Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

『フローズン・リバー』コートニー・ハント

2010-02-25 00:07:20 | cinema
フローズン・リバーFROZEN RIVER
2008アメリカ
監督・脚本:コートニー・ハント
出演:メリッサ・レオ、ミスティ・アッパム 他


観にいった日はなんとも鬱屈した冬の空の寒い日で、気が滅入っていたワタシは、価値観がぶっ飛んでしまうような内部破壊的な映画を求めていたらしく、『フローズン・リバー』を観たあとも、なんじゃ普通だな、という感想しか持たなかったのだ。
でもしばらく落ち着いてから思い起こしてみると、なかなかよくできた映画であったのかもなという気がしないでもない。

ストーリーなどは公式サイト等で読むことができるので割愛。
この映画のよさは、ひとつは「ミニマムな」映画であるということにある。舞台はカナダと接する国境の町だが、登場する場所としては、主人公の家族が住む小さな家とその周辺、モホーク族ライラの住む居留地、国境の向こうのモーテルなど、その程度である。そして国境のあちらとこちらの間に広がる夜の「凍った川」。
これらミニマムな舞台の中に様々な問題系を仕込んでいる。限られた世界での様々に広がる視点。これが大きな魅力であって、その問題系のなんともダウナーなやりきれなさを視覚的に、いや五感で伝えてくるのが「凍った川」の寒そうな映像だ。

問題系の一つは、これがマイノリティのサスペンスドラマだということだろう。ヒロインの一人がネイティヴアメリカンということは、単にそういう人種を出したということだけでなく、彼らの自治の仕組みがからんで犯罪が成立していることを描くことで、問題をよりリアル=複雑なものにしている。
あるいは、主人公二人が家族が崩壊しつつある、貧困の問題をかかえた女性であることも、同じ問題系に属することだろう。公式サイトでの監督の言葉にあるように、シングルマザーが経済的問題を乗り切っていくことは立派なアドベンチャーだ。女性一人がかかえなければいけない困難もまたマイノリティのドラマなのだ。
不法に国境を越えようとする者も、越境を手引きする者もやはり周縁的な存在であることも。

もう一つは・・・子供かな。主人公二人が犯罪に手を染めるのは、金儲けとかではもちろんなく、子供を守るということが動機なのだ。アドベンチャーの大元にのっぴきならない純粋な気持ちがあることが、この映画の美しさとやりきれなさの両方を支えている。
二人があからさまではないけれど互いに心を通わせるきっかけとなるのが、密入国者の赤ちゃんの件であることは重要なことであると思う。

そういう問題系のはらむなんとも落ち込みがちな課題のトーンを、静かに確かに作品に定着させるのは、冬の郊外の風景と凍った川の暗さ。内容とそれを伝えようとする意識の様態に、見事に外面である映像が一致している。もちろん重い事柄を冷たく暗い映像で描けばいいってもんではないのだが。要は組合せが成功するかしないかだ。


@シネマライズ


映画『フローズン・リバー』




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