ださいたま 埼玉 彩の国  エッセイ 

埼玉県について新聞、本、雑誌、インターネット、TVで得た情報に基づきできるだけ現場を歩いて書くエッセー風百科事典

「荒川のうた」コンサート 戸田市

2014年01月20日 13時30分57秒 | 文化・美術・文学・音楽
「荒川のうた」コンサート 戸田市

埼玉県の母なる川、荒川―――。この川の流域を詞にして曲にした「荒川のうた」がすでに百曲以上できていて、「荒川のうた合唱団」の百曲記念コンサートが開かれるという。

そんなチラシに気がついて、14年1月19日午後、会場の戸田文化会館大ホールに出かけた。有料(999円)なのに定刻前には長い列が出来ていて、広いホールもほぼ満員だった。

作詞家が実行委員長として、司会兼合唱団団長として歌い、作曲家が合唱を指導し、自ら指揮をとる。こんなコンサートを聴いたのは初めてだった。詩も曲も見事だったので、すべて「荒川のうた」34曲を2時間半堪能した。

1999年、旧建設省荒川工事事務所が荒川放水路完成70周年記念事業で荒川にまつわる歌を募集した。その際委嘱されて創った、源流から東京湾までの12曲の合唱組曲「荒川のうた」が川口市リリア音楽ホールで発表された。

翌年、この発表会に戸田市関係者がいた縁で市に「荒川のうた合唱団」が設立された。その後も創り、歌い継がれて発表から15年、「荒川のうたコンサート」も5回目になる。

10年には「1千人で歌おう荒川のふるさと」と名づけた10周年記念コンサートも開かれた。

作詞はいずれも、看護師の経験もある高野美代子さん(福島県出身、鴻巣市在住)、作曲はうたごえ運動に関係する作曲家として有名な大西進氏(三重県出身、横浜市在住)である。

大西氏は、「大漁」などで知られ、若くして自殺した山口県の女性詩人金子みすずの残した全ての詩515編に曲をつけるなど作曲活動40年、作曲したのは約2千曲に上る。

海外でも歌われる「青い空は」、NHKみんなのうたの「カメレオン」などでも親しまれている。

コンサートには、大西氏の知り合いの著名なバス歌手岸本力氏も特別出演、得意のロシア民謡のほか、「荒川のうた」の中の最初の曲「荒川のふるさと」を披露した。

岸本氏は、1972年に日本音楽コンクールで第1位になり、第5回チャイコフスキー国際コンクールで最優秀歌唱賞を受けるなどデビュー以来40年余。今度のコンサートでも発声を指導した。

「荒川のふるさと」は

♪ 荒川のふるさとは緑豊かな 奥秩父の甲武信岳
  白樺シラビソ橅の木が 静かに息づく原生林 ♪

と始まる。歌詞も曲も素晴らしいものだ。

「荒川のふるさと」には、「大滝村」「長瀞のうた」「宝登山蝋梅音頭」や戸田市周辺では「芝川の十三夜」「笹目川」「戸田橋花火」など、県民には親しい題材が歌われている。

私がこのコンサートに行く気になったのは、今では遊歩道が春は花見の名所になった「笹目川」が曲目に入っていたからだ。毎日越えている川である。、

岸本氏のほか、アルトのソロ歌手田中優子さんが率いる寄居町の女声合唱団「コーロさくら」も応援にかけつけた。

「コーロさくら」は、12年に日米桜交流100年を記念して、「荒川のうた合唱団」とともに訪米、ワシントンのポトマック河畔やニューヨークのカーネギーホールでも歌っている。

大地震で埼玉県などで避難生活を送っている福島県浪江町の混声合唱団も「荒川のうた合唱団」とともに、ふるさとの歌2曲を披露した。

「荒川のうた」シリーズは、祖父母から孫まで3世代の愛唱歌を目指しているので、幼稚園から高校生で構成されている「戸田市児童合唱団」も、秩父鉄道を走る蒸気機関車「パレオエクスプレス」をテーマにする「SLパレオ」など7曲を歌った。

最後は「荒川のふるさと」の大合唱・・・。

埼玉県には、正式な県歌がある。この美しい曲を聞きながら、県歌と並ぶ「県民歌」にしたら、県の知名度も高まるのではないかと、ふと思った。秩父市の影森中学校起源の卒業式の定番ソング「旅立ちの日に」のように。

サクラソウ さいたま市田島ケ原 絶滅の危機

2014年01月16日 12時20分00秒 | 盆栽・桜・花・木・緑・動物


暖かさと寒さが毎日のように入れ替わったお蔭で、11年4月10日の土曜日、田島ケ原のサクラソウと染井吉野の満開が重なった。

荒川の河川敷にある田島ケ原は、サクラソウの自生地として知られる。1920年、日本で最初に指定された天然記念物の一つで、サクラソウで国の特別天然記念物になっている(1952年)のは全国でここだけ。植物の天然記念物に「特別」がつくと仏像などの国宝に匹敵するとか。計約4.12haが2か所で低い柵に囲まれて保護されている。

どうして数えるのか。10m四方の定点11か所を、7人が3日がかりで一つ一つ数え、推定するという。鳥や動物だと動き回るので数えるのも大変だが、サクラソウは動かないから可能だ。

自生のサクラソウと言っても、いろいろな違いがある。花びらの形も色も中心紋の大きさ、切れ込みも微妙に異なっている。確かに目を近づけてよくよく見るとそのとおりだ。

興味がある人は、現地で配られている小さなパンフレットを見ると、よく分かる。サクラソウは施肥しない。その代り、オギやヨシが2~3mまで伸び、日当たりが悪くなって、サクラソウの成長を妨げるので、毎年1月下旬に野焼きする。一つの風物詩になっていてカメラマンが押しかける。

サクラソウには地下茎があり、種子も地下に埋まっているので、火を生き延び、焼けた灰を肥料に成長する。芽を出し 茎や葉が伸びても、年によって違うが、開花するのは3割程度、一株に6つほどの花をつけるという。

18年6月には市議会で株数の急激な減少が取り上げられ、03年にピークの235万株から、17年に72万株、18年に66万株と3分の1以下に減少、「危機的状況」にあることが明らかになった。

気候温暖化や周辺河川の改修に伴って、河川敷への反乱がほとんどなくなったため、乾燥地に適した植物の増加、外来種の侵入がサクラソウを圧迫していることなどが原因で、市としては自生地保護のため、19年度から本格的な実態調査に乗り出す。


サクラソウ自生地の野焼き さいたま市

2014年01月15日 17時35分18秒 | 盆栽・桜・花・木・緑・動物



さいたま市南西部荒川左岸沿いの田島ヶ原のサクラソウ自生地には、季節に花が咲くとほとんど毎年出かけている。ざっと4haに約100万株あるという。

これに先立ち厳冬期に、一面に伸びたアシやオギを焼き、肥料にして発芽を促す野焼きが毎年行われるのは、知ってはいたもののこれまで見たことがなかった。

世界的に厳しい冬になった14年1月15日、野焼きがあるというので、出かけてみた。

今年一番の冷え込みで雪が舞うとの予報もあったので、朝9時過ぎ念のため「さいたまコールセンター」に電話してみると、「予定通り朝9時から始まってますよ」。

このコールセンターは、毎日朝8時から夜9時まで開いているので、イベントなどの問い合わせに便利。出色の市民サービスだ。これまで何度かお世話になった。

堤の上で遠くから眺めたらさぞ良かろうと、自転車で堤を登り、目的地付近を見下ろしてみても煙らしきものは見えない。

あわてて降りて、「サクラソウ自生地」の石塔の立つ中心部に着いた時は、辺りはすでに黒焦げの地面が残っているだけだった。

通りかかった関係者に聞くと、「もっと川よりでまだやっています」とのことで、自転車を進めると、ちょうど火が燃え上がろうとしていた。(写真)

聞くと、一度に火をつけると危ないので、いくつかのブロックに分けて、小型のガスバーナーで点火する。乾ききっているので、小さなブロックのアシはすぐに燃え尽きてしまう。

2m余にのびたアシが盛んに燃えると、放射熱が冷え切った体を温めてくれるのが快い。

サクラソウを守る会」の人たちのほかに、今ではさいたま市の冬の風物詩の一つになっているこの野焼きを、カメラに収めようとする風流人が取り囲む。

たまたま近くのスポーツセンターから先生に引率された園児たちが、バスで見物に来ていたので、格好の被写体になっていた。

サクラソウは種子ではなく、根茎の状態で地下で生き延びているので、地上の火にもめげず、春になると忘れずに可憐な花を咲かせる。

染井吉野の満開期と重なると、素晴らしい光景だ。「桜草公園」と名づけられたこの地では「さくら草まつり」が開かれる。さいたま市桜区は桜の花ではなく、このサクラソウにちなんで命名された。

野生ではなく、大切に守り育てたサクラソウの品評会が市役所の構内などで開かれるのも見逃せない。

この地が、国の「特別天然記念物」に指定されているのもうなずける。サクラソウは埼玉県の花、さいたま市の花でもある。

ちなみに2000年10月、宇宙飛行士若田光一さんとともに宇宙を飛んで話題になったサクラソウの種子は、荒川のちょっと上流のさいたま市西区二ツ宮の「錦乃原自生地」のもので、ここのものではない。

「錦乃原宇宙桜草」と名づけられて育てられている。