一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

1741   鰯雲海より出でて海に入る   歩智

2016年09月30日 | 

 半島の尾根や突端、山頂などから空を眺めると、雲が流れて行くのを見ることができる。それも、鰯雲が西の海から現れ、天頂を駆け、再び東の海へ沈んでゆくのを、作者は見たのであろう。

 さて、鰯雲の造形は自然神の造形だ。宇宙のある不思議、地球のある不思議、空気や動植物のある不思議、私達人間のいる不思議を思うと、やはり神は明らかに存在していると思わざるを得ない。そして、絶えることなく争いをし、地球を汚し続ける人間の愚かさも、又神のなせる業として受容しなければならないのだろうか。神の本願とは一体何なのだろう。

ヒガンバナ(彼岸花)


1740   第241回 九月 岩戸句会 

2016年09月28日 | 岩戸句会

友見舞う背につくつく法師かな   海人

鰡飛んで遥か雲仙煙吹く 

東京都釣瓶落としとなりにけり   炎火

菩薩から阿修羅となりし秋の川

行き交へば日傘をちょっと傾けり  章子

我の身に月日流れぬ夏の夜

コスモスや糸調子良きミシン音    薪

蚯蚓鳴く静寂飛び交う宇宙線

 諧調のテニスの音や秋麗      豊春

宗達か雲と稲妻大騒ぎ

移ろいのぽつり秋蝉誰に鳴く    SEINO

まえ翠とおくは碧秋の朝

 

鰯雲海より出でて海に入る     歩智

秋夕べ流るる雲は水墨画

十六夜が私の海に昇りくる     洋子

犬一匹女一人に蚯蚓鳴く

 函南の郷のシュールや曼珠沙華   侠心

赤きテロ里山に満ちて彼岸かな

名月が黒い車の屋根の上      余白

霧雨の馬込の里に蚯蚓鳴く

 秋灯寄り添ふ文の二通ほど     稱子

秋草のさもなき雨に垂れてをり

蚯蚓鳴く雨風止んで日も暮れて   雲水                  

雨降れば降るほど元気蚯蚓鳴く

ニホンヤモリ(守宮、家守)

シーボルトが新種として報告したため、japonicusと言われている

 屋外に建て掛けておいた、パラソルの中に休んでいたらしく

パラソルを開いたら、驚いて床に落下した

目が赤いのは、その時に打って内出血したらしい

ごめんね

 


1739   友見舞う背につくつく法師かな   海人

2016年09月26日 | 

(ともみまう せなにつくつく ほうしかな)

 日本では、夏蝉の代表である油蝉が減少し、秋蝉の代表であるつくつく法師が増えているという。昔から、つくつく法師は、逝く夏を「つくづく惜しい、つくづく惜しい」と鳴いている、と聞きなされている。従って、この句の友達の病状は重篤で、作者の気分も相当重いのではないのか、などと想像してしまう。

 さて、見舞うのを友と限定せず、例えば「お見舞いの」とぼかしておくのも一案。祖父母や親、我が子など、読者に想像の余地を残してあげることができるからだ。

クマザサ(熊笹)とオオフタオビドロバチ


1738   轡虫父のうごめく藪の中

2016年09月21日 | 

 轡虫(くつわむし)は、その鳴き声から「ガチャガチャ」とも言う。子供の頃、父はよく轡虫を捕りに連れて行ってくれた。父は竹藪に分け入り、鳴いている場所に見当を付け、突然懐中電灯を点ける。きっと逃げないのだろう、いとも簡単に捕まえるのだ。

 唯父は、決して私にやらせようとはしなかったし、教えようともしなかった。今思うと、少年になっていたのは父自身だったのである。

ヒメギボウシ(姫擬宝珠)


1737   優しさは弱さにも似て男郎花   茂

2016年09月20日 | 

 「私、あなたと結婚して、良かったわ。優しくって思いやりがあって、頼りがいがあって、私本当に幸せだわ・・・・・」

 「そういうけど、俺はさあ、課長にもなれなかったんだ。男としては情けない社会人だったと思うよ」

 「そんなことないわ。子供たちもなんとか社会人になって暮らしているし、これもみんなお父さんのお陰よ。心から感謝してるわ」

 「そういってくれるのは、お前だけだよ」

ヒルガオ(昼顔)


1736   ちょっとだけ十五夜の月顔だした   宏

2016年09月16日 | 

おはようございます。メールの俳句、拝見しました。

参考になるかもしれないので・・・・・ひとこと

 〇ちょっとだけ十五夜の月顔だした   宏

昨日の月が、丁度そんな感じでしたね。

〇月・・・月は、それだけで秋の季語です。

〇「十五夜の月」のことを、満月・望月・名月・今日の月・芋名月(全て季語)などとも言います。

 〇雲間より出入りせわしき望の月

上2句のように、十五夜に月のことだけを詠う場合と、

 

「名月や」と言って、あとは全然違うことを言う、例えば

〇名月や座る女に猫寄り来

のように、作ることもできます。

実際、こちらの方が、はるかに沢山の句があります。

この場合、Aを「名月や」 を「座る女に猫寄り来」

このAとBの関係、つまり取り合わせの面白さをねらいます。

生け花で言えば、A(部屋や照明)を考慮して、B(花瓶aと花b)を選ぶのに似ています。つまり、言葉のデザインとも言えますね。

アベリア(ハナツクバネウツギあるいはハナゾノツクバネウツギとも)


1735   虫の夜や三つ子台風南方に

2016年09月13日 | 

 この世に何が怖いと言って、一に大地震、二に猛烈台風だろう。他の例えば、癌や脳卒中、暴力団や強盗、熊やスズメバチ。他にも色々あるだろうが、地震、台風から見れば、被害が少ないし個人的だから大して怖くはない。

最近騒がれている北朝鮮の核ミサイルも脅威だが、万一日米韓と北朝鮮との核戦争が始まっても、規模や被害が予測できないから実感が湧かない。

 さて、南方海上に台風14号,15号,16号がトリプル発生したらしい。明後日は十五夜だというのに、雨が降っているせいか戦々恐々として落ち着かない。

タマアジサイ(玉紫陽花)、ヤマタバコ(山煙草)とも

 


1734   お前にも兄弟ありし新秋刀魚

2016年09月08日 | 

 今年は、早3つの台風が上陸した北海道。又、温帯低気圧になったが、今夜4つ目の大雨が襲うらしい。数十年に一度の大雨などと言われているが、これから頻繁になるのではないか、と危惧される。

台風のお陰で、北海道の秋刀魚が南下できず不漁だという。一匹400円では庶民には手が出ないなどど思いつつ、無理して買ってみた。目黒のさんま祭りも、無事開催されたようだから、これから豊漁で値が下がることを祈る。

 さて今日は、USオープンテニスで優勝候補のランキング2位のマレーに勝ち、錦織君がベスト4に残った記念すべき日でもある。しかし、これで喜んではいられない。準決勝でワウリンカ、決勝でジョコビッチという二人の大壁が立ちはだかっているからだが、果たしてこれを撃破できるか。

タカサゴユリとチャコウラナメクジ?

 


1733   秋蝉をヒミツと記すカレンダー

2016年09月07日 | 

 夕方になると、樹上でアオマツムシが大音量で鳴き出した。草叢では、ツヅレサセコオロギも鳴き始めた。秋本番といっていいだろう。もうすぐ仲秋の名月、十五夜だが、13号台風が接近中で、大雨が降るらしい。

 さて、蝉の初鳴きは簡単に分かるが、キチンと記録しないと最後に鳴いたのがいつかは、分からなくなってしまう。だから毎日、蝉の声に耳を傾けていなければならない。

 昨日は、ヒグラシ、ミンミン、ツクツクホウシも鳴いたので、「ヒ・ミ・ツ」と記録した。

キョウチクトウ(夾竹桃)


1732   烏瓜伸びては容赦なく抜かる   

2016年09月06日 | 

 烏瓜は、生命力が強く、抜いても抜いても2,3日すると4,50センチは伸びている。蔓性だから、他の草花に絡み、実に迷惑なのだ。

今年の夏、私はどれほどのカラスウリ(烏瓜)を、引き抜いただろう。さすがに花を咲かせ、実ることは無理だろうが、9月に入ってもまだまだ伸びている。

カラスウリ(烏瓜)


1731   鳴き交わす別れ鴉や山の雨

2016年09月05日 | 

 朝夕に鳴くヒグラシはめっきり減って来たが、ミンミンとツクツクホウシが元気で数も多い。そんな中、子ガラスが餌をねだって母親を追っているのだろう。があがあとしきりに鳴いている。いよいよ、子別れ親離れが近づいているらしい。

 林の中で鳴いているから姿は見えないが、追う子鴉と逃げる親鴉の姿が目に浮かぶ。そんな動物界、人間界の古今東西に思いを馳せると、実に感慨深いものがある。

ヒオウギの種袋

ヒオウギ母さん!種を採って、来年も子供たちを増やしてあげるね

 

 


1730   ゴミ拾う朝の散歩や男郎花

2016年09月04日 | 

(ごみひろう あさのさんぽや おとこえし)

 お盆にやって来た姉夫婦が、「マルチハンドキャチャー」なるものを、お土産に持って来た。「これ、すごく便利だよ」と言っていたが、一体、何に使えば便利なのか・・・・・私の回りにある、ティッシュやリモコン、薬味のビン、血圧計を取るにも不便だし、全く取れる物がないのだ。

 そこで思い付いたのが、散歩の途中で拾うゴミを掴むのに良いのではないか。実際使ってみたら、全く持って便利である。「姉さん有難う」

ミズヒキ(水引)

 


1729   送り火や赤き脚爪うずくまる   豊春

2016年09月02日 | 

 お盆の旧暦7月13日夕方、亡き人の御霊を迎える迎え火、15日に送り火をする。精霊流しも霊送りの一種だ。こういった行事が、子供の頃はどこの家の門口でも焚かれていた。残念ながら、今では、特に町中では焚かれなくなってしまった。理由は、火を焚く危険性があるからで、集合住宅などではなおさらできないだろう。

 いづれにしても、廃れていく風習の一つであろう。この句の「赤き脚爪」は、少女かもしれないし、娘かもしれない。はた又近頃は、熟女、老女の可能性だって大いにある。

↑ウド(独活)とアシタバ(明日葉)↓