Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「ハーモニー」伊藤計劃

2010-02-03 22:49:17 | book
ハーモニー (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)
伊藤 計劃
早川書房

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第30回日本SF大賞(日本SF作家クラブ主催)受賞作。故人の受賞は初めてとのこと。各所でそのテーマ、特に人間の意識の取り扱い方の深化が言及され、早世を惜しむ声が聞かれたので、それはもう多大な期待をして読んでみた。

感想としては、あつらえられたSF的モチーフはそれほど新しい/深いものとは思えなかった。

生体を最良の状態に維持するためのナノボット、それをソーシャルなネットワークに接続することで形成される緩くて確実な管理社会。それによってできあがる、善意に基づく相互監視的均質社会のユートピア/ディストピア性。それらはウェルズ~オーウェルからイーガンに至るSFにおける、科学技術と社会構造の相関についての考察・想像の口当たりよい集成といえるだろう。

意識の扱いについては、主体としての「わたし」の同一性を相対化し、脳科学的には報酬系の働きに押し突き上げられる様々な欲求同士がせめぎ合う会議のようなもので、目前のものに過剰に反応する価値判断の双曲線的特性を持つものとする。その帰結として意識や意志もまた報酬系を司る部位に化学的に働きかけることによってコントロールが可能な、相対的なものだという仮説に立つ。これにしても、近代以降の哲学、精神分析学、あるいは生化学やはたまた量子力学などでも語られていることの小説的応用であるだろう。(この辺はちゃんと調べてみたいと思っている)

小説の構成としても少し物足りないようにも思う。ミァハのグループがいかにしてどのようなロジックを得て、どのようにそれを持ち出し、どのように人々に仕組んだのか。そもそもその母体となったヌァザたちのグループはどこでどのような活動をしていたのか。ミァハはなぜその考えを変節していったのか。相手方の事情がほとんど描かれていないのが残念だし、相手方の手の内をSF的に大法螺吹いてでも描いてもらいたかった。
謎を追っていくと確信人物にたどり着き、たどり着いてみるとその人物がとうとうと種明かしを語ってくれる。そういうリニアな物語で終わってしまうのも残念なところだ。
加えて言うならワタシ的には、ミァハはナノボットで制御される意識のなかの像として共同体構成員の体内に存在していて欲しかったが、実のところは(以下略)(まあ、それにしてもさほど衝撃的な設定ではないにしろ)


それでもこの小説をつまらないと言い切ってしまう気になれないのは、その舞台となる世界のありようについての強いメッセージがあるからである。人間を共有のリソースとしてとらえ、その健康を損なう事柄をことごとく排除しようとする、「善き物」を極端に指向する社会=生命主義社会。そのなかで、個性を失い、自ら思考することを忘れ、自分のためでなく社会のために生きることにより個が希薄になっていく人間たちを描き、精神的アウトサイダーであるミァハや主人公トァンの目からそういう社会の閉塞感を訴える。善き物、健全なもの、正論に疑いを持たない社会へのほとんど憎悪に近い思いが、この小説からはぎらぎらと揺れ立っている。この嫌悪感にワタシは共鳴する。危機感に突き動かされるように書かれた小説ならば、ワタシは読んでよかったと思うのだ。



思うにこれは未来SF小説ではなく、今このときの、日本の社会のことを描いているのではないだろうか?街中が禁煙エリアと名づけられ、一定以上の体格の持ち主には特定保健指導が施され、遺伝的障害の子について出産前に知る方法が広まる社会。もしくは、「社会人としてあるまじき行為」の範囲とそれに対する嫌悪がどんどん広がっていく社会。道具立てがすこぶるローファイなだけで、実際生命主義社会は進行中の事柄なんじゃないだろうか。リアルタイムな恐ろしさを感じつつ読んだ。 

おわり。


こういう↑リアルな社会状況に結びつけるオチのつけ方は、大学入試の小論文(文系)くらいまではウケがいいんだよね(笑)


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