「国内に残った最後の自生地」とされる羽生市の宝蔵寺沼で、絶滅が懸念されていた野生のムジナモが、羽生市ムジナモ保存会、市、県教育委員会、埼玉大学などの協力で、復活、活発に自然増殖を始めた。
ムジナモは羽生市のキャラクターの一つとして知られている。
市教育委員会では7月31日、見学会を開き、埼大でも23日、「埼玉の“いま”を知り、未来を考える」(埼大、読売新聞さいたま支局共催)の第1回講座で、研究・保護に携わってきた教育学部の金子康子教授(58)がその経過を講演で報告した。
ムジナモは、モウセンゴケ科ムジナモ属の一属一種の食虫植物で、タヌキの尾に似た形からその名がついた。根がなく、池沼や水田などの水面に浮遊し、捕虫葉で水中のプランクトン(ミジンコなど)やボウフラを捕まえて食べる。同時に光合成もする珍しい植物である。
茎は全長6~25cm。冬は冬芽の状態で水底で越冬する。花はマッチ棒の先ほどの大きさで、気温が30度以上になる晴れた真夏の昼の1時間程度、水上で花を1回しか開かないので、「幻の花」と言われる。
8月7日の見学会で羽生市三田ヶ谷農村センター前の宝蔵寺沼のヨシ原で初めて見た。花は薄緑色で、余りに小さいので、専門家に指さされないと分からない。これも花というなら、小さいというよりミクロな花である。(写真 左側の小さな花、右側の黄色いのはタヌキモ)
凍っても大丈夫なので、ヨーロッパからインド、オーストラリアまで広く分布しているのに、南北アメリカ大陸にはいない。
日本では「日本植物学の父」と呼ばれた牧野富太郎博士が1890(明治23)年、東京都の江戸川べりで発見して命名、開花の図も初めて発表した。開花の図は欧米では珍しかったので、博士の名は世界に広まった。
宝蔵寺沼でムジナモを見つけたのは、田山花袋の小説「田舎教師」の関訓導のモデルとされる清水義憲教諭で、1921(大正10)年のことだった。
簡易水道のための水道水用の地下水くみ上げで地下水位が低下、湧水が途絶えたのと、水質汚染や農薬のため激減、1966年、「国内最後の自生地」として宝蔵寺沼が国の天然記念物に指定された。83年には羽生市ムジナモ保存会が活動を始めた。
ところが直後に台風に襲われて、流出するなどして、98年3月には県から「野生絶滅」との判定を受けた。
2009年、市教委から委託を受けた埼大が、羽生市ムジナモ保存会などと5か年計画で本格的な調査を始めた。
野生株が絶滅したあと、保存会のメンバーは自宅で栽培した株を放流する増殖活動を続けてきた。
調査班は、ムジナモを食べてしまうウシガエルの卵やアメリカザリガニを除去したり、捕食するコイやカルガモなどが入ってこないよう網で仕切りを造ったり、適切な水深を確保するため泥上げで浅瀬を造成したり、冠水による流出を防ぐためヨシを刈り残したり・・・と試行錯誤を重ねた挙句、6年ほど前から自然状態で越冬する株が見られるようになった。
自生地に生育するムジナモが急増したのは、15年からで、16年は繁茂個所が9つに増え、6月には約5万株を超え、7月末には12万7千株に増えた。2016年は、天然記念物に指定されてからちょうど50周年に当たる。
このため市教委では7月31日に見学会を公募したところ、30人の定員をはるかに超え、回数を増やすことになった。
金子教授は、ムジナモはヨシやヒシ、タヌキモなどと共存しながら増殖しており、ムジナモが年間を通じて生育できるためには、捕食動物を含めた多様な生物がバランスよく生育できる環境が必要だと強調していた。
すべての生き物はつながり、支えあって生きているのだから。