イリスの色いろのお話

イリスのエレガンス★コミュニケーション blog
色彩・着物・ファッション・アート

桜の下、岡本敏子さんを偲んで

2006-03-26 20:11:31 | Weblog
東京も開花宣言がされた、暖かい週末。
カルチャー教室の生徒さんたちと、根津美術館と岡本太郎記念館へ。
根津美術館で、和菓子の虎やさんの雛人形とお道具の展示を見たあと、岡本太郎記念館へ参りました。

岡本太郎さんのパートナーであった、岡本敏子さんの追悼の展示でした。
実は、私は、2003年の仲秋、9月11日の夜、京都の平安神宮で催された「京都、満月祭り」で、敏子さんのお隣の席で能を鑑賞したことがあります。

「京都、満月祭り」は、知人のプロデューサーが、満月ごとに千年の伝統を誇る京都において、
ここから千年続く平和への呼びかけとして提案し、UAや喜多郎などが賛同して出演されました。
その年の仲秋が9月11日である意味は大きく、平安神宮から、能という日本の伝統芸を通して、千年続く平和への祈りを込めた特別な舞台でした。

その9月11日、私は仕事を終えた足で、新幹線に飛び乗り、平安神宮へ駆けつけました。
すでに公演は始まりかけていたところへ滑り込むと、たまたまお隣にいらしたのが、岡本敏子さんでした。

演目は「翁」と、梅若六郎氏がグランドゼロで舞い、封印した「祈り-inori-」を再演なさいました。
気迫のこもった舞台で、最前列で観ていた私は、橋掛りを去って行く梅若先生の足の運びが、この世のものとはおもえない軽やかさであったことを記憶しています。
その晩は、大阪方面は大雨で、会場にいても雷のピカっとするのが見えたくらいでした。
でも、ここ平安神宮の上だけは、ぽっかり明るく満月が浮かんで見え、幻想的でした。

そのあと開かれた懇親会で、敏子さんは、
「私は、太陽の男に50年も連れ添ったんだよ。私が来る以上、雨なんて降らせませんよ!私には太陽がついているんだから」
と、大きな目をくるくるさせ、カラカラと笑って仰るので、会場は大笑いになりました。童女のような無垢な笑顔から、大きな広い心を感じました。

岡本太郎記念館に足を踏み入れると、笑顔の敏子さんの大きな幕が壁面に掛けられており、その対面に、太郎さんの幕が掛けられていました。

私の子供の頃、「芸術家」といえば、岡本太郎?というくらい、「芸術は爆発だ~!」というフレーズがどうしても耳についてしまっていました。子供なので、なんかヘンな人?とか思っていたくらいです。
でも、岡本敏子さんという存在を通じて、もっと違った側面を知ることができたような気がします。
なんといっても、パートナーのありかたとして、最高傑作なお二人だと思います。「同志」ほど強いつながりはありません。
ほんとうに、ピュアな魂が引き合って、出会われ、育まれてきたのだと思います。

満月祭りの会場でも、懇親会でも、ただただ敏子さんのパワーに圧倒されて、ご挨拶もできなかった私。
その後、あまりに急に、あなたは逝かれてしまわれました。
でも、平和への祈りの場を共有できたことは、私の宝です。

メキシコで見つかった太郎さんの壁画が、無事修復され、私たちがまた、太郎さんと敏子さんを感じられる機会を与えられますよう心よりお祈り申し上げます。




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1 コメント

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Unknown (森の宮文化村)
2006-04-01 23:42:43
大阪よりはじめておじゃまします。素敵な記事でした。

岡本太郎さんの本はいろいろと読んでいますが、岡本敏子さんが編纂された「芸術は爆発だ」が私は一番好きです。太郎記念館は私もいってみたいです。
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