(さざんかや かおにあるあな などかぞえ)
顔にある穴は、耳2、鼻2、口1ではないかと思うが・・・・・細かく言えば、口の中には食道や気道、唾液腺があり、目には涙線、皮膚には汗腺が無数にある・・・・・さてこの句、顔の穴と山茶花との因果関係は?・・・・・作者は余程暇だったと見えますね。どう考えてもどうでもいいような関係です。
カラスウリ
(さざんかや かおにあるあな などかぞえ)
顔にある穴は、耳2、鼻2、口1ではないかと思うが・・・・・細かく言えば、口の中には食道や気道、唾液腺があり、目には涙線、皮膚には汗腺が無数にある・・・・・さてこの句、顔の穴と山茶花との因果関係は?・・・・・作者は余程暇だったと見えますね。どう考えてもどうでもいいような関係です。
カラスウリ
私の犬の散歩コースは2kmほどで、両側のほとんどが杉・桧か雑木の林、たまに保養所・マンションなどの庭があるが、ほとんど人家がない。
その路傍の草むらに新しいゴミが落ちている。特に、ペットボトルと缶が多い。雑誌や中に食べ物の紙類の入ったビニール袋など。ほとんどが観光客の車からのポイ捨てに違いない。2か月ほどすると、大型ゴミ袋が一杯になるほどだ。
特に、ひどいのは電気洗濯機、冷蔵庫、テレビ、パソコンなども捨てて行く輩がいることだ。これらは、もう私の手には負えない。日本人のマナーの悪さ、道徳心の無さに驚くが、市町村のゴミの有料化によって不法投棄が増えているのだ。
消費税の使用目的の第一は、ゴミの無料化に使うべきである。物を買えば必ずゴミが出る。その処理に消費税を使わないのは、政治家や官僚が無能か又は怠慢である。
スッポンは日本や中国では、古くから食されていて、日本の場合、縄文時代中期の貝塚や弥生時代の貝塚などから発掘されているという。
美味しい出汁(だし)が出るため、鍋料理や雑炊、吸い物は高級料理とされている。甲羅、爪、膀胱、胆嚢以外はすべて食べられることが特徴で、「まる」とも呼ばれ、解体することを「四つほどき」とも言う。食前酒として、スッポンの生き血を酒やワインで割ったものを飲んだりする。
いづれにしても、滋養強壮の食材として人気が高い。
(おおいちょう れきぜんとかれ トビのふえ)
大上段に「歴然と枯れ」などと振りかざして、平凡な大銀杏と鳶の笛が平凡ではなくなった。
何故なら、大銀杏の枝に一枚の葉っぱさえ付いていないことや、枝々の隙間から見える上空の鳶の姿も鳶の笛の音色も鮮明に見え、聞こえて映像化されたからだ。
更に、澄み切った大気や寒ささえも感じられるのは、「歴然と」の功績だろう。
マンリョウ(万両)
「以って菊」とは、秋の山形の味「食用菊~もってのほか」のこと。独特の風味と味の良さ、美しさから、「食用菊の王様」と言われている。
名前の由来は、「天皇の御紋である菊の花を食べるとは、もってのほか」、又は「もってのほか(思っていたよりもずっと)美味しいから」などと言われている。
食用菊は花びらの部分を食べるが、もってのほかの花びらは筒状になっているため、茹でても形が崩れず、しゃきしゃきとした歯ざわりが特徴。サッと茹でた花びらを、和え物、おひたし、酢の物にしたり、そのまま、天ぷらや吸い物などにする。
我が家でも、鉢で育てているが、食べる気にはならない。
いよいよ窯詰も中盤に差し掛かった。お昼まであと30分ほどなので、薪ストーブの隅に、アルミホイルに包んだ薩摩芋を入れた。
再び窯詰を始めると、おなかがグーと鳴ったのだが・・・・・誰のおなかが鳴ったのかが分からない。狭い窯の中でレンガに音が反響したからだ。犯人は私かと思ったが、私ではなかった。
さて、「紅はるか」という厚木産の薩摩芋は、水分が多くねっとりしていて、それなりに甘くてうまい。幸いなことに「芋食べておなら出るなり窯の中」とはならなかった。めでたし、めでたし。
ジュウリョウ(十両)
実は、熊手で落葉を掻いていたのは数年前までのことで、今はブロワ―なる物を使って、落葉を吹き飛ばしている。1時間かかっていたのが、15分ほどに短縮された。
植木屋は、更に使い勝手の良いエンジンを背中に背負ったタイプのブロワ―を使っている。ブロワ―は、落葉ばかりではなく竹箒や熊手も吹き飛ばしてしまった。
ダルマギク(達磨菊)
贅沢を好むことは、それほど身分不相応な、思い上がった心から来るものではない。
普通の生活に必ずしも必要でないもの、過剰なものにどうしても魅了されてしまうのは、実は贅沢こそ人間の魂が最も好んで泳ぐ水そのものだからだ。(ニーチェ)
ニーチェの言葉をそのまま解釈すると、贅沢とは何かを本当に知っていて、それを実践しているのは、我が家の犬デンである。
今や、図書館がブームとか。冷暖房完備は当然として、食堂・喫茶室もあるらしい。新刊を注文すると、すぐ購入してくれる。これでは、本屋がつぶれないかしらん。
それなのに、一度しか読まない本をわざわざ買って、読んだ挙句の果て、わざわざ私にくれる人がいる。その本が、「超訳・ニーチェの言葉・白取春彦編訳」
学生時代に確かに読んだが、二度と読みたくないはずのニーチェであったが・・・・232項目232ページの、つまり1項目1ページ400字に満たない簡潔な文章が、とても読みやすいのだ。例えば
032「誰かを喜ばせることは、自分をも喜びでいっぱいにする。どんなに小さな事柄でも人を喜ばせることができると、わたしたちの両手も心も喜びでいっぱいになるのだ」
「へー、ニーチェって本当にこんなことを言ったの」って、不思議に思うでしょ。
難を転ずるナンテン(南天)
(たんじつや しごとはかどる ていきゅうび)
毎週水曜が定休日であるが、昨日は久しぶりに仕事。何と言っても88回目の窯焚きが近いので、最後の作品を作っている。穴窯の一番手前に置く壺類で、投げる薪がぶつかって割れたり、傾いたり、灰が被り過ぎたりとリスクも多いが、面白く焼き上がる可能性も十分ある。
さて、最も日の短い冬至は12月22日だが、すでに相当夜明けは遅いし、日暮れは早い。江戸時代以前の人々は、冬の長い夜をどう過ごしていたのだろうか。
電燈がない、ロウソクは高価、テレビもラジオもない、ろくな暖房もない・・・
焼き物の中で、割と人気なのが「明かり壺」 様々なデザインが可能だが、文字もその一つ。漢字はかなり難しいが、ひらがなの方が簡単。
先日、お馴染みさんから、「最近、いろはの明かり壺がないですね」と言われたので、久しぶりに作ってみた。壺を作ってから、字の部分をくり抜くのだ。
ところで、「いろは」の「は」には、助詞の「は」と、葉っぱの「葉」に解釈が分かれているそうである。
皇帝ダリア
(ジョウビタキ てるこがかたる イーハトーブ)
仕事をしながらすることと言えば、まづ音楽を聞くことだろう。最近のミニコンポは、持っているCDを全てハードディスクに取り込んだ上で、取り込んだ音楽を、朝のおすすめ、雨の日のおすすめ、・・・・など40ほどに分類されていてランダムにCD再生してくれる有り難い機能がある。
長岡輝子おばさんの「賢治の世界」の朗読が、突然仕事中に始まると、休憩せざるを得ない。手を洗いながら窓の外をふと見ると、ジョウビタキがこちらを向いて、嘴を鳴らしている。ということは、私に挨拶に来たに違いない。メスだから、たぶん去年と同じ娘だろう。ということは、テッポウムシが食べたくて、今年も早く薪割りをしてよと、催促しているに違いない。
コブクザクラ
茶髪・金髪・銀髪・白髪・縞々など、どんな色に髪を染めても誰も驚かないし、咎められない時代になった。しかし、これはまだ髪染めが珍しい30年ほど前の、私の友人の話。
ある日、社会人になっていた彼の息子が、赤茶髪になって帰って来たそうである。それを見た彼は、次の日早速息子と同じように赤茶髪に染めたそうである。
お父さんの赤茶髪を見た息子は、驚いて元の黒髪に戻したそうである。それ以来、お父さんだけが赤茶髪のままなのだ。
サザンカ(山茶花)
今年最後の穴窯の窯を焚く。まず本番前に3日ほど100度くらいで焚き、窯や作品の湿気を抜く。12月4日から本格的に始める。窯焚きは、600度くらいから赤みが差すようになり、800~900度が最も赤く、その後は次第に白色に近づく。火止めに近い頃は、およそ1300度で白色である。
さてこの句、「櫨紅葉が、窯に例えれば火止めに近い」と言っているが、それは色のことを言っているのだろうか、それとも時間のことを言っているのだろうか。
(はぜもみじ みずがなくても ちめいはいずみ)
「泉、和泉」という地名は、全国に山ほどある。当然のことながら、日本列島どこからでも水が湧くからだ。
熱海市泉も、水が豊富にあるから名付けられたことは間違いないだろう。しかし私の家は峠にあるから、山を背負ってはいるが標高400mもあって、残念ながら川も泉もない。
本来の「泉・和泉」は、洪水などの災害に遭いそうな危険地帯でもある。