は3つに分かれていて、泡風呂が売り物だ。
県庁に近いこの湯は、1986年12月の開業当時「鹿島台」と呼ばれていたのでこの名がついた。井戸水を薪で沸かす昔ながらのお風呂やが売り物。毎月26日の「ふろの日」には、客にプレゼントを渡す。石鹸をもらって驚いたこともある。
入口の右手の駐車場にテントが張られ、缶ビールやお酒、焼き鳥も売っていて、浴場の着替えの間は子ども連れなどでいっぱいだった。子供のお絵かきもあるからだ。
NHKworldで海外に放送(日本ではインターネットだけ)されるとかで、女性スタッフの姿もあった。
着いた時には、男湯の富士山の絵描きは終わっていて、あわてて撮ったのがこの写真。水色のペンキで下絵を描き、その上にカラーをつける。空などはローラーを使って一気に塗るとかで、仕上がりまで3時間足らずで済んだようだ。
女性絵師は、田中みずきさんという若い長身の美人だった(写真右)。1983年生まれとあるから、まだ30代半ばである。
インターネットで「銭湯 絵師」を引いてみると、色々のことが書いてあって、それを総合すると・・・
日本で銭湯絵師として現役で活躍しているのは、現在たった3人しかいない。その中の一人が田中さんである。筑波大学付属高校を出て、明治学院大学で美術史を学んでいた3年の時(03年)、銭湯の絵と初めて出会って魅せられ、卒論のテーマに決めた。
始めてローラー使いを考案したベテラン銭湯絵師中島盛夫さん(1945年生まれ)に弟子入り、9年修行して13年に独立した。中島さんは「現代の名工」にも選ばれている。
田中さんは銭湯のペンキ絵はもちろん、個人宅のお風呂、旅館の風呂の壁なども手がけている。
もう一人忘れてならない銭湯絵師の長老は丸山清人さん(1935年生まれ)。1万点以上の銭湯絵を描いてきた。もちろん富士山だけではない。
35年間で全国の銭湯3000件以上を回った銭湯研究家・町田忍さんが書いたシリーズ・ニッポン再発見2の「銭湯」(ミネルヴァ書房、2016年発行)にも「最盛期に数十人いた絵師も、現在職業としている人は全国に二人となってしまった」とあり、中島、丸山さんの二人の名前が出ているから、この30半ばと70代、80代の3人が日本の銭湯絵師の全てなのだろう。
富士山の新しいペンキ絵の下で泡風呂につかれるのが楽しみだ。1970年代に流行った南こうせつの「神田川」を口ずさみながら。あの頃は筆者も若かった。