ピアノバーでは、ピアニストがピアノを弾き、その伴奏で客が歌を歌い、ダンスフロアでは客が踊り・・・・・
賑やかだった新年会が終わり、他の客も皆帰った。食器類の後片付けも全て終わり、働いていた人達もようやく帰った。 静謐(せいひつ)とは、「静かで穏やかな様」と辞書にある.
「ママ、何か作りましょうか」そうそう、まだバーテンのキヨシとキミコが残っていたのだ。おつまみは、ひまわりの種だった。
ヤマガラ キヨシ
シジュウカラ キミコ
ピアノバーでは、ピアニストがピアノを弾き、その伴奏で客が歌を歌い、ダンスフロアでは客が踊り・・・・・
賑やかだった新年会が終わり、他の客も皆帰った。食器類の後片付けも全て終わり、働いていた人達もようやく帰った。 静謐(せいひつ)とは、「静かで穏やかな様」と辞書にある.
「ママ、何か作りましょうか」そうそう、まだバーテンのキヨシとキミコが残っていたのだ。おつまみは、ひまわりの種だった。
ヤマガラ キヨシ
シジュウカラ キミコ
柔道、剣道、合気道、茶道、華道、などと、日本には職業や趣味を「道・どう」と呼ぶ考え方がある。「道」を自己本位に楽しむのが「道楽」であろう。
江戸時代には、御隠居さんが楽しむ三道楽と呼ばれた園芸道楽、釣り道楽、文芸道楽があったそうである。嬉しや、我が俳諧も道楽の一つに数えられている。
一方、道楽と言えば酒道楽、博打道楽、女道楽、道楽息子などと悪い意味にも使われているから注意せねばならない。
明治44年、漱石は明石で行った講演「道楽と職業」の中で、『禅僧・芸術家・科学者・哲学者などは、社会に迎合せず、自己本位でなければいい仕事ができない。彼らは、自分中心の道楽生活をしている』と言ったそうである。
さて、この句の作者は、仕事が道楽になったという。ということは、義務感や金儲けから解放され、ようやく本来の自分・本来の仕事を取り戻した、と言えるのではないだろうか。めでたし、めでたし。
私が丹頂鶴を見たのは一度きりで、ある日本画家が自分の自宅兼工房の庭で飼っていた丹頂鶴であった。どういう手蔓で手に入れたのか、飼う許可を取っているのかも不思議だったし、画家というのは随分と変わった人種のようで好きになれなかった。
さてよく見ると、確かに鳥の足はどれも実に細い。特に鶴は細い骨と筋ばかりで筋肉なんかはほとんど見当たらないにも関わらず、器用に物をつかんだりできるから不思議である。ところで、あの細くて長い丹頂の足に、血管なんかあるのだろうか。
雪に残したヤマガラ、シジュウカラの足跡、ひまわりの種
16年前、メス犬のモモが発情したとき、オス犬のタローは3キロ先から匂いを嗅ぎ分け、家を脱出してやって来た。3か月後モモは、タローそっくりの子犬を3匹生んだ。
オス犬の飼い主経験者によると、近隣に発情したメス犬がいると、オス犬は数日食欲不振になり、昼夜を問わず遠吠えを繰り返し、脱出したがるそうである。今朝のデンが全くその通りなのだ。
立春まで1週間となった。犬も猫も小鳥も、野山の動物たちも春を迎えようとしている。
冬は「おでん」ですね、ねえデンちゃん。デンちゃんだって、丁寧に呼べば「おでんちゃん」だよ~~~ん。最近の若い人たちは家で作らないから、コンビニのおでんがよく売れているそうだね。
一口におでんと言っても、問題は具でしょ。例えば・・・大根・昆布・しらたき、こんにゃく・里芋・ジャガイモ・茹で卵・イカ・厚揚げ・がんもどき・ちくわ・牛筋・ちくわぶ・手羽先・巾着には餅やモヤシ、魚のすり身、豚牛鳥の挽肉など色々あって・・・・・・・切りがない・・・・・最近は、ハンバーグ・厚焼き卵・アボガドなんかも入れるそうです。・
これらを分類するとおでんの具には、出汁に味を出してくれる具と、出汁の味を吸って旨くなる具がある。つまり、その日に食べた方がうまい具もあるし、二日目の方が味が染みてうまい具だってある。
さて、「二日目のおでんのような男」とは、これ如何に。あなた、どんな男だと思います?
大阪と東京に住む大学時代の同窓生の才媛二人が、熱海のホテルで落ち合ったとか。形は別々でしたが、二人とも宝石箱を作陶。初めてにしてはなかなかの出来栄えです。
壺中庵は満席なので、昨日たまたま買ったサツマイモを薪ストーブで焼いて、昼食代わりに。勿論、いつもの野草茶で。はにかみ屋のデンも、焼き芋を分けてもらって大喜びでした。
さて、聞いてみるとお二人ともフェイスブックをやっているとか。早速、快諾を得てお友達に。
なかなかの出来栄えですが、どんな風に焼きあがりますか?
テニスの4大大会の初戦、全豪オープンには、本戦だけでも128名が参加している。初戦128、二回戦64、3回戦32、4回戦16、準々決勝8、準決勝4、決勝2、つまり錦織君が優勝するためには、7試合を勝ち抜かねばならない。1試合4,5時間はざらで、こんな激しいプロスポーツを他に私は知らない。手の平が豆だらけなんていうのは当たり前で、肘・肩・腰・膝などの故障者が非常に多い。
二回戦に勝ち残った日本勢は錦織君だけで、この先シード選手が順調に勝ち進むと、4回戦で⑨フェレール、準々決勝で④バブリンカ、準決勝で①ジョコビッチ、決勝で②フェデラーか③ナダルと対戦することになる。さて、錦織君はどこまで勝ち進めるだろうか。
追記 錦織君は、3回戦も快勝。第1セットは落としましたが、後の3セットは、6-1、6-2,6-3でした。
4回戦 フェレールにストレート勝ち。ベスト8
準々決勝 第4シードのバブリンカに完敗。バブリンカが余りにも良すぎた。
タカアシガニ
3年前、静岡県沼津港に、世界初の深海水族館ができた。冷凍保存されたシーラカンスや、オーム貝、チンアナゴ、タカアシガニなどの深海生物が展示されていて、館内はうす暗く水槽の魚たちは、最小限の微かな照明に照らされている。
駿河湾の最深部は2、500mもあって、湾として世界一深いそうである。近くの富士山を足した標高差は、なんと6,200メートルもある。驚きである。
オーム貝
(だいかんの わさびきかせて あられそば)
今年は通算すると、明治 148年、大正 104年、昭和 90年、平成27年である。昭和生まれが90才とは、驚きである。
昨日(1月20日)は大寒で、旧正月(2月19日)までまだ一ト月もあり、今年は年内立春である。
さて、ハマグリに似たバカガイのオレンジ色の口のようなものが青柳(あおやぎ)。バカガイの貝柱を小柱と呼ぶ。霰蕎麦(あられそば)は、バカガイの小柱をあられに見立て、海苔をあしらった温かい蕎麦。
75才になると、後期高齢者などという実に失礼な呼び名で呼ばれるらしいが、その前の65才で「介護保険被保険者証」なるものが送られてきた。自覚症状はないが、私もいよいよ正しく老人の仲間入りである。介護保険を支払うのはやぶさかではないが、介護を受けるのはまっぴらだ。
どうか入院も、手術も、介護も受けずに、ぽっくり死ねるようお計らいください。神様、天照大神様、お釈迦様、キリスト様、アラー様・・・・いったいどなたにお願いしたら叶うのだろうか。一生に一度の最初で最後のお願いぐらいしても許されると思うけれども、やり方が分からない。
枯れた薪を割っていると、カミキリ虫の幼虫、イモムシのようなテッポウムシ(鉄砲虫)が出てくる。松には松の、桧には桧の、銀杏には銀杏の・・・どうやら木によってカミキリムシの種類が違うようである。日本だけでも800種いるというから、違って当然かもしれない。「髪切り虫」とも書くが、「噛み切り虫」とも書き、木に穴を開ける強い顎を持っている。
さて、薪割りの木屑の中に紛れているテッポウムシを狙って、私が休憩するのを、近くの枝で待っている鳥がいる。今年は、イソヒヨドリのオスだ。どういう訳か、いつものジョウビタキでもモズでもいない。イソヒヨドリに脅されて、近づけないのだろうか。
犬に袴をはかせて神社にお参りして七五三をしたり、犬にサンタクロースの服を着せてクリスマスを祝うのは、当たり前の世の中になりました。季節によって、数十種類の犬の衣類を着せ替えるのも当たり前になって来ました。
だから犬の美容院から年賀状が来るなんざ、当然のこと。但し、東京で暮らす娘によると、今どきの若者は年賀状は出さないそうだ。「来た年賀状は、お父さんぐらいよ。他はぜんぶメールよ」「・・・・・・・・・・・・・」
ところで、あなたの家には、まだ固定電話がありますか。そんなもの、あるのが時代遅れなんですって。
どういう訳か知らないが、差出人の名前も住所もない年賀状が、確かに私の所にも来る。今年も1枚。年賀状には郵便局の刻印がないから、文面が全て印刷だったら、誰からなのか推測さえ成り立たない。
最近は、単なる儀礼的年賀状が減り、一応見る価値のある年賀状が増えている。誰だって、どうせ出すなら個性的な葉書にしたいと思うはずだ。だからだろうか、一番多いのは家族の写真を張り付けた年賀状。
一時、年賀状のような馬鹿げた社会的儀礼は無駄だから止めよう、めんどくさくなってきたし止めようと思った時もあった。しかし、このブログと同じで、誰の為でもない、年賀状も私の生きている証。誰に迷惑を掛けるのでもないのだから、これからも出し続けようと思う。
百歳の人々の遺伝子を調べたところ、癌や糖尿病、高血圧、心臓病になる遺伝子がないそうである。つまり、彼等は別に大した努力などしなくても長生きできる人々なのである。そういう人は、たぶん煙草を吸っても肺癌にならないし、毎日酒を飲んでも肝臓癌にならないのであろう。
自分の長寿の遺伝子がどうなっているのか、どんな病気のリスクがあるのか、知っておくのも良いかもしれない。最近は、遺伝子検査が2万円ほどでできるそうである。
暮に「色々な私が走る十二月」という喜久さんの句があったが、それを具体的に例えれば、掲句になる、という訳だ。このパターンは、「母から子に」「母から祖母に」・・・「祖母から子に」だってあり得る。
何でもありではあるが、「父から夫に」なんていうのは、どう考えても様にならない。男の身勝手かもしれないが、やはり「母から妻に」が一番素敵だ、と思う。