Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「気狂いピエロ」ジャン=リュック・ゴダール

2007-08-05 00:51:17 | cinema
気狂いピエロ

ハピネット・ピクチャーズ

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PIERROT LE FOU
1965フランス/イタリア
監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール
原作:ライオネル・ホワイト
撮影:ラウール・クタール
音楽:アントワーヌ・デュアメル
出演:ジャン=ポール・ベルモンド(フェルディナン・グリフォン)アンナ・カリーナ(マリアンヌ・ルノワール)


15年ぶりくらいの再観。
いいすね~


恋の前にはどこまでもつづくような空白がぽっかりと口をあけているもので、
すごい魅惑的なくせにその漠としたとらえどころのなさに、
人は惹かれながらも空恐ろしさを感じて、
空白に踏み込むのをなんとなく暗黙の内に避ける。
で、とりあえずは恋をかたわらに日常生活も捨てずに折り合っていったりする。

でもマリアンヌとフェルディナンは、その空白にふわっとすべりこんでしまうのです。自覚さえしていないのではないかしら。空白が空白であることにも。

空白を埋めようとするかのように、憑かれたように車を走らせる。金を盗み、ガソリンを騙しとり、車をオシャカにして、河を歩き、もっといい車を盗んでまた走る。
行き着く先は海。陸の終わり。
チャンドラーの生活からジュールヴェルヌの生活へ。

でも行き止まりの定住は、空白の虚無に耐えられない。
見えるのは二人の間の距離ばかり。
距離は知らないうちにすうっと離れていって、先に耐えられなくなるのはマリアンヌ。恋を抜け出してリアルワールドのしがらみにフェルディナンを陥れる。

希望を捨てないのはフェルディナン。男は言葉で考える。女は感情で考える。フェルディナンの言葉は「希望」。
陥れられてもマリアンヌを信じる気持ちを持ち続ける。

でも無理なものは無理。マリアンヌは空白の果てを見たかっただけ。フェルディナンはそこまでついていけただろうか?

悲しい終わり。
ふたりがいなくなったあと、誰のものともわからない言葉だけが残る。
「みつけた」
「なにを?」
「永遠を」



恋の、底なしというか無重力というか果てしなさというか、そういうものの魅惑と空恐ろしさを感じたことのある人には、大変オススメな映画だと思うのですがどうでしょ?

**************************

港で幻聴を聞いている男の話が妙に記憶に残っていた。
あれは音楽に合わせてやっているんだよなあ。すごい話芸だ。
でも内容もおもしろくてね。
手の上と下を愛撫し続けてもう10年だ!!とか切れていたけどね~
わかるなあ(笑)
(うちはもう20年だよ)

ベトナムごっこもすごいし。
(アンナ・カリーナのあんな姿みていいのか?的すごさ)

サミュエル・フラーのシーンは通訳がからんでいたのね。なんかそういう記憶がなかった。

**

しかし!
アンナ・カリーナにはずっと見とれてしまったですよ。
ちょっと左目のほうが大きい彼女。
カメラ目線で会話する彼女。
最初の登場から終わりにかけての変貌ぶりもいいし、
ころころ変わるファッションもいいよ。
(どこに服もってるんだ?なんて野暮なことは聞くまい?)

唐突に思えたミュージカルシーンも思ったより自然で、
なんたってアンナが歌っているんですもの!

意外とアンナをカラーで観る機会は少ないのよね。
アンナLOVE!




あとは音楽がとても饒舌なのが特徴でしょう。積極的に音楽も恋の空白の底なし感を語っていて、つい涙してしまうのです。
今ちょうどサントラが安く出ているので買い時です!
気狂いピエロ
アントワーヌ・デュアメル,アンナ・カリーナ,サントラ
ユニバーサルインターナショナル

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あ、そうそう、「あらんじあろんぞ!」という言葉がでてくるのもこの映画ですね~


好き度:やっぱ名作よ


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