一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

20   父逝くや天高くある普賢岳      泥酔

2010年09月30日 | 

もう二十年近く前になるが、198年振りに雲仙普賢岳の大噴火、大火砕流による人命にも及んだ大被害は、テレビ映像ではあるが、記憶に生々しい。

長い噴火の歴史を続けるこの活火山に、普賢菩薩の「普賢」と名付けた人々の切なる願いを思うと、実に感慨深いものがある。

つまり普賢菩薩は、悟りの実践的側面(普賢行)を象徴し、知恵を象徴する文殊菩薩とともに釈迦の脇侍であり、女人の往生を助け、増益、長寿の徳がある、とされているのだ。

世界にたった一人の、一生に一度の、父親の死に立ち会う。その日は快晴で、かの普賢岳が鮮明に聳えていた、という。

父の死に対する感情を全面に出さず、淡々と事実だけを語ることは俳句の基本である。それ故に私たちは、作者の深い思いに思いをめぐらすことができるのである。

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19   しざりゆく何かは知らず霧の中     多留男

2010年09月29日 | 

しざるは、退ると書く。相手に背を見せないで後退する感じだ。つまり、後ずさりである。これも後退りと書く。

何かがしざって行くのは、はっきりしているのだが、何かは知らないと読者を突き放している。したがってこれは、作者の記憶の中の心象風景ではないか、と思う。しかし、良いことか、悪いことかも分からない。実体があるものかどうかも分からない。人間かもしれないし、情熱というような見えないものかもしれない。つまり、あらゆるものが該当するのだ。

読者とすれば、自分の体験から自由に発想して構わないのだが・・・はてさて。

私の俳句の師匠,多留男先生から沢山の色紙をいただいているが、秋の色紙の中では、この句が一番好きだ。俳句には、石榴の絵が添えられている。先生は91歳になられるが、現在でも矍鑠としておられる。

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18   ちちははを溢れし墓の曼珠沙華    等外

2010年09月28日 | 

俳句を始めた頃、誘われてある結社の句会に参加した時の句。

両親の眠っている墓をお参りし、近くに咲いている曼珠沙華を、父母から溢れて咲いている、と断定している表現に、良い句だなあと、感激した。

ところが、最後の講評で主宰が言うには、「墓と曼珠沙華はくっつき過ぎだ」とこの句を認めなかった。「父母から溢れている、という表現にこの句の主眼があるのに」又、「墓よりも田の畦や川の土手の方に曼珠沙華は沢山あるのに、おかしなことを言う人だなあ」と思い、私はたった1回でその句会を止めてしまった。

この句を知ってしまったおかげでその後、草花を見てもすぐこの句が浮かんでしまい、盗作か類句になるから作ることができなくなってしまった。つまり、知らない方が良かったのだ。知らなければ、いつか独自にその発想に気付く可能性があるからだ。

歳時記などは別として、他人の句を読むのもほどほどにしておいた方が良いと思う。

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17   俳句一服 ソーラー発電

2010年09月27日 | つぶやき

7月末、切妻の屋根の片面、南西方向にソーラーパネルを乗せた。
読者の中には、ソーラーパネル設置を検討している方もおられるかもしれないので、費用なども具体的に書いておく。

9月末、初めて丸々一か月の清算書が来た。買電5,000円、売電12,000円差し引き7,000円の収入である。それまでの電気代が約10,000円だから、実質17,000円の利益を上げたことになる。(売電と買電、発音が何故同じなのだ、ややこしい)

こういう数字が成り立つのは、1kwhあたり、買い電21円、売り電48円、つまり、倍以上の値段で買ってくれるからだ。国の政策によって、これは10年間保証されている。

この夏の猛暑では、発電モニターを見る楽しみがあった。ソーラーパネルは、太陽が出るとみるみる発電量が上がる。直射日光が頼りなのだ。
しかし、気温が高すぎると発電量は下がるそうで、5月に最も発電するのは、気温の影響なのだ。
メーカーや機種によって、性能や価格が違うので、良く検討する必要がある。業者もしっかり調べよう。

発電中の昼間は、売買の差額によって、自家消費するより売った方が得だ。しかし、電気を使っていないはずなのに自家消費が最低300wはある。調べてみると、犯人は、2台の冷蔵庫だった。

又、できるだけ消費を減らすため、ほとんどをLED電球に替えた。白熱灯の60wに対して、LEDは3,4wだから消費電力は、17分の1。寿命は、10倍。値段はまだまだ高いが、それでも1,2年で元が取れる計算だ。

設備投資に230万、市と国の補助金が約30万だから、実質200万の投資。これを回収するのに、試算では11年ほどかかるという。

ソーラーパネル設置の第一のお勧めは、別荘をお持ちの方。消費せずに売る一方だから、もうかりまっせ。

現在、日本にある太陽光の総発電量は、原子力発電2基分に相当するそうだ。おどろき、おどろき。

地球温暖化や石油の枯渇が叫ばれている。それは、人類存亡の危機でもある。まあ、その一助にでもなればと設置したが、これも猿知恵なのかもしれない。

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16   目を立てた両刃ノコギリ残暑かな   炎火

2010年09月26日 | 

今年の夏は、本当に暑かった。そして長かった。夏が大好きな私も、芯から参ってしまった。この句は、それを主題としていると思う。

木を切る鋸(のこぎり)には、両刃と片刃があるが、両刃が一般的。しかし、最近は、電動の丸のこ、チェンソーなど、機械化が進んでいる。私も薪割り機や草刈り機、ブロワーがなくては、悔しいけれどやっていけない。実に、情けないことだ。

さて、作者は、目立ての済んだよく切れるはずの鋸とにらめっこをしているのだ。
To go or not to go 暑さに参っている作者の逡巡している様子が、目に浮かぶではないか。

結果は、取り止めたのだから熱中症にならないで済んだし、句会にも参加できたのだ。とにかく還暦を過ぎたら、やせ我慢はしないに限る。お互い、のんびりやりましょう。但し、テニス以外はね。

それにしても、この2,3日なんと急に寒くなったことか。

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15   露の世は露の世ながらさりながら

2010年09月25日 | 

 この句を初めて読む人は、どういう意味なのか、作者は何を言おうとしているのか、全く分からないかもしれない。

 朝日が昇れば蒸発して消えてしまう短い命の「露」。宇宙誕生から百五十億年、地球誕生から四十億年、人類誕生から三十万年。そういう時間からすると、人間の命などないに等しい。人生八十年の時代になったが、八十年など「あっという間」なのだ。そういう「露の世」

 作者は、「そんなことは分かっているよ、よく分かっているけれども、さりながら・・・・・納得できない」と言っている。何故か。

実は、作者は、小林一茶、息子を亡くした時の句なのだ。この句を

吾子死せり露の世ながらさりながら

とすれば、読者は理解できるのに、そうしなかった。この省略が俳句の奥深いところであり、人間一茶の非凡を示している、とも言えるだろう。

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14   曼珠沙華どれも腹出し秩父の子   兜太

2010年09月24日 | 

テレビの俳句講座などでお馴染みの金子兜太氏は、91歳で矍鑠としている、現代俳句協会の名誉会長。

トラック島で終戦を迎えた海軍主計大尉金子兜太は、米軍の捕虜となり、昭和21年秋に復員船で帰国。故郷の秩父に帰ってから作った句。

終戦直後の物資の不足した地方都市の状況を、子供を通してあっけらかんと捉えている。
曼珠沙華の取り合わせも、これから寒くなることを思う作者の子供たちへの配慮やこれから日本はどうなっていくのだろう、という不安なども想像されて興味深い。

日本銀行に職を得た作者は、次第に難解、破調、無季の俳句に傾倒していく。

掲句は、彼の自選五十句に入っているのだが、この句はまともなところが異色。

しかし、戦後65年経った現代、ヘソ出しルックを除けば、洟(はなみず)を垂らし腹を出している子など、日本全国に一人もいない。それどころか、

 曼珠沙華どれも満腹秩父の子

としてしまっても、言い過ぎではなかろう。

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13   風止まり未練がましや法師蝉   敬子

2010年09月23日 | 

風が止んで、つくつく法師の声がことさら大きく聞こえ始めた。作者は、それを未練がましいと感じた。

昔から、つくつく法師は、逝く夏を「つくづく惜しい、つくづく惜しい」と鳴くと、日本人は聞き成してきた。だから、未練がましいと感じるのは、日本人として当然のこと、

たいがいの虫たちは、オスが鳴く。メスと出会い、子孫を残す為 だ。とすると、鳴いているつくつく法師は、まだメスと出会っていない可能性が高い。

このまま寒さが増すと、交尾もできずに死んでしまうかもしれない。秋の蝉は、まさにメスを求めて、必死に鳴いているのだ。前世七年、今生七日である。
蝉が、逝く夏に、メスに出会えないことに、未練を感じている、と 断定する作者に共感する。

しかし、これは、

風止まり未練がまし(き)法師蝉

という句の場合である。

そこで本題だが、実際虫たちには未練などないのだ。未練がましいのは、 人間である作者自身だ。それをつくつく法師に託して、表現していると考えるのが適当だろう。
つまり,作者が、未練がましい作者自身を叱咤激励している句と言っていいと思う。

こういう推測が成り立つ訳は、この句は、

風止まり未練がまし(や)法師蝉

であって、「未練がまし」と「法師蝉」が「や」で切れている。
したがって、「未練がまし」が「法師蝉」のことを言っているのではない、と推測できるからだ。たった一字で意味が違ってしまう好例と言えよう。

先ほど述べた「作者自身を叱咤激励する句」ということを前提にすると、上五の「風止まり」が物足りない。このままでも悪いわけではないが、更に発展させるには、もっと適切な上五が必要だ。
しかし、私にはそれを提示する言葉が見つからないので、作者にお任せしよう。

こんな風に自分の句を暖めておくと、いつか突然ふさわしい言葉が見つかり、ようやく句が完成するということがよくある。

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12   イマジンの曲流れいる良夜かな     鳴海清美

2010年09月22日 | 

想像してごらん、天国なんて無いんだと。地面の下に地獄なんて無いし、僕たちの上にはただ空があるだけ。

さあ想像してごらん,みんながただ今を生きているって、国なんて無いんだと。殺す理由も死ぬ理由も無く、そして宗教も無い。 みんながただ平和に生きているって。

僕のことを夢想家だと言うかもしれないね。でも僕一人じゃないはず。いつか、あなたもみんな仲間になってきっと世界は一つになるんだ。

想像してごらん、何も所有しないって。あなたなら出来ると思うよ。欲張ったり飢えることも無い、人はみんな兄弟なんだって。

 十五夜の月が浩々と輝く良夜に、イマジンを聞く。平和と自由と平等を願ったジョン・レノンは、ある日凶弾に倒れた。ソクラテスやキリスト、ガンディーやキング牧師も同じだったが、なんと皮肉な運命だろうか。

 どんなに立派な仕事をし、人々の尊敬を集め、歴史に名を残す偉業をなしても、有名になり社会的影響力を持つと、必ず一部の人間に嫉妬や憎しみを与えてしまう、ということか。

 優秀な思想家・活動家として歴史に名を残し、凶弾に倒れるのと、平凡に生きて長寿を全うするのと、あなたならどちらを選びますか。

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11   鍋で買う豆腐一丁鰯雲       稱子

2010年09月21日 | 

日本にスーパーマーケットが登場してから、どのくらい経っただろうか。ほとんどの食品がパック入りになった。清潔で便利にはなったが、ゴミの量産など改善すべき問題は多い。

 鍋で豆腐を買うなど夢物語になったようにも思えるが、直接豆腐屋へ買いに行けばいいし、ラッパを鳴らして売りに来る豆腐屋が今でもあるようだから、あながち旧時代のものとは言えない。

 いずれにしても、鍋で豆腐を買う作者の庶民的な住環境まで想像される。又、「鰯雲」の斡旋によって、作者の幸福感まで漂ってくるから不思議である。

 私の映像では、作者が豆腐を買っての帰り道、午後の商店街を歩き、下を向かず、澄み切った秋の空を見上げているからだ。夫のためか、我が子のためか、こういう平凡なことが、幸福と言えるのだと思う。

 九ちゃんの「上を向いてあるこう」は、「涙がこぼれないように」だから悲しくて、淋しくて、辛くて上を向くこともあるんだ。ねえ、永六輔さん。

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10  邯鄲の夢と思わば別れ難し

2010年09月20日 | 

中国の蜀の国の盧生という青年は、人生に迷いを生じ、楚の国の羊飛山に住む高名な聖者に教えを乞おうと旅に出ます。途中邯鄲の里に着き、一軒の宿に泊まります。

その宿の女主人は、かつて仙人の法を使う人を泊めた時、そのお礼にと不思議な枕をもらいます。その枕を用いて寝ると、夢によって悟りを開くというのです。
盧生は、女主人に勧められて、食事の支度をする間その有名な枕を借りて一眠りすることにします。

うとうとしていると、起こす人があります。立派な身なりの楚の国の勅使が出てきて、「帝があなたに王位を譲られる」と言うのです。盧生は驚いたが、豪華な輿に乗せられて、宮殿に向かいます。

宮殿に着くと、庭には金や銀の砂が敷かれ、玉の戸の門があり、出入りする人々も皆輝くばかりに着飾り、玉座には多くの宝物が献上されています。天にも昇る心地で、盧生は王位に着きます。
それから50年、臣下の捧げる仙境の酒を受け、可憐な舞姫の舞を見ているうちに、自分も興に乗じて舞を舞います。こうして、四季の美を一時に集め、万木は咲き競い、人間のなしうる限りの栄華を尽くす毎日を送りました。

さて,そのとき「粟の御飯ができましたから召し上がれ」という女主人の声がしたのです。はたと気が付いてみれば、全ては夢だったのです。並んでいた女官たちの声は松風の声であり、宮殿は侘しいこの宿であったのです。

しばらくは、呆然とする盧生ですが、人生何事も一炊の夢と悟り、枕に感謝し、満ち足りた気持ちで故郷へと帰っていきます。

さて、この物語は、能の題目の一つ「邯鄲」の物語の要約で、「邯鄲一炊の夢」などとも言われている。

本来の「邯鄲」は、中国の河北省にある秦の始皇帝の生まれた町の名前で、現在は人口800万の大都市である。

この物語は中国で生まれ育ち、日本に輸入され、能の題目になったばかりでなく、秋に鳴く虫の名前にもなった。一体、誰がいつごろ名付けたのか、邯鄲が鳴く秋になると、必ず思い出す私の七不思議の一つだ。

さてこの句、夢から覚めてしまった作者ならば別れ易いはずであろうが、まだ夢の中の栄華を味わっている最中だから別れ難いのである。

つまり、この作者は、全くこの世を悟っていない俗物なのだ。

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9  チクチクと突き上げてくる曼珠沙華     洋子

2010年09月19日 | 

 曼珠沙華は、夏は地下で休眠し、お彼岸の頃咲くので正式にはヒガンバナという。ヒガンバナ科、ヒガンバナ属。

 彼岸花の別名、曼珠沙華は、「天上の花」という意味らしいが、これは良い方で、別名死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)、剃刀花(かみそりばな)などとも呼ばれている。これは、全草毒で食べたらあの世(彼岸)に行くしかない、ということが由来のようだ。
 
 曼珠沙華は、花が終わってから、背丈は低いが葉を青々と伸ばし冬を越し、春には枯れてしまう、変わり者の多年草植物である。他の植物と共存しつつ生き残るための必死の知恵と言えるのではないか。

 明日は彼岸の入り。この世の此岸(しがん)に対して、あの世を彼岸という。阿弥陀如来が治める極楽浄土、西方浄土のことをいう。あの世へ旅立った先祖を供養するのが「お彼岸」

 さて、地下から花眼を伸ばし始める時期の曼珠沙華の先端は確かに尖っている。触感としては確かにチクチクするだろう。この句、視覚を触覚に変えて表現しているところがうまい。

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8  逸楽の閻魔こおろぎ昼の芝

2010年09月18日 | 

 家の近くに大手電機会社の健康保険組合の保養所があった。それが最近別会社のホテルに変わった。社員から徴収した余剰金で造ったのだろうが、最近の不景気で閉鎖に追い込まれたのだ。

 さて、テニスコートやパターゴルフもある広い庭には、芝生が広がっている。秋になると、数百匹もいるのではないかと思われるほど、昼間からエンマコオロギの大合唱が始まる。夕暮の駅のホームで、1,2匹鳴いているのとは、訳が違う。

 エンマコオロギの声質は、柔らかく、のんきで実に優雅である。「平和とはエンマコオロギの大合唱」と言えるくらいなのだ。
「逸楽」という言葉を選んだのは、「蟻とキリギリス」からイメージしたのではない。その合唱の音色からきているのだ。

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7  妻二タ夜あらず二タ夜の天の川  

2010年09月17日 | 

宇宙船から地球を見ると、夜の日本列島は煌々と輝いている。戦後の高度成長が進むに従い、次第に空が明かるくなり、今や日本から天の川を肉眼ではっきりと認識することは難しくなってしまった。全く残念でならない。温暖化や石油の高騰を云々するよりも、無駄な照明を消したらどうだろうか。

 さて掲句は、まだまだ日本が暗かっただろう時代の句だ。「妻が二晩留守だったが、その二晩素晴らしい天気で、天の川が良く見えた。」

 妻と一緒に見られなくて残念な気持ちと、どうしているのだろう、この天の川をかの地で見ているだろうか、という妻を思いやる気持ちもあるだろう。作者、中村草田男は、日野草城と共に愛妻俳句の名手。

 天の川と言えば、芭蕉の「荒海や佐渡に横たふ天の川」が有名だが、この愛妻俳句は平和と自由、男女平等など、時代が生んだ象徴と言えるかもしれない。

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6   秋の雨窯場に犬の哲学者

2010年09月16日 | 

長い猛暑も、ようやく終わりそうな今日の雨。今朝の気温は、17度。いよいよ秋だ。

 さて、昨年の秋のことだ。、小雨の降る中、仕事場に女性が犬を連れてやって来た。初対面だ。「こんにちわー」明るい笑顔。犬はゴールデンレトリバー、盲導犬になる犬だ。

犬の名前は、アルト。彼女は、テーブルに顎を乗せて、私をじっと見ている。優しそうな眼だ。尻尾をゆっくり振っている。毛並みからすると10才位か。

ソクラテスもプラトンもニーチェも全く知らないが、どういうわけか彼女が哲学者に見えた。

 帰り際、飼主がほほ笑んだ時、「飼主が犬に似るのか、犬が飼主に似るのか」
私に新たな命題が生まれた。

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