一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

1351   鵙猛る三人寄れど読めぬ句碑   不坐

2014年10月21日 | 

 書には、行書・草書があり、万葉仮名などもあって、専門的な知識がないと読むのが難しい。明治以降、活字化が進むに従い、毛筆離れが進んだためだ。

 日本人が日本語を読めないのは実に悲しいことだが、これは西洋に負けまいとして明治政府が日本文化を軽視してきたからに他ならない。

小唄、長唄、常磐津などが西洋音楽に取って代わったし、和服が洋服に、畳が机に・・・・・こんな変化を数えだしたら切りがないし、腹立たしいから止めておく。

 さて、俳人三人が文珠の知恵を出しても読めないというこの句碑は、草書で書かれているに違いない。過去はさておき、これから建てる句碑は、誰でも読めるようなせめて行書で書いてもらいたい。

 それにしても、このブログをアップした途端、鵙が鳴き始めた。何故か、お祝いしてくれているような、励まされているような気がする。

ダイモンジソウ(大文字草)


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