ださいたま 埼玉 彩の国  エッセイ 

埼玉県について新聞、本、雑誌、インターネット、TVで得た情報に基づきできるだけ現場を歩いて書くエッセー風百科事典

金子兜太デジタルミュージアム 皆野町ホームページにオープン

2020年07月06日 08時56分07秒 | 金子兜太



1918年2月、98歳で死去した皆野町出身の俳人金子兜太氏の作品などを収録した「デジタルミュージアム」が20年4月から町のホームページに開設されている。アップされた作品は当初、この写真など約25点と少なかったので、町教育委員会では資料の提供を呼びかけている。

「秩父音頭と俳句の町みなの~俳人金子兜太のふるさと~」と呼ばれるもので、町教委の「デジタルミュージアム編さん室」が担当する。「ゆかりの作品」と「担当者だより」の二つがテーマである。

「ゆかりの作品」では、兜太が作詞した皆野中学校の自筆の校歌や、兜太の父親で「伊昔紅(いせきこう)」の俳号を持つ医師の元春が手を入れて生まれた「秩父音頭」の元春自筆の歌詞

 秋蚕 仕舞うて 麦蒔 終えて
 秩父夜祭 待つばかり

などが紹介されている。

編さん室では、秩父音頭やそれ以外の盆踊りなどを踊っている写真や新聞記事、皆野町や秩父市にゆかりのある俳人や小説家などの自筆句、作品、手記、日記などの資料提供を望んでいる。資料は撮影後、返却される。

問い合わせは、0494・62・4563 同編さん室

金子兜太百年祭 皆野町

2019年09月27日 16時37分45秒 | 金子兜太



18年2月に98歳で亡くなった俳人、金子兜太さんの生誕百年になる19年9月23日、少年期を過ごした秩父の皆野町で「金子兜太百年祭」が、町の文化会館ホールで開かれた。

同時に、医師だった父親の元春さんが開業した医院「壺春堂=こしゅんどう」で、兜太さんの記念館になる「壺春堂記念館」が初めてお披露目された。兜太さんの実家で、皆野小から旧制熊谷中までここで過ごした。

元春さんも、俳号「伊昔紅=いせきこう)を持つ俳人で、ここで句会を開いていた。伊昔紅は皆野町の代名詞になっている「秩父音頭」を周りの協力を得て、卑猥なものから全国に通用する民謡に創り変えた。

木造2階建てのこの記念館は、同じ敷地内で医院を継いだ兜太さんのおいでの桃刀=ももと=さんやゆかりの人たちの「兜太・産土=うぶすな=の会」が改修・保存・寄付を呼びかけ、屋根や外壁などの修復が進行中。カフェなども年内にオープンする予定で、会では記念館を「兜太ファンの聖地」にするとともに、国の登録有形文化財にする手続きを進めている(毎日新聞)。

午後に開かれた百年祭には、全国から集まった兜太ファンなどホールの定数満席の約600人が集まった。舞台の両脇には、この祭りには出席できなかった瀬戸内寂聴さんの大きな花束が置かれ、俳人・宇多喜代子さんはぎりぎりで大阪から新幹線でかけつけた。

ドキュメンタリービデオ「天地悠悠 兜太・俳句の一本道」(74分)が上映された後、俳人・黒田杏子さんの司会で、俳句誌「兜太TOTA」、兜太さんの「海程」同人などの俳句関係者ら13人によるリレートークがあり、興味深いエピソードが次々に披露された。

この映画は、兜太さんが最後を迎えるまでのあしかけ7年を兜太俳句を軸に映像に収めたもので、監督は,NHKのディレクター・プロデューサーの河邑厚徳=かわむら・あつのり=氏。

ガンや認知症をわずらった話もあり、最後の言葉はファンにとって必見のビデオになるだろう。



金子兜太記念館開設へ 皆野町

2019年03月11日 12時51分43秒 | 金子兜太



18年2月に98歳で亡くなった秩父郡皆野町出身の俳人金子兜太さん忍ぶため、同町の「兜太・産土(うぶすな)の会」は、兜太さんの生誕100年に当たる19年9月23日に実家の旧病院を改修して「壺春堂記念館」を開設することを決めた。

1500万円と見込まれる総費用は寄付を募って集める。すでに兜太さんが主宰した俳句誌「海程」旧同人からは200万円が寄せられているという。

木造トタンぶきの建物(床面積120平方m)のうち、兜太さんが遊んだりした客間や仏間などを保存し、愛用の文具などを展示する。残りの診療所や台所はカフェスペースにし、「兜太ファンの聖地にしたい」と意気込んでいる。

壺春堂は、兜太さんの父親で秩父音頭の生みの親である金子元春さん(俳号・伊昔紅)が開業していた病院の名前だ。兜太さんは、皆野小から旧制熊谷中まで壺春堂で起居していた。今は兜太さんのおいの金子桃刀(ももと)さんが同じ敷地で金子医院を開いている。