Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「ノルウェイの森」トラン・アン・ユン

2010-12-15 08:22:34 | cinema
「ノルウェイの森」NORWEGIAN WOOD
2010日本
監督・脚本:トラン・アン・ユン
原作:村上春樹
撮影:マーク・リー・ピンビン
美術:イェンケ・リュゲルヌ、安宅紀史
出演:松山ケンイチ ワタナベ
   菊地凛子 直子
   水原希子 緑
   高良健吾 キヅキ
   霧島れいか レイコ
   初音映莉子 ハツミ 他



原作のほうには結構前にがっつりはまり、一気に読みたいがために仕事を休んだというくらい阿呆なワタシでしたので、巷で「重い」とか「メンヘルと電波系のハザマでふりまわされる話」とか要約されているのを見聞きしても、そんなことははじめからわかってることじゃん?とか思ってしまうのだよね。

そういう「初期感想」をもう一歩越えてこの映画を語ろうとすると、それはなかなか骨の折れることだよね。できることならそうしたいという気持ちはあるけれども自分にできる自信はまるでないよ。(と先回りで言い訳しておく)

【以下・ややネタバレでござるよ!!】

観ていてまず強烈に感じたのは、人物の語る言葉の異質な感じである。
ほとんど愚鈍なほどに原作中のセリフを忠実に用いている彼らの言葉は、発せられるたびに身がすくむような恥ずかしさを覚える。これは菊地凛子の存在感がワタシ的にはちょっと違和感があることにも関係して主に直子のセリフで強くそれを感じたのだけれど、それでもいちばんぎょっとして心臓が縮み上がりそうになったのは、ワタナベの「常にそうありたいと思っているよ」というセリフだった。
このセリフは、それはもうこの上なく村上春樹的なセリフであって、彼の小説の話し言葉の魅力の根幹を成すような類のセリフである。これが生身の青年から発せられたことで、その異質さが全くの留保なしに現前したのには驚いた。
書かれた言葉としての小説と話し言葉としての映画。これは別物だというのはこういうことなんだなあ、と改めて思うのでした。書かれた言葉を受容していても、それがひとたび身体を持つととたんに奇形性を帯びてくる。

ここで感じた話し言葉の異質さは、もちろんワタシ自身が慣れ親しんでいる時空間における「普通の」「自然な」話し言葉との距離感から来るものなのだろう。この時代のこの環境の言葉。
とするとこの映画の体験は、たとえば過去の邦画を観るときの感覚と似ているだろう。小津や溝口や大島の映画を観るときの「へえこんな言葉遣いだったのか当時は」という驚き。あるいは70年のトリュフォー『家庭』で、日本人女性たちの会話が驚くほど今の日常と違うこと。

考えてみると、セリフの違和感というものは厳密には常に存在するのが映画というものの宿命なのだろう。変転する現実に対して映画は時空間の永遠の?固定なのだから。
とするならば、『ノルウェイの森』もまた宿命的な違和感を持つ点ではほかの映画となんら変わるところはなく、いわば未来を先取りしてあらかじめ違和感を装備して生み出されたものなのだ。
村上春樹という人の世代が生み出した、学生運動の時代を舞台とした、80年代に発表された、しかし時代考証とは無縁な言葉世界を、映像化に当たってその違和感を払拭しようとは考えなかったスタッフは、ただ原作に忠実にと考えていただけにしても、意識的にか無意識的にか、そうした映画の性質に気づいていたのかもしれない。

となると、この作品が日本語ネイティブでない監督脚本によるものだということも考えなければならないように思える。
メイキングビデオをチラッと見たところでは、トラン・アン・ユン監督は役者と会話する際には通訳を立てていたのでおそらく日本語には通じていないだろう。彼は脚本においてはおそらく納得して映画を作っているのだが、実際にあのセリフたちが日本語ネイティブの耳に届いたときの違和感を彼は知る由もないのだ。
実際に脚本を日本語に落とすスタッフとの間にどのようなコントロールが働いたのかは知る由もないが、最終的には日本語ネイティブでない監督がOKサインを出した日本語であるわけで、そこにはなにか複雑な断層があるような気がする。日本語でありながらそれは外国語のような出自と承認を持っているという点で、この映画は実は外国語映画なのではないか?

村上春樹が英語文学の翻訳者でもあることは周知のことで、かつデビュー作『風の詩を聴け』を最初は英語で書き、翻訳するように日本語にしたという逸話もまた知られている(とかいいつつ、その情報が確かなものか確認できないでいるんだけれども)、ということもまた気になる事柄である。
簡単に言ってしまうと、この小説の話し言葉はほんとうに日本語なのだろうか?日本語でない発想で語られた日本語に見えるだけのものなのではないのか?

なにかこういろいろと考えていくと、話し言葉の違和感はこの映画のとても重要な性格のような気がしてくる。親しみやすい耳慣れた言葉に矯正して違和感なく物語に没入できるようにはなっていないことで、この映画はなにかを掴み取ろうとしているのではないのか?そしてそれは村上春樹的なものと通底したなにかなのではないのか?

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村上春樹の小説は、言うまでもないのかもしれないが、リアリズムの筆致を用いた徹底的なファンタジーである。そのファンタジー性の形成には、設定やプロットはもちろん、その言葉遣いの異形性も重要な役割を果たしているだろう。まあ小説ならすべてそういう要素は持ち合わせているのだろうけれど。村上春樹の場合はその異形性が発話されることで初めて痛烈に露呈するような微妙な水準にあるということかもしれない。

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ファンタジーといえば、村上春樹の場合は特に性交が異様なまでに特権的な意味を持たされるのも特徴的であるよね。彼の小説では、ほとんど魔術のような効用がセックスにはあり、どんな複雑で根深い問題も、あるいは撞着し行き場のなくなった精神も、セックスを扉に一気に説明抜きの解決をもたらしたりする。
この傾向は初期作品から話題の『1Q84』までずっと変わることはない。むしろどんどん顕著になってくる気がする。
この(ワタシには)理解不可能な特権性を真に受けるならば、当然村上春樹の小説はばかばかしくて嫌いになるだろう。女性はこんなに男に抱かれたいとは思っちゃいない、抱いたからって/抱かれたからって人生が変わったりはしない、などなど。
ここについては村上春樹好きなワタシも全く擁護する術は持ち合わせない。どういうことになっているのかは精神分析医とかの出番なのかもしれない。

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映像的にはワタシは好みでありまして、冒頭を除き基本曇天、もしくは雨の長く降りしきる天候、あるいは雪と、天候への気の遣いようはいいですね。

それと舞台となる建物・部屋の雑然とした風情はこれまた徹底的に仕組まれている。大学の寮やたまり場は昭和の学生の仮初なアナーキーをよく伝えているし。それだけでなく前作『アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン』でもそうであったように、汚い場所を写したときに得られる言い知れぬ力をこの監督が好んでいるということなのだろう。汚い映画好きなワタシにはこの点もよし。

そして、ときおり倦怠感に満ちたワタナベの暮らしのバックに流れる退廃したロックは、ドイツの誇るグループ、CANの曲である!実はここに一番しびれたりする。CANの曲が映像の雰囲気に合っているというよりは、CANが映像を一気に退廃へと画面を引きずり込むのだ。いいねえ。大変な苦労をして権利を得たであろうビートルズの原曲よりもはるかに映画に密着していたよ。(てか、あのビートルズは別になくてもよかったのでは?と思わなくもないのは、ワタシがビートルズ大好きで聴くと違う風景が浮かんじゃうからかな?)

それから、レコード店店主と、直子のいる療養所の門番には、吹いたw

緑をやった水原さんはなかなかよかったね。原作ではもうちょっと包容感のあるイメージだったけど、こういう繊細な緑もよいね。彼女が発するセリフはあまり恥ずかしくなかった。

一番恥ずかしくなかったのはハツミさんを演じた初音さんだと思う。恥ずかしくないということがこの映画においてはよいことなのかどうかはわからないけれど、彼女は実に素敵だったと思うし、それを感じてか、彼女の表情の微妙な移り変わりを長回しアップで捉えるカメラにも感動した。

逆にこのうえなく恥ずかしかったのは(いうまでもなく?)直子の菊地さんだよなあ。恥ずかしいということがこの映画においては悪いことなのかどうかはわからないにしても。恥ずかしい存在である直子ということも解釈としてはありだよなあ。
でもやっぱりワタシのいだいていた直子とは違うなあ。菊地さん的な鋭い業の深い絶叫系狂気ではなくて、もっと繊細で消え入るような崩壊なんだよね直子は。
ワタシにとっての直子適役は、実は行きつけのスタバの店員さんにいるんだけどな~(笑)

最後にですね、レイコさんの扱いはちょっと残念かも。彼女のギターはもっと意味深くて、二つの場面を通じて物語全体の記憶と印象を包み込んで、最終的には小説のタイトルに説得力を持たせる役割を持っているのだから。直子とともに演奏する中盤と、直子の弔いで演奏する終盤は、ぜひ時間をとってやってほしかった。だいたい、それがないとレイコさんとワタナベくんの性交が、掛け値なしにアホくさく見えちゃうじゃないの(笑)


ノルウェイの森 上 (講談社文庫)
村上 春樹
講談社


ノルウェイの森 下 (講談社文庫)
村上 春樹
講談社





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2010.12.12sun TOHOシネマズ・スカラ座
コメント (9)
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