一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

2183  たっぷりと街並濡らせ冬の雨   さくら  

2021年01月28日 | 

 つい先日まで、たぶん一ト月余り、ほとんど雨が降りませんでした。お陰で椎茸は小さいまま干し椎茸になってしまったし、堆肥箱に集めた落葉も乾き切っていて堆肥にならない。私の個人的感想ではありますが、雨ごいをしたい気分だったのです。

 ですからこの句、山に住む私としては「たっぷりと山並み濡らせ」としていただきたいのですが、都会に住む作者に無理は言えません。「街並み」で結構です。

 そして、ようやくこの数日雨が降り始めました。大寒も過ぎ、春がそこまで来ている証拠です。新型コロナに戦々恐々としている私達ですが、そんなことは気にもせず、自然界は春を迎える準備を着々と行っています。梅や万作は咲き出し、蕗の薹も地下で膨らみ始めています。「自粛など糞喰らえ。ウィルスなど糞喰らえ」と野山に出かけましょう。

 ウィルスは、低温と低湿度が大好きですから、雨は天敵なのです。ご安心ください、気温が上がり、湿度が上昇すれば、次第に新型ウィルスの感染は縮小していきます。但し、油断は大敵です。

スイセン(水仙)

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2182  マスクしているのに増える新感染  与太郎

2021年01月12日 | 

 昨年、Go to トラベル、Go to イートを行ったり止めたりという、無計画で場当たり的な政策をした菅内閣。年明けの今頃になって、遅すぎる新型コロナの緊急事態宣言を出した。どうせ出すなら年末年始の前に、生活を保障する自粛給付金を付けて出すべきだった。従って、国民は保証も無しに自粛を強いる政府に不満を持っているらしく、感染を広げる若者を中心に前回のように素直に従わないようである。

特に、冬季は低温と低湿度のためウイルスの感染力が高まるし、イギリス由来の感染力の強い変種ウイルスが入っているので、これから2月にかけては感染者は減らない、逆に増えると予測されている。糖尿病などの持病があったりする人は、免疫力が低下して重症化しやすいから、感染しないよう特に注意が必要だ。

但し、良いニュースもある。

新型コロナウイルスによる日本の死亡比率は、西洋のおよそ50分の1に過ぎない。

つまり、日本を含むアジア人は、新型コロナウイルスに対する免疫を持っている。

昨年の新型コロナによる感染者、死亡者の数は、毎年のインフルエンザよりも少ない。

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2181  堆肥箱に落葉集めて初仕事  雲水

2021年01月06日 | 新年

 冬は、堆肥を作る絶好の時期だ。乾いているから軽くて、作業が早く運びやすい。去年は、もう一つ堆肥箱を作ったから、天地返しがやりやすくなった。堆肥箱には、落葉・魚粉・油粕・木灰・雑草・生ごみを入れる。

 自然界の草木は秋に葉を落とし、堆肥の他に日光と水と二酸化炭素などを利用して成長してゆく。完全な循環型社会なのである。私は、そのおこぼれを貰って野菜を育てている。

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2180  屠蘇酌むや旭に萌ゆる森の木々  雲水  

2021年01月03日 | 新年

 「屠蘇」とは、「蘇」という悪鬼を屠(ほふ)る、悪鬼を屠り魂を蘇生させるという意味らしい。酒に屠蘇散を浸して作る。山椒・細辛・防風・肉桂・乾姜・白朮・桔梗を用いるのが一般的であるらしいが、我が家の屠蘇散は自分勝手流で、山椒の実・生姜・蜜柑の皮、黒文字、クレソン・シナモンをブレンドして作っている。

 さて、家の周りの木々のほとんどが葉を落とし終わったから、樋の大掃除をした。これから、4,5か月は、あまり樋が詰まらないからだ。落葉は、乾き切ってカラカラ軽い音がする。

ロウバイ(蠟梅)

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2179  ポケットを震わせている初電話   雲水

2021年01月02日 | 新年

 物心の着いた頃、我が家にあった電気製品は、裸電球とラジオだけだった。いつの間にかテレビが来て、電話が付いて、洗濯板が洗濯機になり、木とブリキと氷の冷蔵庫が電気冷蔵庫になった。練炭の掘炬燵が電気炬燵になり、自転車がスクーターになり四輪車になり、薪の竈がガス台に炊飯ガス釜になった。冷暖房はエアコンになり、音楽は、レコードからカセットテープ、CDになった。今ではCDもいらない

   この2~30年の変化は特に凄まじく、それはインターネットだ。スマホ1台あれば、あらゆるものが買えるようになった。メールを初め、辞書、アラーム、地図、時計、カメラやムービー、懐中電灯、電卓、カレンダー、メモ帳、があり、本が読めて、ラジオが聞けて映画が見られるようになった。

    携帯やスマホの電話は、マナーモードでは音なしで、震えて着信を教えるようになった。便利にはなったが、五感は衰え、六感は更に衰えた。だから政府も学者も国民もマスコミも、新型コロナに右往左往している。

はてさて久し振りに、鴨長明の「方丈記」でも読み返してみるか。

 

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