一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

2178   第292回 12月  岩戸句会

2020年12月26日 | 岩戸句会

永久にひとり芝居や冬落暉     薪    

塾帰りお下げの芯の冷えており

 

素蛾の森青女も舞いて熱き宴    鯨児    

冬木立途切れ途切れに啜りなき

 

ホットミルクに抹茶落して今朝の冬  鞠

蜜柑の実ポトポトこぼし電車過ぐ 

 

名草枯るただ一色の朝の道     イヨ

来た道は荒ぶ北風行く道も

 

木枯しやビュッフェのタッチ大銀杏 炎火

早朝の一番ホール青女かな 

 

そば食へば一節流る年忘れ     沙会

聖夜待つ宅急便の箱二つ

 

白マスクパッチリ眼青女かな    豊春  

冬枯や静もる団地竿売師

 

陽の差せば地に還りゆく青女かな   凛

触れし手の透きとおりゆく青女かな

 

冬薔薇人の名ありて棘ありて    さくら

金継ぎの湯飲みで啜る卵酒

 

オンライン会話にあきて冬星座   洋子 

手放すという決断や冬構 

 

都会には都会の寒さありにけり   稱子

人ひとり通る裏路地柚子たわわ

 

軽井沢星降る森のクリスマス    貴美

コロナでも何時ものように師走来る

 

マスク好き横着できて暖かで    パピ

冬晴や石工先祖の碑を訪ね

 

告知うけ胃ガンの身体冬始め    余白

枯れ葉たち人混みぬきて急ぎ旅

 

朝ぼらけ青女の吐息銀の峯     裕

柚子湯あとこの一年に酒を酌む

 

風と木々時に梟コンチェルト    雲水

大根の穴に堆肥とジムノペディ 

ヤツデ(八つ手)

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2177  素娥の森青女も舞いて熱き宴    鯨児  

2020年12月23日 | 

(そがのもり せいじょもまいて あつきえん)

     青女という架空、虚構の季語からこの句が生まれた。「素娥」は月の女神、「青女」は霜の女神である。月が煌々と照らす森の奥に、様々な女神たち、妖精たち、小人たちが踊り、飲み食い、熱き宴を催しているのだ。

 作者は、月の女神を登場させ、宴会を設定し、凍える寒さの宴会を「熱き」と言った。単なる宴会ではない,豪華絢爛たる大宴会を想像させたのだ。

ソウシチョウ(相思鳥)の水浴び宴会

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2176  永久にひとり芝居や冬落暉  薪

2020年12月21日 | 

 「ひとり芝居」と言えば。渡辺美佐子の「化粧」を思い出す。28年間、648回演じたという。特に驚いたのは、「90分の脚本を一週間で覚えた」と彼女自身が語ったことだ。プロは凄い。 

 さて、落ちて行く夕日、落日を「落暉(らっき)」ともいう。この句の永久にひとり芝居をしているのは、沈みゆく太陽のことを言っているのだろうが、「ひとり芝居」という人間の行為を選んだのには訳がある。つまり、作者は自身に思いを馳せているからなのだ。全ての人間は、究極生まれてから死ぬまで「ひとり芝居」をしている、と言っているのだ。

 人生とは、家庭や社会、自然や地球を舞台として、脚本、演出、演奏、歌、照明、道具係など、全てを作者自身が主演する「ひとり芝居」なのだ。

スイセン(水仙)

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2175  ハチ公に群れるスマホや翁の忌  世津子  

2020年12月10日 | 

   翁忌(おきなき)は、松尾芭蕉の亡くなった忌日で、旧暦10月12日(今年は新暦11月26日)。延宝3年に江戸に出て桃青と名乗っていた芭蕉は、日本橋から深川に居を構え、居を芭蕉庵とした。芭蕉の主な著作「野ざらし紀行」「笈の小文」「更科紀行」「奥の細道」は、江戸を発着地としての旅日記である。

 元禄を生きた芭蕉の江戸時代と令和2年の現代を生きてスマホをいじる若者達。作者は、渋谷のハチ公の前に屯する若者たちを見て、芭蕉の時代に思いを馳せているのだろうか。目前の喧騒と古池に飛び込む蛙の静寂を比べているのかもしれない。

すっかり冬木立になりました

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2174  労りの二人の暮らし鳳仙花  稱子

2020年12月07日 | 

(いたわりの ふたりのくらし ほうせんか)

例えば、「鳳仙花」というタイトルの歌は、加藤登紀子、さだまさし、島倉千代子、中島みゆきなどがそれぞれ違う作詞作曲で歌っている。又、小説では中上健次、漫画では大島由美子に同名のタイトルがあり、「鳳仙花」は、なかなかの人気者の花なのである。

   鳳仙花の花は、昔から女の子が爪を赤く染めるのに使ったため、ツマクレナイ、ツマベニ(爪紅)などとも呼ばれた。又、種は蒴果(さくか)」と呼ばれ、触れると弾けるので、「私に触れないで」という花言葉がある。

    従って私は、この句を読んで『「労りの二人の暮し」に何故「鳳仙花」を選んだのだろうか』という疑問が浮かんだのだ。鳳仙花の花期は夏であり、種が飛ぶのは秋だから、11月末の初冬の句会に出すには遅すぎる。

 私の結論。作者は、季語「鳳仙花」を下五に斡旋することによって、上五・中七と全く逆の意味を持ってきて、読者をからかっているのだ。

センリョウ(千両)

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2173  天空を寂と降りたる青女かな  雲水

2020年12月06日 | 

 青女(せいじょ)とは霜・雪を降らせる女神である。やがて美しい霜自体を指して使われるようになった。あらゆる物事を浄化するように見えるほどに、潔い美しさがあることから名付けられたのであろうか。夜明けに青女が初めて地表に降りると、長い冬が始まるのだ。

 但し、青女(あおおんな)と読むと困ります。青二才と同じように世慣れぬ未熟な者を指す若い女(青女房)になってしまうので、俳句では前者として用います。

 ちなみに、春の女神「佐保姫」秋の女神「龍田姫」ほど有名ではないけれど、夏の女神「筒姫」、冬の女神「黒姫(宇津田姫、白姫)」などもおわします。

 青春、朱夏、白秋、玄冬、のように、季節にはそれぞれ色があります。私の想像ですが、青女が青いのは、風がなく、放射冷却現象によって地表が冷やされ、空は青く晴れ渡っているからではないでしょうか。

スイセン(水仙)

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2172  手作りの舐めて驚く柚子胡椒  雲水

2020年12月05日 | 

(てづくりの なめておどろく ゆずこしょう) 

 生まれて初めて「柚子胡椒」を作った。柚子ポン酢、柚子味噌は毎年作っているが、柚子胡椒は作らなかった。知人から柚子胡椒をもらったことは何度かあるが、我が家の庭に柚子の木が2本あり、唐辛子も菜園で育てているのに「胡椒」が「青唐辛子」だということを、知らなかったのだ。

 自慢じゃないが、人様の3倍は辛いもの好きで、毎年唐辛子を育て、1年中朝の味噌汁にもたっぷり唐辛子を振り掛ける私が、何たることか。呆れて大いにものが言える。柚子胡椒のレシピは、実に簡単

柚子の皮50g、青唐辛子50g、塩20g、柚子の絞り汁1~2個、をミキサーで粉砕するだけ。

侘助(今年は開花が例年より早いようだ)

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2171  障子張る祖母のまねして母まねて  洋子

2020年12月04日 | 

 明治維新以後140年、「日本は西洋に追いつけ」とばかりに西洋化していった。軍隊しかり、汽車、自動車、教育、住宅、洋服、音楽、食事・・・まあ全てが変わったと言っても過言ではないだろう。

 能、狂言、歌舞伎、琵琶、長唄、日本画、茶道、剣道、柔道、染物、漆器、陶磁器、日本刀など、西洋化に押されながらも、細々と生き残っているものもある。跡継ぎがいなくなり、絶滅を危惧されている職種も多々あるだろう。

   純和風住宅はほぼ滅んだが、洋風住宅の中にわずかに和室が残り、床の間、畳、障子、土壁、などが残されている。

   さて、この句の「障子張る」は秋の季語。冬に備えて張り替えるからである。障子だけなら冬の季語である。障子は、平安時代後期が起源とされ、障子張りは、千年にわたり受け継がれてきた伝統行事である。

 障子張りは、結構面倒な作業である。子供の頃の我が家は、大掃除と共に年末に行っていて、よく手伝わされた。

 まずは敷居から外して屋外で洗う。近くに小川があればいいし、なければバケツ、ホースがあれば尚良い。

 障子を付け置いてから、こびりついた糊や紙をたわしできれいに落とし、乾かす。糊は、米を煮て作る。障子は下から貼る。最後に霧を吹いて皺を取る。

 現在、我が家には和室がないから障子がない。喜んでいいのか、悲しむべきか。実際私は、喜んでいる怠け者である。

サザンカ(山茶花)

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2170  ぶつぶつと呟き聴こゆ紅葉川  薪  

2020年12月03日 | 

 川面に映った紅葉(こうよう)した紅葉(もみじ)。作者の耳には、何かぶつぶつと呟きが聞こえるという。呟いている者(物)は、文法的には紅葉川の川音かもしれない。しかし、そうとは限らないのだ。紅葉(もみじ)かもしれないし、森のざわめきかもしれない。近くにいる知り合い(人間)かもしれないし、他人かもしれない。森の精霊や神様かもしれない。勿論、作者の意識下の声かもしれないのだ。

 主人公が何か(誰か)解らないし、「ぶつぶつ」の中身も分らない。兎に角どうにでも考えられるし、この句は、実に曖昧なのだ。

 そこで私は考える。作者は、紅葉(もみじ)や川や森、作者の過去や現在や未来、そして己の無意識界に耳を傾け声を聴こうとしているのではないのか。そんな鎮静した作者の心理状態を想像するのは、考え過ぎだろうか。

ユズ(柚子)

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2169    第291回 十一月 岩戸句会  

2020年12月01日 | 岩戸句会

ぶつぶつと呟き聞こゆ紅葉川    薪    

コロナ不況の保護猫貰う小春かな

  

畑道を静かに揺るる草紅葉     イヨ

雪富士を背負い夕べのかの山よ

 

障子張る祖母のまねして母まねて  洋子

テレワーク息子は別人おでん煮る

 

朝時雨軒に二連の柿すだれ     裕

昼時雨冬芽を硬く暖かく

 

見習いの剪刀のリズム松手入れ   稱子

労りの二人の暮し鳳仙花

 

風水の幸せ色の大銀杏       凛

時雨駅傘をさす人ささぬ人 

 

冬の朝株式欄と新コロナ      炎火 

富士壺と同じ遺伝子雪の富士     

 

二千キロ飛行する蝶密を吸う    パピ       

時雨るや俊寛僧都流刑の地 

 

風水の幸せ色の大銀杏       凛

時雨駅傘をさす人ささぬ人 

 

秋灯火頁繰る指眠り入る      さくら

夜長し多くなりゆく生返事 

 

赤い橋人の恋しい時雨傘      一煌 

舞うほどの花をもたざる冬桜 

 

半日で障子張り替え大欠伸     豊春

夕時雨取り残されし庭草履

     

空になき都民憧れの天の川     余白

朝時雨継ぎはぎ補修の舗装道

 

 

秋深し一番星のお湯の中      沙 会

冬浅し水かけ論も会話中  〃

 

来年の手帳ぼちぼち買わなくちゃ  貴 美

胸に抱く焼き芋温し帰り道  〃

 

冬木立朝日大きく呑み込みぬ    鞠 

いろいろの冬のヤモリと出会いけり 

 

野の花を挿して勤労感謝の日    雲水

鬱蒼と猪のぬた場の濁り水 

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