ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

兼題は〝年賀状〟でした!

2025年01月14日 | 俳句

 今朝も寒かったですね。昨日と同じく最高気温は10度まで上がりましたが、何とも風の冷たいこと!朝のラジオ体操へ行くときは指先がジンジンしますもの。でも、明日からまた寒波が襲ってきて今日以上に寒くなるんですってよ。やっぱり私は寒いのは苦手…肩が凝り頭まで痛くなるんです。イヤですね。

 さて、今日も俳句教室で、兼題は「年賀状」。〈会いたいね友の賀状へ独り言〉が最高点句でした。他には年々賀状が減ってくるとか、アナログ時代の方が良かったなどという句も。その中に〈再開すと伯母より賀状三年ぶり〉というのがあって、作者に聞くと、伯母さんがもう年だから年賀状仕舞をしたものの、やっぱり新年に賀状が来ないと淋しかったのでまた出すことにしたのだということでした。なるほどね!

 ところで、皆様は今年の賀状はどうされましたか。近年、特にコロナの流行の影響が続いていて、それに加え昨秋の郵便料金の値上げが拍車をかけ、年賀状仕舞をする人が急激に増えたような気がします。私などは一昨年、昨年と続けて喪中でしたので、いつもより数が半分以下になっていましたから、それの延長でそのまま今年に繋がったような感じです。それでもまあまあの数が来ていましたから、それを元旦のお節をいただいた後に一枚一枚ゆっくり読んでいると…ああ、お正月だなあ~と、久しぶりの人たちの顔を思い浮かべながら…そう、上掲の句のように懐かしさがこみ上げてきて、〝会いたいな〟と思いますもの。これはもうお金の問題とかじゃあないわと…。だってこの気持ちはお金では絶対に買えませんからね。

 年末の慌ただしさの中での年賀状書きの煩わしさがなくなって、すっきりしたという方もいらっしゃるでしょうが、私はやっぱり日頃なかなか会えない人とはせめて元気だという証明の年賀状ぐらいは遣り取りしたいと思います。自分は出さず楽をして、他人からは貰いたいというのは虫が良すぎますものね。今日の投句の中にも…〈賀状のみの遣り取り卒後五十年〉という見習いたい句もありましたよ。

 最終的には〝やっぱり、賀状が来るのはうれしいものよね〟というのがみんなの偽らざる実感でした。それを〇〇歳になったからやめますなんてわざわざ宣言しなくてもいいのではと…

 実は元旦に年賀状を取りに出たとき、一緒に「日本郵政株式会社 社長 増田寛也」氏の挨拶状が届いていました。それを読むと、確かにそうだなあと思ったんです。それでは、その挨拶文を以下に書いておきましょうか。でも私は決して郵便局のまわし者ではありませんからね。念のため…(笑)

あけましておめでとうございます                                    本年も皆さまからの年賀状を心を込めてお届けします                          年賀状は平安時代から存在したといわれています                        先人たちも年に一度のあいさつで                               大切な人とのつながりを育んでいたのでしょう                        「年に一度。だけど、ずっとつながっている。」                         もし思いがけない方から届いていたら                              年明け年賀状いかがですか

 今確かにハガキは63円から85円になりました。以前の値上げ額と比べると今回は大幅に上がっています。しかし、考えてみれば、どんなに雪が降った日でも、またどんな山奥にある一軒家へでも、とにかく配達してくれるんですよ。そんな郵便配達夫さんのことを思えばちっとも高くはないんですよね。たとえばもし自分で持っていこうとしたら、どれほどの運賃がかかるかを考えてみてください。お分かりでしょう。一人暮らしの方や高齢で外に出かけられないような人への一枚の便りがもたらす喜びというものを。その価値はこれはもう測り知れないに違いありません。だったらみんなの幸せのためにみんなで少しずつ分担していると思えばいいのでは。要するに昔からある〝持ちつ持たれつ〟という精神で互いに助け合って生きていくことが大切なことではないのでしょうか。

 でも、今回はそれが一度に大きく値上げされてしまったからかも知れません。おまけに他の何もかもが。それでは庶民、いや年金暮らしの者や給料の低い若者たちにとっては生活そのものが脅かされて反発もしたくなるでしょう。しかし、昨年の夏の猛暑で野菜などが不作、また燃料の油や肥料の値上がりなどで悲鳴を上げている生産者さんの思いもよく分かります。生き残るためには物価を上げることしかできないという現実…だからと言って私たちも…ないものはないんですものね。

 昔〝こんな女に誰がした〟という歌が流行ったことがありましたが、まさに〝こんな社会に誰がした〟と言いたくもなりますよ。ところがこんな状況でも甘い汁を吸ってぬくぬくとしている一部の特権階級や詐欺師たち…と、、こんなこと言い出したらキリがなくなりますからやめますね。私はブログにはこのような話は書かないことに決めていますので…どうかお許しください。では、また…ネッ!

 写真は、やっと出た水仙の蕾。それにこんな時期に高砂百合が一つ…この寒さの中で可哀そう!やはりこれも〝狂い咲き〟なんでしょうかね。

 

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早いもので…今日はもう12日ですよ!

2025年01月12日 | 俳句

 今日はもう12日、アッという間ですね。こちらでは今日が恒例の〝どんど焼〟で、主人は今年から手伝いをするとかで朝早く出かけました。いつもなら10時頃2人で行って、ぜんざいや豚汁などの接待をいただくのですが、1人なもんでつい出そびれて、さあ、今から行こうかと電話してみると、もう遅いから何もないで~と言われてしまい、残念!

  華やぎのうしろの寒さどんど焼き     山崎 聰

 今日も、日は差していたものの風は強いし最高気温は6度と、寒い一日でした。お正月からのんびりしたのも5日まで。6日(月)7日(火)は俳句教室。8日(水)は歯科、9日(木)今年初めてのリハビリへ、10日(金)月例吟行会。11日(土)がフォー・ユーの午後と夜のダブル句会で、おまけに夜の句会は場所を変えての新年句会でしたからね…というように、1週間があっという間に過ぎました。ああこれでまた忙しい日々が戻ってきたなあと実感した1週間でした。

 その今年初めての吟行会が、日本全国大雪に見舞われた日だったんですよね。だからこちらでも久々に雪で真っ白になりましたが、それよりも気温が低くかったのでカチンカチンに凍って、歩くのが危ない。ということで、中止…と思うでしょう。そこが俳句をする人は違うんですよ。誰もやめようとは言わない!見上げたものです。却ってこんな日は滅多にないチャンスだからと…でも集合を1時間遅らせての決行でした。

 今回の吟行地は、阿知須のきらら浜自然観察公園。集合場所が宇部山口空港の東駐車場でしたが、10時集合にしましたので、大通りはもうほとんど雪が溶けていました。

 きらら浜自然観察公園ではレンジャーさんに案内してもらって、午後からの句会場も貸していただくということで、ラッキーでした。ところが、昼食を頼んでいたレストランがこのような日なので臨時休業すると朝連絡が入っていましたので、急遽〝道の駅あじすきらら〟のレストランへ行ったのですが、そこも臨時休業と。でも、道の駅にお弁当を販売していましたので、みんなでお弁当を食べました。やっぱりこんな日はどうしても用のある人か物好きな人ぐらいしか出歩かないんですよね。(笑)

 公園ではしっかりと探鳥できましたが、私は毎月来ているから分かるのですが、今年はナントも鴨類の飛来が少ないです。ほとんどマガモかカルガモだけでそれも数が少ない。後は白鷺・青鷺で、大抵よくいるオオバンも姿が見えません。干潟の方ではチドリとダイゼン。散策路ではメジロ・シロハラ・ヒヨドリ・セッカ・ジョウビタキ・アオジ・キジなど。それにミサゴやトビが杭の上で餌を食べているのを望遠鏡で見ました。ハヤブサも二羽来て湖の上を旋回し獲物を狙っていましたが…レンジャーさんの話ではチドリを狙ったんだろうと言っていましたが、ダメでした。ヨカッタ!下の写真は館内にあるモニターですが、ミサゴがボケボケで…ゴメンナサイ!

 ビジターセンターへも殆ど訪問者がなく、まるで私たちの貸し切りみたいねと言いながら無事に午後4時半には終わって解散しました。聞くと、ここ阿知須や小郡では雪があまりなくて、宇部や山口市では結構降ったんですよね。同じ地域でもこんなに違うのかしらと不思議でしたが、全国のあちらこちらで豪雪のため難儀をされているというニュースを見ると本当にお気の毒です。だって私たちはこれっぽちの雪で悲鳴を上げているんですものね、何だか申し訳ない気持ちいっぱいです。 

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昨日は〝七種〟でしたが、〝七草〟とは違うのかしら?

2025年01月08日 | 俳句

 今年のラジオ体操は6日から開始でしたが、明けてから初めての本格的な雨で中止になりました。それで7日が体操始めということで出かけると、昨年クリスマスツリーが飾ってあった教会の窓が、ナント富士山と初日に変わっていました。去年まではなかったような…でも気が付かなかっただけかも。

 それにしても寒い朝でした。体操から帰る頃には急に雪が降ってきて、予報通り今夜から明日にかけては積もるかもなどと心配しながら戻りました。

 そうです、この7日は「七種」の日でした。早いものであっという間の一週間が終わろうとしています。この七種の謂れや説明は皆さまもう十分にご存じでしょうから省きますけど、これを「七種」と、また「七草」とも書きますが、その違いは分かりますか。

  七種の日の額白(ぬかしろ)の馬とをり   友岡子郷

  あをあをと春七草の売れのこり      高野素十

 読みはどちらも〝ななくさ〟で同じなんですよ。でも「七種」と書くと〝七つの種類〟という意味が強くなりますし、「七草」は〝七つの草〟ですよね。とすると、〝セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ〟という七つの野草が浮かんできませんか。

 実は7日は五節句の一つで「人日」ともいうのですが、これはもともと陰暦正月七日のこと。この日に七種粥を食べるという風習が昔からあったのです。その謂れなどは長くなりますので、興味のある方は調べてみてくださいね。要するに、今では1月7日のことを〝ななくさ〟と言い、その日に食べる粥を〝ななくさがゆ〟と言って、文字は余り気にせずに使っていることが多いようです。

 しかし、俳句では違います。特にホトトギスの歳時記では「七草」というと〝秋の七草〟のことになり、春の場合を「七種」というように使い分けてあります。でも、普通の歳時記では「七種」や「七草」が春の季語で、秋は「秋の七草」や「秋七草」という風になっていますけどね。

 俳人には「七種」の方を用いる人が多いように思いますが、別に「七草」と書いたからといって間違いということはありません。

 ただ「七種」とすれば行事や生活の類として見られやすく、「七草」にすると植物の分野に入れるのがふさわしいような季語だということです。上掲の友岡子郷の句は草そのものというより〝人日〟の感じで詠まれていますし、素十の句は〝七つの草〟そのものが目の前に見えてきますでしょう。

 だから、俳句を詠まれる方には、ここでこの漢字を、いやここは平仮名にしようというように、よく考えて使い分けるといいでしょう。これも俳句の鑑賞を深めるための一つの技法だと考えてくださいね。

 ついでに申し上げますが、片仮名は我が結社では外来語のみに使用して、余程の効果・意義がなければ用いません。片仮名を使うと句が軽くなって俗っぽくなるからなんです。やはり俳句にはある程度の〝品格〟が必要だと、私は思います。でなければ、575で季語さえあればいいと…いや季語もなくていいというようにしてしまうのは、私は反対です。要するに何でもありということになれば、日本の伝統的文化を担う文芸の一分野としの俳句が恥ずかしいのでは。伝統とは守るべきところを守ること。そして、次代に伝えていかなくては…たとえ多少の変化は認めたとしても屋台骨を壊すようなことがあってはならないと思いますけどね。

 以前あった俳句大会の投句の中に、季語を片仮名で書かれたものがありました。今日では動植物の図鑑やいろいろな出版物、動植物園の立て看板などではほとんど片仮名表記になっていますよね。それでいいと思ってそのまま使われるのでしょうが、俳句はやはり日本語としての正しい言葉遣いを、また美しい日本語を残し伝えていくという役目も果たしたいものと、私は考えていますからね。

 さて、夕食はもちろん「七種粥」でした。ところが買ってきた七草がゆセットにはナントセリやゴギョウは小さな一かけらで、あとの草はほとんどハコベラでしたよ。聞けばどうも今年は品薄で値段も高騰していたようですね。

 

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劇団四季の〝キャッツ〟を観てきました!

2025年01月06日 | 俳句
 今日は5日の日曜日。今年の長い年末年始の9連休が今日で終わりですね。年中休日の私にはあまり関係はないのですが、気分的には私も何となくの~んびり。きっと病院へ行くこともないし、俳句教室や句会もなかったからかも知れませんね。
 ところで、2日はサイバー攻撃でブログ閲覧者も非常に少なかったのですが、その影響なんでしょうか。昨日4日のブログ閲覧者数と訪問者数が急激に増えていて、ナント2568PV |1093UU |3196414ブログ中359位となっていて、ビックリですよ!
 今年は本当に何だかいいことばかりが続いて…ちょっと先が怖い気もしますが。ではそのいいことのついでに、今日は3日のことを書いておきますね。
 実は、昨年広島で劇団四季のミュージカル〝キャッツ〟が上演されるというニュースを見て、一度は観てみたいと思っていましたので、早々にチケットを入手していました。2024年11月11日(月)~2025年2月23日(日・祝)のロングランでしたから、できれば私と娘の誕生祝にその近くでと考えたのですが、どうせなら主人やお婿さんも誘って、今年の正月の楽しみにでもと、3日(金)に行くことにしたんです。

 娘夫婦は年末から高松へ行っていましたので、そこからの帰りに広島で途中下車。息子は他の予定で行かないと言っていましたので、私たち二人新山口から新幹線で広島へ。12時15分開場・13時開演でしたから、早めに広島へ着いてランチでも食べて行こうということにしました。

 会場は「上野学園ホール(広島県立文化芸術ホール)」。行ったことがない所ですので、少し早めに行き、そこの地下のレストランで食事をして開場まで待ちました。私は以前博多へ友人たちと「ライオンキング」を観に行ったことがありましたので、本物の感動を娘たちにも是非味わってほしいと考えての計画でした。

 入場すると先ず館内や舞台の装飾の豪華さに驚きます。まるでクリスマスか何かのパーティーが今から始まるかのような別世界…。全席指定でしたので自分の席へ着くと、その場での館内の撮影は開演まではOKだということで…ほら、下のようにとってもキラキラして鮮やかでしたよ。

 「いつか」じゃなく「今」。人生をゆるがす感動体験!人類必見。キャッツ

伝説のミュージカルが、新たな感動をひっさげて12年ぶりに広島へ!誰も見たことのない斬新な舞台と画期的な手法で、初演時には日本中に一大センセーションを巻き起こした「キャッツ」。日本の演劇界に革命をもたらし未来を切り開いた、まさに伝説の作品なのです。

 現在まで日本各地でロングランを続け、通算公演回数は10000回、総入場者数は1000万人を超える驚異の記録を更新しています。(パンフレットより)

 もしまだ観たことのない方は、是非一度くらいは体験されるといいかも。やはり演劇などの生の迫力というのはそれに触れてみないと分かりません。どんな分野であろうと終演後のアンコールの拍手が鳴りやまないというのはよくよく分かります。一度観たらこれは中毒になりそう…きっとまた観たくなりますもの。でも、昔はお金も時間もなく諦めていましたけど、今は時間はあってもお金の方が…。なんて言わずに、また機会があれば行きたいものです。だってもう後がないんですから…。(笑)

 大都会に住んでおられる方は観たければ何度でも観られるのではと思いますが、田舎に住んでいると余ほどのことがなければその機会がないんですよ。子供のころは音楽や芸能へは縁がなく、大人になってからは観たいと思ってもせいぜいテレビで鑑賞するぐらい。宇部に結婚して来て、ここには県下に誇る渡辺翁記念会館という立派なホールがありますので、本物が観られるよと聞いていましたが、他所にもっといいホールが次々とできたりして徐々に廃れていき、来なくなりましたから。そう言えば娘が思い出したように、小学生のころ「おやこ劇場」というのがあって、よく連れて行ったもらってたよねと…。

 そう言えばそうでしたね。田舎ではなかなか本物の芸術文化に触れる機会がないということで、毎月会費を積み立てて割安で結構有名な劇団や音楽家、バレー団などを呼んで年に何回かの公演を親子で観に行ってました。子供たちの情操教育のためにと言って…ずいぶん昔のことで、あれは今も続いているのかしら。あの頃は子供のためにと一生懸命で、私も会員になってお世話もしていましたけど…。

 あら、調べてみるとありましたよ!今は名前もシステムも変わって…でも、子どもたちのための文化や芸術の体験という根幹はまだ同じのようですね。よかった、よかった!

 NPO法人うべ★子ども21 (旧宇部おやこ劇場)
『子どもをみんなで育てよう』と願いを込めて1975年〜観る(鑑賞)遊ぶ(体験)を2本柱に活動し、2001年〜大人会費で子ども達に文化を届けています。宇部SDGsフレンズ・クールチョイス賛同登録。2021年ソロプチミスト日本財団「社会ボランティア賞」

 終わって混雑したホールから外へ出ると、側を流れている川の風が冷たいこと!しかし、ミュージカルの熱気がまだ冷めない頬には却って気持ちが良かったですね。信号を待っていると面白い犬が…ちょこんと座って餌を待っているのがカワイイ!でも見たことのない犬やわと言うと…娘が〝ブルテリアよ〟と教えてくれました。

 

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今年は〝三社参り〟をしましたよ!

2025年01月03日 | 俳句

 昨日2日は、もう皆さまご存じのように朝から一日中gooブログがアクセスできず、本当にあくせく…しました。(笑)だって私が珍しく真面目に書こうかなと思って、せっかくやる気になっていましたのに…。

 というわけで、今日のことは明日に回して、昨日書こうと思ったことを書きますね。

 実は今年は元旦からとても幸先の良いことがあったんです。義弟・義母と亡くなり、喪中が続いていましたので、このところ元旦はどこへも行かず、また誰も来ないという静かでのんびりとしたお正月でした。ところが、今年はナント〝〟が飛び込んできたんです。以前俳句教室に通っていて、東京やいろいろなところへも一緒に旅をしたMさんが、手作りのシホンケーキとレモングラス茶を持って訪ねて来てくれたんですよ。嬉しかったですね。私が〝今年は春から縁起がいいわあ~~〟と言ったら、〝そりゃ、私の名前には幸が付いていますもの!〟と、大笑い。ああ、こんなにいい天気に愉しい話ができて、おまけに美味しいものが食べられるなんて…ナント幸せなことでしょう。これで、今年は何でもうまくいきそうな気がしました。ありがとうございました。

  南縁の日に迎へたる賀客かな     室積徂春

 この句のように、この日は余りにもポカポカして気持ちよかったので、〈南縁〉ではありませんでしたが庭のテラスでお茶を飲んで話したんですよ。


 さて2日はというと、元旦と同じようにこの日もとてもいい天気で、風もなくポカポカしていましたので、今度は〝初詣〟へ主人と出かけることにしました。でも、一番近い産土神の琴崎八幡宮へは、きっとまだ人が多くて延々と並ばないといけないだろうと思って、他のところへ行くことに。

 そこで行ったのが「南方八幡宮」。ここは奈良時代の天平勝宝三年(751)、厚東氏四代の白松太夫武綱公が、豊前国宇佐八幡宮の御分霊を迎え、古尾(現在の東岐波区古尾)の地に社を建て、吉敷郡賀保荘の鎮守としたことに始まります。古尾八幡宮を氏神様として信仰していたのは、宇部市西岐波から山口市佐山と広範囲で不便だったため、1233年(天福元年)、宇部市西岐波・東岐波は南方八幡宮、山口市阿知須・佐山は北方八幡宮に分社したんです。

  広々と大石段や初詣         池内たけし

 そこで、南方へ行ったんなら「北方八幡宮」へもと、参拝に行きました。

 ところで、上の写真にもあるように、御手洗の水はなぜ龍の口から出るのか知っていますか?それは龍神が昔から水を司る神として崇められてきたからなんですよ。 水は全ての命の源、命を繋ぐ尊いものと云われ、穢れや邪気を祓うものです。 この水が「龍の口から出ている水」とすることで「神聖な水」という意味を含んでいます。 その神聖な水を出すこのような龍は「吐水龍」と呼ばれています。

  御手洗(みたらし)の杓の柄青し初詣  杉田久女

 この句のように新年には御手洗の柄杓やその置き場などは新しい竹でやり替えるので青々しているのですが、コロナが流行してからは少し変わってきて、花などを浮かべるようになりましたね。

 せっかくだからと最後にもう一つ、「出雲大社宇部教会」にもお参りし、これで「三社参り」ということにしました。ここに出雲大社が創建されたのは、1928年(昭和3年)のことで、かつては厚狭郡楠木町吉部にあった神社を、渡辺祐策氏が宇部市内に神社を遷してほしいとお願いをされたことが始まりなのだそうです。

 また、西日本各地の風習としてある三社参りは、正月の初詣として、三つの神社に詣でることを指します。特に福岡県を中心として九州地方・中国地方の一部で根付いた風習で、私の実家ではそれが当たり前になっていましたね。

 ついでに、普通神社では二礼二拍手一礼という参拝が一般的ですが、出雲大社では二礼(二回おじぎ)四拍手(四回手を打つ)、最後にもう一度おじぎをしますので、ここでも同じようにします。

 このように今年はお天気も良くて、悲惨なニュースもなく穏やかに年が明けましたから、どこの神社でもこのような平安無事な日がこれからもずっと続きますようにと…こころからお祈りしました。

 ちなみにお神籤を引いたら、ナント〝大吉〟でした。〝辛い思いも祈れば神の、強い力で生き返る。七転び八起きという。……〟とは神の教えです。星野立子の〈よきみくじ四つに畳んで単(ひとへ)〉というのがありましたが、私はポケットに入れて持ち帰りました。しかし、念のために申しますが…この句は残念ながら〝初神籤〟ではなく、〝単帯〟が季語の夏の句なんですからね。 

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新年明けましておめでとうございます。今年もよろしく!

2025年01月01日 | 俳句

    新年明けましておめでとうございます!

           今年もよろしくお願いいたします。 

                    かわいい手描きのヘビイラスト(線画)イラスト - No: 22495535 ...の画像

 今日は、上の写真のように本当に雲一つない青空のいい天気です。こんな元日の空を「初晴」という季語で表しますが、これはこの日が晴れると、農家では五穀豊穣の兆しとしてとても喜んだことから生まれた季語なんですよ。

  初晴や近くはるかに母なる山          上田五千石

 先日届いた俳句雑誌「馬醉木」の12月号に、拙句〈送水管巡らす地下も初日差〉を広渡敬雄氏(「沖」同人)が取り上げて、鑑賞文を書いて下さっていました。〝新年も休むことのない浄水場。その地下には、各地への送水管がびっしり巡らされており、初日も差し込んできた。一年中休むことなく水を供給する人へのエールの句でもあるが、地震と大水で水道不通の能登の人達を思うと胸が痛む。〟と。これを読んだ時とってもありがたかったですね。この句は昨年の新年吟行会で行った浄水場で詠んだものでしたが、まさに能登半島地震の起こった後でしたものね。

 確か昨年の元旦もお天気が良くてのんびりと過ごし、その後のそろそろ夕食のことでもと考えていた頃だったと思います。今まで大きな地震にはしばしば驚かされていますが、何もこんな一年中で一番お目出たいという日に発生しなくても…と、自然災害のむごさにはとても心が痛みました。さらに次の日は羽田空港の事故と続き、おまけに今度は能登半島は豪雨災害まで…。いろいろな事件や事故なども多くて、この一年で亡くなられた方がどれほどいることでしょう。これは日本だけのことじゃないでしょうけどね。世界中いたるところで自然災害が発生していますし、また、いまだに収まらない戦争や紛争とかでも…とどのつまりが先日の韓国の航空機事故では179人もの方が亡くなるという大惨事で締めくくられた一年でしたもの。

 どうか今年こそはそんな大きな災害に見舞われることがない良い年でありますよう…心から祈りたいと思います。しかし、私個人的には今年はどうも〝八方塞り〟という大凶のようですので、またまたどんな一年になるかは疑問ですけど。

 あら、今年の初詣はまだですので、明日にでも行ってお御籤でも引いてこようかしら。どんなに運勢が悪くても…頑張りますよ。こうなったら神仏の力にすがるしかありませんので。皆様も是非初詣に行って、それぞれの平安無事を祈ってくださいね。

 我が家のおせちは、今年も一日早く大晦日の昼に娘夫婦と一緒に食べました。二人はそれから婿殿の実家へ行きましたので、今朝は息子と三人でもう一度おせちを…。今年のおせちは、板前魂の飛翔 特大八.五寸 和洋中 中華風三段重おせち 5人前でした。ところが、みんなの感想は、これもおいしいけど去年の方がもっとおいしかったと…。はて?去年はどこだったのかしら…てっきり同じところだと思っていたのですが、私もそろそろボケてきたのかな…気を付けなくっちゃ!では、また…

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〝頭位めまい症〟という病気、知ってましたか?

2024年12月29日 | 俳句

 先日来のめまいについて、いろいろご心配やご助言をいただき、ありがとうございました。その後もう一度病院へも行き、血圧の薬も飲んで様子を見ていましたが、最終的には耳鼻科で「頭位めまい症」という診断。これは良性のものなのであまり心配しなくてもよいということでした。

 この「頭位めまい症」という病名、私は初めて聞いたんですが、皆さんはご存じでしたか?私は長いこと慢性中耳炎で、風邪をひいたり具合が悪くなったりするとすぐに耳に来ます。今まではてっきりメヌエール病からのめまいとばかり思っていましたから、そんな病気があることにびっくりです。

 実は先日弟からの話…、今月初め自転車に乗っていて接触事故に遭い頭を打ったので、脳外科で色々調べてもらったところ、どこも異常はなかった。ところがそれからめまいや吐き気、頭重などひどくて、また診てもらったところ、この病名を告げられたのだということ。聞けば私の症状と全く同じで…でも、私には頭を打ったという覚えはないんですけどね。

 そこで詳しく調べてみると、原因はいろいろあって、結局は耳石が動くことによって起こるのだとか。ほとんど良性の場合が多くて、石が動かなくなったら自然に良くなる、それも2,3週間から1ヶ月くらいでと。弟はその通りに何も治療しなかったが、今はもうよくなったそうです。

 病名が分かってホッとしました。血圧が高くなったのとこのめまいの関係は分からないが、私の場合はたまたま同時に起こったからで、どちらかが引き金になったとかは分からないということでした。

 そこで、もし私のような症状が出た人の参考にでもなればと、調べたことを書いておきましょう。

 概要 良性発作性頭位めまい症(BPPV)とは、特定の頭位をとることによってめまいが誘発される病気のことを指します。このめまいは長時間続くことはなく、多くは1分以内、長くても数分で完全におさまります。また、聞こえの悪化や耳鳴りといった症状が起こることもありません。この良性発作性頭位めまい症は、めまいが起こる原因としてもっとも多いといわれています。

 原因 平衡感覚に重要な役割を果たしているのが、内耳に存在する“半規管”と“耳石器”と呼ばれる器官。耳石は耳の奥にある重力を感知する前庭(耳石器)という場所にあって、小さな砂粒のようなカルシュウム結晶です。この耳石が外傷など何らかの理由で剥がれ落ち、それが半規管に入り込み動くことで、半規管を刺激してめまいが起きます。耳石がこぼれる明確な原因は不明ですが、更年期以後の女性に多いことから、加齢や女性ホルモンの低下により耳石がはがれやすくなると考えられています。また、外傷や長期の寝たきりも発症の原因となります。

 症状 良性発作性頭位めまい症では、特定の頭位を取ることで、めまいが誘発されます。たとえば、起床時にくらくらする、寝返りを打ったときにめまいが生じる、洗濯物を干すために頭を上げるとめまいがするなどです。このめまいは長時間続くことはなく、多くは1分以内、長くても数分で完全におさまります。また、吐き気を伴うことも少なくありません。難聴や耳鳴りなどを伴わないことが、メニエール病などほかの内耳疾患と異なります。また、発熱、手足の麻痺、感覚障害、視力低下、意識障害を伴うこともありません。

 治療 良性発作性頭位めまい症は自然軽快することも多いですが、耳石置換法(めまい体操)という理学療法が有効です。耳石置換法は半規管のどの部位が原因になっているかを確認し、半規管に入った耳石を半規管の外に導きだし、元の耳石器に戻し治癒させる方法です。耳石置換法を行うと治癒が早まります。また、吐き気などの症状が強いときには症状緩和を目的として抗めまい薬、制吐剤などの薬物治療を行います。ほかにも、半規管遮断術という術式があります。ただし、実際に適応になる方は少なく、1年以上再発を繰り返している、ずっと眼振が止まらないなど日常生活に強い支障をきたしている場合などに検討します。

 というわけで、私も薬は飲まなくていいから耳石置換法の体操をするようにと、指導されました。これはやればやるほど早く良くなるから、めまいがしても恐れずに朝夕しっかりとやりなさいと。そのお陰か、または精神的に安定したからか…徐々に収まってきて、これで何とか年を越せそう。やれ、やれです。

 このところこちらはとても気温の低い日が続き、天気も雨が降ったりどんよりとした曇りばかりでスカッとした晴天がありませんが、皆様どうぞ体調を整えられて新しい年を元気にお迎えくださいませね。

 写真の1枚目は26日の朝、2枚目が27日、3枚目は25日で、このような青空だと寒くても気持ちがいいんですけどね。今日も1枚目と同じで、大掃除でもしたいのに…その気になりません。イヤになります。

 先日の句会に〝猫団子〟という表現が出ていましたが、まさにこの猫ちゃんたち、団子になっていましたね。よく見ると、母猫の周りに子猫がかたまっていて…近づくと団子がほぐれていき、結局子猫が5匹もいたんですよ。それもみんな同じキジ柄で…。最初の写真見て、何匹いるか分かりますか?

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このめまいの原因は何?

2024年12月25日 | 俳句

 昨日の俳句教室が今年最後の行事でした。今まではこの後、俳誌「馬醉木」の「あしかび抄」の選評を書いて、すべてが終了していたのですが、この投句欄が今年度の12月号をもって閉じられました。なぜかというと、この欄は50歳未満だけが投句できるという若手育成欄なんです。ところがこのご時世、投句し始める若手はいないし、今いる人たちも50歳を超えてどんどん減ってしまったんです。

 このブログもこの欄を担当してから始めたもので、そのお陰で『目からウロコ』というエッセイ集も出版できました。丸8年間、私なりに一生懸命頑張ってきたつもりなんですが、なんせ相手のいること、残念ながら私一人の力ではどうしようもありませんでした。というわけで少しは暇になるのかなと思ったんですが…今度はこちらがくたびれていてやっぱりダメなんですね。

 では、昨日の話の続きをしますね。実は先週よりめまいと吐き気がして、耳鼻科へ行き薬を処方してもらい飲んでいました。ところが、少し良くなったかと思ったら、この日曜日にまたひどいめまいがして何もできなくなってしまいました。今度は吐き気だけでなく頭まで重苦しくて…起きていても寝ていても気分が悪い!年末だというのにこれでは何もできないと、もう一度耳鼻科へ行きました。

 そこで血圧を測ってみると、なんと180以上も…下も100以上です。びっくりして看護師さんが2,3回測りなおしてくれたんですが、同じ…。耳鼻科の先生はもう一度あれこれ調べてくださり、これはメヌエールではないから、すぐにかかりつけの内科へ行って相談しなさいと。

 こんな状態でしたから車の運転もやめて、主人に送ってもらっていましたので、すぐ電話して来てもらい、今度は内科へ。すると内科では更に190まで上がっていて…。今まではどんなに高くなっても160台で、このような数値が出たのは初めてです。しかし、内科の先生が仰るには、このめまいや吐き気,頭痛は血圧のせいではない。このめまいなどが原因で血圧が高くなったのだろうから、やっぱり耳のせいだと譲りません。だって、先月の血圧はそんなに高くなかったじゃないかと言われて…。

 さて、どちらが正しいのか私にはさっぱり分かりませんが、とにかくどうしたらいいのかと困ってしまいました。今年は年末年始の休診が長いので、このまま放置しているというのは不安でたまりませんし、それでは何もできませんものね。

 そこで、仕方なく内科の先生が降圧剤を処方してくださり、それを飲んで様子を見ようということに。もし、血圧が下がってもめまいがすれば、それはやはり耳鼻科か、さもなくば脳神経科かもしれないから、そうなったら紹介状を書いてあげるからということになりました。

 歯科も治療を中断してもらっていたのですが、年内にもう一度来てほしいということで、昨日の俳句教室の帰りに寄って治療してもらいました。

 それで月曜日の夜から血圧を測り記録しています。最初こそ高かったものの、次の日からは朝晩とも120台で下が70から80台と、正常になりました。でも、まだめまいと頭重は残っているし、気分はよくありません。ということは内科の先生が言うように血圧のせいではなかったということでしょうか。私はこの休みの間に何かあったらと不安が募るだけです。

 せっかく冬至南瓜や小豆を食べて厄を払い、心機一転して「一陽来復」を願ったのですが、ダメだったということなんでしょう。悔しい!これはまだまだ私の精進が足りないよという神様のお告げなのかも…。

 考えてみれば、今年は能登の地震から始まって、他人事とは思えなかったし、自分自身にも考えられないようなことがあって人間不信に陥りました。その後もコロナに罹って酷い後遺症に悩まされましたし、親しくしていた人たちが次々と去っていきました。もちろん少しはいいことや楽しいことはありましたけど、プラスマイナスするとやはり負の方が多かったですね。

 どうぞ来年はプラスの方が多くなりますように…心から祈りましょう。

 昨夜はクリスマスイブ、今日がクリスマスです。いつも体操に行くとき教会の窓にこんなクリスマスツリーが…。なかなかいいアイデアだと思いませんか。場所も取らないし、片付けも簡単だし…。できればこの真ん中に茶色の幹を貼りつけると完全なのにね。また、日曜日にはサンタクロースの衣装でバイクに乗りツーリングしている集団に出会って…ああ、写真撮りたかったのに…あっという間に走り去って撮れませんでした。残念!

 また、昨夜は息子が出かけましたので、主人と二人でシャンパンならぬ大吟醸とケンタッキーのフライドチキンでクリスマスを祝いました。お婆ちゃんがいたときは、息子や娘夫婦も来て、毎年一緒にクリスマスの牡蠣パーティーをしていたっけ。ついこの前なのに…懐かしい!でも〈クリスマスとは静けさの中にこそ〉と詠んだのは稲畑汀氏でしたが、今年はまさにこの通り。静かな夜を…すきっ腹で飲みましたので酔いがよく回り、いやなことなど何もかも忘れてあっという間にダウンです。これもたまにはいいですよね。

 できれば来年は、この句のように〈結局は何も起らず寝正月 稲畑廣太郎〉という新年だといいのですがね。では、また…

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いまさら冬至のこと?でも聞いてください!

2024年12月24日 | 俳句

 12月21日は「冬至」でしたね。一年で最も昼が短いので、古代中国ではこの日から陽気が復するとして「一陽来復」とよび、宮中でも民間でも正月と同じくらい盛大な行事を行ったようです。その習慣が今でも残っていて、「冬至粥」や「冬至南瓜」を食べたり、柚子を浮かべて「冬至風呂」に入ったりするのです。

  一陽来復雑木林に射す薄日        棚山波朗

 なぜそのような習慣があるのかというと、この日は夜の暗闇が長いから運気が下がり、人の魂も弱まると考えられていました。そのためこの冬至を境に、これからは陽も長くなり、明るく良い方向へ向かっていきたいという願いを込めたのです。

 ゆず湯には血行促進効果があり、身体を温めて免疫力アップにつながりますから、それに入ると風邪を引かないといわれ、この習慣は、江戸時代ごろの銭湯から始まったようです。ゆずの皮にはビタミンCが豊富に含まれ美肌効果も、更に爽やかな香りでリラックス効果もあり、ストレス解消にも役立つという、一石二鳥どころか三鳥も四鳥もと…、とってもいいものなんですよね。

  柚子風呂に浸す五体の蝶番(てふつがひ)  川崎展宏

 また、かぼちゃは緑黄色野菜の一種で栄養価が高く、豊富に含まれているβーカロテンは、体内でビタミンAとしてはたらき、粘膜や皮膚の細胞を強くしてくれます。ビタミンEやビタミンCも多くて、高い抗酸化作用により免疫力を高め、食物繊維が豊富なので腸内環境も整えてくれます。

  ひときれの冬至南瓜に恙(つつが)あらじ  上村占魚     

 このように冬場の貴重な栄養源としてはもちろん、風邪を引きやすくなる季節に、免疫力を高める栄養たっぷりのかぼちゃを食べて柚子湯に入るということは、とっても理にかなったものなんですよね。昔はここまで詳しく理解されていたのかどうかは分かりませんけど、先人の知恵というのにはいつでも感心させられます。このような素晴らしい風習はぜひ残していきたいものですね。

 ところで、我が家ではこの日は小豆に南瓜と餅を入れて、粥ならぬぜんざいを作って食べました。だって、小豆の赤い色は魔除けの象徴とされ、古来から邪気払いに使われてきました。 それで昔から冬至に小豆粥を食べることで、厄を払い健康を祈るという意味が込められていたんですからね。

 考えてみると、今年私は本当にいいことがありませんでしたから、せめて冬至に南瓜と小豆を食べて厄払いをしたいと思ったんですよ。だというのに…最後の最後までよくないというのは一体どうしたことでしょう。

 実は、このところ病院通いばかりで、昨日も病院のはしごでした。内科と整形外科の通院はいつものこと、3か月に1回の医大への検査もですが、先月からは歯科治療も始まったんです。それが、更に先週からめまいと吐き気がして、今度は耳鼻科へ。耳は子供のころからの持病でしたから、てっきりメヌエール病がまた出たのかと…この続きはちょっと長くなりますので、また後で書きますからね。よろしく!今から俳句教室へ行ってきます。

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もう門松が立ちましたよ!

2024年12月13日 | 俳句

 今朝起きたら外が濡れていました。夜中に雨が降ったようで…全く気付かずに熟睡してたんですね。この頃は、イヤいつもですがよく眠れます。ただ、朝5時過ぎ頃になるとトイレへ行きたくなって目が覚めるんですが、まだ外は真っ暗だし寒いので、また布団に潜り込んでとろとろと…この時の気持の良いこと。でも時間が短いからか、良く夢を見るんですね。

 とてもイヤな夢だったり、時には懐かしい若い頃の夢だったり…意外に見ないのが父や母の夢。時には夢でいいから会いたいと思うのに…。ということは今はそんなに不幸ではないと言うことでしょうかね。病気などで辛くて泣きたくなるような時にはよく母の夢を見たりしていましたから。きっと母が心配して励ましに来てくれていたのでしょう。

 一昨日の朝ラジオ体操に行くと、ふれあいセンターの前に「門松」が飾られていました。今年も残すところ20日ほどになって、いよいよ新年に向けてのカウントダウンが始まったんですね。

  この「門松」は、新年を祝って戸口や門前に立てる松のことで、これはもう正月になった証ですので、新年の季語になります。門松を立てたり、飾ったりする時はまだ年内ですので、「門松立つ」とか「松飾る」とかいって、冬の季語になるんですよ。

  独り寝やはや門松も夜の雨     小林一茶

  門松の立ち初めしより夜の雨    小林一茶

 どちらも一茶の句でよく似ていますが、前句はすでに新年になった門松。後句が「門松立つ」というまだ年が明ける前にできたばかりの門松で、冬の季語になります。これらの句のように、このところこちらでも昼間は晴れていたかと思うと夕方や夜から雨になったりする日が多いんですよね。

 それはそうと一茶の時代はどんな気候だったのかしら。当然今のような地球温暖化などは夢にも考えられなかった時代でしょうからね。ちょっと興味が湧いて調べてみると、江戸時代は全体的に寒くて、今より気温は5度から7度ぐらいは低かったようですよ。暖房器具だって当時は火鉢や行火などで、田舎になると囲炉裏とかもあったでしょうが。でも昔の家は隙間だらけで…寒かったんでしょうから、目張りをしたりとか…何もかも懐かしいものばかり。こういう消えていくようなものは、せめて季語としてでも是非残していきたいものです。

 ところで、年末の季語にはたくさんあります。「十二月」「師走」「極月」などは一ヶ月間いつでも使えますが、中に「数へ日」というのがあります。さてこれはいつ頃からを言うのでしょうか。子供の頃の唱歌で〝もういくつ寝るとお正月…〟と、みんなでよく歌ったのも懐かしい想い出です。

  数へ日の数へるほどもなくなりぬ   鷹羽狩行

 この句などは〈数へるほどもなくなりぬ〉といっていますから「三十日」か「大晦日」ぐらいになってのことでしょう。しかし私が思うには、普通1週間を切った頃、即ち子どもたちが冬休みに入る頃からを「数へ日」というような気がするんですが、皆さんはどう思われますか。〈数へ日や昼の木立に子の遊び 岡本眸〉のような句は、やはり冬休みに入ってからの描写でしょうからね。

 このように年末から新年にかけての季語はたくさんあります。皆さんもこういう忙しい時こそ、一句詠んで気分転換されませんか。またお正月になったら新しい気分なども詠んだりして…楽しいですよ。

 では、また…

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今年最後の吟行会は鋳銭司(すぜんじ)でした!

2024年12月09日 | 俳句

 では今日は一日遅れですけど、お約束しました通り12月の月例吟行会の報告をしますね。

 12月6日の金曜日、先ず最初の吟行地は山口市鋳銭司にある両足(りょうそく)寺です。ここは臨済宗の寺で、秋には紅葉が美しく、春には〝五色八重散り椿〟の大きな木がありますので、私は何度か来たことがあります。しかし、初めての人が多くて、こんな所にこんな寺があるなんてと感激していました。

 本来はもう少し早くに紅葉するのですが、今年は異常気象で、見ごろが遅くなっていました。今月の幹事・N子さんが、先週下見に来た時はまだ緑の葉が残っていたけど、今週はきっと最高ですよと言っていましたが、本当にその通り。京都の紅葉に負けぬ見事な紅葉でした。おまけに石蕗や杜鵑の花などもしっかりと咲き残っていて、それはそれは美しい!目を奪われるような〝錦織りなす〟というのはまさにこの紅葉のことかも。

 ではしばしこれらの写真で目の保養をして下さいね。少々ボケ写真もありますが、ご容赦を…

 この寺の近くに千体仏の地蔵堂があるというので、次はそれを見学に。見てビックリ!何と小さな仏様がびっしりと…後からパンフレットを見ると、10センチほどの木彫の地蔵が千体並んでいるのだと。かつては彩色されていたというのが微かに見えて、中世の頃の俤を残しています。

 この鋳銭司というのは、飛鳥・奈良・平安時代に、国家の銭貨を造っていた役所で、ここ周防には平安時代の天長2年(825)から約200年間鋳銭司が置かれ、銭貨を鋳造していました。この遺跡から鋳銭に使用した道具などが多く出土し、工場跡もはっきりわかるので、国指定の史跡となっています。それらは鋳銭司郷土館へ行けば見られますが、今日は時間がなく見学はせず、大村益次郎の墓所と大村神社を見るだけにしました。

 明治維新の功労者の一人、大村益次郎は、文政8年(1825)にこの鋳銭司の地に生れ、洋学・医学を学び、兵学をもって長州藩に仕えました。四境戦争や戊辰の戦いには参謀として参加し、明治新政府樹立のために尽しましたが、明治2年(1869)9月、京都で旧思想の武士達に斬られて重傷を負い、それがもとで11月5日に死去しました。益次郎の横には、妻のお琴さんのお墓が同じように並んでありました。

 嘗てはこの墓の裏に大村神社が建っていたとか。回りには黄葉した大きな木が何本もあって、アメリカ楓かと思ったのですが、グーグルレンズで調べてみると、〝ユリノキ〟だと。こんなにたくさんあるのなら、今度花の咲く頃にもう一度来て、本当か確かめてみたいもの。

 この林の中の大本に、〝ムササビ〟の穴?のような洞のある幹があり、皆に教えるとこれが格好の句材になりましたよ。もし違っていても、そう思って見れば…(笑)句は詠めますからね。

 最後に行った大村神社は、大村益次郎が祭神で、最初明治5年(1872)にお墓の傍に建てられましたが、昭和21年(1946)にこちらに移ったようです。

 この後昼食を済ませて、鋳銭司地域交流センターの部屋をお借りし、句会。無事に17時までに終って、宇部まで帰りました。ちなみにこの辺りは大村益次郎の生家があったところで、そのため鋳銭司地域交流センターの前庭には大村益次郎の銅像が建っています。帰り際に撮ろうとしたのですが暗すぎてダメでしたので、この写真はお借りしました。スミマセン!

 地球儀の傍らに立ち、手には「蘭語通 ABCD」と言うタイトルの本を持って蘭学の講義をする益次郎さんの像です。これを見て、これは等身大なのかしら? だとすると五頭身?などと、みんなでワイワイガヤガヤと…はい、これでオシマイ!どなた様もお疲れ様でした。

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昨日は月例吟行会…アレッ、先月の吟行会の報告は?

2024年12月07日 | 俳句

 今朝起きて…〝中山美穂さん急逝!〟のニュースを見てビックリ。エエッ、そんな年齢だったっけ?まだ若かったはずじゃと思って見るとやはり54歳、…これは若すぎますよね。そんなに病気だったという情報も流れていなかったから、まさか…と、韓国でよく芸能人が自殺するという話と一瞬重なったんですが、そんな様子は全くなく浴槽で倒れていて発見されたんだとか。

 前の夜も遅くまで仕事の打ち合わせをしていたというから、その後好きなお酒でも飲んで夜中か早朝かに入浴したのでしょう。すぐに3年前に亡くなった義弟のことが浮かびました。あの時も義弟はお酒を飲んだ後で気持ちよさそうに入浴していたんです。しかし、検死の結果水は飲んでいなかったということで入浴中の心臓マヒだろうということになりました。でも美穂さんは溺死だという情報が流れているということは…かなり酔っていてついウトウトと風呂の中で眠ってしまったのではと…そういうことも考えられるかも。また心臓が悪くなくても心筋梗塞はありえます。義弟だってそれまで一度も心臓が悪いと医者に言われたことはなかったんですものね。

 ありきたりですけど、私にはただ美穂さんのご冥福をお祈りすることしかできません。安らかにお眠り下さい。   合掌

 とにかくこのところ、エエッと驚かされるニュースが多すぎます。その度に私の心臓がドキドキして…心臓の悪い私の身体にはよくないですよ。このところ血圧も高めだし、何をするのもシンドイんですもの。ああ、気持が暗くなります。何か気持が上向くような出来事やニュースはないのかしら…

 ところで、この前からブログを頑張って書きますから読んで下さいねなんて言っておいて、10月は2回、11月は3回のUpでした。ナントも不甲斐ない!申し訳ありません。では、今日は、昨日行った月例吟行会の美しい写真がたくさんありますので、それでもUpして、せめて気分だけでも明るくしましょうか。しかし、考えたら先月の報告もまだしないままでしたよね。ゴメンナサイ!では、先ずそれを簡単に仕上げて…。

 11月1日の金曜日、山陽小野田市の本山岬~きららビーチ焼野海岸・竜王山へ。このところめったになかった小雨の中での吟行会だったんですよ。

 本山岬公園は、周防灘に突き出るように海に面して、自然の作りだした奇岩、特に〝くぐり岩〟が有名です。この日は満潮でその岩へは行けませんでしたが、代わりに大陸へ帰る秋燕でしょう、次から次と岬の上空に集結してきて、空を旋回する姿が見られましたからよかったです。

 浜辺には今年の暑さで、〝ハマゴウ〟や〝ハマエンドウ〟などの夏の花がまだ少し咲き残っていました。もうすぐ立冬だというのに…。

 また、岬にある神社の境内の藤袴にはアサギマダラが何頭か来ていて、初めて見たという人はとても感激していました。写真を撮ろうとすると、じっとしていなくてなかなかいいのが撮れなかったのですが、この一枚はまあまあかしら。

 次に行った〝きららビーチ〟は、「日本の夕日百選」にも認定されていて、お天気がいいと瀬戸内海に沈む美しい夕日が眺められるところ。この日は周防灘も雨で煙っていて、ビーチの尖端にある日時計も全く役に立たずに辛そう…。でもたまにはこんな海岸を歩いて、一句詠むのも一興かなと思いますけどね。

 その後、竜王山の登り口にアサギマダラの好きなヒヨドリバナの群生地があるというのでそこへ…でもここまで来ると急に雨脚が強くなり、残念ながら全く発見できませんでした。その代りノラ猫ちゃんが雨宿りをしていて、それが結構いい句材になってくれました。最後の花はヨメナかな?俳句では普通野菊と詠んだりしてますけどね。

 さて、〝簡単に…〟などと言いながら、ここまで書いたらまた長くなってしまいました。スミマセン!写真などまだまだあるんですが、一応ここで終りにして…。昨日の吟行会の報告は明日に廻します。今度は絶対書きますので、よろしく。

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〝2024カープフアン感謝デー〟へ行って来ました!

2024年11月28日 | 日記

 今日も朝から曇っていたかと思うと雨が降り出したり、今度は突然日が照り初めるという…、何ともころころと変わるお天気です。また、気温もグッと下がって、昨日はとうとう我慢できずに炬燵を出しました。最低気温7度…寒いはずですよね。日中の最高気温も13度までと…まさに冬の気候ですもの。

 先日11月23日の「勤労感謝の日」に…この日も寒かったので一応の防寒対策をして、朝から家族3人で広島へ出掛けました。はい、この日に今年の「カープフアン感謝デー」があったんですよ。9時30分開始でしたので、新山口から新幹線で。8時半過ぎ到着のこだまでしたが、列車から降りる人のナント多いこと。まさかこの人達もこのイベントに行くのかしらと思って見ると、どうもカープフアンらしい雰囲気です。更に駅から球場までの道ではドンドン人が増えていって、まるで試合がある日のようでした。

 ところで、その日新山口駅でこだまを待っていると、入ってきた列車が…エエッ、何これ?ピンクの絵が描かれていて、キティちゃんよ!と。そういう列車があることを全く知りませんでした。調べてみると、ハローキティ新幹線といって、博多駅 ⇔ 新大阪駅間を1日1往復のみ、こだま840号、851号として運行しているのだそうです。また、車内でハローキティのデザインで彩られた乗客席があるのは2号車だけだそう…ということは、その珍しい列車に、それも2号車に知らずに乗ったんですね。何という奇遇でしょう。今年は年頭から散々な目に合いましたから、それが最後になってこんな滅多にないことに出会うなんて…もしかしたら来年は良い年になるかも。(アラ、鬼が笑う?)

 さて、この「カープフアン感謝デー」は毎年あるようですが、私たちは初めてでした。広島近辺の人なら当然行きたいでしょうから多いのは当り前と予想はしていましたよ。でも新幹線に乗ってまで来る物好きは私たちぐらいかしらと思っていましたので、もうビックリ!これがフアンというものでしょうね。フアンというのは本当にアリガタイもの。実を言うと、私たちはこの感謝デーの入場整理券が当選したからであって、でなければ来なかったでしょうから、まだまだ本物のフアンとは言えないのかも。

 ファン感謝デーは、今シーズン入団した若鯉選手たちの登場からスタート!ルーキーイヤーの選手たちが初めてのカープファン感謝デーへの意気込みなどを語りました。

 その後、私服おしゃれNo.1を決める「カープS-1グランプリ!!」が行われ、アドゥワ、益田、森、島内の各4選手が自慢の私服を披露しながらランウェイする選手をファンが投票しました。

 その結果、カープS-1グランプリ!!初代チャンピオンには、アドゥワ選手に決まりました。

 また、2025年にデビュー30周年を迎えるスラィリーにまつわるクイズ「スラィリー愛No.1決定戦」に8人の選手たちが挑戦するなど、ステージイベントは開始から大盛り上がりです!

 そのスラィリー愛No.1決定戦で優勝したのは、滝田選手でした。

 グラウンドでは入場券に付いている番号の抽選で当選した人たちが参加できる、選手とのキャッチボールや写真撮影、ハイタッチ会などのふれあいイベントのほかに、普段は立ち入ることができない外野の芝生エリアを散歩できるイベントなどが開催されていました。しかし、私たち3人はやっぱりくじ運が悪くて、一人も当りませんでしたよ…残念!

 お昼は懐かしいむさしの弁当を食べたり、余りにも寒かったので温かいうどんやホットコーヒーなどで凌いでいたんですが、この冷えでは終了の15時までは我慢できないし、この調子なら帰りも混雑するだろうしと、14時前には球場を出ました。すると、今度は広島駅の下り新幹線が全て70分遅れだとの標示。聞けば理由も分らず、いつ頃復旧するかも見通しが立たないとか…。やっと復旧してから分ったのですが、車内に不審物があってそれの点検のために遅れが出ていたのだとかいうことでした。結局その不審物は乗客の忘れ物だったらしく…JRのダイヤを混乱させた大迷惑な忘れ物ですね。

 下の写真はカープロードのマンホールの蓋です。やっぱり広島はカープ坊やと紅葉ですね。

 とにかく無事に16時過ぎには新山口駅に着きましたが、なぜだかとても疲れました。やっぱり寒さのために身体が硬直していたからなんでしょう。老化もあるのでしょうが、私いつも冬になると肩が凝るんですよね。だから寒い冬が嫌い…なんて言っても、まだ冬になったばかりで、この先が思いやられます。下の写真は新山口の駅前。広島に比べるとナント寂びしいこと…益々寒くなりました。

 

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エエッ、火野正平さんが亡くなったって?

2024年11月21日 | 日記

 昨日の夕方、主人から…火野正平が死んだってよ!と。

 エッ、ほんとに?腰痛の治療中じゃなかったの?と信じられませんでした。とにかくビックリしました。だって我家は毎朝、NHKBSで7時15分から朝ドラの再放送、今は尾野真千子さん主演の国際的デザイナー・コシノ三姉妹を育てたお母さんがモデルのドラマ〝カーネーション〟ですが、それが済んで今の朝ドラ〝おむすび〟を観ます。その後7時45分からはあれば必ず火野正平さんの〝こころ旅〟を観ていたんです。それが終ってから朝の体操へ出掛けると…、そういうのが長年我家の日課でした。

 このところ正平さんの体調が良くなくてピンチヒッターの方々が交互にいろいろな地域を巡っての〝こころ旅〟が放送されていましたが、やはり長年見慣れていた正平さんの旅がいいので、一日も早く復帰されるのを心待ちにしていたんですよ。それがまさか亡くなられるなんて全く考えたこともありませんでしたのでショックでした。

 嘗て山口県への旅では、宇部市にも来られて、子どもたちが卒業した中学校を訪問してくれたんです。この自転車で全国を巡り、それぞれの想い出の場所を訪ねて書かれた手紙を読むという、まさに〝こころの旅〟。それを14年近くも続けてこられて、全国津々浦々の人々との交流は観ている私も一緒に旅をしているようで…、だから欠かさず観ていましたもの。ご本人も秋には復帰するつもりで頑張って養生しておられたとか。9月に骨折したのがよくなかったのでしょうか。本当に残念です。きっと正平さん自身が一番悔しい思いをされたのではないかと、そう思うとやりきれない気持ちです。心から哀悼の意を捧げたいと思います。正平さん、どうぞ安らかにお眠り下さい…合掌

 するとその夜FAXが入り、見ると今度は馬酔木同人のOさんの訃報でした。私が新人の頃から親しくして頂いた方なんですよ。この前は詩人の谷川俊太郎さん、昨日は元横綱の北の富士さんもと、このところ次から次と知ってる方々が亡くなって気が塞ぐことだらけで、本当に気分が沈んでしまいます。

 思い返せば今年は年頭からいろいろな人との別れがありました。最近でも私の回りでは、亡くなるんじゃないんですが、長年慣れ親しんでいた人たちが次々と去っていくんですよね。先日は20年近くもパーマやカットをして貰っていた美容師のNさんとMさんが同時に今月で辞められると言うし、フォーユーでもいろいろとお世話になったKさんとSさんがこれも今月で辞められるんです。それぞれ事情があって仕方のないことなんでしょうけど。でも、長く付き合って気心の分っている人たちともう会えないのかと思うのは淋しいものです。〝出会い〟があれば〝別れ〟があるのは当り前。それは分ってはいますけど、やっぱり辛いですよね。たとえ新しい出会いがあったとしても、歳を取ると新しい人間関係を築くのはとても疲れます。それより現状を維持して今までの縁を大事にする方が気持ちもいいし楽ですからね。歳を取るほどに別れが多くなるのは当然のことでしょう。そのうち私の方から〝さよなら〟と言わなくてはいけない日が間近に迫っているかも知れませんもの。この先がどうなるかということなんて、こればかりは誰にも予想はできませんからね。

 今日は時間があるので、真面目に俳句のブログを書こうと思っていましたのに…、こんな暗い事を書いてしまって…ゴメンナサイ!

 天気も朝はどんよりとして寒そうでしたが、今は日が照りだしてとっても気持ちよさそう!そうですよ、照る日もあれば翳る日も雨の日だって。だから〝人生楽ありゃ苦もあるさ…〟のあの精神で乗り越えて行かなくては…。今度は明るい話を書きますから待っていて下さいね。では、今日はここまで…

 写真は、まだ生き生きと咲いている〝琉球朝顔〟と、今を真盛りの〝石蕗の花〟です。琉球朝顔は秋の季語で、その花言葉には「愛情の絆」「明日もさわやかに」など。また石蕗の花は初冬の季語で、花言葉には「愛よ甦れ」や「困難に負けない」などがありますから、また元気を出してガンバロウと思いますので、よろしく!

 

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何とまあ…半月振り?いや1ヶ月ぶりかしら?

2024年11月16日 | 日記

 まさにタイトルの如し!で、こんなにブログをサボったのは初めてかも。でも、よくよく考えてみれば…これも仕方がなかったんですけどね。ではその辺の所を記録として簡単に纏めておきましょうか。

 前回のブログが10月23日、今日は11月16日…ということは、半月どころかもうすぐ1ヶ月になりますよね。我ながらビックリ!折角読んで下さっている方々からはこのブログは〝消滅〟しつつあるのではと心配されているのかも。だってその証拠にこのところのアクセス数がうなぎのぼりで、昨日のランキングなどはナント529位になってるんですもの。これじゃあせっせと書かない方が却って皆さんが訪問して下さるということなんでしょうか?ヘンなの!

 そんな下らないことをあれこれ言わずに、先ずはその様子をメモってみましょう。

 10月25日・午前中宇部市芸術祭俳句大会の役員会議 29日・小羽山俳句教室 30日・毎月の通院 31日・琴芝小学校の「子ども夢教室」での俳句指導 11月1日・朝から月例の吟行会 4日・二俣瀬俳句教室 5日~7日・広島の芸北でワンゲルのOB会 8日・予約の美容院 9日・午前中厚南の文化祭展示の準備、午後と夜間はフォーユーの俳句教室 11日・万倉小学校の「子ども夢教室」での俳句指導 12日・午前中宇部市芸術祭俳句大会の選考会議、午後岬俳句教室 15日・厚南俳句教室 16日・午前は二俣瀬文化祭の展示準備を主人に頼んで、きらら俳句教室へ、午後宇部馬酔木句会 17日・二俣瀬文化祭の展示の撤去へ…

 はあ、この中の空いた時間で、原稿書いたり俳句の添削、吟行会事後投句の選句と選評、通信句会の選句と選評、宇部市の俳句大会の選句。おまけに今月は文化祭が二つもあって、その出品のための短冊・色紙の制作。これは日頃滅多に書かないものだから、練習などに結構時間を取るんですよ。ついでに自分自身の作品をあちらこちらへ投句するための作句もしなくっちゃ…ああそうです、更に身体のことも考えておかないといけないですから、この合間を縫って整形へのリハビリやカーブスの筋トレへ。加えて、月曜から金曜までは歩いて行って朝の体操…もちろん洗濯や掃除などの家事から寝る・食うなどの基本的な生活時間も。ほら、そうすると私の好きなドラマを見たりフォロワーさんのブログを訪問したりする時間がなくなるでしょう。だから切り詰められるのは我家に居る時間の中だけ。でも、睡眠や食事時間は切り詰めたくないので、どうしても家事へ…特に一番のしわ寄せが来ているのが掃除なんですよね。庭の手入れや家の中の掃除などは最低限のことだけで我慢して暮しています。整理整頓など細々としたことを何もかもきちんとやろうとすると…これはもう身が持ちませんもの。歳を取れば体も動かなくなって余分に時間も掛かりますし、怪我などすればさあ大変です!…と言うわけで、ブログを書く方には全く手が回らなかったんですよ。ほら、これ読むだけでも目が回るでしょう。だから…ゴメンナサイ!なんですよ。

 来週からは少しゆっくりになりますので、今月のロスは後半で取り戻します。それまで待って下さいね。では、今日のところはこれでお許し下さい…オシマイ!  

 写真は、「牡丹臭木(ボタンクサギ)」でクサギと同類の花なんですが、初秋の季語。もう一つは「木槿(ムクゲ)」。これは「底紅(ソコベニ)」といって、やはり初秋の季語なんですよ。どちらもとうに終ったはずなのに、初冬の今でもまだ咲き残っているんです。本当に今年は季節感が狂いっぱなしで、俳句を詠むのに困まりましたよ。

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