ださいたま 埼玉 彩の国  エッセイ 

埼玉県について新聞、本、雑誌、インターネット、TVで得た情報に基づきできるだけ現場を歩いて書くエッセー風百科事典

やきとリンピック 東松山市

2015年09月27日 16時23分19秒 | 市町村の話題



現在のブログを書く前に、「いも焼酎とともに半世紀」というブログを百回程度書いたことがある。

どうしようもない飲兵衛で、最後にはいも焼酎が好きだったので、「いも焼酎のつまみには『やきとん』がよく似合う」といったタイトルの一文を載せたりしていた。

「やきとん」だから、焼き鳥ではなく「焼き豚」である。それもまっとうな高価な肉ではなく、タン、レバー、シロといった豚の安い内臓や頭部の頬やこめかみの部分のカシラ肉が材料だ。

内臓はもつ焼きやホルモン焼きとも呼ばれ、親しまれている。「放るもの=捨てるもの」が「ホルモン焼き」になったという。

なかでもカシラは独特の歯ごたえと旨みがあるので、人気が高く、関東の「やきとん」のメッカ埼玉県東松山市では、「やきとん」と注文すれば、カシラが出てくる店があるほどだ。

カシラも戦前は食用ではなかったが、戦後、韓国人の店主が垂れに味噌だれ=コチジャン(朝鮮半島の唐辛子の効いた味噌)を使い、ネギと合わせることで人気が出た。

首都圏の駅前ガード下の居酒屋派で、関東以外では、食べた経験が余りなかったので、「焼き鳥」とは「焼き豚」の串刺しのことだたと思い込んでいた。

「焼き鳥の世界も広い」と分かったのは、07年9月29日、福島市の競馬場に全国から20店が集まり、「第1回やきとリンピック」が2日間の日程で開かれたと各紙に報じられた時だった。

福島や北海道室蘭など全国7大やきとりの街の店主らで作る「全国やきとり連絡協議会」(略称全や連、06年発足)が、福島市制施行100周年記念事業の一つとして開いたものだった。

やきとりの激戦地でバラエティーを誇る久留米市では、馬肉やその内臓の串焼きも「やきとり」と呼んでいる。つまり、串に指せば何でも「やきとり」なのだ。愛媛県今治市では鉄板の上で焼き、串に刺さず、皿に盛って出す。北海道美唄ではさまざまな鶏の内臓肉を一本の串に刺した「もつぐし」が人気・・・とやきとりにも色々あることがわかった。

「全や連」は今や全国に約120店舗。それが15年9月26、7日、東松山市の松山市民活動センター駐車場で「第9回全国やきとリンピックin東松山」を開いた。

北海道から九州まで13店舗が出店した。東松山駅前のチェーン店「ひびき」が創立以来のメンバーで東松山開催は初めてだった。

「ひびき」の味噌だれは、モンドセレクション最高金賞を受賞している。彩の国黒豚や深谷ねぎを使い、地産池消にも取り組んでいる。

山形県米沢市からは日本三大和牛の「牛串」の店も参加していて驚いた。

東松山市や観光協会の実行委員会が主催、市内の農業団体や菓子店などが出品する市産業フェスタも同時開催、8回目を上回る5万の人出でにぎわった。特産の梨や栗も売られていた。(写真)

全や連では13年に東京・大手町の産経会館地下に、全国7大やきとりの街の味が一同に会する「全や連総本店」を開業しており、北から美唄、室蘭、福島、東松山、今治、長門、久留米の味が楽しめる。

各地を代表する串が1本ずつ入った「ご当地食べ比べセット」がお勧めとのことだ。



竹寺 神仏混淆の遺構 飯能市

2015年09月24日 11時59分41秒 | 寺社


竹寺は、その名のとおり、境内に孟宗竹の美しい林が茂り、金明竹、四方竹、亀甲竹など各種の竹が植えられているお寺である。珍しい竹の鳥居もある。

寺だから寺らしく、山号、院号、寺号もあり、正式には天台宗の「医王山・薬寿院・八王寺」で、竹寺は通称だ。

竹で作った食器、竹筒に入った般若湯(お酒)、何から何まで竹製の器で山菜料理を出す精進料理(竹膳料理)で有名。

第二次大戦後まもなく、読売新聞俳句欄の選者だった秋元不死男氏が、竹寺で宿泊した折、「題材も多く、環境もいいので俳句寺にしたらどうか」という話を持ち出し、読売紙上に「奥武蔵俳句寺」として紹介したことから、多くの俳人や俳句愛好家が訪れるようになった。不死男氏のほかいくつかの句碑もある。

西武池袋線飯能駅から国際興業バスで40分、終点中沢で下車、坂道の車道を登り徒歩で40分の所にある。

竹寺の後、「子の権現」に詣で、西武池袋線吾野駅に出ることもできる。格好のハイキングコースで、この二つの寺を一緒に回る人が多い。

15年9月中旬、秋晴れがやっと訪れた土曜日にこの寺を訪ねた。

竹寺は神仏混淆の寺として有名だ。竹寺の入り口にある「茅の輪(ちのわ)」をかたどった「茅の輪の門」の右側に立つ緑色の丸い筒には、「神仏習合の遺構 竹寺」と書いてある。東日本で残っている唯一の遺構だという。

1868(明治元)年の神仏分離令で、日本の神は本地(ほんじ・本来の姿)である本地仏が、衆生済度のために仮の姿である神に姿を変えて現れたとする神仏習合(神仏同一説)が廃され、廃仏毀釈が進められた。

神仏習合は、それまでの「本地垂迹(すいじゃく)説」に基づく。例えば、熊野権現の本地は阿弥陀如来であるといった考え方で、神仏分離は神道を仏教から独立させようとする神道国教化の動きだった。

竹寺の本尊は、「天王さま」と親しまれている牛頭天王(ごずてんのう)である。寝殿造りの本殿(牛頭天王社)には牛頭天王が祀られ、境内にはいかめしいブロンズの牛頭天王像がある。「八王寺」という名も祀られている牛頭天王の8人の子供にちなんでいる。

牛頭天王は、インド祇園精舎の守護神と言われ、中国を経て日本に伝わった。スサノオノミコトと同一視されることもある。神仏分離令後、日本にある牛頭天王のほとんどがスサノオノミコトに、その社名は八坂神社に改称させられた。

牛頭天王の本地仏は薬師如来で、竹寺では「瑠璃殿」と呼ばれる「本地堂」に祀られている。

八王子も分離令の出た翌年、薬師如来の12神将の一人である「招杜羅(しょうとら)大将」に改めたが、いつの頃からか元の牛頭天王に戻ったという。

山奥のため目が届かなかったのだろうか。牛頭天王は、神ながら仏との区別が明確でないためだったのだろうか。

本殿入り口の鳥居には「医王山」という額がかかり、7月15日の牛頭天王祭は仏式で行われるなど、ここでは神と仏が今でも平和共存している。

この鳥居についている本物の茅の輪をくぐれば、心身が清浄になり、疫病から逃れられると伝えられる。牛頭天王ゆかりの「蘇民将来」のお守りも有名だ。

武蔵野観音第33番結願(けちがん)所にもなっていて、樹齢400年の高野槙もある。

世界最大の「田んぼアート」 ギネス世界記録に認定 行田市

2015年09月13日 15時45分20秒 | 市町村の話題

 

行田市が、「古代蓮の里」の展望タワーの東側の田んぼで08年度から毎年進めてきた「田んぼアート」アートづくりが見事に成功、15年9月8日、世界最大の面積2万7195平方mがギネス世界記録に認定された。

7品種の稲を使って、縦最長180m、横165mの水田に、「未来へつなぐ古(いにしえ)の奇跡」と題して、古代の衣装をまとった女の子を中心に宇宙服の男の子、古代蓮、小惑星探査機「はやぶさ2」を配した。(写真)

17年は、現在の田んぼの南側の1haにも違うデザインを描くなど、2つのアートでスケールアップを狙う。映画の宣伝を兼ねて、「のぼうの城」を図柄に使ったこともある。

市や地元農家らの「田んぼアートづくり体験事業推進協議会」が手がけてきたもので、ギネス認定への挑戦は2年前の13年に次いで2度目。この年は、高温障害のため一部の稲が生育不良で、地面が見えたため認定は見送られた。

「田んぼアート」とは、古代の稲が現代の米と違って茎の葉の色が黒や黄色で、異なっているのに着目、現代の稲と組み合わせて植えて、田んぼをキャンバスにして巨大な「絵を描く」ものだ。

現代の稲には、県の奨励品種「彩のかがやき」が使われた。

田んぼアートは1993年、青森県田舎館村で始まった。人気を呼び、全国で100か所くらいで行われたという。

行田には格好な舞台がある。「古代蓮の里」の古代蓮会館には、高さ50mタワーがついている。

利根川に近いこの界隈は、一面平らで、高いところがなく、360度の展望が楽しめる。天気が良ければ遠く「スカイツリー」も望める。おあつらえ向きに真下の東側には広大な田んぼが広がっているのである。

先輩の田舎館村の指導を仰いで、田んぼアートへの取り組みが始まった。古代稲の育苗には、県の農林公社種苗センター(鴻巣市)が協力した。

08年6月13、14日に行われた田植えには、田植えボランティア402人、一般参加者411人が姿を見せた。

9月13日の土曜日、「のぼうの城」以来2度目の「田んぼアート」見物に出かけた。蓮の里の駐車場はマイカーで一杯。古代蓮会館の一つのエレベーターには長い行列ができていた。昼ごろには入館券を買って、1時間10分待つほどだった。

入館券も大人400円が200円に半額に割り引き、JR行田駅から蓮の里までのシャトルバスも無料運行された。

残念なのは、稲を刈り取るので、15年の見頃は10月中旬まで。「田んぼアート」は、田植え後2週間くらいから収穫まで約150日間楽しめるとのことで、16年は早めに出かけたほうがいい。

「田んぼアート」は、刈り取られた稲わらが大迫力の「わらアート」に変身する。わらアートの第1人者として知られ、監修した武蔵野美術大の宮島慎吾教授によると、「日本最大のわらアートと言って間違いない」とのこと。

昨シーズンの馬形埴輪とマンモスに続く2回目で、今シーズンは草食恐竜ステゴサウルスと蒸気機関車の2体が、16年3月27日まで古代蓮会館脇の芝生広場で無料展示されている。

「古代蓮の里」は、広大な公園で、42種類12万株があり、圧倒的に薄いピンクの「行田蓮」が多い。

「行田蓮」は1971年、近くの市の焼却場建設工事の最中、偶然掘り起こされ、2年後に自然発芽・開花した1390年前の古墳時代の古代蓮だ。

この市には、「埼玉」の名の起こりになった東日本最大の古墳群(大小9基)があり、「さきたま古墳公園」として整備されている。

10万石の忍城には、天守閣こそなかったものの、「忍城御三階櫓(やぐら)」が再建され、郷土博物館の展示室の一部になっている。

この3か所をめぐるコースは、県北の貴重な観光資源になろうとしている。