五大桜の一つ「石戸蒲桜」があり、「桜国(おうこく)」を自称する北本市の文化センターで、桜の季節も真近な2014年3月23日午後、日本で初めての「日本五大桜サミット」が開かれ、関係5市町が参加、市民ら約200人が集まった。
五大桜とは、「蒲桜」の他に、「狩宿の下馬桜(静岡県富士宮市)」「山高神代桜(山梨県北杜市)」「根尾谷薄墨桜(岐阜県本巣市)」「三春滝桜(福島県三春町)」で、1922(大正11)年10月12日、日本の桜を代表する名木として同時に国の天然記念物に指定され、「日本五大桜」と呼ばれるようになった。
その中で樹齢日本一の「神代桜」、樹齢が「神代桜」に次ぎ、蕾のときは薄紅色、満開時は白色、散り際に薄い墨を引いたような色にかわる「薄墨桜」、枝垂れ桜として日本最古で大きさも最大級の「滝桜」は、「日本三大桜」「日本三大巨桜}と呼ばれる。
「下馬桜」は国内最古級のヤマザクラと言われ、1952(昭和27)年、価値が特に高いとして保護・保存される特別天然記念物にも指定されている。
興味を魅かれたのは、15分ずつの各市町からの報告と北本市教育委員会の資料だった。特に「石戸蒲ざくらの今昔」という小冊子は全盛期の蒲桜の素晴らしさを伝えている。
「蒲桜」は指定された当時には順位が1番だったとして、真っ先に報告した。確かに大正11年の内務省地理課長から関係知事宛の文書ではその通りになっていて、このブログの2パラの最初の2行の順番に並んでいる。
この小冊子の序文でも「当時の写真を見ると、中央の主幹を中心にして四本の支幹が四方に伸び、他の桜と比較しても、抜きん出た印象を受ける」と書かれている。
桶川市から見ても、「蒲ザクラは遠くに白い小山のように見えた」という。
江戸時代には、江戸市中でも評判の桜で、多くの文人も訪れた。江戸時代後期に渡辺崋山が来て、絵を描き、滝沢馬琴の書いた「玄同放言(げんどうほうげん)」に掲載されている。
枝が扇の形に広がる見事な樹形で、この頃が全盛期だったようだ。第二次大戦後に衰えが目立つようになり、今では幹が一本と孫生(ひこばえ)が残っているだけだ。
崋山の絵は、開花の様子を創造して描いたもので、「花はひとへ(一重)にしてしろ(白)しといふ」という註がついている。
蒲桜は確かにそのとおりで、指定前に東京帝国大学の植物学者、三好学博士の調査で、ヤマザクラとエドヒガンとの雑種と分類され、和名「カバザクラ」という独立した種として位置づけられた。
カバザクラは石戸の東光寺以外には見当たらず、世界でただ一本の珍種だという。他の五大桜は、「下馬桜」はヤマザクラ、「神代桜」と「薄墨桜」はエドヒガン、「滝桜」はベニシダレ(エドヒガンの変種)である。
カバザクラは「種の保存」の観点から、クローン栽培を試みて石戸小学校など小・中学校や公民館に植えられている。
サミットの会場になった文化センター前の歩道にも、「後継樹」と明記した桜が生長している。
水上勉の小説「桜守」の中に、「石戸の蒲桜は、周囲をみかげ石で囲まれ、せっかく伸ばそうとしても根がはれない」というくだりがある。この石垣もすでに撤去されていて、親桜の樹勢回復の努力が続けられている。
樹齢は、「蒲桜」が約800年、「下馬桜」が800年以上、「神代桜」は推定1800~2000年、「薄墨桜」は1500年以上、「滝桜」は1000年以上。
「蒲桜」には源範頼、「下馬桜」には源頼朝、「神代桜」には日本武尊、「薄墨桜」には第26代継体天皇の伝説が残っている。「滝桜」は、滝が流れるように咲くことからその名があるというのが通説だが、地区の大字が「滝」だからだという。