一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

1358   遊糸飛ぶいつかどこかで会った人 

2014年10月30日 | 

10月の兼題に「遊糸」を口頭で出したところ、次の3つの解釈に分かれてしまった。

①  遊糸―晩秋に、蜘蛛の子が糸を出し、風に吹かれた糸に縋って飛んで行く

②  遊糸、糸遊は、春の季語「陽炎かげろう」の別名

③  遊子―旅人のこと

兼題の趣意は、①であったが、歳時記で調べると「陽炎の別名」とだけ出ていたので②と解釈し、藤村の有名な「小諸なる古城のほとり、雲白く遊子悲しむ」が記憶にあったため③の解釈となった。

 いづれにしても、「遊糸、糸遊」は、歴史的に古いのは①蜘蛛の糸であり、その後②「陽炎かげろう」の意味にも使われるようになった、と解釈するべきだろう。

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1357   第218回 10月 岩戸句会

2014年10月29日 | 岩戸句会

椋鳥の来てあつき紅茶のほしきころ 一煌 

木の実落つきびしき音にハッとする

 

椋鳥や女同志という疲れ      洋子

人生の今どのあたり烏瓜

 

虫時雨となりの夕餉ライスカレー  歩智

落蝉や仔犬の餌になりにけり

 

色さまざまさまざまに揺るる秋桜  稱子 

柿食めばパリンと秋の音のして

 

化粧水ぱっぱとつけて秋日和    薪

秋天や鉄棒男の大団円 

 

烏瓜カラスというに何故赤い    炎火

椋鳥やスクランブルの交差点

 

鰯雲端よりほぐれ暮の道      鼓夢

朝冷や味噌汁熱き独りの餉

 

奔放な竹の撓りや秋の風      豊春

騒擾や駅の欅に椋鳥の塒

   

椋鳥やどこへも行かぬ髪を切る  雲水

遊糸飛ぶいつかどこかで会った人 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1356   人生の今どのあたり烏瓜   洋子

2014年10月27日 | 

 烏瓜(からすうり)の名前の由来は、唐朱瓜(からしゅうり)から来ているという。「唐朱」とは、唐から渡来した書道の朱墨のことで、唐朱が烏瓜の実の色に似ているので名付けられ、唐朱瓜(からしゅうり)→からすうり→烏瓜となったそうである。つまり、真っ黒のカラスとは無関係。

 さて、烏瓜を見て考える。私は今人生のどのあたりを歩いているのだろうか。平均寿命まで生きれば、あと何年。百歳まで生きれば、あと何年。世界一の長寿になれば、あと何年。いづれにしても秋は、人生の豊かな実りの時期であり、その先には「冬」が待っている。

アザミ(薊)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1355   椋鳥の来てあつき紅茶の欲しきころ   一煌

2014年10月26日 | 

(むくのきて あつきこうちゃの ほしきころ)

  子育てを終わった椋鳥は、数千羽、時には数万羽の大群になり、大木などのある森を塒(ねぐら)とするようになる。

  江戸時代には、そのやかましさを田舎者が都会に来て騒ぐのにたとえたそうである。次の句は、一茶が自分を椋鳥と呼ばれて憤慨して作ったのであろう。

椋鳥と人に呼ばるる寒さかな   一茶

さて、椋鳥が現れるのは、丁度晩秋のうそ寒い頃であり、この句のように熱い紅茶がピッタリである。

カラスウリ(烏瓜)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1354   秋葉遊石俳句集 8

2014年10月24日 | 秋葉遊石俳句集

春嵐私情の乱れそのままに

 

咳一つ呼吸器外科の吹き溜り

 

万緑や洒脱な言葉見付からず

 

行きずりのマスクの人に会釈され

 

冬帽子後ろ手に持ちさて一人

 

柳刃の切先しかと烏賊を引く

 

比ぶれば君のみむねや隙間風

 

日傘クルクル十七八の通りけり

 

馬鹿言ってんじゃないよ四月馬鹿

 

投げやりに焼いた秋刀魚の旨さかな

 

と云って貴方は蝉時雨に消へた

 

カルタゴの女奴隷の瞳涼し

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1353   脳味噌を啄まれたり鵙の声   翠

2014年10月23日 | 

 春はウグイス、夏ホトトギス、秋はモズ。確かにモズは、秋の人気者である。モズは、鵙と書くが「百舌鳥」とも書くが、それは様々な鳥の鳴きまねをすることに由来する。つまり鵙は「鳴きまね名人」なのである。

秋になると、キキキキと激しく鳴くことから、鵙猛る、鵙高音、などと使い、鵙の空、鵙日和、鵙の秋、などとも言う。モズは肉食で、蛙などの小動物を捕らえ、枝に刺したりするのを、鵙の早贄(はやにえ)、鵙の贄(にえ)と言う。

 この句の鵙が啄んだのは、小動物などではなく、どうやら作者自身の脳味噌らしい。それは、鵙の鳴き声が鋭いからである。

ツワブキ(石蕗、艶蕗)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1352   秋霖や光源氏のひとでなし   とも子

2014年10月22日 | 

 「源氏物語」は、日本が世界に誇る最古の小説であり、その底辺に流れるのは平安仏教の無常観である、と言われている。しかし、この句の作者のように、突き詰めれば、主人公光源氏の好色な「人で無し」が織りなす女性遍歴の物語である、とも言える。

 しかし、「源氏物語」の魅力には、計り知れないものがある。それは、現代語訳の多さでも分かる。谷崎潤一郎、与謝野晶子、円地文子、田辺聖子、瀬戸内寂聴、橋本治、林望、大塚ひかり、大和和紀

 「千年余に亘り、写本によって読み継がれてきた『人で無し文学』を、よく『源氏物語でも読んでみようか』などというヒトがいますが、源氏物語は退屈との闘いです。大学の国文を出たヒトでも、まず一生に1回も読むヒトは無く、2度読んだというヒトにお目に掛かったことがありません」・・・だそうです。

ピラカンサス

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1351   鵙猛る三人寄れど読めぬ句碑   不坐

2014年10月21日 | 

 書には、行書・草書があり、万葉仮名などもあって、専門的な知識がないと読むのが難しい。明治以降、活字化が進むに従い、毛筆離れが進んだためだ。

 日本人が日本語を読めないのは実に悲しいことだが、これは西洋に負けまいとして明治政府が日本文化を軽視してきたからに他ならない。

小唄、長唄、常磐津などが西洋音楽に取って代わったし、和服が洋服に、畳が机に・・・・・こんな変化を数えだしたら切りがないし、腹立たしいから止めておく。

 さて、俳人三人が文珠の知恵を出しても読めないというこの句碑は、草書で書かれているに違いない。過去はさておき、これから建てる句碑は、誰でも読めるようなせめて行書で書いてもらいたい。

 それにしても、このブログをアップした途端、鵙が鳴き始めた。何故か、お祝いしてくれているような、励まされているような気がする。

ダイモンジソウ(大文字草)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1350    栗ご飯装う夫の碗吾子の碗   幸子

2014年10月20日 | 

(くりごはん よそうつまのわん あこのわん)

 「装う(よそう、よそおう)」元は、①準備する、支度する意であったが、②身なりを繕う、着飾る。更に③ご飯を盛り付ける。➃「平気を装う」など、何かの振りをする意味にも使われるようになった。ご飯を「よそう」は、江戸時代に「よそる」とも言うようになった。

 さて、秋の炊き込みご飯には、栗の他にもサトイモ(里芋)、サツマイモ(薩摩芋)、むかご(零余子)、キノコ(茸)、ギンナン(銀杏)など色々あって楽しい。

マユハケオモト

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1349   秋空をエボラ出血熱飛び始む

2014年10月19日 | 

 エボラ出血熱は、ウィルスによる感染症。宿主は、コウモリとされている。空気感染はなく、患者の体液、血液に触れなければ感染しないと言われている。

 他にもウィルスによる感染症である新型肺炎SARS新型インフルエンザと比べて、エボラ出血熱はワクチンや治療薬が未開発であり、感染力が強く、致死率は50%以上とダントツに高い。

 万一、これが蔓延したら、グローバル化時代の世界は一体どういうことになるのだろうか。

キダチチョウセンアサガオ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1348   酔ひ具合みて打ち明ける秋の夜   玄治

2014年10月18日 | 

「秋の夜」―そのまま秋の夜で、秋の季語

「夜の秋」―昼は夏で、夜だけ秋なので、夏の季語。

「秋の暮」―そのまま秋の夕暮のこと。

「暮の秋」-晩秋のことで、秋の夕暮ではない

それでは、「秋の宵」「宵の秋」はどうかと言うと、全く同じ意味だという。

バカバカしいと言えば、実にバカバカしい話だが・・・と言うより、可笑しくて笑ってしまう。勝手に一体誰が、いつ決めたんでしょうねえ。

 さて、掲句、一体何を打ち明けたんでしょう。言えることは、作者は酔っていないで、相手が酔っている、ということ。作者は、相手が酔うのを待っていたのだから・・・・・作者は男だが、相手は男か女か、年上か。内容は、良い話か悪い話か・・・・・

キンモクセイ(金木犀)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1347   裏窓を閉じて遠のく虫時雨

2014年10月17日 | 

 窓を開け放して眠るには、寒い季節になって来た。何と昨日は、今年初めて薪ストーブを焚いてしまった。この一年、薪が大量に入手できて、ほぼ3年分は確保できたからだ。

 家を建て替えて8年になるが、標高が高いため雪がよく降るので、我が家は冬仕様である。薪ストーブで全館暖房。熱が逃げないように気密性を高くするために、断熱材を入れ、窓はペアーガラス。但し、冷房のためのエアコンはない。

 ところが、不便なこともある。窓を閉めると、外の音がよく聞こえなくなってしまったのだ。

タイワンホトトギス

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1346   秋葉遊石俳句集 7

2014年10月16日 | 秋葉遊石俳句集

剥げやすい化粧のように夏果つる

 

墓参り身を知る雨に身をゆだね

 

菜の花や見つかるようにかくれんぼ

 

曇天下日傘時々にして雨

 

秋刀魚裂く包丁で道教えられ

 

木枯の公園を斜めによぎる

 

花の人指切りをしたままの女

 

夏大根引く力なし山は雨

 

神無月賽銭箱を覗きけり

 

草摘める女の背の丸さかな

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1345   新米や親の懐あたたかし   康子

2014年10月15日 | 

(しんまいや おやのふところ あたたかし) 

「新米」とは、今年穫れた米のことだが、もう一つ、ルーキーや新参者を表すことがある。語源を調べてみると、

 江戸時代、新しい奉公人は新品の前掛けを掛けたことから「新参者」を「新前掛け」と言い、「新前(しんまえ)」となり「しんまい」となり「新米」になったとか。

 さて、親に財力があると、子供はいつまでも自立できないかもしれない。自立する必要がないので、と言った方が良いかもしれない。いづれにしても、齧れる親の脛がある人は、幸せ?である。

チャノキ(茶の木)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1344   きぬかつぎ弾き出されし冥王星   志津香

2014年10月13日 | 

 2006年、「すいきんちかもくどてんかいめい」(水金地火木土天海冥)の冥王星が太陽系の第9惑星から外され、太陽系外縁天体、冥王星型天体、準惑星などと呼ばれるようになった。

 その理由としては、惑星と呼ぶには小さ過ぎるし、40余の同じような天体が他にも発見されてしまったからだ。冥王星には、冥王星の直径の半分以上もある衛星(カロン)があり、二重天体とも呼ばれている。

 さて、きぬかつぎ(衣被)が弾き出されて作者の口中に飛び込んだが、冥王星も確かに惑星から弾き出された。

キダチチョウセンアサガオ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする