秋は果物、読書、もの思い、恋、もしかして少しでも齧(かじ)った人なら俳句?今朝そんな感じで知り合いの俳人のブログを訪れました。
『白と黄の塩辛とんぼ臀呫飛ぶ』 (一韶)
そこで最初に目に入ったのが「臀呫」という漢字でした。もちろんそのままでは爺も何と読むのか分かりませんでしたが、句の下に解説文があり、「となめ」とあって救われた次第です。トンボのオスとメスが交尾して輪を作り飛んでいる様子をいうのだとか。たしかに子どもの頃山野で何度も目にした光景です。「臀」がお尻なので何となく納得です。この「呫」は「なめる」では出てこない漢字で「ちょう」だと環境依存であらわれます。ちなみに漢和辞典にはちゃんと載っていました。
それはさておき、この一句だけでかなりの時間、「あそべ」ました(^^♪
で、あらためて思ったのです。俳句の世界には、美しい日本語、不思議な漢字、そしてクイズ並みの読み方など、言ってみれば「レアアース」的な言葉が埋まっていると。俳諧は基本的に特定の結社の中で育まれ、その中で競い合い、それぞれが味わう形になっているような気がします。そう理解すると、どんな当て字にも難読漢字にもフリガナが付かない不思議さにも納得がいきます。
じつは爺も冒頭の彼の結社の会合に参加したことがあります。当時は4巻にも及ぶ「歳時記」まで買ったものです。しかしその奥深さに感動しておののき、短時日で小説だけのいまの世界に戻りました。
俳句は、『言葉のデザイン』(彼)、そして「17文字の奇跡」(爺)です。
ただ、鑑賞の仕方は人それぞれでいいと思います。楽しみ方といってもいいですよね。爺はどうしても文字自体に興味が湧いてしまいます。句評はとてものこと無理だからです。
次の一句でも遊ばせてもらいました。ただしこれは秋の花ではありません。
『梔子の白を盗みし女かな』 (一韶)
どんな女なのでしょう。解説によれば、作者が近くに居たのに、バイクで走ってきて断りもなしに手折って去ったという女です。
わたしは「解説」を無視して「女」を想像したいと思いました。実際が何か寂しい、トゲトゲしい行為だからです。爺が好きな言葉があります。『花泥棒が許されるのは若くてきれいな女性だけである』、もちろん許すのは花の主です。裁判所的に面倒な言い方をしてみれば、「窃盗罪の構成要件に該当はするが、可罰的違法性がない」となりましょうか。
できれば想像どおりの女性で、若くして病死した妹さんが大好きだった花だった、とかね。妄想です。
そうそう、ついでに見つけた言葉がきれいだったのでご紹介します。花つながりです。美人のまぶたを「花瞼」(かけん)というそうな。それこそ目から鱗(うろこ)でした。
じつは爺、この「梔子」の読み「くちなし」を思い出すのに「なんだっけ?」と20秒以上かかってしまいました。脳に記銘する力だけではなく、思い出す力も弱っているのでした。かなりショックでした。
俳句に出てくる当て字のような漢字でも、たびたび出てくるとお馴染みさんになります。「蜩」(ひぐらし)、「百舌」(もず)、「土竜」(もぐら)、「土筆」(つくし)などです。そう考えると結社の中では、季語で毎年出てくるこれらの漢字について仮名を振る必要がないというのもうなずけます。「辛夷」(こぶし)、「柳葉魚」(ししゃも)なんかも、結社の人には軽いのではないでしょうか。
秋ですから、俳句を自分で創ったり、人様の作品に触れたりしてみませんか。
ブログ「蛙声爺の言葉の楽園」より