Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「インランド・エンパイア」デヴィッド・リンチ(二度目)

2007-08-05 23:37:52 | cinema
「インランド・エンパイア」二度目、行って来ました。
これはですね、二度目の方が初回よりずっと楽しめました。
謎がわかる、とか、筋が見える、という楽しみとはまったく別物です。
浸りこめるものに一層浸りこんでいく、そういう楽しみです。

リピータープレゼントでポスターもらいました^^v


ロストガールは何者で、どこにいるのだろうか。
役者がポーランドの人だし、冒頭のポーランド語で会話する人たちのいたマンション?と同じ並びの部屋にいるらしいし、やっぱりポーランドなのだろうか?

むしろロストガールのいる場所はどこでもない場所、ノーウェア・ガールと思いたい。
ある面では、長い長い周り道をした結果、天使としてのニッキーがロストガールに救済を与えにたどり着く場所、であるから。
救済の映画。

ロストガールは「47」の殺害された主演女優だ、という説があるが、そういう説明をしてもらっても、なにかピンとこない。そうだとして、なぜTVですべてを眺め、あんなに涙を流し、最後になにが救いとしてもたらされたのか、が明らかにはならない。わかった気にならない。

ロストガールの女優さん(カロリーナ・グルシュツカ)はなかなか魅力的な顔立ち、ちょっと熟れた果実系の、みずみずしい存在感。80年生まれだそうですよ。


スミシー
天使の抱擁をうけたロストガールは、ようやく部屋をでて、男とその息子に出会い、喜びの抱擁をする。わけがわからないけどめでたしめでたし。という雰囲気だ。

その息子は、クレジットによると「スミシーの息子」となっている。だから男のほうは「スミシー」なのだ。で、私は「スミシー」は何者か?がよくわかっていない。誰?
冒頭近く、ニッキーたちが台本の読み合わせをする場面で、スタジオに建てられているセットが「スミシーの家」だ、とのセリフがある。
このセットはそもそも時空間が狂いはじめる最初の舞台となるわけで、ロストガールとスミシーの救済に向って次元は乱れはじめたのかもしれない。

で「スミシー」といえば、アラン・スミシー
このあたりもハリウッド内幕ものとしての色づけと、あとなんとなく不在の人物をさしているようで無気味さを覚える使われ方だなあ。

ロストガールと不在のスミシー親子が熱く抱擁すると、なにが救われたんだろうか?
潰えてしまった映画と人生への鎮魂なのかしら。
わからん。けどあのシーンでは思わず涙する私です。


冒頭
なにがいいって、冒頭の数分?あのぞくぞくするノイズとタイトルのあと、レコード盤と針、ナレーション。
そのあとの薄暗く灰色というか鉄色に沈む廊下を、なぞの男女がうごめく。
この一連のノリが大好きでね。
イントロがよければ勝ちなわけで。

エンディング
といってもあの熱唱ではなくて、裕木奈江の後から熱唱の前までの、あの迷宮をさらに濃縮した世界。無人の劇場で自分の姿をスクリーンに観るあの世界。ジェットコースターの最後の絶叫ポイントにむけた焦燥感。
エンディングがよければ勝ちなわけで。

この映画のつくりはだからポピュラー音楽の作り方なんだな。

ペンデレツキ
ペンデレツキの曲を、自分でこの映画用につくったもののように使いこなしてしまうのは見事。おもわずペンデレツキのCDを買いに走るわたし。

迷宮:人生
A woman in trouble・・とだけこの映画を語ったらしい。
恋愛、不倫、暴力、妊娠、殺人。ありとあらゆるトラブルがあるのがこの映画。
それが迷宮として現前するところに面白さがあり。
夢の世界でも無意識の世界でもなく、夢も無意識も含んだ現実としての迷宮を感じさせるのがこの映画なのでは??


サイトもパンフもあまり役にたたん映画です。

もう一度観たいよ。

一度目の記事


コメント (9)
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「気狂いピエロ」ジャン=リュック・ゴダール

2007-08-05 00:51:17 | cinema
気狂いピエロ

ハピネット・ピクチャーズ

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PIERROT LE FOU
1965フランス/イタリア
監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール
原作:ライオネル・ホワイト
撮影:ラウール・クタール
音楽:アントワーヌ・デュアメル
出演:ジャン=ポール・ベルモンド(フェルディナン・グリフォン)アンナ・カリーナ(マリアンヌ・ルノワール)


15年ぶりくらいの再観。
いいすね~


恋の前にはどこまでもつづくような空白がぽっかりと口をあけているもので、
すごい魅惑的なくせにその漠としたとらえどころのなさに、
人は惹かれながらも空恐ろしさを感じて、
空白に踏み込むのをなんとなく暗黙の内に避ける。
で、とりあえずは恋をかたわらに日常生活も捨てずに折り合っていったりする。

でもマリアンヌとフェルディナンは、その空白にふわっとすべりこんでしまうのです。自覚さえしていないのではないかしら。空白が空白であることにも。

空白を埋めようとするかのように、憑かれたように車を走らせる。金を盗み、ガソリンを騙しとり、車をオシャカにして、河を歩き、もっといい車を盗んでまた走る。
行き着く先は海。陸の終わり。
チャンドラーの生活からジュールヴェルヌの生活へ。

でも行き止まりの定住は、空白の虚無に耐えられない。
見えるのは二人の間の距離ばかり。
距離は知らないうちにすうっと離れていって、先に耐えられなくなるのはマリアンヌ。恋を抜け出してリアルワールドのしがらみにフェルディナンを陥れる。

希望を捨てないのはフェルディナン。男は言葉で考える。女は感情で考える。フェルディナンの言葉は「希望」。
陥れられてもマリアンヌを信じる気持ちを持ち続ける。

でも無理なものは無理。マリアンヌは空白の果てを見たかっただけ。フェルディナンはそこまでついていけただろうか?

悲しい終わり。
ふたりがいなくなったあと、誰のものともわからない言葉だけが残る。
「みつけた」
「なにを?」
「永遠を」



恋の、底なしというか無重力というか果てしなさというか、そういうものの魅惑と空恐ろしさを感じたことのある人には、大変オススメな映画だと思うのですがどうでしょ?

**************************

港で幻聴を聞いている男の話が妙に記憶に残っていた。
あれは音楽に合わせてやっているんだよなあ。すごい話芸だ。
でも内容もおもしろくてね。
手の上と下を愛撫し続けてもう10年だ!!とか切れていたけどね~
わかるなあ(笑)
(うちはもう20年だよ)

ベトナムごっこもすごいし。
(アンナ・カリーナのあんな姿みていいのか?的すごさ)

サミュエル・フラーのシーンは通訳がからんでいたのね。なんかそういう記憶がなかった。

**

しかし!
アンナ・カリーナにはずっと見とれてしまったですよ。
ちょっと左目のほうが大きい彼女。
カメラ目線で会話する彼女。
最初の登場から終わりにかけての変貌ぶりもいいし、
ころころ変わるファッションもいいよ。
(どこに服もってるんだ?なんて野暮なことは聞くまい?)

唐突に思えたミュージカルシーンも思ったより自然で、
なんたってアンナが歌っているんですもの!

意外とアンナをカラーで観る機会は少ないのよね。
アンナLOVE!




あとは音楽がとても饒舌なのが特徴でしょう。積極的に音楽も恋の空白の底なし感を語っていて、つい涙してしまうのです。
今ちょうどサントラが安く出ているので買い時です!
気狂いピエロ
アントワーヌ・デュアメル,アンナ・カリーナ,サントラ
ユニバーサルインターナショナル

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あ、そうそう、「あらんじあろんぞ!」という言葉がでてくるのもこの映画ですね~


好き度:やっぱ名作よ

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