ださいたま 埼玉 彩の国  エッセイ 

埼玉県について新聞、本、雑誌、インターネット、TVで得た情報に基づきできるだけ現場を歩いて書くエッセー風百科事典

 一人当たり図書館貸出数で日本一 さいたま市

2011年11月28日 09時22分58秒 | 文化・美術・文学・音楽

一人当たり図書館貸出数で日本一 さいたま市 

さいたま市の図書館にはよく出かける。東京へ通勤する「東京県民」当時は、週末だけだったが、今では、自宅で購入している以外の新聞のチェックに天気が悪い日を除けば、ほとんど毎日出かけている。

インターネットでできるではないかという人もいる。だが新聞は、紙面の中でどう扱われているか、その価値判断も分かるし、写真も記事と一緒にコピーできるので、後で探す際に便利だ。それに、新聞で見るのはニュースだけとは限らない。

ちょっと前、「さいたま市の図書館数や人口一人当たり貸出冊数が日本有数だ」という小さな新聞記事を読んだ記憶があったので、中央図書館の責任者に頼んで、08年度の18の政令都市の図書館の状況を比較する数字を見せてもらった。

人口約122万のさいたま市には、図書館が大阪に次ぎ23ある。市民1人当たり貸出数(年間)は8.7冊と政令指定都市の中で1位である。

蔵書冊数(雑誌や週刊誌は除く)は横浜、大阪に次いで3位、人口1人当たり蔵書冊数は静岡に次いで2位、個人貸出総数は大阪、名古屋、横浜に次いで4位。

政令指定都市になる前、人口40万人以上の都市の比較でも、さいたま市の中核をなす浦和市は、「図書購入費にも恵まれ、人口1当たり貸出冊数は日本一だった」というから、まさに文教都市の面目躍如である。

それ以外にも理由がある。市の面積は16位(大阪は15位)と小さい。1館あたりの蔵書冊数は13位と、図書館の規模は小さいながら、数が多いので、その密度は大阪に次いで2位、つまり、図書館が身近にあるので利用しやすい点も挙げられるという。

私の場合もママチャリで一っ走りすれば、4つの図書館が使える。10年から全館合計で30冊まで借りられるようになった。

政令都市ではさいたま市がトップながら、県単位となると、滋賀県が公共図書館の貸出冊数が08年度まで七年連続トップで「図書館先進県」とされる。県内に48館あり、県民一人当たり8.69冊だ。

滋賀県は30年前は全国最低レベルだった。80年に「移動図書館」など先進的な取り組みで知られた東京都日野市の図書館長を、新築移転した県立図書館の館長に招いたのをはじめ、各市町も人材を全国から集めた。図書館を増やして司書を多く採用、08年度の職員に占める司書の割合は82%と、他の都道府県を大きく引き離している。

立原道造ヒアシンスハウス さいたま市別所沼

2011年11月26日 20時33分25秒 | 文化・美術・文学・音楽


風信子――と書いて何と読む? 漢字検定めいた書き出しだで恐縮だが、「ヒアシンス」である。「ヒアシンスハウス」が近くにあるのを知ったのは、11年のことだった。

さいたま市南区のフェスティバルが別所沼で開かれるというので、ぶらぶら出かけてみると、子供たちが「南区魅力発見かるた」をやっている。「南区にそんな魅力のある場所があるのかな」と、写真付きのいろはかるたをのぞいてみると、「り」は「緑陰に文学の風ヒアシンスハウス」とある。

どこかで聞いた名前だなと錆ついた記憶をたぐると、数年前、東京都文京区弥生の立原道造館で見た<ヒアシンスハウス・風信子荘>のことを思い出した。

立原道造は、1939年3月29日、筆者の生まれた1日前に24歳8カ月で夭折しているので、気にかかっている詩人である。

死の直前、別所沼のほとりに5坪ほどの小さな週末住宅を建てようと(道造は建築家でもあった)、何枚もの設計図や住所を印刷した名刺までつくり、友人に配っていたが、夢かなわず肺結核で死んだ。

なぜよく通った軽井沢ではなく、別所沼だったのか。年上の詩友の神保光太郎が近くに住んでいたことと、東大建築学科の親友に浦和高校出身者がいたことなどのためらしい。

その遺志をついで、さいたま市から借りた地域の文化活動の拠点となる施設として 有志が全国から募金、04年にできた。木造で多くの人を収容するには狭すぎるが、いろいろな文化的な催しが開かれているという。(写真)

何も知らなかった無知を恥じながら、ぼんやり早春の陽にたたずんでいると

 夢はいつもかへっていった 山の麓のさびしい村に・・・

「のちのおもひに」の最初の一節が頭をよぎる。初めて読んだのはいつの日のことだったか。





ブックアート(本をめぐるアート) うらわ美術館

2011年11月24日 16時22分36秒 | 文化・美術・文学・音楽


一昔前のように箱入りの百科事典や文学全集を応接間のガラス戸の書棚に家具のようにずらりと並べ、読むというより飾っておく蔵書家がめっきり減った。

百科事典はパソコンで代用できるし、文学全集も全集を集めたくなるほどの作家も見当たらない。それに、安価に基礎知識が得られる新書の全盛期で、本そのものが美術品であるという考え方からは遠い時代になった。

こんなご時勢に、さいたま市のうらわ美術館では、「ブックアート」(本をめぐるアート)のコレクションをしていて、「アート(美術作品)としての本」を1000点以上所蔵している、と知ったのは最近のことだ。

浦和市当時、2000年開館の後発の美術館として、何か独特の個性を持たせたいと、昔からの文教都市で「本好きのまち」だから、本に関連したブックアートで行こうということになったらしい。

ブックアート収集を柱の一つに掲げる日本で唯一の館になっている。地域美術館として、さいたま市ゆかりの美術家の作品も収集している。この二つが柱なのだ。

この美術館は、旧中山道沿いのホテル「浦和センチュリーシティ」の3階にある。常時、全収蔵作品を展示しているわけではない。

11年11月23日の勤労感謝の日に、北九州市立美術館との共同企画で「アートとブックのコラボレーション展」という展覧会が、来年1月22日までの日程で始まった。これまで何度か同じようなテーマで展覧会を開いてきたという。

なにしろ初めてだから、絵本とか挿絵本とか、本の表紙、見返し、扉、カバーなどに意匠を凝らして装丁された本が並んでいるものと漠然と想像していた。

表装にこだわった「美装本」という言葉もあるとおり、日本の製本技術の水準が極めて高いことは知っていたからだ。

その類のものも、もちろんあるものの、素人としては「果たしてこれも本なのか」と思いたくなる作品が多数あった。

本と言えばこれまで、字が主体で字を読むもので、絵とか挿絵とか、装丁とかは、字の付属物、引き立て役だと考えてきた。

ここで展開されている世界は、その逆で、付属物や引き立て役が主で、文字は従のもの(ない場合も)が多いのだ。

読む本ではなく、ブック・オブジェだと考えたほうがいい。なにしろ焼き物や金属製の本(写真)もあるのだから。

「美術作品としての本」には、なじみがない。調べてみると、ピカソが20世紀で最も偉大なブックアーティストの一人で、美しい絵の版画を挿絵とした本を150冊以上描いているという。

このような本はArtist’s Book(アーティスツ・ブック)と呼ばれるものだ。マチスやミロ、シャガールのも展示されていて、カンバスの絵とは違った魅力がある。

この展覧会を見て、「本」についての考え方が混乱してきたので、学芸員の方に「ブックアートに関する美術館の考え方を書いたものはありませんか」と尋ねたら、この美術館の設立から関わってきた森田一学芸員の『本をめぐるアートについて』と題する小論文をコピーしていただいた。この中に

「ここにある本の作品は、普通の本ではない。紙でできているとは限らないし、頁が綴じられ冊子になった本とも違う。コミュニケーション・ツールとして機能する本でもない。

作品の中には、現実の機能性や実用性など、メディアとしての性質が抽象され、捨象された本の象徴的な姿が見え隠れしている。作品から看取されるものは、作品に内在し、そこから表出する様々な『本の象徴性』であろうと思う」

「本が美術作品になったのか、美術作品が本になったのかということは、さして問題ではない。それが、読めるのか、私たちが知っている本の形をしているのかということも重要ではないだろう。本に託された作品が、本という存在やそれがもたらす現代の問題をどのように喚起し、それにどのようにつながってゆくのかということが大切なのだと思う」

というようなことが書いてある節があって、なるほどとうなずいた。「百聞は一見にしかず」。実際に見てみると、いくぶん分かってくる世界がある。

国際ハープフェスティバル 草加市

2011年11月21日 14時55分15秒 | 文化・美術・文学・音楽


西洋ならともかく、日本ではなじみの薄い楽器「ハープ」のことを、どれほどご存知だろうか。

たまにオーケストラを聞きに行くと、大きな楽器があることは見てはいても、その独奏や合奏も聴いたことはない。

私がハープ=竪琴で忘れられないのは、市川昆監督の映画「ビルマの竪琴」で、水島上等兵がインコを肩に、小型のビルマ式竪琴を抱えている姿である。

11年11月19日(土)、音楽都市だと宣言している草加市の文化会館で国内最大級の「国際ハープフェスティバル」のファイナルコンサートが開かれるというので、驚いて聴きにいった。

会場は後部を除いて女性を中心にほとんど埋まっていて、毎年すでに23回になるというので二度驚いた。

最終日とあって、「第23回ハープコンクール」の入賞者の表彰式から始まった。ハープコンクールは、アジアではここだけ。一流ハーピスト(演奏者)の登竜門になっていて、韓国や中国からも応募者があるという。.

今回はプロフェッショナル部門が対象で、52人の中から武蔵野音大4年の佐藤理絵子さんが1位に選ばれた。その演奏が、私にとってハープの独奏を聴く初めての体験になった。

世界的なハーピスト、シャンタル・マチュー氏(フランス 02年第8回世界ハープ会議議長)の独奏もあり、「リラックス時に出るアルファ波の出現を促す」というハープの音色を実感できた。

圧巻は、グランドハープ(大型ハープ)19台が、舞台に勢揃いしたフィナーレの「グランドハープ・アンサンブル」だった。 (写真)

指揮者で国立音大名誉教授の増田宏三氏が、第一回のフェスティバルのために作曲した「菊の花の祭り」という日本風の曲で、初めて見る大合奏の迫力に圧倒された。毎回最後に演奏される。

「なぜ草加で国際ハープフェスティバル」?  この疑問をいろいろ聞いてみると、始まった1989(平成元)年当時、草加市原町にある上野学園短期大学に音楽学部があり、日本ハープ協会会長も務めたヨセフ・モルナールさんが、ハープ専科で教えていた。知り合いの当時の今井宏市長が「何か草加にも文化的なことを」と始めたのだという・

このフェスティバルは、文化会館の枠の中にとどまらない。11月初めからお寺や病院、駅、小学校で“出前コンサート”が開かれ、草加は「ハープのまち」(田中和明市長)になり、知られるようになっている。

市内には市民による「レバーハープ・アンサンブル」などもあり、文化会館などでハープ教室も開かれている。

市は1993(平成5)年

綾瀬(川)のほとりにメロディー流れ
草加のまちなかにリズムあふれる
人々の心にハーモニー生まれ
・・・

という「草加市音楽都市宣言」を制定した。

音楽は、私には歌謡曲くらいしか分からない。だが、小さい頃から音楽は何でも聴くのは大好きで、「煎餅の草加」に対する見方を改めた。

ハープの弦は最初、弓の弦だったと伝えられ、世界の歴史の中で、最古の楽器の一つ。旧約聖書には、ダビデ王も奏でたとされる。


ダビデ王もびっくり草加の弦の音 柳三


県こども動物自然公園 東松山市

2011年11月18日 15時59分16秒 | 博物館


11年の11月14日の県民の日(10年)。県立こども動物自然公園も入場無料で、東武東上線も県内なら460円で乗り放題というから、「県庁オープンデー」を見た後、高坂駅からバスで訪ねた。

名物のカピバラの温泉入浴と最近蓼科の水族館から来たフンボルトペンギンを見るためである。入浴は残念ながら11月19日からで、ちょっと早過ぎた。

日本の動物園や水族館で、フンボルトペンギンは珍しいものではない。フンボルトとはチリ沿海を流れている寒流にちなんだもので、私も大好きなアンチョビー(カタクチイワシ)を食べている。

驚いたのは、西門に近いペンギンヒルズ(フンボルトペンギン生態圏)を訪ねた時だった。展示エリアとしては「世界最大規模」で、繁殖地を再現した巣穴などの生息フィールドは、生息空間に入って間近に観察できる「日本初の展示手法」を誇っている。

この生態園は、姿や泳ぎを見せるだけではなく、絶滅危惧種であるフンボルトペンギンの繁殖と保存も目的としている。ペンギンが自分で巣穴を掘れる土の丘(営巣地)として高さ4.8mの築山が、ペンギンの泳ぐ水槽に接してできている。プールと合わせてその面積が約3900平方m。サッカー場の半分で、それが世界最大規模だというのだ。

日本はペンギン王国で、12年末で世界最多の約3500頭を約150施設で飼育している。

11年4月26日にオープンしたばかりながら、このペンギンヒルズは57件の応募の中から、第10回目の「エンリッチメント大賞2011(施設賞)」を受けた。

「エンリッチメント」とは、聞き慣れない専門言葉。「動物の環境を豊かにする」という意味のようで、飼育動物の幸福な暮らしを実現するための具体的な方策を指す。

「動物園を通じて人間と動物の関係を考える」をモットーにするNPO法人「市民Z00ネットワーク」が創設したもので、ペンギンが生息するチリやペルーの生息環境に近づけ、伸び伸びと暮らせるように工夫したのが評価された。

このこども動物自然公園が大賞を受けたのは、06年の「ズーオリエンテーリング(来園者部門賞)」、08年の「コアラ、コアリクイ、ナマケモノの展示(動物園賞)」についで3回目である。

3回以上受賞したのは有名な旭川動物園(5回)、円山動物園(札幌)(3回)、上野動物園(3回)だけ。

円山、上野といった日本有数の動物園に並んで、「象もアフリカの猛獣もいない」こども向けの動物園がほぼ同数受賞していることは、動物園好きとしてはうれしい限りだった。一度園長さんにお目にかかりたいものだ。

私が気に入ったのは、東京ドーム約10個分46haの動物園の広さである。比企丘陵とはかつてこんなものだったのかと思わせる雑木林の中にある。国木田独歩も「武蔵野」の稿を改めたろうと思うほどだ。

こども動物自然公園は1980年5月に開園。95年には入園者数が1千万人を達成、04年1月には2千万人を突破した。

18年12月現在では、大人気のコアラ10頭をはじめ、レッサーパンダ、ワラビーなども加わり、癒し系のカピパラが入浴する「カピパラ温泉」は冬の風物詩になっている。

世界最小のシカで、国内ではここにだけいるプーズーなど、開園時26種206点の動物は200種2000点になった。種類の豊富さは「国内5指に入る」と田中理恵子園長は語っている(この項毎日新聞)。

 

 

 




 


東松山スリーデーマーチ

2011年11月07日 10時12分58秒 | スポーツ・自転車・ウォーキング
埼玉県で毎年開催される全国的な、いや世界的というべきか、イベントに日本スリーデーマーチがある。

11年ですでに34回になる。参加してみたいと思ってはいても、昔から体を動かすスポーツの類は、なんとなくおっくうで、新聞で読んでいるだけだった。

東松山に出かけてみようという気になったのは、暇ができたのと、最近、埼玉県内各地を歩き慣れているので、歩けるかも知れないと思ったからだ。

当日申し込みの2千円が千5百円に割引になるというので事前予約して、自転車ならともかく、これだけの距離を歩いた経験はないのに30kmコースに挑戦することにした。同じ県内の飯能新緑ツーデーマーチで、わずか10km歩いたのが背中を押した。


11年11月4日は、スリーデーの初日で、11月とは思えないほどの暖かさと好天に恵まれた。

リュックの背中に貼るゼッケンに、3日間それぞれの歩行距離、国名または県名、名前と並んで、「私の一言メッセージ」を書き込む欄がある。

スリーデーマーチの名のとおり、3日間通して歩くのが原則になっているようで、実際、3日分を書き込んでいる人が多かった。

メッセージ欄に私は、無愛想に「初参加」とだけ書き込んだ。歩き始めてこのメッセージを読む楽しさが分かった。次々に抜かれるので、読めるゼッケンは増える一方だ。

メッセージには「完歩」という言葉が最も多く使われていた。「歩き抜く」という決意の表明だろう。たまに「「観光気分で歩く」という意味か「観歩」というのもあった。完歩と並記してあるのがほとんどで、観歩に徹するというのではなさそうだった。

私のように、最初から「緩歩」「閑歩」「漫歩」を決め込んでいるような心得違いはまずいないことが分かった。「日本人は何をするにしても本当に真面目なんだなあ」と痛感した。

おまけにスティーブ・ジョブズが遺したアイポッドや携帯ラジオでニュースや音楽番組を聞き、時には小型のデジタルカメラを取り出すのだから、場違いもいいところだ。

驚いたのは、「アルチュウ進行中」というメッセージを見たことだ。わたしは「進行中」どころか、アルチュウに近いので、「わが同士よ」と親近感を覚えた。だが、よく見ると「アル(歩)チュウ」と書いてある。「歩き中毒進行中」なのだ。

やっと分かったのは、このマーチは「競歩」ではないのに、参加者は一つの競技として捉えているのではないかということだった。

マラソンやジョッギングをしている人の間に、走っているうちにだんだん気分が良くなってくる「ランナーズハイ」という言葉がある。「ウオーキングハイ」も起きるのだろうか。

そう言えば、このマーチの参加者にも国内外のマーチを転戦している人もかなりいるようで、背中に参加記念バッジが一杯という人もいた。

帰路には、午前6時出発の50km組みに次々抜かれた。3日間とも50kmと書いたのを見ていると、この鉄脚の持ち主はまるで“歩き神様”のように思われた。

日本人は北海道、九州、岡山、それに福島・・・と全国的だが、外国人は50人足らずとかなり減った。原発事故のせいのようだ。本場オランダのほかルクセンブルグの夫婦連れやオーストラリア、韓国人の姿を見た。

ゼッケン眺めだけでなく、この日のコースも面白くすばらしかった。

30kmコースは、東松山市役所を起終点として、行きは和紙の町、小川町の埼玉工芸会館までの14km。帰りは、京都の嵐山に似た武蔵嵐山渓谷、畠山重忠ゆかりの菅谷館、原爆被害画の丸木美術館経由の18kmの計32km。

それぞれ個別には訪ねたことはあっても、それを結ぶ道を歩いたのは初めてだった。市野川、槻川、都幾川と川に沿ったところが多く、比企丘陵の田園の秋を満喫できた。

往路の鬼鎮(きじん)神社(嵐山町)は、初めてだった。鬼を祀った神社で、節分の掛け声は「福は内、鬼は内、悪魔 外」で、赤鬼、青鬼も豆をまく全国でも珍しい神社。受験にも強い「勝負の神様」として知られる。

朝7時すぎ出発、午後3時半ごろゴール。順位や所要時間が出ないのがいい。昼食、小休憩(立ち寄り)を含めて8時間余。老緩歩者にふさわしく時速ざっと4km。時速7kmの人もざらにいるらしい。1日または2日間だけ完歩した登録者に与えられる「完歩証」をもらった。

三日間完歩した人には、「大会完歩証」と「完歩数字賞」が贈られる。

34回の延べ参加者は7万2千弱で昨年の8万9千弱から大幅に減った。好天に恵まれた12年の35回は、過去最多の12万3658人に達した。35回連続50km完歩の人もいたそうで、頭が下がる。

日本最大、世界でもオランダの国際フォーデーマーチに次ぐ2番目の規模だという。

東松山といえば市内に約百軒の店があるヤキトンのまち。駅に近い松川屋では本物の紀州備長炭が石炭みたいに密度が高いのを手にしたし、焼鳥店組合の組合長の「桂馬」も久しぶりに訪ねた。「アル(歩)チュウ」ならぬアルチュウ候補にとって、参加動機の半分はヤキトン目当てだったのだ。