ださいたま 埼玉 彩の国  エッセイ 

埼玉県について新聞、本、雑誌、インターネット、TVで得た情報に基づきできるだけ現場を歩いて書くエッセー風百科事典

ツキノミヤのウサギのお守り さいたま市浦和区

2009年12月14日 11時11分28秒 | 寺社
ツキノミヤのウサギのお守り さいたま市浦和区

さいたま市浦和区岸町にあるツキノミヤ、正式には「調神社(つきじんじゃ)」には、狛犬も鳥居もない。狛犬の代わりにウサギが鎮座している。師走の12日に「十二日まち」という歳の市が開かれ、人出でにぎわうというので09年、小春日和に誘われて出かけた。この市を見るのも初めてである。

よく見ると、ウサギは子連れだった。境内に入ると、手水舎の清めの水もウサギの像の口から出ている。兎年の11年は例年より3割多い22万人の初詣客でにぎわった。

図書館の郷土資料で調べると、その昔、ここには伊勢神宮に収める調(つき)、つまり貢物の初穂を収納する倉庫があったので、運搬の邪魔になる鳥居は初めからなかったという。これで「調神社」の名前と鳥居なしの由来は分かった。

ところで、「調(つき)」は「月」と読みが同じ。このため、この神社は中世以来の月待信仰(月の十三、十七、二十三日などの夜に月の出るのを待って、供物を供え、月待ちすれば、願い事がかなうと、飲食を共にする講)の月宮殿に擬せられ、その聖地とされた。

月宮殿には月天使がいて、ウサギはその使い姫なので、狛犬代わりにウサギが登場するわけだ。童謡にもあるとおり、日本では古来、「月と言えばウサギ」である。

「月」はまた、「槻(つき)=ケヤキの古名」に通ずる。ここのお宮にはケヤキを初めムクノキ、イチョウの大木が亭々と茂っているのに、神社に多い松の木はない。この事実は、ウサギ、鳥居などと並んでこの神社の「七不思議」の一つに数えられている。

「月」は「ツキ」に通ずると、「ツキを呼びたい」と詣でる人もいるとか。

古い私事で恐縮だが、新聞記者時代、1973年の第4次中東戦争の取材に出かけるのに先立ち、弾丸よけにこの神社のウサギのお守りを買った。その後の度重なる戦争取材にも無傷で、この歳まで生きているのは、たまたまウサギ年生まれの私を守り続けてくれたのか。今も机の奥を捜せばどこかにあるはずだ。

鳥居がない代わりに、境内入り口の両側にあるウサギの像は、江戸末期の1861(万延2)年に奉納されたものだった。痛みが目立ってきたので、13年11月23日の秋祭りに新しいのと取り替えられた。152年ぶりだったという。(写真)

逆さいちょう さいたま市南区

2009年12月12日 11時05分31秒 | 寺社
「逆さイチョウ」 さいたま市南区

「灯台もと暗し」――さいたま市在住の筆者がいかに地元のことを知らないか。新座市の平林寺の秋の紅葉の素晴らしさを知らなかったは、「少々距離が離れているので」と言い訳にもなる。ところが、50年近く住んでいる所から、歩いてわずか15分くらいの名木のいわれさえ知らなかったのには、自分でもびっくりしている。

70過ぎて会社通いを止めてから、天気のいい日は、携帯ラジオを聞きながら近所で朝の散歩を始めた。四方八方に足を運んで、どのコースが最適の散歩道かと探した。

その日は北に向かって、南浦和の白幡から別所に至るゆるい坂を登り始めると、すぐ左手の墓地に堂々たるイチョウがそびえているのが見えた。(写真)

この木には見覚えがあった。もう何10年前のことだろうか。大木や古木に興味がある。イチョウには大木が多いので、それほど驚かなかったのか、あまり気にもとめなかった。

この墓地は道路を挟んだ前にある真言宗豊山派の「真福寺」のもので、門前に「逆さいちょうの寺」と書いた小さな石塔がある。

さいたま市の天然記念物に指定されているこの大樹の前に立つと、市教育委員会の立て札に、「台地の先端にあり、高さ18.5m、幹回り5.85m。雄樹で樹齢数百年」とある。

さらに、「昔々、台地の下が海だった頃、船をつなぐ杭としてイチョウの木を逆さに打ち込んでおいたところ、その杭が根付き、枝葉を出した」という「逆さいちょう」の伝説があると書いてある。

いま私が住んでいるところは海の底だったのだ。そういえば、初めて訪れた当時は、一面の美田で「白幡田んぼ」と呼ばれていた。今はその跡形もなく、マンションや団地などの住宅地に変わっている。

「縄文海進」という言葉がある。約6000年前の縄文時代前期、浦和など埼玉県には東京湾が奥深く入っていて、浦和の約3分の2が海中にあった。「奥東京湾」という名がつけられている。

遠浅の内海で魚介類の採集に適していた。この真福寺、白幡、大谷場、太田窪など多くに貝塚が残っているのがその証拠である。

(さいたま市立博物館によると、縄文前期の貝塚が76見つかっている。貝塚というと貝がうずたかく山のようになっているのを連想するのだが、使われなくなった竪穴住居などの窪みに貝を捨てた「地点貝塚」と呼ばれるものだ)

これらの貝塚には、バイガイという二枚貝が見つかる。暖海に住むもので、今の東京湾にはいない。

当時は今より気候が温暖で、海水が増え、海水面が上昇した名残りだ。(『浦和三万年』・浦和市総務課編による)

そう言えば、「浦和」とか「岸町」とかは海と関わりのある地名である。

巨木は物言わず、長い長い間、海が田んぼへ、さらに住宅地に変わるのを見おろしてきたのだ。思わず見上げると、幹に大小の気根のようなものが多数、こぶのようについているのが、印象的。冬なので、葉は丸裸だった。

平林寺 新座市

2009年12月10日 17時42分04秒 | 寺社

平林寺 新座市

「灯台下暗し」という言葉がある。このことを実感する機会があった。新座市野火止にある平林寺の紅葉である。春や夏には何回か訪れたことがあるのに、秋の紅葉についてはまったく知らなかったのだ。

きっかけは新聞の県版記事だった。両陛下が紅葉狩りに平林寺においでになったというのだ。これほどの紅葉を半世紀近く知らなかったのだから恥ずかしい限りである。

燃えるように紅色が鮮やかなイロハモミジが主で、山門や仏殿、本堂、鐘楼などを背景に、陽に当たると美しく輝く。京都のモミジにひけをとらないほど。順路は一周2.5km、ざっと1時間の秋の絶好の散策路である。

約56haの広大な境内林は、クヌギやコナラの雑木林で、武蔵野の面影を色濃く残し、国の天然記念物に指定されている。昔の武蔵野は、今はほとんど無くなった。「武蔵野とはこんな所だったのか」と思い起こすにはもってこいだ。

雑木林の芽吹きの時もいいし、野鳥が30種類以上いるというからバード・ウオッチングにも最適。境内林の外には、野火止用水が流れ、緑道になっているのでウォーキングを楽しめる。春には、梅も桜もある。いつ訪ねても素晴らしいお寺だ。昔、子規や虚子も吟行に来た。

今も修行道場のある臨済宗妙心寺派の古刹。別格本山である。野火止用水の開削、島原の乱の鎮圧で知られ「知恵伊豆」と呼ばれた老中松平信綱などの墓があることで知られる。信綱の遺命で1663年岩槻から移った。島原の乱戦没者供養塔もある。

「電気王」「電気の鬼」と言われ大実業家松永安左ヱ門や、歴史学者の津田左右吉も、ここに葬られている。

最近気になっているのは、境内の野火止塚や業平塚である。在原業平がここに実際に来たのかどうかはさておき、いま評判の東京スカイツリーの最寄り駅は、東武伊勢崎線の業平橋駅だということから分かるように、業平は武蔵国に足跡を残したようなのだ。

野火止塚には地元にひとつの言い伝えが残っているという。平安時代、この一帯を治めていた郡司長勝が旧知の当時の最イケメン業平を館に招きもてなした。ここに足を止めているうちに業平は長勝の娘の青前姫にひかれ、結婚の約束をして二人で野原で密会していた。

長勝はこれを許さず、追っ手が野原に火をつけて探そうとした時、姫が詠んだのが、有名な

武蔵野は 今日はな焼きそ
若草のつまもこもれり
われもこもれり
(武蔵野を今日は焼かないで。主人と私が身を隠していますから)

燃え盛ろうとした野火は消え、その野火が止まった所が野火止塚だという。

業平塚とは、業平が東下りの時、武蔵野に駒を止めて休んだという話から、伊勢物語にからめてその名がついたのではないかという。

二つの塚とも、業平とは直接の関係はなく、野火の見張台があったのではという散文的な見方もある。武蔵野が雑木林ではなく、その字のとおり、野原だった時代のお話。

むかし、男ありけり。人のむすめを盗みて、武蔵野へ率(い)てゆく程に、盗人なりければ、国の守にからめられにけり。女をば草むらの中に置きて、逃げにけり。道来る人、この野は盗人あなりとて、火つけむとす。女、わびて、
武蔵野は今日はな焼きそ 若草のつまもこもれり われもこもれり
とよみけるを聞きて、女をばとりて、ともに率ていにけり。 『伊勢物語』(第十二段)


まえがき

2009年12月09日 17時05分31秒 | 県全般

まえがき

 70を過ぎ、東京通いを止めて、まず始めたのが、住まい近くの散歩だった。「泥棒の下見」よろしく、右顧左眄しながらぶらぶら自転車に乗ったり、歩いたりしていると、いろいろなことに気がついた。

 私が住んでいるのは、さいたま市の最南端、戸田市に近いところだ。

 北の方、浦和駅に向かおうとすると、どの道も必ず坂を上らなければならない。別所に向かって坂を上ると、逆さイチョウの真福寺がある。逆さイチョウは舟止め用に使われたというから、私の住んでいる辺りは昔、海だったに違いない。

図書館で本を探すと、「縄文海進」という言葉を知った。縄文時代、東京湾がこの一帯まで広がっていたようだ。

さいたま市南部に貝塚の跡がいくつか残るのもその証拠であろう。

 こんなことをしているうちに、ウサギが守り神の調神社、武蔵国一ノ宮の氷川神社、秋の紅葉が素晴らしい平林寺などへと足が伸びて、「ださいたま 埼玉 彩の国 エッセイ」と称する埼玉県の全てを対象にするブログが始まった。

 学生時代、「何でも見てやろう」という本がはやった。好奇心だけは人一倍あり、歩くのは大好きなので、それでは「何にも知らないこの埼玉県を歩き尽くし、見尽くしてやろう」と、7年が経った。

 自然、地理、交通、歴史、人物、産業、名所・観光、寺社、お祭、催し、施設、盆栽、桜、お茶、植物、動物、飲食物、芸術・文化、スポーツ、話題・・・すべての事象を対象にした。

 この県のことはほとんど何も知らなかった。驚くほどの無知と好奇心こそがその原動力だった。

移動には電車とバスを使い、無い所は歩いた。タクシーは一度も使わなかった。これで県内の東秩父村など63市町村すべてをカバーした。

歩くのが好きだと言っても、大酒飲みだったので、「命有っての物種」と車の運転はしてこなかった身の強がりに過ぎない。

ネタは毎朝、図書館に出かけて、あるだけの新聞をチェックした。郷土関係の本はあさり尽くし、県史や市町村史は関係部分をめくり、コピーした。家ではパソコンで関係用語の検索を重ねた。

 現場第一主義をモットーにしたので、どこに出かけても、パンフレット、資料や地図は有り難く頂き、掲示板や説明書きは必ずポケットカメラで写し取り、メモ代わりにした。

 写真が下手なのは、同じポケットカメラで撮影したためだ。

 このブログづくりは、執筆というより編集と呼んだ方がいいかもしれない。先達が紙上、パソコンに残された貴重な数字や資料を、断りもなしに使わせていただいた。

このブログ・シリーズも、新聞記事で、初めて気づいたり、事実や数字を引用させていただいたものが多い。埼玉新聞を初め、全国紙、経済紙の埼玉版に深謝したい。

出典は原稿の中で最大限明らかにしようとしたが、紙面の都合でできなかったものもある。新聞記事を書いた記者、広報紙や資料のライター、巻末に掲載させていただいた参考文献の著者や取材に協力いただいた方々には感謝の言葉もないほどだ。深くお礼を申し上げたい。

県立図書館の郷土資料室や各図書館の皆さんには資料探しでお世話になった。

2016年夏 筆者   

 

 

 

 

 


参考文献

2009年12月08日 16時56分19秒 | 県全般

参考文献

 

「埼玉平野の成立ち・風土」 松浦茂樹著 埼玉新聞社

「埼玉の川を歩く」 飯野頼治著 さきたま出版会

「大河紀行 荒川 秩父山地から東京湾まで」 伊佐九三四郎 白山書房

「新利根川図志 上」 山本鉱太郎著 崙書房出版

「北関東川紀行Ⅲ」 栗村芳實、東敏雄編 随想舎

「荒川の風  野外考古学のすすめ」 吉川国男著 さきたま出版会

「利根川」宮村忠監修 アーカイブス利根川編集委員会編 信山社サイテック

「ぐるり埼玉 石ものがたり」 関根久夫著 幹書房

「埼玉の大地のふしぎ」 埼玉県立自然史博物館編 埼玉新聞社

「埼玉彩遊 ちょっくらお出かけ」埼玉県観光連盟

「自然を読む」 大澤太郎著 幹書房

「平成の名水百選」 日本の水をきれいにする会編集 ぎょうせい

 

「『新編武蔵風土記稿』を読む」 重田正夫 白井哲哉編 さきたま出版会

「新編 埼玉県史 通史編1、6、7」

「埼玉県の歴史」小野文雄著 山川出版社

「図説 埼玉県の歴史」 責任編集 小野文雄 河出書房新社

「埼玉県の歴史」 田代脩一ら著 山川出版社

「歴史と人と 埼玉の近代史から 上、下」 埼玉新聞社編 埼玉新聞社                                                                      

「埼玉万華鏡 歴史と人と」 柳田敏司著 さきたま出版会

「みて学ぶ埼玉県の歴史」「みて学ぶ埼玉県の歴史編集員会」編 山川出版社

「さいたま・人・風景」 佐藤国雄 アサヒ・コム・ブックス

「歴史ロマン 埼玉の城址30選」 西野博道編著  埼玉新聞社

 

「埼玉県の百年」 小山博也ら 山川出版社

「昭和史の埼玉 激動の60年」 史の会編 さきたま出版会

「埼玉県警察史 第2巻」

 

「埼玉大百科辞典」

「埼玉県統計年鑑」

「風土記さいたま」 埼玉地理学会編 さきたま出版会

「風土記埼玉 92市町村の素顔」 埼玉地理学会編 さきたま出版会           

「各駅停車 全国歴史散歩 埼玉県」 埼玉新聞社編 河出書房新社

「さいたま市の歴史と文化を知る本」 青木義脩著 さきたま出版会

 

「史跡と人物でつづる――埼玉県の歴史」 埼玉県郷土誌研究会 光文書院

「武蔵野の古代史」 森田悌著 さきたま出版会

「氷川神社の歴史を語る」 ミュージアムヴィレッジ大宮公園連絡協議会

「探訪比企一族」 西村裕・木村誠編・著 まつやま書房

 

「武蔵武士―そのロマンと栄光」 福島正義著 さきたま出版会

「武蔵武士団」 関幸彦編 吉川弘文館

「中世武蔵人物列伝」 埼玉県立歴史資料館編 さきたま出版会

「武蔵武士と戦乱の時代 中世の北武蔵」 田代脩著 さきたま出版会

「武蔵武士(下)」 成迫政則著 まつやま書房

「太田道真と道灌」 小泉功著 幹書房

「カラー版徹底図解 戦国時代」 榎本秋著 新星出版社

 

「川越藩」(シリーズ藩物語) 重田正夫著 現代書館

「吉宗の時代と埼玉」 秋葉一男著 さきたま出版会

「埼玉近世史話」 埼玉近代史研究会 誠美堂印刷所

 

「埼玉の三偉人」 堺正一 埼玉新聞社

「埼玉の女たち」 韮崎一三郎 さきたま出版会

「埼玉の先人 渋沢栄一」韮崎一三郎 金子吉衛著 さきたま出版会

「渋沢栄一を知る事典」渋沢栄一記念財団編 東京堂出版

「わが国 解剖学の父 田口和美博士」 北川辺町教育委員会

「鬼才福沢桃介の生涯」 浅利佳一郎著 日本放送協会

 

「見沼 その歴史と文化」 浦和市郷土博物館編集 さきたま出版会

「埼玉鉄道物語」 老川慶喜著、日本経済評論社

「秩父鉄道新風土記」大穂耕一郎著 まつやま書房 

 

「埼玉・歴史の道50話」 県立博物館編 埼玉新聞社

「広重・英泉 木曽街道六拾九次」 望月義也編 合同出版

「誰でも歩ける中山道69次 上巻」 日殿言成著 文芸社

「改訂版 中山道69次を歩く」 岸本豊著 信濃毎日新聞社

 

「図説 秩父の歴史」 井上勝之助監修 郷土出版社

「秩父市誌」

「やさしいみんなの秩父学」 秩父市・秩父商工会議所編 さきたま出版会

「やさしいみんなの秩父学」(自然編)

「秩父学入門」 清水武甲編 さきたま出版会

「秩父札所巡礼」 イラスト・文・写真 比古地朔弥 埼玉新聞社

「秩父34か所 札所めぐりルートガイド」 小林祐一著 メイツ出版社

「秩父市 埼玉ふるさと散歩」 井上光三郎著 さきたま新書

 

「完本 秩父事件」 井上幸治著 藤原書店

「秩父事件」 井上幸治著 中公新書

「秩父事件」 秩父事件顕彰協議会(編) 新日本出版社

「秩父困民軍会計長 井上伝蔵」 新井佐次郎著 新人物往来社

「地図で歩く秩父路」 飯野頼治著 さきたま出版会

 

「川越見て歩き」 松尾鉄城編 幹書房

「瓦版 川越今昔ものがたり」3冊 幹書房

「資料近代日本の公害」 神岡浪子編 新人物往来社 

収録の「義人田中翁と北川辺」 石井清蔵

「足尾鉱毒事件・秩父事件への旅路」 仲井正和著 まつやま書房

 

「さいたまの近代文学」 森川晃治著 株式会社パレード

「さきたまの文人たち」 松本鶴雄 さきたま出版会

「さいたま文学紀行」 作家たちの描いた風景 朝日新聞埼玉総局 さきたま出版会

「反骨の画家 川鍋暁斎」 狩野博幸・河鍋楠美著 新潮社 

「さいたま市未来創造図」 清水勇人著 埼玉新聞社

 

「埼玉の街ものがたり92」 鶴崎敏康著 埼玉新聞社

「埼玉の日本一風土記」(補訂版も) 関根久夫著 幹書房

「これでいいのか埼玉県」 松立学、山中茂紀編 マイクロマガジン社

「埼玉県の不思議事典」 金井塚良一、大村進編 新人物往来社

「思わず人に話したくなる埼玉学」 県民学研究会編 洋泉社

「あなたの知らない埼玉県の歴史」 山本博文監修 洋泉社

「埼玉県謎解き散歩」1,2 金井塚良一、大村進編著 新人物往来社

「地名でたどる埼玉県謎解き散歩」 宮内正勝、加藤隆栄、千田文彦編著 

KADOKAWA

「埼玉地理、地名、地図の謎」 山本博文監修 実業の日本社

「うんちく埼玉(漫画)」 谷村昌平原案 比古地朔弥漫画 KADOKAWA

「埼玉のおきて」 埼玉県地位向上委員会編 泰文堂

「埼玉の法則」 埼玉の法則研究委員会編 泰文堂

「埼玉あるある」 さいたま与太郎著 TOブックス

「埼玉県歴史ロマンの旅」 県立歴史と民俗の博物館編 学陽書房

「埼玉歴史探訪」 県ウォーキング協会編 幹書房

「もっと知りたい埼玉県の歴史」 小和田哲雄監修 洋泉社

 

 

「訪ねてみたい埼玉のお寺」 インデックス編著 ごま書房

「東京歌物語」 東京新聞編集局・編著 東京新聞出版局

「愛唱歌でつづる日本の四季」 塩澤実信著 論創社

「日本一の桜」 丸谷馨著 講談社現代新書

「陽光の剣 高麗王若光物語」 高麗文康著 幹書房

「こんなにも深い埼玉と韓国・朝鮮の歴史」 新幹社選書④

「紅赤ものがたり」 青木雅子著 ケヤキ)

 

「アグリ・コミュニティビジネス」 大和田順子著 学芸出版社

「スローな未来へ」 島村菜津著 小学館

「日本住宅公団史」