80分の1丁目16番地

ペーパースクラッチによる車両作りを中心に1/80、16.5ミリゲージの鉄道模型を楽しんでいます。

鉄道総研補足

2010-04-28 02:01:14 | 実物・資料系(現在)
前回の投稿の補足です。
鉄道総合技術研究所の敷地は工場や軍施設ではなく、広々とした田畑であったようです。
また、旧周回線近くに見えた怪しい円弧はどうも線路とは関係なさそうで、いずれも深読みしすぎたようです。
もっとも、まだナゾは多いのですが・・・

1947年、終戦から2年後の国立駅北側のようすを米軍が撮影したものです。現在の研究所があるあたりは一面、田んぼか畑が広がっているのがわかります。周辺の区画整理は既に始まっていて家屋が建ち始めています。気になるのは、国立駅から西北へ伸びる引き込み線(又はその用地)が既にあることです。1959年に移転してきたという割には、その遥か以前から引き込み線だけはあったことになります。
注)リンク先の写真は解像度を最大にしてご覧ください。
◆1947年の国立駅周辺の航空写真(※1)


次は1961年のようすです。真新しい本館やいくつかの実験棟と実験線ができていますが、右側の周回線はまだできていないようです。(用地らしきものはうっすら見える)
新幹線の開発が本格化していた時期と思われます。
なお、"怪しい円弧"のあたりは森になっていて、軌道敷らしきものは見当たりません。
◆1961年の国立駅周辺の航空写真(※1)


それから10年が経過した1971年のようすです。サイズの関係でこれ以上拡大できませんが、新幹線開業(1964年)から7年がたち、周回線はすでに役目を終えているように見えます。怪しい円弧の周辺は宅地化が進んでいます。
◆1971年の国立駅周辺の航空写真(※1)


最後は平成元年のようすです。周回線は線路が撤去されて完全に跡地となり、そして怪しい円弧の場所には駐車場が出現しました!周辺の住宅の建ち方などを含め、どうみても線路敷を連想させる地上絵ですが、実際は違っていたようです。カーブした用水路でもあるのでしょうか。
◆平成元年の国立駅周辺の航空写真(※2)


さて、冒頭に書いた「まだナゾは多い」件ですが、小平市のHPの一節によると、鉄道総研の前身「鉄道調査所」が新橋の汐留からこの地に越してきたのは戦火を避けるためで、昭和19年(1944年)のことだった、と書かれています(→※3こちら)
子供向けの歴史解説なので間違ったことを書いているとは思えないのですが、終戦を挟んで3年後には1枚目の写真のように、広大な田畑に変身してしまうものなのでしょうか?
ひとつ考えられるのは、「1枚目の写真のどこかに研究所は存在する」ということです。それは当然、国立駅から伸びる引き込み線(又は用地)の近くに。そして一見、引き込み線のように見えるこの線路自体が、実は当時の実験線そのものだった・・・

ありえないですよね・・・


出典:
※1:国土変遷アーカイブ(国土地理院)
※2:国土情報ウェブマッピングシステム(国土交通省)
※3:としょかんこどもきょうどしりょうNo.10(小平市)


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