ださいたま 埼玉 彩の国  エッセイ 

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日本五大桜サミット 北本市

2014年03月24日 15時43分52秒 | 盆栽・桜・花・木・緑・動物



五大桜の一つ「石戸蒲桜」があり、「桜国(おうこく)」を自称する北本市の文化センターで、桜の季節も真近な2014年3月23日午後、日本で初めての「日本五大桜サミット」が開かれ、関係5市町が参加、市民ら約200人が集まった。

五大桜とは、「蒲桜」の他に、「狩宿の下馬桜(静岡県富士宮市)」「山高神代桜(山梨県北杜市)」「根尾谷薄墨桜(岐阜県本巣市)」「三春滝桜(福島県三春町)」で、1922(大正11)年10月12日、日本の桜を代表する名木として同時に国の天然記念物に指定され、「日本五大桜」と呼ばれるようになった。

その中で樹齢日本一の「神代桜」、樹齢が「神代桜」に次ぎ、蕾のときは薄紅色、満開時は白色、散り際に薄い墨を引いたような色にかわる「薄墨桜」、枝垂れ桜として日本最古で大きさも最大級の「滝桜」は、「日本三大桜」「日本三大巨桜}と呼ばれる。

「下馬桜」は国内最古級のヤマザクラと言われ、1952(昭和27)年、価値が特に高いとして保護・保存される特別天然記念物にも指定されている。

興味を魅かれたのは、15分ずつの各市町からの報告と北本市教育委員会の資料だった。特に「石戸蒲ざくらの今昔」という小冊子は全盛期の蒲桜の素晴らしさを伝えている。

「蒲桜」は指定された当時には順位が1番だったとして、真っ先に報告した。確かに大正11年の内務省地理課長から関係知事宛の文書ではその通りになっていて、このブログの2パラの最初の2行の順番に並んでいる。

この小冊子の序文でも「当時の写真を見ると、中央の主幹を中心にして四本の支幹が四方に伸び、他の桜と比較しても、抜きん出た印象を受ける」と書かれている。

桶川市から見ても、「蒲ザクラは遠くに白い小山のように見えた」という。

江戸時代には、江戸市中でも評判の桜で、多くの文人も訪れた。江戸時代後期に渡辺崋山が来て、絵を描き、滝沢馬琴の書いた「玄同放言(げんどうほうげん)」に掲載されている。

枝が扇の形に広がる見事な樹形で、この頃が全盛期だったようだ。第二次大戦後に衰えが目立つようになり、今では幹が一本と孫生(ひこばえ)が残っているだけだ。

崋山の絵は、開花の様子を創造して描いたもので、「花はひとへ(一重)にしてしろ(白)しといふ」という註がついている。

蒲桜は確かにそのとおりで、指定前に東京帝国大学の植物学者、三好学博士の調査で、ヤマザクラとエドヒガンとの雑種と分類され、和名「カバザクラ」という独立した種として位置づけられた。

カバザクラは石戸の東光寺以外には見当たらず、世界でただ一本の珍種だという。他の五大桜は、「下馬桜」はヤマザクラ、「神代桜」と「薄墨桜」はエドヒガン、「滝桜」はベニシダレ(エドヒガンの変種)である。

カバザクラは「種の保存」の観点から、クローン栽培を試みて石戸小学校など小・中学校や公民館に植えられている。

サミットの会場になった文化センター前の歩道にも、「後継樹」と明記した桜が生長している。

水上勉の小説「桜守」の中に、「石戸の蒲桜は、周囲をみかげ石で囲まれ、せっかく伸ばそうとしても根がはれない」というくだりがある。この石垣もすでに撤去されていて、親桜の樹勢回復の努力が続けられている。

樹齢は、「蒲桜」が約800年、「下馬桜」が800年以上、「神代桜」は推定1800~2000年、「薄墨桜」は1500年以上、「滝桜」は1000年以上。

「蒲桜」には源範頼、「下馬桜」には源頼朝、「神代桜」には日本武尊、「薄墨桜」には第26代継体天皇の伝説が残っている。「滝桜」は、滝が流れるように咲くことからその名があるというのが通説だが、地区の大字が「滝」だからだという。


「石戸蒲桜」 北本市

2014年03月22日 12時28分39秒 | 盆栽・桜・花・木・緑・動物


10年4月9日の金曜日。「石戸の蒲桜」も満開だった。「日本五大桜」の一つと言っても知名度はいくぶん落ちる。他の四大桜は、天下に名高い「三春滝桜(福島県三春町)」「山高神代桜(山梨県北杜市)」「根尾谷薄墨桜(岐阜県本巣市)」「狩宿の下馬桜(静岡県富士宮市)」なのだから。

あれは何十年前のことだったか。この桜を見たくて石戸(いしと)の東光寺を訪ねたことがあった。花もほとんど終わっていて、風か落雷か、一本の幹しか残っておらず、無残な姿をさらしていた。それ以来来たことはない。

蒲桜は見事に蘇っていた。生き残った幹にも孫生えにも白い花がびっしりと咲き、春を謳歌していた。「人は老いても桜は若返るのだ」と実感した。「今年は、花も大きく元気。樹医さんの面倒がいいんじゃろか」と地元の老人が話しあっているのが聞こえた。

エドヒガンとヤマザクラの雑種で、「カバザクラ」という世界で唯一の種類の桜だという。染井吉野より数日遅く咲くとのことだが、並んでケンを競っていた。樹齢約800年。1922年(大正11年)に国の天然記念物に指定された時には、4本の大きな幹があり、根本も周囲が11mあった。

江戸時代から有名で、1820年の瀧澤馬琴の随筆には、渡辺崋山が描いた全盛時の桜の絵が載っている。

蒲桜は、源頼朝の異母弟の源範頼がこの地に隠れ住んでいたとう伝説に基づく。範頼は遠江国蒲御厨(かばのみくりや)で生まれたため、「蒲冠者(かばのかんじゃ)と呼ばれていた。

範頼は幼少期を近くの吉見町で暮らし、妻も鴻巣の武士の娘だったと話もある。

範頼のついていた杖が根付き、蒲桜になり、その根元にある石塔は範頼の墓石というのが蒲桜のいわれなのである。

北本市は桜のまちである。JR高崎線北本駅には出口案内板に「さくらと範頼伝説のまち 感動桜国きたもと」とある。東口の広場には見事に育った蒲桜のクローンが見事な花を咲かせていたし、公園にも同じクローンが何本も植わっている。蒲桜のまちといった風情である。

素晴らしいのは「高尾さくら公園」。全国に呼びかけて集めた30種約200本の桜が植えられていて、染井吉野一色でない桜の美しさを堪能できる。

1959年に伊豆半島船原峠付近で見つかった「船原吉野」(オオシマザクラとエドヒガンの雑種)は、染井吉野をしのぐ豪華さ。長崎県の菊咲き、二段咲きの「大村桜」、伊達政宗が植えたという「貞山桜」など珍しい桜でいっぱいだ。