ださいたま 埼玉 彩の国  エッセイ 

埼玉県について新聞、本、雑誌、インターネット、TVで得た情報に基づきできるだけ現場を歩いて書くエッセー風百科事典

チューリップのまち 深谷市

2013年04月18日 17時29分23秒 | 盆栽・桜・花・木・緑・動物
チューリップのまち 深谷市

「ネギのまち」として知られる深谷市は、ブロッコリーでも全国2位の生産量を誇り、「道の駅おかべ」で4月下旬、「ふかやブロッコリーまつり」も開かれる。

野菜だけでなく花卉栽培でも知られる。春はチューリップ(切り花出荷量全国2位)、夏はユリ(同1位)、秋はコスモスといずれも全国で覇を競う「花のまち」でもある。

利根川と荒川に挟まれた肥沃な大地の恵みだ。訪ねてみると、どこまでも平らな地に、温室栽培のビニールハウスが並び、裸地栽培のネギの香りが風の中に漂っている。

ネギも深沢栄一も、このブログで書いたことがあるので、今度はチューリップを見ようと、13年4月13日(土)に「深谷グリーンパーク」の花壇を訪ねた。

バスはあまりなさそうなので、深谷駅から歩く。足は遅くても、いくらでも歩けるので気にはならない。

パークでは、チューリップが満開だった。事前に電話して調べておいたからである。満開の花を見るには事前調査が必要なことは、長い経験から身についている。

清掃センターの大きな煙突が見えるから、南欧風の造りの北関東最大という屋内温泉プール「パティオ(中庭)」は、その廃熱利用かと納得する。

パークは東京ドームくらいの広さで、芝生広場など5つの広場に子供用の遊び道具もあり、花壇はパティオに最も近いところにある。

ここには夏にはユリ、秋にはコスモスが植えられる。

チューリップは6品種、3万6千本が咲き誇っていた。

それぞれの区画に品種名が掲示されているのが助かる。「ヤンファネス(黄)」「フレミング・バロット」「レッドシャイン(赤)」「ロザリー」「ハッピージェネレーション」「ハウステンボス(白・ピンク)」とある。

色と花の形の違いは分かっても、初めて聞く名前なので、チンプンカンプン。
なにしろ、本場オランダの「品種の分類リスト」によれば、実に5600種もあるというのだから。

例えば、九州の佐世保にある「ハウステンボス」でなじみのあるこの花「ハウステンボス」の場合。

2000年に迎えた日本とオランダの交流4百周年を記念してできた。チューリップの花はカップ状のものが多いのに、これは花ビラの先に細かな切れ込みがあり、「フリンジ(ふさ飾り)咲き」と呼ばれる。

可愛らしく気品があるので、「森の家」を意味する「ハウステンボス」にふさわしいと、日本で人気が出た。

40年前オランダを訪ねた際、チューリップのせり市を見学したことを思い出した。

トルコ原産のチューリップが、オランダを経て、富山や新潟、さらに深谷市へと伝わってきて、見事に咲いている姿にある種の感慨を覚えた。

深谷市では、13年4月27、8日には「全国花のまちづくり深谷大会」、恒例の第10回ふかや花フェスタ、71軒が参加する自称日本一のオープンガーデンフェスタも29日まで同時に開かれる。

この市にはこのほか、「緑の王国」や、合併した旧花園町には、バラで有名な「花園フォレスト」もある。

12年には第22回全国花のまちづくりコンクールで「花のまちづくり大賞(農林水産大臣賞)を受賞した。

花が咲くたび訪ねてみたくなる所である。

日本一長いバラのトンネル 川島町

2013年04月17日 16時09分50秒 | 盆栽・桜・花・木・緑・動物

日本一長いバラのトンネル 川島町

「川島」は「かわじま」と読む。長野県の川中島(かわなかじま)の名が思わず浮かんでくる。

川中島同様、川で囲まれているからだ。四方を荒川(東側)、入間川(南側)、越辺川(おっぺがわ)、都幾川(南から西側)、市野川(北側)が流れる。

荒川沿いに軽飛行機用の「ホンダエアポート」があるのを、「さいたま武蔵丘陵森林公園自転車道」を走った人なら覚えておられるだろう。

川越市の北に隣接しているこの町は、この水のおかげで「川越藩のお蔵米」の産地として知られた。

越辺川には冬、白鳥が飛来する。

「すったて」(別名冷汁うどん、第6回埼玉B級ご当地グルメ王決定戦で優勝)や「かわじま呉汁」(国産大豆と野菜10種類以上と芋がらを入れる)の郷土料理を試した人もおられるだろう。「呉」とは、「豆汁」とも書き、大豆を水に浸し、すりつぶした汁だと辞書にはある。

この町に、日本一長いバラのトンネル「バラの小径」があり、見頃だというので、13年5月31日に出かけてみた。

川越駅東口からのバスの便はあまりないので、「小径」のある「平成の森公園」まで半分以上歩いた。慣れているので歩くのはあまり気にならない。

町のほぼ真ん中にある「平成の森公園」は、日時計としてデザインされたカリヨン(鐘)があり、子ども広場や「ショウブ園」もあって、花ショウブが季節を迎えようとしていた。「ふるさと再生事業」の一つとして1996年にオープンした。

つるバラがアーチ型に連なる「バラの小径」は06年、かわじま誕生50周年を記念して完成した。1954年、中山、伊草などの6村が合併して、川島村が出来たのにちなんだものである。

全長330.5m、53品種427本のバラのトンネルで、完成半年後に「日本一ネット」が「日本一長いバラのトンネル」として認定した。(16年には約61種、474本)

「日本一ネット」は、日本一ネット事務局が日本一の記録として認定したものをネットのホームページに掲載している。

今年の最盛期は、ゴールデンウイークの後だったようだが、種類が多く、それぞれ花期が違うので、十分楽しめた。夜間のライトアップもしている。

鉄道はなく、バスの便もまばらながら、圏央道の川島インターチェンジの供用が08年に始まったので、車ならすぐ行けるようになった。

川島町が「都会に一番近い農村」と名乗っているのも、インターチェンジの存在を意識してのことだろう。

「バラのトンネル」のすぐ近くに、「遠山記念館」がある。この町の出身者で、旧日興証券の創立者の遠山元一氏の生誕の地で、母親のために立てた和風の大邸宅(1936年完成)は、国の登録有形文化財(建造物)に指定されている。

収集した美術品を展示する美術館も併設している。


浦和学院 選抜甲子園を制覇 その2止

2013年04月09日 16時13分43秒 | スポーツ・自転車・ウォーキング


甲子園に20回駒を進めながら、ベスト4までで優勝に届かなかった強豪浦和学院が、その無念を一挙に晴らし、決勝で愛媛県の斉美のエースを叩きのめした。

驚くべき爆発力だった。「ウラガク」は決勝では、4試合連続2桁安打となる18安打を放ち、決勝では大会史上2番目に多い17得点。先発全員が本塁を踏んだ。

17-1。16点差。まるでコールドゲームのようだ。選抜決勝では06年の第78回で、横浜(神奈川)が清峰(長崎)を21-0で下したのに次ぐ、歴代2位の記録である。春夏合わせると17-0が二回あるので4番目という。

(なお、決勝以外では1937年の第14回選抜一回戦で、わが浦和中が滝川中に27-0と27点差で敗れたのが最高)

決勝の5回、2死満塁で勝ち越しの2点適時打を放った、主将の3番・山根佑太中堅手は、5試合すべてでヒット、通算12安打、大会最多安打記録にあと1本まで迫った。

決勝で期待された4試合連続本塁打の新記録こそ出なかったものの、4番・高田涼太三塁手は、準決勝まで3試合連続本塁打を記録した。

選抜で3本塁打を打ったのは、PL学園の清原和博、星陵の松井秀喜らと並ぶ。

5回の逆転劇では山根に続いて高田は、左越え2点二塁打、この回打者12人で一挙7点を奪い、試合を決めた。

5試合を通じて、59安打47得点。細かく見ると、打数168、安打59、二塁打10、三塁打5、本塁打3、打点42、打率.351、得点47と、本塁打を除き(滋賀気比が4)と、優勝チームらしくいずれもトップを占めている。

この結果からみると、打撃のチームに見える。

2年生左腕・小島和哉は、直球は130km台前半ながら、内角、外角を突く、緩急をつけた好投を見せた。5試合すべてに先発、決勝を含む3試合で完投、580球を投げ、失点わずか3だった。

小島の好投に加え、守りも堅く5試合で失策は1だったというから驚くばかりだ。

数字の上で見ると、投・打・守の3拍子がそろった理想に近いチームだった。
「ウラガク」が話題になったのは、グラウンドの上だけではなかった。

一塁側アルプス・スタンドには、宮城県石巻市の少年野球チーム「鹿妻(かずま)・小鹿クラブ」の子供たちが、「ウラガク」の応援団と肩を組み大声援を贈っていた。

「浦和学院のお兄ちゃんがんばって!!」という石巻市の保育所の園児から贈られた横断幕も掲げられていた。

「ウラガク野球部」は、東日本大震災後、11年と昨年末、石巻市でがれき片づけなどのボランティア活動を行い、炊き出しもした。この少年野球チームとキャッチボールをしたり、打撃のアドバイスをしたり、交流を深めた。スパイクを贈り、盗塁のコツを教えた。

今年2月には子供たちをさいたま市に招き、2泊3日の合同練習もしていた。

「ウラガク」は、野球だけのチームではなかったのだ。県は最初、「彩の国スポーツ功労賞」を贈るつもりだったのに、「彩の国功労賞」に切り替えたようだ。

「スポーツの枠を超えた功績」と判断したからだという。その判断や良し。

この2回のシリーズは、日課にしている図書館での全紙閲覧の「ウラガク」のサワリを集めたもの。各紙の取材記者に感謝したい。私はテレビを見ていただけだ。











浦和学院 選抜甲子園を制覇  その1

2013年04月07日 16時37分59秒 | スポーツ・自転車・ウォーキング


13年4月3日(水)――。この日は、さいたま市民、いや埼玉県民にとって歴史的な日になった。

緑区にある浦和学院が、春の第85回選抜大会の決勝戦で、愛媛県の強豪斉美(せいび)に17-1で大勝、埼玉県勢としては1968年の第40回の大宮工以来、45年ぶりに優勝を飾ったからだ。

この日午後、日ごろ愛郷心が薄いと言われる市民も、県民も、千円床屋でも安酒場でもラジオやテレビに熱中し、「ウラガク」の大量得点に「いけいけ」と声援を贈った。

清水勇人市長はもちろん、上田清司知事も甲子園に駆けつけた。知事は「歴史に残る勝利だ」と県民の喜びを代弁した。

スクールバスが出るJR東川口駅前などで、各新聞社は何千部もの号外を配布した。埼玉県をテーマにして号外が発行されるのは、これまであったのだろうか。

市役所や東川口の他、浦和、南浦和駅などには「祝優勝 浦和学院」と大書した横断幕や看板、貼り紙が掲げられた。

紫紺の優勝旗を学院に持ち帰ると、県は「彩の国功労賞」を贈る方針を決めた。市は創設されたばかりの「市長特別賞」を贈る。

「彩の国功労賞」は02、12年に、世界三大サーカスの一つ「木下サーカス」に送られたことがあり、これが3度目。

愛郷心は昂揚し、「ウラガク」はサッカーJ1の「レッズ」とともに、一躍、124万市民の郷土意識のシンボルになった。

「次は夏の甲子園だ」がチームとともに市民の合言葉になった。

よみうり時事川柳には

 センバツで埼玉の上「ダ」が取れる

という句が掲載された。

恥ずかしながら、学院の名前は知っていても所在地は知らなかった。あわてて地図で確認すると、東北自動車道を挟んでレッズの本拠地「さいたまスタジアム2002」の西側にあり、「さぎ山記念公園」のちょっと南にある。

新聞報道によると、浦和学院は男女共学の私立で、生徒数2383(男1253、女1130)人。1978年創立で、野球部も同年できた。創学、創部35年目の快挙だった。

1986年夏に甲子園に初出場するとベスト4入り。春夏通算20回目の「甲子園常連校」で、選抜は3年連続9度目、夏は11度出場している。

92年春にもベスト4。いつも優勝候補に挙げられながら、ベスト4止まり、決勝進出は初めてだった。

県内のライバル校「大宮東」は93年の第65回、「聖望学園」は08年の第80回選抜で準優勝している。

プロ野球にも何人も先輩がいて、PL学院、横浜同様、高校野球界の名門なので、部員数約100人に全国から優秀選手が集まるようになっている。協志寮という寮もある。

決勝5回に逆転打を放った主将の3番、山根佑太中堅手は遠く広島市出身。

決勝で5打数4安打と大活躍の西川元気捕手、一番の竹村春樹遊撃手はいずれも栃木県小山出身。

前主将の高田涼太三塁手は朝霞、エースの二年生小島和哉は鴻巣出身で埼玉勢だ。

監督の森士(もり・おさむ 48歳)は上尾高、東洋大で投手だった。怪我に泣き、背番号をつけることはなかった。恩師の招きで浦和学院に入り、91年27歳で監督に就任、92年春にベスト4入りと幸先の良いスタートだった。

しかしその後、優勝への道のりは長く、就任22年目、18度目の甲子園出場で宿願を果たした。