Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「アデュー・フィリピーヌ」ジャック・ロジエ

2010-02-02 00:00:41 | cinema
アデュー・フィリピーヌ [DVD]

紀伊國屋書店

このアイテムの詳細を見る



アデュー・フィリピーヌADIEU PHILIPPINE
1960-62フランス/イタリア
監督:ジャック・ロジエ
脚本:ジャック・ロジエ、ミシェル・オグロール
出演:ジャン=クロード・エミニ、ステファニア・サバティーニ、イヴェリーヌ・セリー


冒頭いきなりカウントから入る映画。カウントに続きジャズの演奏。なんとも小気味よい。冒頭音でぐっと引きこむのは『オルエットの方へ』のタイプライター乱打音(台詞が聴こえないくらいだ!)にも通じるね。(あれ?『メーヌ・オセアン』の冒頭はどうだっけ?駅を走る彼女だったかな。)

TVスタジオで演奏を収録する喧騒。それにもまして騒々しいのは舞台裏でカメラに指示を出すディレクター?の大声。喧騒、喧騒。
仲間と車を共同購入したミシェル。家に友人と車で乗り付けるとちょうどお昼ご飯。食卓の両親・弟夫婦たちのしゃべることしゃべること。喧騒、喧騒。

喧騒からのがれるようにミシェルはTV局で引っ掛けた女の子二人と車に乗ってあてのないヴァカンスへ。最初のデートはグライダー場。セスナに引っ張られたグライダーが画面奥に向かって悠々と飛び立つ運動性。移動が始まるのだ。車で野を越え山を越え、海辺へ。
ミシェルは兵役前の身を考えて仕事をやめてコルシカ島へ。女の子たちも着いてゆく。テントに寝袋。ドライブにキャンプ。ドライブにキャンプ。
つかのまのモラトリアム気分のなかで、3人は3人ならではの微妙な力関係の揺らぎを、しっかりとじっくりとねっとりと味わいつつ繰り広げつつ、どこかあっけらかんと笑いころげる。ああ、この永遠のような自由の倦怠よ。
女の子たちはどちらが彼に愛されているか、どちらが彼を愛しているか、牽制し譲り合いし、キレながら笑いながらミシェルに迫る。じゅてーむ!じゅてーむしか言えないのか?!もっと大事なことだってあるんだぞ!どこかさめたミシェルの答え。これもまたゆったりよどんだコルシカの風の中で切なくも暖かい。

ああ、どうして、こんな他愛もない、何事も起きない人たちを淡々と写しているだけなのに、こんなに豊かな映画になっちゃうの?車やボートや最後の客船、それを追う別れのシーンで走る走る女の子、移動に移動を重ねるエキサイティングな道具立てをずらりと並べて、どうしてこんなに他愛ない映画を撮っちゃうの?他愛なさのくせに、他愛なさのゆえに?スクリーンの彼らは容易にこちらがわに転がり出てきて、蜂に追われて石でごろごろの海辺を逃げ回ったり、夜の波打ち際で心細いテントでまどろんだり、ぼんじゅーる・ふぃりぴーぬ!ごっこをしたりする。目の前にいる。この生き生きとした現前性。この映画は3Dだ。ロジエは最初から3D映画作家だったのだ。

*****

多彩なカメラワークと編集の妙技はここでも見られる。食卓での大騒ぎも巧妙な切り替えしを多用し皆が口々にしゃべる感じをコミカルに描いている。女の子二人が出演するらしいCF?のラッシュを見るシーンも大笑い。ラッシュ自体が絶妙な編集の産物だが(あの声の早回しかかぶさるタイミングが可笑しいこと)、それを見ている企業のおじさんの苦虫顔がまたいいタイミングではさまるんだよね~

こういうギャグは前半に多く、あの謎のTVディレクター(後半でもひとりギャグ映画しているが)が車内で演じる残念なオヤジっぷりとかは実に笑える。(ふぁっははははは~~~~~ははは~~~~はは~~~・・・・、泣きたい気分だよwwww)


もっともっとたくさん面白いところがある。
全部を話しつくしてしまうのはもったいない。
話すより、ぜひとももういちど観たいね!


人気blogランキングへ
↑なにとぞぼちっとオネガイします。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「増補 友よ映画よ、わがヌ... | トップ | 「ハーモニー」伊藤計劃 »

コメントを投稿