アレクサンドル・ソクーロフ DVD-BOX紀伊國屋書店このアイテムの詳細を見る |
日陽はしづかに発酵し…
1988ロシア
監督:アレクサンドル・ソクーロフ
脚本:ユーリ・アラボフ
悪夢系。非常に好みです。
しっかり観てそれなりによく覚えているのだが、ディテールも時系列もどんどんあやふやになっていく。覚えていようとすればするほど輪郭のわからなくなっていく映画。切なく悲しい夢のよう。
原作はストルガツキイ兄弟の小説「世界終末十億年前」だというが、表面的にはこの原作の素材やテーマをほとんど用いていない。しかし、まさにこの悪夢感はストルガツキイ的であり、ストルガツキイ原作という余計な?知識を逆手にとってあえて深読みしてみたくなる、そんな欲望が沸き起こる作品でした。
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中央アジア(と思しきところ)の寒村に住む若い医師。冒頭この村の暮らしぶりがひたすら音楽とノイズを背景に提示される。経済的には相当貧しい村。猛暑。土ぼこりにまみれた男たち。歯の抜けた老人。裸足の子供たち。医師の家だけがぽつんと電話・ラジオ・TVといった文明の空間だ。
この医師と、少数のロシア人からなる小さなコミュニティにひっそりと不思議なことが起きるのが筋といえば筋。
まず心当たりのない荷物が医師の家にとどく。どうやら姉からの荷物だが、その中身は箱型に凝固したゼラチンにくるまれた大きなエビだ。なんだこりゃ、と思いつつとりあえずエビを食う医師たち(笑)
食い物を狙ってやってくるオオトカゲ。
と、そこへまえぶれもなく姉がやってくる。緊急事態なので来いという電報をもらったという姉だが、そんな電報を打った覚えはない医師。
医師が診察をしていた向かいに住むロシア人が、前触れなく急死する。彼とはなにかやりとりがあったが、忘れてしまった。
もう一人の友人の家では、朝起きたら居間が荒れ果て、壁には粘着質の黒い物体が焼け焦げのように張り付いている。物体をつつくとおぞましい汁が垂れる。
そして医師の家の入り口に子供が倒れている。どこからきたのかもわからない子供を医師は面倒見るが、ある日訪れた謎の男が子供を連れ去ってしまう。
こんなエピソードがメリハリなく発生しては、猛暑の辺境のよどみに溶けるかのように謎は解明されずに消えてゆく。謎に放り込まれ、そのことに自分自身気づいてすらいないし、解決も見られない。これこそストルガツキイのテイストだ。
そもそもこの村は存在するのだろうか?
冒頭の謎めいたショットが気にかかる。痩せた土地を空から俯瞰する視点が、加速度的に速度を上げながら降下し、ついには地面に激突する。
これはなにものかがこの土地に降り立ったもしくは墜落したということを示す視点ではないのか?降り立ったものは何者なのかはまったくわからないのだが、この降下から一連の事件は始まったのだ。降り立ったものによって村は一種のデンジャーゾーンになったのかもしれない。
が、この降下のシーンはもう一度、映画の終わり近くに再現され、その後に、禿山に囲まれた集落を俯瞰するショットが実はミニチュアのセットであることが、そこを歩く医師(建物よりも身長がある)の姿で表される。
ならば、実は村自体が人為的に作られた虚構なのではないか?とすると、医師を含めた村まるごとが冒頭地球に降り立ったのではないか?村自体ひとつの現象あるいは誰かの実験だったのではないのか?
中央アジアに忽然と現れる複数の社会構造・・・といえば、それはまさに共産主義的国家形成の戯画であるだろう。。。というようなテーマを見つけるとしたら、それはまたいかにもストルガツキイ的だ。
????
などと妄想は広がるが、実はそういった意味づけはほとんど無力な気がする。医師がなぜか持っている書類を焼き、そこから一部を救出するが、それは何でなぜなのかはわからない、といった、とことん謎まみれの細部細部を夢のように受け止めてやっとこの作品の味わいは「わかる」のだろう。
意味やテーマを超えたところでうごめき羽ばたこうとするのが彼らの映画であり小説なのだ。
できることなら劇場で、繰り返し浸りたい。そういう時間が人生にあるといいと思う。
一般的にはまちがいなく「なんだこりゃ?」系作品ですけどね。
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