記者の目
生活保護バッシング
記者の目:生活保護バッシング=遠藤拓(東京社会部)
http://mainichi.jp/opinion/news/20121005k0000e070001000c.html
毎日新聞 2012年10月04日 17時06分
もしかして、日本社会は生活保護を受給者ごと切り捨てようとしているのか。春先から続くバッシングはそんな危うささえも漂わせている。
◇寛容な視点で考えよう
生活保護は6月時点の受給者が211万人超と過去最多を更新し、今年度は3.7兆円の税金が投入される見通しだ。減らせ、との大合唱はあちこちから聞こえてくる。蔑称の意味を込め「ナマポ(生保)」という言葉を使ったひぼうや中傷がネットの世界でもあふれている。だが、まん延する貧困問題への処方箋なしに当事者を締め付けたら、社会はどうなるのか。生活保護を受けられるのに、受けていない「漏給」の問題も根が深い。ムードに流されて「最後のセーフティーネット」を無残に切り刻むのではなく、寛容な視点で考えてほしい。
ざっとおさらいをしよう。バッシングのきっかけは、お笑い芸人が生活保護を受ける母親に扶養義務を果たしていないと批判された問題だ。独立した子から親への仕送りの有無は、個々の人間関係など多分に道義的責任に関わる問題だが、あたかも犯罪行為に当たるかのように非難する声が相次いだ。
こうした中、政府は8月、13年度予算は生活保護費「削減」方針で当たるとした概算要求基準を閣議決定。次期衆院選では、自民党や日本維新の会が給付の大幅カットや現物給付を掲げる見込みだ。
◇病人や失業者切り捨ては酷
「酒やパチンコに明け暮れる」「働けるのに働かない」。生活保護にこんなイメージがつきまとっていないだろうか。今春から厚生労働省を担当して取材を重ねてきたが、これまで出会った当事者の大半は、ひっそりとつましく日々を過ごし、いわれのない中傷に胸を痛めていた。
「仲間を一人でも多く救いたい」。こう話すのは、東京都内に住む元路上生活者の40代男性だ。幼少期から精神疾患の治療を受け、仕事を転々としているうちに無一文となり、7年ほど前、福祉団体の助けで生活保護にこぎ着けた。今はアパート暮らしで、かつての自分と同じ境遇にある路上生活者を支援する。
首都圏で子供と2人暮らししている50代女性は、体調を崩して失業し、15年前に生活保護を受け始めた。就職活動をしているが、面接で暮らし向きを聞かれると口ごもる。「血税で食べているので、バッシングのさなか、堂々と振る舞うことはできません」と話す姿が痛々しい。
確かに、昼間から酒を飲んで過ごすなど、働く意欲がみられない当事者もいる。だから、日々の生活を切り詰め、身を粉にして働く人々が「楽して金をもらうのはけしからん」「不公平だ」と憤るのも分からないではない。
だが、厚労省によると、6月時点の受給世帯は、高齢者4割、傷病者と障害者を合わせて3割。稼働年齢層を含む「その他世帯」は、2割に満たない。大病や失業など人生の節目を乗り越えられず、その後も立ち直りのきっかけをつかみ損なった人たちを切り捨てて良いのだろうか。
今年1月以降、札幌市で40代姉妹の死亡が発覚したのを皮切りに、餓死や孤立死が各地で相次いだのを思い出してほしい。私たちはその度に驚き、世の無情を嘆いたのではなかったか。社会との接点が薄れ、生活保護の申請すらしていない人たちも多い。
生活保護の受給資格があるのに受けていない漏給者の数は不明だが、一説には800万人以上ともいわれる。「211万人」の陰に、恥の意識に邪魔されて申請を控えたり、自治体側の「水際作戦」で窓口を体よく追い返されたりした人々が大勢いることは確かだ。
◇水準下げなら社会全体に報い
貧困問題の根は深く広い。「転落」は誰にでも起こりうる。想像してみよう。ふとしたきっかけで、今の住まいが、財産が、家族が失われ、ぼうぜんと立ち尽くす自分を。命からがら、生活保護にたどり着いた自分を。何が起こるか分からない人生、平穏な暮らしがずっと続くと言い切れる人が、果たしてどれだけいるのか。生活保護水準の切り下げは、最低賃金の引き下げや就学援助制度の対象世帯縮減にもつながりかねない。安全網を傷めれば、報いは社会全体にはね返るのではないか。
厚労省は年内にも、生活に困窮する人々の自立を促す「生活支援戦略」を策定する。9月28日に公表した素案は働こうとする人に手厚く、そうでない人に厳しい内容だ。5年に1度の保護水準の見直しも並行して進めている。求められているのは、必要とする人が受けやすく、少しでも立ち直りやすい制度の再構築だろう。バッシングに惑わされず、当事者に資する結論を出してほしい。