一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

409  夕紅葉死ぬこと残し燃え尽くす  章子

2011年10月31日 | 

(ゆうもみじ/ しぬことのこし/ もえつくす) 

 

 ちょっと淋しい句のように思いますが、本当に燃え尽くしたならば、あなたは幸せな人です。

 唯、「本当に燃え尽くしたのですか」と、問いたくはなります。何故なら、確か「燃え尽き症候群」という「精神的ビョウキ、うつ病」もあるそうですから。

 

しかし私は、「あなたが、有意義に充実した人生を生き尽くした。我が人生にとても満足している」という意味と解釈させていただきます。

 

 実は、私もそう思っているんです。分相応にという注釈付きですが、やりたいことはやった。やりたいことをやっている。だから、いつ死んでもいい。そういう満足感があります。

 

 

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408  秋風に野草からから乾びけり

2011年10月30日 | 

 

(あきかぜに/やそうからから/からびけり)

 

私の工房に来られたお客様に出すお茶は、全て野草である。ビワ、ヨモギ、スギナ、アシタバ、ドクダミ、クマザサ、ゲンノショウコなどをブレンドして、お飲みいただいている。

 

単品で飲むより、ブレンドした方が美味しい。紅茶のように、ポットに茶葉を入れて熱湯を注げば、香り高く飲める。薬草として飲むには、ぐらぐら煮て(煎じる)ほうが良いらしい。但し、香りは飛んでしまう。熱くして飲んでよし、冷やして飲んでよし、なかなか好評で、数年前から販売も始めた。

 

誰でも採取できる野草なのだが、どういう訳か、教えてあげても自分で採取する人は少ない。特に都会の日本人は、楽な「買う」ことを覚えてしまい、「作る」ことを忘れてしまったようだ。

 

ピラカンサス

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407  昼酒をテラスの椅子で秋刀魚雲

2011年10月28日 | 

(ひるざけを/ てらすのいすで/ さんまぐも)

 

酒好きが、赤ワインを提げてやってきた。手作りこんにゃくがあるからと、まあ、一杯やっか。あとで、採りたての椎茸でも焼こう。 

 

話は、やっぱりリビア、エジプトのアフリカ、ギリシャなどのEU,イラクにアフガン、色々出たが、締めは全てアメリカの陰謀と戦略とか・・・・・冷蔵庫に白ワインがあったっけ。 

 

政治の話は止めて、俳句に振ってみる。そう言えば、鰯雲、鯖雲、鱗雲があるなら、秋刀魚雲だってあってもいいじゃないか、ということになってしまった。 

 

酔っているせいもあるが、確かに今日の雲は、鰯より秋刀魚が似合うかもしれない。

 

ユリ(カサブランカ)

 

8月に花屋で、芽が出たばかりのカサブランカを3株買った。

確か1株150円くらい。随分安いな、と思った。

季節外れだからかな?

遅かったが、なんとか咲いてくれました。

ありがとう。

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406  秋の旅剥製多き宿に着く

2011年10月27日 | 

(あきのたび/はくせいおおき/やどにつく)

 

鹿に熊、狸に狐、雉に鳩・・・・山小屋風旅館の玄関ホールには、ずらりと動物たちの剥製が・・・・・・・

 

古来から日本は、米が主食の文化ではあるが、少なからず狩猟も行われて、食糧としてきたのだろう。その名残りが、こういう形で残っているのか。

 

 良かった、部屋に剥製はなかった。それにしても、今夜は眠れそうにない。

  

ダイモンジソウ(大文字草)

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405  光年という語ありけり天の川  泉女

2011年10月25日 | 

(こうねんと/ いうごありけり/  あまのがわ)

 

太陽という恒星を中心に、水金地火木土天海冥などの星が、回っている(公転している)そうだ。それを太陽系、と呼ぶ。

 

太陽系は、天の川銀河の中の一部であり、銀河の中には太陽と同じような恒星が、二千億あるという。更に宇宙には、私達の天の川銀河と同じような銀河が、一千億あるという。

200,000,000,000×100,000,000,00020,000,000,000,000,000,000,0002×1022

これは、宇宙にある太陽と同じような恒星の数であって、正に天文学的数である。

 

円盤のような天の川銀河の端から端までの距離は、十万光年。本当かどうか知らないが、どうやって調べたんだろう、と感心してしまう。この句の作者も同様の驚きを感じたのだろう。

 

ところで、天文学の基本中の基本。ガリレオの発見した地動説、つまり地球が太陽の周りを回っていることは、誰でも知っています。しかし、あなたはそれを説明(証明)することができますか?

 

 

コガネシダ(黄金羊歯)

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404 台風裡ゴボッと樋の通じけり

2011年10月24日 | 

(たいふうり/ ゴボッとといの/ つうじけり)

 

一戸建住宅のメンテナンスの第一は、樋の掃除かもしれない。特に我が家は、四方を木立に囲まれていて、傾斜地のため、北西は2階よりも高い木立があり、落葉が樋に詰まりやすい。したがって、掃除が危険だから、あえて2階には樋を付けなかった。

 

昨日は久し振りの大雨で、二か所も詰まっている樋を発見し掃除したのだが、私は合羽を着て雨の中を歩いたり、働いたりするのが好きだ。

 

どうして?と言われても・・・・・さあ、全く分からない。

サザンカ(山茶花)?

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403  裏山へ鴉は帰る秋の暮

2011年10月23日 | 

(うらやまへ/からすはかえる/あきのくれ)

 

夕暮れになると、湯河原の町から、出稼ぎに行っていたカラスたちが、一斉に帰って来る。町からねぐらまで、直線距離で3kmほどだろうか。100~200羽のカラスが、我が家を飛び越えて、標高500メートル程の山のねぐらへ帰って行く。びゅんびゅんと飛び越えて行く様は壮観で、終わるまで見飽きない。

 

又、ねぐらの真下は、私と犬の散歩コースにもなっていて、日が暮れるまでカラスたちは飛びまわっている。

 

カラスは、情愛が深いという。「別れ鴉」という季語もあるし、「七つの子」にもあるように、カラスは結構人間から可愛がられていたのだ。

 

ところが、最近はゴミを漁ったりして人間に嫌われてしまった。しかし私は、人間ではなくカラスに味方したい。我々人間の方が悪どいことをしているからだ。

 

 

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402  秋晴れを途方に暮れて砂浜

2011年10月22日 | 

(あきばれを/とほうにくれて/すなはま)

 

高校時代に読んだものの中で、強い印象を受けた一つは、ヘルマンヘッセの「シッダールタ」だろう。

 

お釈迦様の悟りの世界を、フランス人の小説から知る、というのも面白い。それからは、東洋哲学や禅などの本を手当たり次第に読んではみたが難し過ぎて、ヘッセ以上に分ることはなかった。

 

何が分かったかと言うと、「自分は、俗世間に生きていて、自分は俗物である」ということ。別の意味では、「俗物であることが自慢になった」とも言える。

そして、そういう悟りの世界がこの世にある、ということを知ったことが、生きる上に心強い励みになった、と言える。

 

この句は、生きることに全く自信のなかった20才の私が、石川県の羽咋(はくい)の浜をとぼとぼ歩いている、回顧の句だ。打ちつける波や砂の感触は、今でも鮮明に記憶している。

   

紅くなり始めたドウダンツツジ(満天躑躅)

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401  侏儒のごと初椎茸の湿りよう

2011年10月21日 | 

(しゅじゅのごと/はつしいたけの/しめりよう)

 

 先日、今年の初椎茸を3つばかり採った。雨後で丸々と太り、良い出来だったが、今年はいやなことを思ってしまった。

 

放射能である。確か、椎茸はセシウムをよく吸収する、と聞いたからだ。熱海を通り越して、静岡のお茶にまで放射能汚染が拡散しているというから、嫌になってしまう。

 

私の体などどうでも良いが、人様に差し上げる時は、必ず放射能のことをお話しなければなるまい。

 

芭蕉や子規や虚子、誓子や草田男や山頭火などを呼んで、「こんな状況の現代における俳句」のあるべき姿を語る、大討論会を開催してもらいたい。

 

おっとと、汀女や立子、久女や鷹女、多佳子や真砂女も呼ばないと、怒られる。

 

 

ノハラアザミ(野原薊)

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400  秋の水濁し隼発ちにけり

2011年10月20日 | 

(あきのみず/にごしはやぶさ/たちにけり)

 

知り合いの家の庭を池に向かって歩いている時、浅瀬にいた小型の鷹類が、突然飛び立った。水飲みと行水に来たのだろうが、私に気付いて驚いたのだろう。

 

句ではハヤブサとしたが、調べてみるとチョウゲンボウ・ツミ・チゴハヤブサなど近似種は他にもある。瞬間的なことでもあり、素人の私は種類を判別することはできなかった。

 

それよりも面白かったのは、「立つ鳥跡を濁さず」という諺があるが、あれは湖や池の例えばカモやガンなどの場合で、池の浅瀬に立っている、例えばツルやサギ類には当てはまらない・・・・

 

つまり池底を覗いたら「立つ鳥水を濁す」のを発見したのだ。こんな発見をすると、丸1日は楽しい気分で過ごせる。

 

セイタカアワダチソウ(背高泡立草)

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399  秋の雲立志伝みな家を捨つ  五千石

2011年10月19日 | 

(あきのくも/りっしでんみな/いえをすつ)

 

犬の散歩に出かけて、空を見上げる。秋の雲がある。するとどういう訳か、この句を思い出す。ブログにどうかと、考える。うーんあんまり好きな句ではないな、と却下。

 

しかし、次の日も次の日もこの句が思い浮かぶ。「どうしても取り上げて欲しいんだな、分かったよ、取り上げるよ、降参だ」

ブログに載せてしまえば、思い浮かばなくなることを祈って。

 

この句の「立志伝」は、余りにも幅があり過ぎる。例えば、宗教ではブッダやキリスト、政治家では秀吉やナポレオン、科学者ではノーベルやアインシュタイン、経済では松下幸之助やSteve Jobs、俳句界では芭蕉や子規・・・・・・・医学では?スポーツでは?文学では?音楽では?美術では・・・・・・・・良い意味でも悪い意味でも幅があり過ぎる。

 

しかし、作者には、良い意味での「高邁なる志」があった、と解釈することにしよう。

 

チャ(茶)、ツバキ科

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398  留守の子の玩具片付く秋の暮

2011年10月18日 | 

(るすのこの/おもちゃかたづく/あきのくれ)

 

確か私は、小学校の高学年になってから個室を与えられた、と思う。しかし何度言われても、ずぼらな私が掃除などするはずがなく、部屋は散らかり放題だった。

 

ある日学校から帰ると、部屋がピカピカにきれいになり、整頓されている。そういうことが、時々あった。母が、堪忍袋の緒を切らしての掃除に違いなかった。

 

部屋がきれいになっているのは嬉しいが、何がどこにあるのか、さっぱり分からないのが悔しい。そこで、仕方なく母親に訊ねると、

 

「ああ、それは机の引き出しの上から3番目にあるわよ」

 

などと正確に答えるのが、癪にさわるのだった。将来の私が家出する原因の一つは、こんなところにもあったのである。

 

 

ザクロ(石榴、柘榴)

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397  虫時雨男も泣くを良しとして

2011年10月17日 | 

(むししぐれ/おとこもなくを/よしとして) 

 

男が泣くことは恥ずかしいこと、という風潮は確かにある。「泣き虫」というのも軽蔑的に使われている。

 

しかし、昔の男はよく泣いた、という説もある。「男泣き」というのは、誉め言葉に近い。子供の頃の私は、負けず嫌いだったので、悔しがる「泣き虫」だった。

 

さて、子供の頃の我が家には「赤毛のアン」があったはずだが、女の読むものと思い込み、一度も読まなかった。

ところが最近、BSで「赤毛のアン」の映画をやっていた。どうせつまらないだろうと高をくくっていたが、とんでもない。ユーモアもあり、愛情溢れる実にいい映画だった。年のせいもあるのだろうが、どうも最近「涙もろく」なったようだ。

 

それにしても、最近の映画やドラマは、離婚や不倫、喧嘩や殺人など殺伐とした、不愉快で腹の立つものが多い。そんなものに大金を掛けて制作している連中の気が知れない。

 

 

ツワブキ(石蕗、艶蕗)

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396  赤とんぼう姉あたたかき眼差しす

2011年10月16日 | 

(あかとんぼう/ あねあたたかき/ まなざしす) 

 

私には、それぞれ2才違いで姉が3人いる。だからどちらかと言えば、女系家族と言えるかもしれない。4人目に生まれた長男だから、大切に育てられたに違いない。そして、たっぷりと愛されて、甘やかされたに違いない。

 

「違いない」と、表現せざるを得ないのも「愛された」という自覚がないからなのだ。「愛された」のは、普通のこと、当然のこととなってしまって、「有難いこと」と自覚されない。これは、実に怖いことなのである。

 

 更に悪いのは、「愛される」ということが、「束縛」と解釈される時だ。世の中には、愛し方の下手な親が結構いる。

 

「仏の子が鬼、鬼の子が仏」と言われる所以だろう。

 

 

ヤクヨウサルビア(セージ)

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395  こんなところに入りたくない墓洗う

2011年10月15日 | 

 本来、人間に墓などいらない、と私は思う。墓を持つということは、古代より強い権力や経済力の象徴であった。それが江戸時代になって、幕府の宗教政策としての檀家制度(寺壇制度・寺請制度)と共に平民にまで強制させられただけだ。 

 

先祖の墓に入りたくないとは「不届きな奴」と言われるかもしれないが、どうせなら私は、海に散骨したり、樹木葬などが良いと思う。

 

以前、「千の風になって」が大ヒットしたが、歌詩は明らかに、墓の存在を否定している、といっても過言ではない、と思う。ということは、この考えへの賛同者は、意外と多いかもしれない。

 

ウメバチソウ(梅鉢草)

 

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