ださいたま 埼玉 彩の国  エッセイ 

埼玉県について新聞、本、雑誌、インターネット、TVで得た情報に基づきできるだけ現場を歩いて書くエッセー風百科事典

「プリンセス・チチブ」 与野バラ公園

2013年05月19日 07時37分05秒 | 盆栽・桜・花・木・緑・動物


さいたま市中央区。と言ってもすぐに分かる人は少ないだろう。さいたま市と合併する前は与野市。大宮市と浦和市に南北を挟まれた小さな市で、その与野公園はバラ園で有名だ。

公園は全部で約5万平方m。1877(明治10)年開設。埼玉県では3番目の古さだ。バラと桜で有名で、バラ園は約5500平方m。180種類、約3000株のバラがある。

毎年「ばらまつり」が開かれ、5月下旬は大勢の人でにぎわう。私は、住んでいる南区からは自転車でも行ける距離なので、春にも秋にもほとんど毎年出かける。

24のブロックにそれぞれのバラがまとめて植えてあり、名前が書いてあるので、初心者には最適だ。私もバラの名はほとんど、ここで覚えた。だが、ほかのバラ園で見て名前を思い出すかどうかは、おぼつかない。

「花の命は短い」ので、バラの盛りを見るにはタイミングが必要だ。忙しい人には無理で、退職後にしかできないことだとつくづく思う。

ここには、アンネ・フランクにちなんだものを初め、英国女王にちなむ、私が大好きな「エリザベス」、悲運の「ダイアナ」のほか、かの有名な「モナコ王妃」。それに「プリンセス・アイコ」もある。   

エリザベス女王に関心があるのは、オーストラア、ニュージーランドなど南太平地域をカバーしていた頃、両国の元首としてはるばる来られ時、二度も競馬場で近くでお目にかかったことがあるからだ。自分の持ち馬があるほど競馬がお好きなのだ。

このバラ園の一角に「プリンセス・チチブ」のコーナーがある。

昭和天皇の弟で、「スポーツの宮さま」として親しまれ、秩父宮ラグビー場に名を残されている秩父宮。そのお妃・勢津子さまにちなんだバラである。

宮家「秩父宮」は、秩父宮の成年式の際に創立された。屋敷の西北に秩父嶺があることからその名が選定された。その意味で埼玉県とも関係の深い方だった。

勢津子さまは、結婚前は松平節子。13年のNHKの大河ドラマ「八重の桜」で有名になった最後の会津藩主・松平容保(かたもり)の孫である。結婚の際改名された。

秩父宮は戦後、50歳で肺結核で亡くなられ、流産のため、ご子息はなかった。

1928(昭和3)年のご結婚の際には、「世紀の大恋愛」と話題になったこともあり、バラの「プリンセス・チチブ」は、英国のバラの新品種開発で知られる。
妃は84歳で亡くなられた。

13年に恒例のばらまつりの前日訪ねてみるは、サッカーJリーグの人気チーム「浦和レッドダイヤモンズ」の名を持つ新品種が20株登場していた。

埼玉ゆかりのバラが二つもあって、何となく楽しくなるバラ園である。
 


寄居北条まつりと佐々紅華 寄居町

2013年05月17日 11時31分25秒 | 祭・催し
寄居北条まつりと佐々紅華 寄居町


寄居町にある「玉淀河原」の「玉淀」とは、「玉のように美しい水の淀み(よどみ)」という意味だ。

「玉淀河原」は、戦国期の平山城で、関東屈指の名城といわれた「鉢形城」の本丸下にある荒川の河原。明治の小説家・田山花袋がその景観を絶賛したことで知られる。「ひらやまじろ」と読み、平地にある丘陵を利用して作った城である。

「鉢形城」は1590(天正18)年、豊臣秀吉の小田原攻めの際、前田利家を総大将とする上杉景勝、真田昌幸らの豊臣勢3万5千に包囲された。城に籠もった城主・北條氏邦はわずか3500の兵力で1か月持ちこたえた後、開城した。

この戦いを再現する「寄居北条まつり」は13年5月12日、第52回を迎えた。

この籠城戦に加わった北條家の遺臣の子孫らが供養祭をしたのが始まり。武者のパレードや合戦が始まったのは30年前からという。

五月晴れに恵まれたこの日、当時の武者姿に扮した約500人が、市街地をパレードした後、両軍に分かれ、河原で轟音とともに大筒(大砲)を交えた攻防戦(写真)や、大将同士や武者同士の一騎打ちを展開した。

北条ゆかりの小田原、相模原、八王子市などから甲冑隊の“援軍”に加え、地元の外人部隊や小学生の幟もあり、女性武者の姿もちらほら。

会場には「北條五代を大河ドラマに」という幟も見られた。

♪ 宵闇せまれば悩みは涯(はて)なし みだれる心にうつるは誰が影 ♪
(作詞 時雨音羽) 

低音歌手フランク永井がリバイバルさせた「君恋し」が、ジャズと日本情緒を融合させた寄居ゆかりの作曲家・佐々紅華(さっさ・こうか)がつくったことを知る者は、年々少なくなってきた。

1961年の第3回レコード大賞を受けたこの曲は、1929年にジャズ歌手で、レコード歌手第一号と言われた二村定一が歌ってヒットさせたものだった。

河原に至る道筋に、紅華の別荘跡の割烹旅館「京亭」がある。一度訪ねてみたいと思っていたところだ。運よくこの日、「第2回佐々紅華展」と「君恋し音楽会」が開かれていて、一石二鳥の喜びだった。

紅華は1886年、東京根岸生まれ。蔵前工業高校(現・東京工大)の工業図案科を卒業した。

小学生の頃から音楽好きで、オーケストラでピアノ、一流の芸者の前で三味線を弾くといったたいへんな器用人。浅草オペラに入り、浅草オペレッタの創始者の一人になった。

二村とは浅草オペラで知り合い、二村が「君恋し」を歌うのは当然の成り行きだった。

このほか、昭和初期に作曲した「祇園小唄」や「浪花小唄」「唐人お吉小唄」(いずれも歌は藤本二三吉)などが大流行した。

♪ 月はおぼろに東山 霞(かす)む夜毎(よごと)のかがり火に ♪

と始まる「祇園小唄」」は、それこそ一世を風靡した。 

夫人のいゑさんが寄居の出身。紅華は玉淀河原に臨むこの地が気に入って、自分が設計した見事な数寄屋造りの高級料理旅館を「京亭」と名づけて、夫人に経営させ、1932年から亡くなる61年まで住んだ。


「京亭」の建築費は、1930年に時雨音羽と共に、日本ビクターから日本コロンビアに移籍した際の契約金でまかなわれた。

「京亭」の中では、紅華の愛用のピアノが70年ぶりに公開展示された。18世紀創業の英国最古のピアノメーカーのもので、同社のピアノはベートーベンらも愛用したものだという。

12日は、「京亭」の美しい庭園で、声楽家、女性ジャズボーカル、女性邦楽ユニットによる「君恋し」が披露されて、昔をしのんだ。

「芝桜の丘」と美の山公園 秩父

2013年05月11日 17時24分13秒 | 盆栽・桜・花・木・緑・動物



秩父で「桜」と言えば、最近ではまず、羊山公園の「芝桜の丘」を思い出す。戦前、県の綿羊種畜場があったのが、その名の由来である。

芝桜の植栽が始まったのは2000年。約17600平方mに9種類、約40万株以上が咲き誇り、今や季節には100万人を超す観光客が訪れる、「秩父夜祭」と並ぶ観光地になった。秩父市の年間観光客は15年度には500万人を超えた。

公園には、ソメイヨシノやヤマザクラもあるので、桜の花見客も多い。芝桜の方が花期が長く5月上旬まで楽しめる。

西武鉄道の御花畑(愛称・芝桜)駅から、徒歩で15~25分と交通の便のよさが売り物だ。

芝桜に押されて、日が当たらなくなっているのが、「美の山公園」である。

秩父市黒谷と皆野町にまたがる広大な公園で、「埼玉県にも吉野に匹敵する桜の名所をつくろう」という壮大な発想から、10年の年月をかけて、約70種類、8千本の桜を植えて、1979年に開園した。

「美の山」は、自称「関東の吉野山」にふさわしかろうと、「蓑山(586.9m)」を美しく読み変えたものだ。二つの展望台からは、秩父市街、秩父盆地、秩父のシンボル武甲山を初めとする秩父連山、さらには赤城山や日光連山も望める。

秩父市内を見下ろす夜景が特に素晴らしい。国民休養地にも指定されている。

だが、アクセスの悪さが致命的。

路線バスがないので、便数の少ない秩父鉄道の和銅黒谷、皆野、親鼻の三駅からタクシーに乗るか、徒歩しかない。駅から狭い山道を歩けば、2.7から3.7kmで約1時間半かかる。

マイカーなら「美の山公園道路」があるので便利だ。

これほどの桜の名所を見逃す手はないと、13年4月20日(土)、皆野駅から歩いて山道を登った。遅咲きのさくら見物を狙ったのである。(写真)

県立公園なので、埼玉県のホームページにある「美の山公園のサクラ観察日記」は、サクラ好きには興味深い。品種ごとの開花状況が一々分かるからである。

13年は4月8日、ヤマザクラが見頃を迎えた。枝垂桜、寒緋桜も見頃になり、御衣黄(ぎょいこう)、御殿匂(みどのにおい)、白妙、太白、妹背(いもせ)、八重紫桜も咲いて、「花の森」が華やかになった。

4月19日から八重桜が見頃になり、関山(かんざん)、ウコンが盛り。八重桜は5月1日に見頃を過ぎ、7日にシーズンが終わった。

この間、糸括(いとくくり)、天の川、御室有明(おむろありあけ)、梅護寺数珠掛桜(ばいごじじゅずかけざくら)、市原虎の尾、兼六園菊桜の開花が記されている。

私が訪ねたのは八重桜の盛りの時だったわけだ。現状を電話で聞いて出かけたのが成功だった。

3月26日に全部ではないものの、55種類、155本の桜の木に「樹名板」を設置したとかで、花の同定に役立った。桜は見てはいても、素人には一度で花の名を思い出すのは難しいからだ。

山頂には皆野町出身の金子伊昔紅(いせきこう)の銅像と句碑が立っていた。有名な「秩父音頭」の生みの親で、医師兼俳人。金子兜太氏の父親である。

句碑には「一目千本」と題し

 万本咲いてかすむ美の山花の山

とあった。