一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

292   男より男らしいが氷水   忽胡

2011年06月30日 | 

「男らしさ」とは、何だろう。武士の時代、戦前、戦後、そして平成の「男らしさ」とは・・・

最近は、男性が女性化し、「草食系男子」がもてはやされているそうだ。逆に女性が男性化して、「肉食系女子」ももてはやされているらしい。

 この句の、男よりも男らしい「女」とは、どんな女か。性格や気質を言うのか、外見を言うのか。又はその両方を言うのか。

 

「男らしいが」の「が」は、主語につく「が」だとすると、

単に男より男らしい(女)が氷水(を食べている)

と言う意味になる。

 

「が」が「けれども」に相当する否定の「が」だとすると、

男っぽい女が、女が好む氷水を食べている。やっぱり、彼女は女だったんだ

このほうが面白いので、こちらを採用することにする。

 

 

アカメガシワ(雄花)

アカメガシワ(雌花)

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291    6月 岩戸句会

2011年06月29日 | 岩戸句会

片口の一滴干して昼寝かな      鼓夢

荒梅雨や朝餉に厚き卵焼き

 

待たされて日傘くるくる待たされて  稱子

乳はさむマンモグラフィーアマリリス

 

義援箱少女の胸に初つばめ      正太

いつになく母を身近に昼寝覚め

 

泡沫に生きてゆらゆら端居かな    遊石

路地裏に咲く向日葵の孤独かな

 

新茶汲むなで肩の母愚痴こぼす    洋子

ぴくぴくと耳動きおり犬昼寝

 

梅雨寒に親方の声やさしかり     豊春

バス停のベンチに沿いし立葵 

 

さくらんぼその光沢で客を待つ    歩智

何事もなかった様に夏に入る

 

紫陽花の水替え夜を癒しけり     章子

儚さやこの世に戻る昼寝覚

 

月見草海とは野とは山河とは     炎火

あじさいや野球小僧の声消ゆる

 

ほうたるや肩にある手のあたたかし  雲水

夜遊びに呆けし犬の大昼寝

 

エスカレータ駆け下りてくるクールビズ  空白

孫育つ運動会の組体操

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290   虎鶫仕上げ間近の双耳壺

2011年06月28日 | 

トラツグミ(虎鶫)は、ツグミ科の鳥で、体の模様から「虎」が付いた。夜中に笛を吹くような高音で、ヒーヒーと寂しげ悲しげに不気味に鳴くので気味悪がられ、古くから「ぬえ」(鵺)とも言われ、怪物の鳴き声と誤解されたのだとか。

 

 双耳壷は、二つの飾りを付けた壺をいう。焼き物の各部分の名称は、人間の体から名付けられている。壺の場合、耳を始め、口、肩、胴、腰、手、足などと使われ、ある特定の場所を示す。

 

 壺の耳とは、口の下、肩の上あたりに付ける。トラツグミの声と耳のある壺とを取り合わせたのだが、唯それだけのこと。

 

グミ(茱)

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289   「海行かば」しずかに唄う納涼船   正太 

2011年06月27日 | 

句会でこの句を見た時、「海行かば」が何のことか分からず採らなかったが、後で聞いたり調べて、本当に驚いた。なんと大伴家持の詞に、昭和12年、NHKの委嘱を受けて信時潔が作曲したのだ。

 

海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
山行かば 草生(くさむ)す屍
大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ
かへりみはせじ

太平洋戦争の時、ラジオで大本営による玉砕が発表される際、必ずこの曲が流れたという。当時を知る人にとっては、辛い経験だったのだ。しかし、曲が良いので第二の国歌とも言われていたという。 

青山椒

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288   糠床のきげん良きなり梅雨晴間   洋子

2011年06月26日 | 

 糠床に使われる米糠は栄養価が高く、主な成分にフィチン酸・イノシトール・フェルラ酸・Yオリザノールなどがあり、抗がん作用、結石予防効果、脂肪肝・高脂血症予防、更年期障害・不定愁訴などにも効果があるとされる。

 

ビタミンE・B1・B6や鉄・マグネシウム・マンガンなどミネラルも豊富である。戦前まではどこの家庭にもあったが、最近の食生活の変化に伴い、家庭から糠床が消えつつあるのは残念である。

 

 さて、この句、糠床の機嫌が良い、という。糠床は、乳酸菌が活発に活動するために、毎日撹拌しなければならない。怠けると黴が生えたりして、駄目になってしまう。梅雨時ならば尚更である。

 

 「私が毎日しっかり撹拌しているから、糠床は元気なのよ」と自画自賛している作者。

 

シロバナコアジサイ(白花小紫陽花)

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287   これよりは入るべからず薮枯らし  歩智 

2011年06月25日 | 

 土地には必ず所有者がいるが、昔は、山に入って山菜を採るのに不都合はなかった。地主は、土地が減るわけでなしと、山菜くらいは地元住民に自由に採らせていたわけだ。

 

 さて、この句「これより入るべからず」に作者の目が止まったのだが、その土地は全く手入れされておらず、草が生い茂り、薮からしに覆われていた、という。

 

整備された公園の芝生ではあるまいし、誰も入る気になるわけもないのに、唯々、所有権を主張する「看板」が虚しく草々に絡まれていたのだ。

 

やぶからし(藪枯らし)の名前の由来は、樹木などに巻き付き藪を枯らしてしまうので名付けられた。別名ビンボウカズラ(貧乏蔓)は、枯らされた土地の持ち主が貧乏になるからだとか。

だからこの句、現代社会に対する皮肉の句と十分に言えるだろう。

 

オニシバリ(鬼縛り)

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286   禅寺に抜け道のあり七変化    章子 

2011年06月24日 | 

 禅宗には、曹洞宗、臨済宗、黄檗宗などがある。全国には計二万余の寺があり、専門修行道場も数多い。しかし、何と言っても曹洞宗が圧倒的に多い。  

 

永平寺などの山間地と異なり、京都や鎌倉など市街地の禅寺の中には道場を抜け出して、巷間に出かける者もいないとは限らない。それは単なる街への近道ではなく、あくまで雲水たちの抜け道なのだ。

 

季語に七変化を斡旋したのも一理ある。つまり、いくら禅の修行が厳しいと言っても、あくまで本人の自覚に委ねているのだろうし、怠惰や放蕩も、場合によっては修行にプラスすることもあるのかもしれない。

 

まして老師と言われる指導者は、相手の年齢や性格、時と場合によって、優しく諭したり、厳しく叱咤したり、その対応は自由自在の七変化なのである。

 

七変化は、紫陽花(あじさい)のことで、白から淡緑、青、紫、赤などに次第に変化するので、名付けられた。

 

 

カキツバタ(杜若)

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285   夏至の月鉄橋の貨車トンネルへ

2011年06月23日 | 

 昨日(6月22日)は、夏至だった。旧暦の皐月(5月)21日でもあった。満月から6日経っているから、どちらかと言うと月は半月(下弦)に近い。しかし、この句を作った時は、確か満月だったと記憶している。

 

又、本当は「鉄橋の電車」だったのだが、字数の関係で「貨車」にしてしまった。「汽車」でもと思ったが、これは蒸気機関車のことになってしまう。

 

 しかし今の私なら、字余りでも間違いなく「電車」にする。字数を重視して、意味のない嘘をつく必要はないのだ。

  

ビヨウヤナギ(美容柳、未央柳)

 

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284   祭笛一音高く外れけり   泉女  

2011年06月22日 | 

 音楽の音程は、ドレミファソラシ(cdefgab)の7音と半音の5音、計12音で成り立っている。あとはオクターブの高低が無限にあるが、人間の聴覚は有限なので、例えばピアノの場合は88鍵盤である。

 

又、ミファ(ef)とシド(bc)が半音で、その他は全音。1音とは、たぶん全音と同じで、半音の倍。ギターの場合は、2フレットが1音。バイオリンや、三味線のようにフレットのないものもあるのも不思議。

つまり、音の高低は境目なしに無限であるのを、きちんと12に分けて境目をつけたことに感心するのだ。

 

 素人なのでよく分からないが、こういうルールが歴史上どのように決まっていったのか、実に単純でうまくできている、と感心してしまう。沖縄など、国や地域によって、使う音階が違うのも面白い。

 

 たった12音で、クラシックからジャズ、民謡から演歌まで何だってできてしまうのだから驚きである。

 

 さて、熱海のこがし祭りは、7月15,16日の2日間、30数基の山車が出て、なかなか見ごたえがある。これから夜になると各町内で、笛、鉦、太鼓の稽古が始まり、町中に響き渡り活気づく。 

キンシバイ(金糸梅)

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283   無頼派の昭和遠のく桜桃忌   歌子

2011年06月21日 | 

 桜桃忌は6月19日。無頼派と言えば、戦後の坂口安吾、太宰治、壇一雄などの作家を指す。軍国主義の箍が外れ、自由になったのはいいが、敗戦後の経済混乱や社会の無秩序などが、作家の劣等感を内在化させたり、自暴自棄を助長したとも言える。

 彼らに共通する特徴は、文学そのものにもあるが、私生活の無頼にもよるのである。特例として、三島由紀夫は無頼派ではないが、自決によって最後の無頼派に入れてよかろう、と勝手に思っている。

 

さて、太宰は、その私生活が異常であった。女性遍歴と女を死なせて自分が生き残る心中の繰り返し。芥川賞への執着・・・しかし、それ故に彼の作品は、絶品と言えるのかもしれない。泥から咲く蓮の花と言えようか。今でも多くの若者が、桜桃忌になると墓地に参拝するという。

 

 平成の時代となってなんと二十二年も経つから、昭和のすべてが遠のいているのだが、あえて無頼派と指定しているところが、作者の精神構造までうかがえるようで面白い。

 

 私が同時代に生きて太宰と出会ったならば、きっと懇意になったはずだ。もしかして、心中したかも。会えなくて残念・・・という声が聞こえる。 

ナルコユリ(鳴子百合)

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282   滴りのわずかにありて一息す   満津子

2011年06月20日 | 

 滴る、滴りは、山の崖などから落ちる水の点滴を言う。もう少し量の多い湧水など、ハイカーや登山者にとって、喉を潤す喜びの水である。

 

喜びの水であるはずなのだが、最近は山中に産業廃棄物の不法投棄が横行し、清水にどのような危険な毒物が混入しているか分からない。

 

清水の上部に車の進入できる道路があると、水銀などの重金属・ダイオキシン類・農薬・ヒ素・環境ホルモンなどの不法投棄による土壌汚染の可能性があり、湧水は危険で飲むことができない。

 

恐ろしい時代になったものだ。一体、誰がこのような危険物を作ったのだ?誰が作り続けているのだ?

 

 

ウツギ(空木)、ウノハナ(卯の花)とも

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281   泥んこの犬の身震い梅雨滂沱

2011年06月19日 | 

雨が降っても雪が降っても、とにかく何があっても、犬の散歩には行かねばならない。犬にとって、食事と共に最大の楽しみである。我慢していた排泄ができるからだ。

 

梅雨の山道を、傘をささずにカッパ・長靴で歩くのは、何とも言えず楽しい。この散歩によって、「犬から健康をもらう」というのも頷ける話だ。犬たちも嫌がるのは初めだけで、一旦雨に出てしまえば、大はしゃぎは晴天と変わらない。

 

但し、散歩から戻って困るのは犬の身震い。家の外でしてくれればいいのに、どうしても家の中でする。しかしこれだけは、どうにもならない。

 

 

イタチハギ(鼬萩)

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280   捨てにゆく黒猫ぬくし木下闇   多可

2011年06月18日 | 

20年ほど前まで、我が家の近辺は捨て猫が多く、しばしば段ボールに数匹入っているのを見かけた。勿論見かけたからといって、そのまま見て見ぬ振りする以外方法はないのだが、2、3日経つとモヌケの殻になっているから、ほとんどがカラスやフクロウなどの餌食になっているのではないかと、想像している。しかし、中には生き残っている猫もいて、森の中で逞しく暮らしている。

 

最近、捨て猫が減ったのは喜ばしいのだが、避妊処置が進んだからかもしれないし、回りが開発されて捨てにくくなっただけかもしれないし、理由は判然としない。

 

さて、木下闇(このしたやみ、こしたやみ)は、単に下闇とも言う。夏木立の鬱蒼とした昼なお暗い様子を言う。

 

そんな奥深い森に、生まれて間もない黒猫を捨てに行くという。飼い猫が産んだのか、野良猫が産んだのか、定かではないが、捨てる罪悪感、生き延びて欲しい希望など、作者の心の揺らぎが「ぬくし」に籠められている。

 

蜘蛛の子

 

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279   街の灯も汽笛も青葉隠れかな

2011年06月17日 | 

 冬の間見えていた町の夜景のほとんどが、見えなくなった。かすかに木洩れるばかりだ。淋しくもあるが、この冬までの辛抱。

 

東北東に面する山桜を主とする木立は、防風林の役目が強い。見晴らしが良ければ良い、という訳にはいかない。

 

天候や風向きによっては、電車の音だけではなく、町の広報や駅のアナウンスさえも聞こえる。それが、若葉から新緑、そして万緑へ変わると、身も心も町から隔たってゆく、そんな気分になる、特に夜は。

 

 

ニオイバンマツリ(匂い蕃茉莉)

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278   更衣指を伸ばして下駄を履く   章子

2011年06月16日 | 

昔の更衣は、陰暦四月一日(陽暦五月十五日頃)に行われた。現在、学校は6月1日から夏服に変わるが、日にちにこだわらず自由に行う人が増えているようだ。

 

さてこの句、指と言っているが、足の指か手の指か、句会では意見が分かれた。それによって、姿勢や動作や仕草が全然異なるのだ。下駄を履くのだから足指、という説。鼻緒などを広げたり、手指を使ったはずだと言う説。

 

このように解釈が分かれるのは、省略の文学、俳句にはよくあることだ。これは俳句という短詩の欠点というよりはむしろ、面白さなのである。

 

ホタルブクロ(蛍袋)

 

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